藍司の回顧録

ページ名:藍司の回顧録

 

初めて夢現災害に遭ったときの景色は、もう20年近くは経った今でも薄れず脳裏に焼き付いている。罅割れる空に、ぬらぬら光る粘液に覆いつくされた街、敷かれて黒ずんだ血の絨毯。どれ一つとっても目を覆いたくなるくらい汚らしくて仕方なかったけど、なにより生きながらグロテスクなエイリアンに脱皮していく犠牲者たちが凄まじかった。ほんの数分前までは狼狽え慌てふためていたのに、もう意思疎通もできないほど中身もすっかりそれになっちゃてるのを見て、僕はあれにはなりたくないな、って嫌悪と焦燥を感じた。今も、ずっと。

 

あとから……奇書院に入ってダイバーを始めてから。それが悪夢とホルダーだと聞かされて、悪感情がその原因であると知った。だから僕はそうならないように、研究を始めた。

 

 

そういえば彼らはあのときどんな気持ちを感じていたんだろう。

思えばそういうことはいつもあった。どうして彼女は泣いてるんだろう、どうして彼は怒っているんだろう。みんなはちゃんとわかってるのに、答え合わせを聴いても理解できない。僕だけが人の気持ちがずっとわからないままで。誰かに聞いてみても、道徳の授業を受けてみても、大人になっても。それは単純に経験不足なのかなと考えた。物覚えが悪い子には何度も反復して勉強させないといけないように、人の痛みがわからない僕は人よりも痛みを覚え込まさせないといけないのだと悟って、何度も何度も自ら底の方へと降りるようにした。

いっぱいの人を殺して、いっぱいの人から罵りや侮蔑の言葉を聞いた。道徳トロッコのレバーだって数えきれないくらい引き上げてきたし、線路の上に居るのが子供だったことだって無数にあった。戦友は日を追うごとに数を減らしていったし、葬式で責められたことも一回だけじゃない。多分だけど、どこに出しても不幸自慢できるってくらいには痛いはずなのに、すぐに慣れてしまったのかな。「君は強い心の持ち主だ」だとか、「君は勇敢だ」だとか、周りには褒めてもらえるし、痛くて辛いだなんて思えたことは殆どなくて、嬉しかったけど、それがとても悲しかった。

 


人に教える立場になることで見えることもあると思って、初めて教え子をとってみたこともあった。

ちょっとばかしドジをやらかすこともあるけど基本は要領がよくて、それに本当の意味で強い子だった。彼女は他人の痛みに耳を傾けて理解することができて、その上で僕の「底」での日常生活に折れることなく着いてくることができる。そんな彼女が僕の前で初めて泣いたのは、一番最初の民間人殺しではなくその後の偽装工作のときだった。

自分が咎人であるのに、それを正直に打ち明けられることができないのが辛くて、そして懺悔して楽になろうとしている自分の弱さが悔しい、だとか確かそんな風に言っていった。そう言われたけど、それがどうにもピンと来なくて、僕は余計にみんなと自分の間の溝が深まったというか、深かったことを知ってなんとも言えない気持ちになった。

 

彼女の友人が奇書院(の小さな支部だけど)を訪ねて来たこともあった。わずかばかりのダイバー能力があることはわかったけれど、それよりも見るからに、彼女は僕にでもわかるくらい憔悴してるというか、神経質なきらいがあって、僕はきっと彼女はここで生きていくことはできないな、と思って当たり障りなく追い返した。

それから一か月くらいして、その友人が首を吊って死んだことを彼女から聞かされた。どうやら彼女は僕が既に知っているものだと思ってたみたいで、僕は何も悪くないから気に病まないでください、と慰められた。まあ、ダイバーを始めてそこそこ経って、それっぽいことを言えるようにはなったから、僕は「大丈夫。僕は、自分の腕が届く範囲しか救えないってことは弁えている」と伝えた。彼女は僕の答えに満足しているようだったけど、僕には何が正解かわからなくなってしまった。

 

2人目の教え子をとってみた。彼女はとても従順で、また優秀なダイバーだった。一人目と違い、直接的な武力もあったから色んな戦場に連れまわしたな。彼女はどんなに過酷な……肉体面もそうだけど、主に精神面で、任務であっても何も言わず着いてきた。だから僕はきっと彼女は僕とは同じなのだと安心しきってしまった。

報復任務の帰り、オフィスで嗚咽をあげながら嘔吐しているところを見て、初めて僕はそれが思い違いであることを自覚した。彼女はとても辛抱強いだけで、純粋な意味で人並の人だったんだ。それからすぐに僕は派閥変えの書類一式を用意して、彼女に精いっぱいの謝罪を終えてからそれを勧めた。奇書院は強い人間か、僕みたいなどうしようもない奴じゃないと生き残れない。だけど、追い返すことも優しさにはならないと学んだから。

それからしばらくして、ゼロメアで働いている彼女に会いに行った。こっちだって変わらずしんどくて大変ですよと愚痴るけど、それを話すときに浮かべる笑みは僕の下に居た時とは全く違っている。

 

嬉しかったけど、虚しくなってしまって、それからは任務と研究に集中するようになった。

僕は僕の

 


 

 

「その人を値踏みするような言動、最悪だから本当に治したほうがいいよ。今更かもしれないけど」

「」

 

 

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