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ゾット帝国騎士団カイトがゆく!~人を守る剣の受け継がれる思い~(外伝)
茜ちゃんと神さま
下の「栞の誕生日プレゼント」編へと続くストーリーらしいが、こちらの方が後に書き始められている。(ゾッ帝はこのように進行中のストーリーを放置して新たに過去編を付け足す、ということが何度も行われているせいで話が飛び飛びになっているようだ。)
少女との出会い
有志による復刻
昼下がりの町。
オラは母の祖母が営んでいる甘味処かんみどころに立ち寄り、妹の栞と一緒に甘味を食っておった。
甘味処の店外の洋風ベンチに座って、オラは串団子をほうばり、オラの隣の栞は両手で饅頭まんじゅうをほうばる。
甘味というたら、串団子じゃろ。三色団子もええし、みたらし団子もええな。
考えただけで、涎が出るわい。
栞は、甘味というたら、饅頭らしい。蓬饅頭も好きで、おはぎも好きじゃ。
饅頭も美味いが、やっぱ団子じゃろ。
甘味処に寄ったら、大体、オラは串団子を頼んで、栞は饅頭じゃ。
熱いお茶を飲んで一服したら、もう幸せじゃ。
その時、店の暖簾のれんから、紅い前掛けをした母ちゃんが両手でお盆を持って現れた。
お盆の上には、急須と湯呑、小皿には見たこともない菓子が盛られていた。
「はい。カステラよ、食べてみて。うちの常連のシーボルトさんが異国のお土産に持って来てくれたのよ。カステラは、異国の洋菓子みたいよ。卵で生地がふわふわしてて美味しいのよ。紅茶に合うわね」
母ちゃんがオラたちにウィンクして、お盆をベンチの上に置く。
母ちゃんが、湯呑に茶を注ぐ。湯呑から、湯気が立った。
オラと栞が、興味津々に小皿に盛られたカステラをまじまじと見る。
カステラは、上にこんがり焼き色がついており、焼き色の下に、柔らかそうな黄色をしていた。
オラは小皿を持って、不思議そうに首を傾げ、カステラの焼き色を触ってみた。
生地がべたついて、指の腹にカステラの生地が付いた。
指の腹に付いた、カステラの生地を舐めてみる。
甘くて、生地のふわふわ感が口に広がった。
カステラの黄色ところを人差指で突いてみると、柔らかくて、ふにふにしている。
カステラを手に取って、一口ほうばる。
「ね? 美味しいでしょ?」
母ちゃんが両手を合わせて、目を輝かせて訊いてくる。
「初めて食うたが、カステラ、美味いのう」
オラは一気にカステラを食うて、指の腹についたカステラの生地を舐める。
栞を見ると、カステラを美味しそうに食べている。
どうやら、指の腹についたカステラの生地を舐めるのに苦戦している。
栞も、カステラが気に入ったらしい。
「あっ、お茶より、紅茶がいいわね。持ってくるわね。ちょっと待ってて」
母ちゃんが、思い出したように掌の上で拳を叩くと、暖簾の奥に小走りに消えて行った。
「栞、カステラ美味いじゃろ?」
オラは栞の顔を覗く。
「うんっ!」
栞は満足げに頷く。
「放してよ! あんたらと遊ぶ気ないんだから!」
その時、少女の怒鳴り声が聞こえた。
オラは少女を見る。少女はピンクの花柄の着物を着ていた。
「お嬢ちゃん、可愛いな。どうだい? この町の遊郭で働いてみないか?」
「お嬢ちゃんなら、人気の遊女になるよ。お金も稼げるよ」
オラの目の前で、ガラの悪いならず者二人組に絡まれている少女。
どうやら、ならず者の二人組は、町で遊女の卵を探していたらしい。
遊女の卵を探すために、遊郭に雇われたならず者ちゅうことか。
そげな乱暴なやり方で、遊女の卵なんか、見つかるわけないじゃろ。
刀なんぞ腰に下げおって、遊郭も、雇う人間を間違えたんじゃろな。
ならず者の腰に、大小が下げられている。
刀か。物騒じゃのう。関わらんほうがええわい。
オラは無視して、もう一切れのカステラを口にほうばろうとした。
口を開けたまま、視線は少女の方に向いた。
「知らない男に抱かれるより、好きな男に抱かれるほうが、よっぽどマシよ!」
少女が男の股間を、思いっきり蹴った。
あの女、男の急所をやりおった。
ありゃ、痛いで。
「いててて! こいつ、玉蹴りやがった!」
男が股間を押さえて、兎のように跳ねている。
やがて地面に崩れて、縮こまり身体を回らせながら唸る。
「このアマぁ! やりやがったな!」
男が、鞘から刀を抜く。
刃先を喉元に向けられた少女。
さすがに少女は腰が抜けたのか、尻餅をついた。
もう見てられん。
オラはベンチから立ち上がって、小皿にカステラを置き、少女の元へ駆けた。
指の腹についた、カステラの生地を舐めながら。
「大丈夫か?」
オラは少女に手を差し伸べる。
「あんたの手、べたついてない? きゃっ」
オラの手を受け取って、立ち上がろうとする少女。
しかし、足首を押さえ、唸る少女。
どうやら、尻餅をつく時に捻挫したらしく、立ち上がれないでいる。
「手がべたついとるんは、カステラちゅう洋菓子じゃ。卵がふわっとしてて、これがまた美味いんじゃ」
オラは少女から手を離して、腕を組んで首を縦に振る。
「カステラ? って、あんた。感心してる場合じゃないでしょ!」
少女が首を傾げて、拳を振り上げて、オラに怒鳴る。
「おい、ガキ。いいとこで邪魔するな! お前も斬られたいか!」
オラと少女のやり取りを見ていたならず者の男は苛立って、刀を肩で叩き、オラに刃先を向ける。
「こげな話してる場合じゃなかったわい」
オラは少女の前で両手を真っ直ぐ横に広げて、ならず者の男を睨み据える。
「へっ。丸腰のお前に、何ができるってんだぁ?」
ならず者の男は鼻で笑う。
丸腰のオラに勝ち目はないじゃろ。
じゃったら、少しでも時間を稼いで、こいつらから逃げんと。
オラは屈んで片膝を地面につき、手を後ろに回して、ならず者の男に見えないように地面の砂を握った。
「跪いて、斬ってくださいってかっ!」
ならず者の男が刀を振り下ろす。
「食らえや!」
オラは握った砂を、ならず者の男の顔にかける。
「うわっ! やりやがったな! 眼に砂が入りやがった!」
ならず者の男は、眼や口についた砂を手で払ったり、唾を吐いたりした。
よし。うまくいったわい。
これで、しばらくは時間が稼げるじゃろ。
「今のうちに逃げるで!」
オラは少女に振り返って、少女を起こそうと少女の手を繋いで、少女を立ち上がらせようとする。
「ちょ、ちょっと。足を捻挫してるのよ!」
少女は立ち上がるも、片足を上げてこけそうになる。
「忘れとったわい。ほれ、おぶるけえ」
オラは顔を少女に振り向け、オラの背中を少女に向けた。
「あ、ありがと。尻餅ついた時に、足挫いたみたい」
少女はオラの背に遠慮がちにちょこんと乗っかる。
「意外と重いな。お前、肉の食い過ぎとちゃうんか」
オラは立ち上がり、少女をおぶって走り出す。
「う、うっさいわね。早く走りなさいよ! もぉ!」
少女はオラの頭を両手で叩いた。
背後から、ならず者の怒号が聞こえる。
「逃がさんぞ!」
しつこいのう。
声からして、追手は一人か。
相方は、相変わらず急所をやられて、しばらくはあのままじゃろ。
この辺は、あまりこんけえ。
ここは撒くために、小道に行くか。
オラは右に曲がって、小道を進んだ。
石塀の向こうに、竹林が広がる。
入り組んだ小道だった。
何度も曲がり角を曲がり、分かれ道を適当に進む。
夢中に小道を走るうちに、そこは不運にも袋小路だった。
後ろは石瓶。石塀の向こうに庭が広がっている。
「やっと追いついたぜ。へへっ」
ならず者が刀を舐めながら、じりじりとオラたちを追い詰める。
オラは後退る。一歩。また一歩。
オラは地面を見る。
袋小路は石敷きで、握れそうな砂はなかった。
手詰まりじゃ。
オラの頬に冷や汗が伝う。
「まあ、ここまでよく逃げたよ。そこは褒めてやる。だが、知らない道を行っちゃいけねぇなぁ」
ならず者が刀を肩に置いて、詰めが甘いとばかりに、人差指を小さく振る。
オラの前まで、ついにならず者が歩み寄る。
後ろは、石塀で行き止まり。
「女は頂くぜ! 実は俺はよぉ、嘘ついてこの女を異国に売り飛ばそうとしてたんだ。騙して悪かったなっ!」
ならず者が不気味に高笑いしながら、刀を振り下ろした。
もうダメじゃ。
オラは両目を瞑った。
少女はオラの背中で「きゃっ」と声を漏らす。
オラの着物の皺を握り締めた。
「な、なんだ! 前が見えねぇ!」
ならず者の怒鳴り声が聞こえる。
オラは瞼をゆっくり開けた。
ならず者の頭に、マントのような物が被さっている。
「感心しないな。ならず者が、子供を斬る趣味があるとはな」
ならず者の背後で、別の男の渋い声が聞こえた。
オラはカニ歩きして、恐る恐る身を乗り出して、ならず者の背後の男を覗き込む。
ならず者の背後の男は、長い髪を後ろで束ねて、長い前髪が目許に垂れている。
口に煙草を銜え、黒い制服を着ていた。
ならず者の背後の男は、オラを一瞥して、ならず者の背中を睨み据える。
ならず者の背中に、煙草の煙を吹きかける。
「!? 貴様、何者だ!?」
ならず者がマントを乱暴に取って投げ捨て、男に振り返る。
「憲兵団、一番隊隊長の伊藤だ。子供を追い回しているお前を見かけてな」
伊藤が煙草を吹かして、煙草の煙をゆっくり吐いた。
「伊藤だと? 聞かねぇ名だな」
ならず者の男が、刃先を伊藤に向ける。
「お前など斬る価値もない。大人しく寝ててもらおうか」
伊藤が煙草を吹かしながら、素早くホルスターからオートマチック銃を抜いて、ならず者に銃を撃つ。
一発の銃声。オートマチック銃の銃口から、煙が龍のように昇る。
「ぐぁぁぁぁぁ!」
男の身体に青白い電気が走り、痺れながら崩れた男は、うつ伏せに倒れた。
男は泡を吹いて、痺れているのか、身体がぴくぴく動いている。
オラはうつ伏せに倒れたならず者を見下ろした。
なんじゃ。
あの武器、おっそろしいのう。
「連行しろ」
伊藤が、うつ伏せに倒れたならず者の男を見下ろして煙草を吹かし、小道の奥を顎でしゃくる。
「はっ」
伊藤の後から、制服を着た憲兵団がならず者の男の肩に手を回す。
憲兵団がならず者の男を立ち上がらせ、ならず者の男を引きずって連行していく。
「お前の行動と勇気、称賛に値する。彼女を守ってやれ」
伊藤は煙草を吹かすと、ホルスターにオートマチック銃を収めて、マントを拾い上げた。
マントを肩に引っかけ、踵を返した。
オラは呆気に取られて、生唾を飲み込んだ。
安心して、その場に足が崩れる。
「か、カッコいい。伊藤さんかぁ。あたし、好きになっちゃったかも」
少女の暢気な声が聞こえる。
その後、深いため息を零した。
「なんじゃい。人がせっかく助けたちゅうのに。その態度はなんじゃ」
オラは苛立って、少女を背中から下ろす。
「この役立たず! あんなならず者くらい、伊藤さんみたいにやっつけなさいよ!」
少女は立ち上がって、片手を腰に当てて、人差指をオラの肩に小突く。
その後、捻挫した足が痛みだしたのか、捻挫した足を上げてよろける。
「なにゆうとんじゃ! みたじゃろ、あの刀を! オラは丸腰じゃったんじゃぞ!」
オラも負けじと立ち上がり、少女に振り返って拳を振り上げ、少女に怒鳴る。
「もういいわよ! あたし、歩いて帰るから。あんたは、とっとと消えなさい」
少女は痛そうに片足を引きずって、オラの肩を両手で叩いて、手をひらひらさせる。
「はぁ!? また襲われても知らんけえの! ほいじゃの!」
オラは踵をかえして、大股で小道を歩いて行った。
なんじゃい、あの女。
可愛い顔して、えげつないわい。
あんな女、二度と会いたくないわ。
オラの背後で、少女の倒れる音が聞こえた。
ああもう、面倒な女じゃ。
オラは頭を掻いて、小道を引き戻った。
「無理すんなや。手かすけえ」
オラは、倒れた少女に手を差し伸べる。
「う、うん。さっきは言い過ぎた。ごめん……」
うつ伏せに倒れた少女は、オラの手を取って俯く。
「もうええけえ。ほれ、背中乗りんさい。おぶるけえ」
オラは少女の手を離して片膝を地面につき、少女に背中を向ける。
「う、うん」
少女が遠慮がちに、オラの背中にちょこんと乗る。
「オラたち、助かってよかったのう」
オラは立ち上がって、小道を歩き始める。
「そうだね。助けてくれてありがとう」
少女がオラの背中に顔を埋めた。
少女のいい香りが鼻をくすぐる。
少女の胸の感触が、オラの背中に当たる。
オラは思わず、興奮して鼻血が出そうになり、鼻を手で摘まむ。
「どうかした?」
少女が心配そうに、オラに訊いてくる。
「い、いや。なんでもないけえ」
オラは顔を少女に振り向いて答える。
「あっ。もしかして、あたしの胸があんたの背中に当たってる!?」
少女が上半身を、オラの背中から離す。
「し、仕方ないじゃろ。おぶってんじゃから。胸くらい当たるわい」
オラは顔を少女に振り向けたまま答える。
「この変態っ! やっぱ、下ろせ~!」
少女がオラの肩を両手で叩く。
足もばたばたさせて。
「おい、暴れるなや。お前、肩叩き上手じゃのう」
オラは少女をおぶりなおす。冗談を交えながら。
オラと少女は、小道を抜けて、町に消えて行った。
背中の少女の文句が、町に響く。
それからしばらくして。
「おーい。新しい門下生連れてきたで!」
道場の表門から、宗次郎の声が聞こえる。
オラは道場の庭で、竹刀の素振りをしていた。
竹刀から顔を上げて、道場の表門を見る。
栞も、庭で蝶々を追いかける足を止めて、不思議そうに小首を傾げ、道場の表門を見ている。
「宗次郎。その女、誰じゃ?」
オラは額の汗を手の甲で拭う。
宗次郎の背中に隠れている少女を見て首を傾げた。
少女の顔は宗次郎の背中で隠れている。
少女は長い髪を後ろで、紅い紐で束ねていた。
淡いピンクの単衣にたすき掛け、黒い袴に白い足袋で草履。
「紹介する。オレのいとこ、茜じゃ。今日から、茜は門下生じゃ」
宗次郎が少女の背中を手で押し出して、少女の肩に手を置く。
「茜です。よろしくお願いします」
少女が丁寧に頭を下げて、顔をゆっくり上げる。
「ああ! お前はあの時の!」
オラは驚いて少女を指さした。
「あ、あんたは!」
少女も負けじと、オラを指さす。
宗次郎は栞と顔を見合わせ、宗次郎は首を傾げた。
宗次郎は訳がわからず、目をぱちくりしていた。
栞は、顔の前を飛び回る蝶々を、楽しそうに追いかけた。
やれやれ。この女にしごかれるで。
- 甘味処で饅頭、カステラを食べる。
- 憲兵団一番隊隊長の伊藤登場、オートマチック銃を使う。
蔵の中の神さま
有志による復刻
茜ちゃんが門下生になってから、一月が経とうとしていた。
茜ちゃんが門下生になってからというもの、オラと宗次郎は茜ちゃんにしごかれておる。
おまけに、茜ちゃんの剣の腕はみるみる上達しておる。
剣の腕がからっきしなオラはすっかり、宗次郎と茜ちゃんにおいとけぼりにされてしもうた。
今日は剣の稽古は休みで、朝から蔵の整理で大忙しじゃ。
父ちゃんは、死んだ爺ちゃんが建てた蔵を整理して、将来酒蔵にして酒の商売をするつもりらしい。
刀鍛冶だけでは、やっていけんと見込んだみたいじゃ。
オラたちは、朝から蔵の整理の手伝いをさせられた。
オラはマスクを付けて、手袋を嵌めて、蔵の片端から書物をまとめて庭に置いてゆく。
庭では、栞と父ちゃんが書物を燃やして、焚き木していた。
栞と父ちゃんは、母ちゃんが持ってきた芋にアルミホイルを巻いて、楽しそうに焼き芋をしている。
こっちは重労働ちゅうのに。
父ちゃんと栞は楽でええわい。
オラは庭に書物を置いて、額の汗を拭う。
傍で焚き木をしているので、熱気で余計に暑い。
中腰で作業してたからのう、ちょっと休憩じゃ。
オラは腰を叩きながら、縁側に座って小休憩することにした。
寝転んで、ぼけっと栞を見つめる。
頭皮に掻いた汗が気持ち悪くて、頭を掻く。
風がオラの身体を撫でてゆく。
和服を着た栞が美味しそうに、冷めた焼き芋を口にほうばっている。
栞は猫舌なのか、樹の台上のお盆に置かれた冷たいお茶を飲んで、慎重に焼き芋を口の中で冷ましている。
冷めた焼き芋を食べながら、樹の台上の小皿に盛られた熱々の焼き芋と睨めっこをしている。
父ちゃんは、今日も刀鍛冶の格好をしていた。
丸いメガネを掛け、首に白いタオルを巻いている。
藍染めの半袖に、手袋を嵌め、藍染めの長ズボンに、黒い足袋に草履。
小さい樹の椅子に座っている。
父ちゃんがせっせと、書物を焚き木に投げ入れる。
書物を口にした火が怒って、火の粉が舞い上がり、噴火のように火が音を立てる。
父ちゃんのメガネが、焚き木の炎をゆらゆらと映している。
父ちゃんの額の汗が煌めく。
栞が冷めた焼き芋を分けてくれて、栞が父ちゃんの口に冷めた焼き芋を入れて食べさせる。
父ちゃんが嬉しそうに、栞の頭を撫でる。
「なんじゃい。栞と父ちゃんは楽でええのう。なんで、オラはこげんなことせんとならんのじゃ」
オラは、冷めた焼き芋を美味そうに口にほうばっている栞を不服そうに見た。
「なにしてんのよ! 栞ちゃんはいいの! これも、剣の修行のうちよ! ほら、さっさと動く!」
栞の焼き芋を見て涎を垂らしていると、不意に茜ちゃんのゲンコツを食らった。
「いってぇ! なにすんじゃ!」
オラは頭を押さえて、頭を掻く。
痛くて縁側を転がり回る。
「嫁に叩かれて、大変じゃのう。よぉし。光秀、どっちが早く終わるか、勝負じゃ。負けたら、焼き芋はナシじゃ」
オラと茜ちゃんのやり取りを見て、にやけている宗次郎。
閃いたように、掌で拳を叩いた。
「宗次郎。その勝負乗ったで。昼までには片付けたるけえの! 焼き芋は頂きじゃ!」
オラは頭を掻きながら、踏み石の草履を履く。
草履を履くなり、蔵に向かって駆けた。
「望むとこじゃ! 必殺、早業を披露してやるけえの!」
宗次郎が、光秀の後を追いかける。
「こらぁ! 勝負するのはいいけど、ちゃんと仕事しなさいよ!?」
茜ちゃんの怒鳴り声が聞こえる。
蔵に入るなり、オラは階段を上がっていく。
階段の途中で止まり、蔵に入って来た宗次郎に声を掛ける。
「オラは二階を片付けるけえ。一階は任したで!」
オラは、オラを見上げている宗次郎に不敵に微笑んだ。
「ふんっ。余裕をかましているのも、今のうちじゃ! 光秀、見とれよ!」
宗次郎は鼻で笑うと、宗次郎が着物の袖をまくって大股で一階の奥に消えた。
さて。蔵の二階に来たのはええが、どこから手をつければええんじゃ?
オラは階段の傍に突っ立って、両手を腰に当て、二階を見回す。
蔵の二階は、所狭しと棚が並んでいる。
蔵の天井窓から、光が差し込む。
棚にはびっしりと古い書物から、古い置物、古い入れ箱、木彫りの動物が並んでいる。
どれも厚く埃をかぶり、辺りは湿気と埃っぽかった。
オラの目前の棚に置いてある木彫り動物に、蜘蛛の巣が張ってある。
雰囲気あるわい。
マスクを付けていても、咳き込んでしまった。
熊の大きな置物の眼が不気味だった。まるで本物の熊のようで、今にも動き出しそうだ。
急に身震いして、オラは身体を擦った。
ここは寒気がするわい。
なんじゃい、幽霊でも出そうな雰囲気じゃのう。
そういえば、ここの蔵が怖くて、小さい時のオラは近づかんかったわい。
じゃが、今は違うけえの。剣の修行の身じゃけえ。
幽霊くらいでビビっとるようじゃ、夜回りなんぞ務まらんで。
幽霊くらい、どうってことないわい。
そういえば。
昔、爺ちゃんがこの蔵でお宝を紹介してくれたことがあったのう。
オラは腕を組んで、顎に手を当てる。
なんじゃったかのう。
色々、爺ちゃんがお宝を見せてくれたんじゃが。
オラが思い出そうと首を傾げた時だった。
『き、こえ、る、か……?』
「だ、誰じゃ!?」
オラは声がしたと思い、辺りを見回す。
が、人の気配はないどころか、辺りは静まり返っている。
おかしいのう。
人の声がしたと思ったんじゃが。
オラは腕を組んで、首を傾げる。
おまけに、頭痛がしたわい。
さっきの声は、茜ちゃんでもないし、宗次郎でもない。
『お主、わらわの声が、聞こえるか?』
また声がする。今度ははっきり聞こえた。
頭痛がして、額を手で押さえ、頭痛を消そうとこめかみを押す。
わかったで。とうとう出やがったわ。
昼間からご苦労なことじゃ。
この感じは、いわくありげなモンに憑りついた、幽霊ちゅうところか。
それか、物の怪かの。上等じゃ。
オラは、剣の修行の身じゃけえの。これも修行じゃ。
さては、オラを襲って、憑りつくつもりじゃろ。
『このうつけ者めが。わらわは、幽霊でも物の怪でもない』
どうやら、頭の中で声がするみたいだ。
声を消そうと、頭を振ってみる。
さっきから、オラの頭の中に語り掛けよって。
幽霊でもなければ、物の怪でもないじゃと。
だったら、なんじゃちゅうんじゃ。お前の正体を確かめるまでじゃ。
『急ぐのじゃ、わらわの命が消えてしまうまえに、わらわはここじゃ……』
それともなにか、オラは夢を見とるんか?
試しに頬を摘まんでみる。痛いわ。
痛いちゅうことは、夢じゃないんか。
頭痛がするわ、頭の中で声がするわ、訳がわからんわい。
オラは頭の声を消そうと、頭を拳で叩く。
『わらわを見つけておくれ。一条仁を、この国を救うのはお前じゃ』
一条仁じゃと?
オラは眉をしかめる。
この声の主、誰かわからんが。
一条仁をどうにかする方法を知ってそうじゃぞ。
そんでもって、オラの頭に語り掛けている、ちゅうところか。
その時、奥の棚の入れ箱が、微弱な光を放った。
まるで、助けを求めんとするばかりの希望の光だった。
そこにおるんか。声の主が。
オラは生唾を飲み込んで喉を鳴らし、奥の棚の入れ箱に、恐る恐る歩み寄る。
『わらわは、神さまじゃ。後は頼んだぞ……』
それっきり、頭の中の声が消えた。
頭痛も治り、頭がすっきりする。
神さまじゃと?
オラは思わず立ち止る。
幽霊でもなければ、物の怪でもなければ、神さまじゃと?
まだ幽霊か、物の怪のほうが説得力あるわい。
神さまなんぞ、お伽話とぎばなしにも程遠いわ。
それとも、伝承でんしょうかなんかか?
まあええわい。声の主が、誰か確かめてやるけえの。
オラは着物の袖をまくって、大股で歩いてゆく。
微弱な光を放つ、奥の棚の入れ箱に向かって。
奥の棚の入れ箱の前に立ってみる。
入れ箱は、樹の小さい箱だった。
入れ箱の光は、オラを待っていたかのように静かに消えた。
吸い寄せられるように入れ箱を取って、蓋についた埃を手袋で撫でて、埃を払い落とす。
蓋には何も書かれていない、入れ箱を裏返してみると、何も書かれていない。
なんじゃ、この箱は?
オラは不思議に思い、蓋を開けてみる。
箱の中に、首飾りの白色の勾玉まがたまが入っていた。
勾玉は水晶で作られているようだ。
勾玉を取って翳かざすと、天井窓の光で、勾玉が煌めいている。
ずっと勾玉を見ていると、綺麗な水晶に吸い込まれそうだ。
ずっとこの蔵で眠っていたとは思えないほどの物だった。
試しに、首飾りを首につけてみる。サイズがピッタリだった。
勾玉を握ってみると、温かい。
優しい力を感じて、心が落ち着いた。
瞼を閉じてみる。
深呼吸をする。
身体の中に、不思議な力を感じる
身体が温かくなる。
「ふぅ。なんとか、生き返ったわい」
オラの背後で、先ほどの声が聞こえた。
オラは心臓が飛び出しそうになり、声の主に振り返る。
そこに、半透明の少女がいた。
少女はおかっぱ頭で、髪は雪の様な白色。
頭の上に猫のような小さな白い耳が二つ生えている。
可愛らしく、白い花の髪飾りを付けて。
瞳が紫色で、白い花柄の振袖を着て、白い足袋に草履。
お尻に九に分かれた白い尻尾が生えて、尻尾が生き物のように動いている。
少女は階段の手摺りの上に座り、伸びをしたり、耳を撫でたり。
嬉しそうに足をバタバタさせている。
「出、出よったで……」
オラは小さく呟いて、箱を落とし、尻餅をつく。
「戯たわけ者。幽霊物の怪に腰抜かしてどうする。お主、剣の修行の身なんじゃろ? 情けない」
半透明の少女が手を突いて、手摺から飛び降りる。
オラに呆れて、額に手を当てて首を横に振っている。
「ま、まさか、ほんまに出るとは……」
オラは尻餅をついたまま後退る。
埃が魂のように舞っている。
「わらわは神さまじゃ。何度言えばわかる。このうつけ者め」
少女が腕を組んで、仁王立ちした。
「は、半透明じゃぞ。どう見ても、お前、幽霊じゃろ……」
オラは震える手で、少女を指を差す。
「神さまに指なんぞ差しおって、罰当たりめ。呪うてやろうか?」
少女が鼻で笑って、腕を組んで仁王立ちしたまま、オラを見下ろす。
「そ、それだけは、勘弁じゃ」
オラは少女に土下座した。
埃っぽく、土下座したまま咳き込む。
「だったら、蔵の整理をせんか!」
少女が怒鳴った。
少女の怒鳴り声が、刃となってオラの身体に突き刺さる。
「は、はい! 今すぐに!」
オラは慌てて、蔵の書物をまとめ始めた。
書物を抱え上げて、急いで階段を下りる。
着物は埃だらけだった。
「わらわの命、救ってくれて、感謝しておるぞ」
少女の声が背中に降ってくる。
オラは驚いて振り向く。
半透明の少女が宙に浮いて、オラの後を付けていた。
少女は頭の後ろで手を組んでいる。
や、やっぱり、幽霊に憑かれたわ。
呪い殺されるで。
オラの頭に不安が過る。
その結果、盛大に足を踏み外して、態勢を崩し、階段を転げ落ちる。
騒々しい音が、蔵に響く。
「いってぇ」
オラが階段下まで転げ落ちて、頭を押さえながら身体を起こす。
「なにやってんのよ? 幽霊でも出たわけ?」
茜ちゃんが、両手に腰を当てて、オラの前に突っ立っていた。
「茜ちゃん、出たんじゃ。幽霊が!」
オラは震える手で、さっきまで階段を浮遊していた少女を指さす。
「どこよ? いないじゃないの。頭でも打ったんじゃないの?」
茜ちゃんは両手を腰に当てたまま、オラが指さした方を見回している。
「おっかしいの。気のせいじゃったんか?」
オラは首を傾げて、床に散らばった書物を集める。
「あれ、光秀。首飾りなんか付けてたっけ?」
茜ちゃんが両手に腰を当てたまま、オラの首元を覗き込む。
「これか? あっ、ああ。蔵を整理しとったら、気に入ってのう。付けてみたんじゃ」
オラは勾玉を掌に載せて、頭の後ろを掻く。
あれ。
こいつがあるちゅうことは、さっきの幽霊は成仏したんか?
「へぇ。いいお守りじゃない。ご利益あるといいわね」
茜ちゃんが、妙に感心したように、勾玉をまじまじと見ている。
「じゃ、じゃあ。オラは、書物を庭に置いてくるけえ」
オラは慌てて、床に散らばった書物を掻き集めて、書物を抱えて蔵を出た。
茜ちゃんが気になって振り向くと、茜ちゃんが腕を組んで、首を傾げていた。
訝いぶかしげに、オラを見つめたまま。
オラは曲がり角を曲がる。
しっかし、茜ちゃん。機嫌が悪かったのう。
仕事をサボったのが不味かったわい。
オラは頭の後ろを掻いた。
「茜ちゃんか。なかなかいい女子おなごじゃのう。お主、茜ちゃんにほのじじゃろ?」
少女が、逆さ頭でオラの目の前に現れる。
不敵な笑みを浮かべて。おかっぱ頭が重力で逆立っている。
「うわっ」
オラは驚いて、また書物が庭へ続く石敷に散らばる。
オラはため息が零れる。今日は厄日じゃわい。
「ほれ、手伝ってやるぞい。わらわの姿は、お主しか見えないがの。お主は選ばれたんじゃ」
少女は暢気に鼻歌を歌いながら、地面に散らばった書物を手に抱える。
「夢でもなさそうじゃの。お前、何もんなんじゃ? 正体もわからんのに、納得がいかんわい」
オラは鼻で笑って、目の前の現実を誤魔化し、文句を言いながら書物を集める。
「なあに。わらわは昔、呪師じゅしに呪いを掛けられて神さまになったんじゃ。わらわの妹も、その呪師に呪いを掛けられて死神になってしもうたがの。わらわの背中に呪の魔方陣が彫られておる。妹の背中にも彫られておるがの。背中の魔方陣のおかげで、わらわは神力じんりきを使うことができる。妹は、死神の力じゃ。やがて、呪師はわらわたちを利用して国を支配する。しかしじゃ、わらわたちの光と闇の力が暴走し、やがて国は亡びる。わらわたちに呪いを掛けた呪師は、わらわたちを儀式で物に封印し、皮肉にも呪師は生き残った民に殺された。呪師は力を渡したくなかったんじゃろ、時代ともに色んな物にわらわたちの魂が移り、封印されていったんじゃ」
少女は一気にまくしたてた後、深いため息を零した。
「そげな複雑な話をされても、オラには理解できんわい。つまりじゃ、お前は神さまで、お前の妹は死神なんじゃな?」
オラも深いため息を零して、簡単に話をまとめようとした。
「うぬ。じゃが見ての通り、呪師の儀式の力でわらわの力は完全に失っておる。それにじゃ、妹の勾玉が影の手に渡ろうとしておる。なんとしても止めねば」
少女が地面に散らばった書物を集めて、立ち上がる。
拳を振り上げて。
「妹も、呪師の儀式の力で、死神の力を失くしておるんじゃろ? じゃったら、心配いらんで」
オラは地面に散らばった書物を集め終わり、立ち上がる。
「戯け者。わらわの妹が闇の力を吸収すれば、たちまち死神の力が戻る。現に、わらわはお主に触れて、少しばかり力が戻った」
少女が呆れたようにため息を零して、オラに書物を渡す。
「ちゅうことはなんじゃ。早い話が、妹の勾玉を探せちゅう話か?」
オラは不服そうに、少女から書物を受け取る。
面倒そうに、頭の後ろを掻いて。
「その通りじゃ。呑み込みが早くて助かるわい」
少女が暢気に鼻歌を歌いながら、頭の後ろで手を組んで歩いてゆく。
なんでオラが、死神の勾玉を探さんとならんのじゃ。
もう渡ってるかもしれんで?
とにかくじゃ、神さまが傍におったら、うるさくてたまらんわい。
オラは神さまの背中を睨み据えた。
その瞬間、神さまの半透明の身体が消えた。
あれ?
神さまが消えおったで。
まだ力が戻ってないといっておったな。
大人しく寝ておれ。
これで、平和になるわい。
オラは鼻で笑って、神さまが消えた方に手を合わせた。
オラは上機嫌にステップしながら、鼻歌を歌って、庭へ続く石敷を進む。
手に大量の書物を抱えて。
- アルミホイルが登場(「持ってきた芋にアルミホイルを巻いて、楽しそうに焼き芋をしている」)。
- 勾玉に封印された少女(呪いを掛けられて神さまになった)と倉を整理中に出会う。
佐藤道場
有志による復刻
あれから、神さまは出て来なかった。
あの調子じゃ、しばらく出てこないじゃろ。
神さまの力が戻るまで、平和でいいわい。
まあ、首飾りは付けているがの。
そして、今日も、剣の修行――
「一っ! 二っ! 三っ! ほら、手を休めない!」
今日も佐藤道場で、茜ちゃんの掛け声と手を叩く音が道場に響く。
というても、この道場は爺ちゃんの代で潰れておる。
多くの門下生がいるわけでも、粋な額が飾ってあるわけでもなく。
かというて、刀架とうかがあるわけでもない。
とまあ、飾り気のない道場じゃ。
オラは門下生の宗次郎と一緒に、竹刀の素振りをして汗を流していた。
宗次郎は、オラの幼馴染。
茜ちゃんは、宗次郎のいとこじゃ。
門下生は、宗次郎、茜ちゃん、オラの三人。
剣に興味を持った宗次郎と茜ちゃんが、父ちゃんにどうしても稽古をしたいいうもんで。
父ちゃんの粋なはからいで道場を開けている。
もちろん稽古代はいらんけえの。その代わり、道場の掃除は大変じゃ。
宗次郎と茜ちゃん、芝居小屋で見た侍の剣さばきに惚れ込んだんじゃろ。
オラは退屈じゃったぞ。妹の栞も眠そうじゃった。
父ちゃんの稼業は刀鍛冶。
毎日、刀を鍛えて、憲兵団に刀を売っている。
そう、父ちゃんの刀は国に貢献しているのじゃ。
茜ちゃんは、宗次郎に連れられて、この道場の門下生になった。
改めて茜ちゃんを見たときは、オラは腰を抜かした。
茜ちゃんの白い顔、茜ちゃんの細い手。
どこぞの遊女が来たかと思ってしもうた。
それくらい、茜ちゃんはべっぴんじゃった。
まあ、茜ちゃんをならず者から助けたがの。
そん時は、ろくでもない女じゃと思ったけえ。
茜ちゃんは道場の門を叩くなり、父ちゃんの指導のもと、みるみる剣の腕を伸ばした。
今じゃ、オラたちの先生じゃ。
オラと宗次郎は、冗談交じりに、茜ちゃんを「先生! いや、師匠!」というては、茜ちゃんの怒られる。
茜ちゃんにそげなこと言うたら、拳が飛んでくるけえ。おっかないわい。
茜ちゃんは、師範代の父ちゃんに気に入られておる。
いつも父ちゃんは、「茜ちゃん、光秀の嫁になってくれぬか?」と真剣に言っておる。
何が嫁じゃ。オラは、まだ十六じゃぞ。茜ちゃんは、オラの一つ下じゃ。
「ダメじゃ。こげんなもん、何の得になるんじゃ」
オラは疲れて尻餅をついた。竹刀を床に投げ捨てる。
掃除の行き届いた床が、床に落ちた竹刀を映しておる。
「なに休んでるのよ! それでも、葛城かつきさんの息子なの!」
茜ちゃんが、両手に腰を当てて、オラの顔を覗き込んでいる。
葛城は、オラの父ちゃんじゃ。
オラは茜ちゃんを見上げた。
茜ちゃんは長い髪を後ろで、紅い紐で束ねている。
淡いピンクの単衣にたすき掛け、黒い袴に白い足袋。
オラの隣の宗次郎を見上げる。
宗次郎はオラと同じ格好で、白い単衣に黒い袴に白い足袋。
「なにしとんじゃ。そげんな腰抜け、茜は光秀の嫁になってくれんぞ?」
オラの隣で、宗次郎が軽々と竹刀を素振りしている。
宗次郎が竹刀を振る度に、木刀が気持ちよさそうに風を切る音が聞こえる。
宗次郎は汗一つ掻いてない。
「べ、別にええじゃろ。国は憲兵団が守ってるんじゃ。何も心配いらんじゃろ」
オラは頬を紅く染まらせて、胡坐をかいて頬杖を突いた。
鼻で笑って、つまらなそうに庭を見る。
「蝶々さん~」
紅い振袖を着た、妹の栞が楽しそうに蝶々を追いかけている。
栞が動くたびに、髪飾りが小さく揺れている。
「あんたは暢気のんきでいいわねっ! 一条仁いちじょうじんが、この国で暗躍しているのよ!?」
茜ちゃんのゲンコツが、オラの頭に飛んできた。
「なにすんじゃ! オラに関係ないわい!」
オラは唸って頭を両手で押さえながら、茜に舌を出した。
「光秀。いつかお前は、茜を泣かす日が来るで? そんなんで、茜を守れるわけないやろが!」
宗次郎が素振りを止めて、オラに竹刀の刃先を向ける。
「そ、宗次郎。どうしたのよ?」
茜が心配そうに、宗次郎の肩に手を置いた。
「……ちょうどええわ。宗次郎、勝負じゃ。お前にカッコつけさせんで?」
オラは竹刀を拾って、ゆっくりと立ち上がる。
宗次郎を睨み付けて、中段の構えをする。
「勝ったら、茜はオレの女じゃ。それでええか?」
宗次郎もオラを睨み付けて、上段の構えをする。
二人の間に、激しく火花が散った。
「また喧嘩? もう男って、なんでこうなのっ」
茜ちゃんが顔を片手で覆って、呆れたように首を横に振る。
「また喧嘩か? ほら、茶菓子でも食べて、心を落ち着かせろ」
父ちゃんが、お盆の上に急須と湯呑、茶菓子皿を載せて来た。
茶菓子皿には、饅頭、羊羹、おはぎが小皿に盛ってある。
父ちゃんは白いタオルを頭に巻いて、丸いメガネを掛け、首にも白いタオルを巻いている。
藍染めの長袖の上に黒い半纏、藍染めの長ズボンに、黒い足袋。
父ちゃんの頬が炭黒くなっている。
父ちゃんが屈み込んで両膝を床に付けて、お盆を静かに道場の縁側に置く。
「饅頭!」
栞がお盆目がけて、猪のように突進してくる。
「勝負はお預けじゃ。茶菓子でも食おうで」
宗次郎が鼻で笑って、竹刀を床に置いて、道場の縁側に胡坐をかいた。
「オラも、稽古に打ち込まんとのう」
オラも鼻で笑って、竹刀を床に置いて、道場の縁側に胡坐をかいた。
「うわぁ。美味しそう! これ、お母様が作ったんですか!?」
茜ちゃんがお盆に目を落として、斜めに手を合わせ、美味しそうな茶菓子に目を輝かせている。
「ああ。うちの嫁は、甘味処で働いているからね。嫁の祖母の店なんだ」
父ちゃんが、急須で湯呑に茶を淹れる。
湯呑に注がれた茶が美味しそうな音を立てて、湯気を上げている。
「大きくなったら、働かせてください!」
茜ちゃんが父ちゃんに土下座する。
「はははは。茜ちゃん。光秀の嫁になったら、考えておくよ」
父ちゃんが笑いながら頭の後ろを掻いて、冗談を言う。
「か、葛城さん。こ、困りますよ」
茜ちゃんが顔を上げて、頬を紅く染まらせる。
困ったように、父ちゃんに上目使いをしている。
「冗談だよ。じゃ、私は刀を鍛えるから、これで」
父ちゃんが茜ちゃんの頭を撫でる。
すぐに立ち上がって、道場の奥に消えて行った。
「あれは、冗談じゃないの。光秀、茜が好きなんじゃろ? 隠さんでもええで?」
宗次郎が饅頭をほうばりながら、不敵な笑みをオラに向ける。
「な、なにを言うとんじゃ。そんなわけないじゃろが」
オラは饅頭を喉に詰まらせて、咽た。
忙しく咳き込んで、慌てて茶を飲む。
「だ、大丈夫!? 光秀」
茜ちゃんが、オラの背中を優しく擦る。
「ほれ見ろ。お似合いじゃねぇか」
宗次郎が吹き出した。
そして、宗次郎も饅頭を喉に詰まらせ咽た。
忙しく咳き込んで、慌てて茶を飲む。
「宗次郎、大丈夫?」
栞が、宗次郎の背中を優しく擦る。
オラと宗次郎は、顔を見合わせた。
可笑しいというように、笑い合った。
栞と茜も、顔を見合わせて、笑い合った。
本当は、わかってたんじゃ。
この動乱に、剣がないと茜ちゃんを守れないくらい。
でも、オラは怖いんじゃ。
人を守るために、剣は振りたくないんじゃ。
剣は、人を殺める。
人を生かす剣なんて、どこにもない。
父ちゃんは言うておった。
「この世には、二つの剣がある。人を殺す剣と、人を生かす剣。お前は、人を生かす剣を極めろ」
そんな刀が、何処にあるんじゃ。
オラは空を仰いだ。
いつか、一条仁と闘う日がくるんじゃろか。
不安が過る。
「あっ、思い出したで!」
オラは急に声を上げた。
栞が驚いて、目を見開いている。
目をぱちくりして、不思議そうに小首を傾げた。
「なんじゃ、勝負の続きか?」
宗次郎が、茜が淹れてくれた茶をすすりながら言う。
「今日は、栞の誕生日じゃろ?」
オラは栞の頭を撫でた。
「そういえば、今日は栞ちゃんの誕生日じゃない!」
茜が思い出したように手を叩く。
「お前らは留守しとれ。オラと栞は、誕生日プレゼントを買ってくるけえ」
オラは、縁側の踏み石の下駄に足を入れる。
「お金はあるの?」
茜ちゃんが心配そうに訊いてくる。
「大丈夫じゃ。今日の朝、父ちゃんに百文貰ったけえの」
オラは茜にピースする。
宗次郎がニヤニヤしながら、オラたちを見ている。
宗次郎は無視じゃ。
「そう。何買うの?」
茜ちゃんが栞の頭を撫でた。
栞の小さな頬に頬擦りをして、抱き付いている。
「それはお楽しみじゃ」
オラは道場を背に、空に向かって、両手を腰に当てた。
「栞、行ってきます」
栞が、軒下の踏み石の草履に足を入れる。
「あ~。光秀がいなくなったら、誰に怒鳴ればいいのよ!」
茜の退屈そうな声が聞こえてくる。
「知るか。宗次郎に相手してもらえ」
オラは茜を放って、栞と手を繋いで、表門に向かって歩き出した。
「光秀の馬鹿ぁ!」
茜の声が、通り過ぎてゆく。
「栞ちゃん! 光秀に、好きなもんこうてもらうんじゃぞ!」
宗次郎の声が聞こえる。
オラと栞が表門を潜って、大通りを歩き出した。
飲み屋、飯屋を通り過ぎ、看板娘の客呼びの声が響く。
「つ、辻斬りじゃ~」
その時、鍬を担いだ農民が、オラたちの横を走り去る。
「なんね?」
甘味処の店外の腰掛椅子で、串団子を食べていたおばさんが、不思議そうに鍬を担いだ農民の背中を見送る。
「なんじゃ?」
オラも不思議そうに、鍬を担いで走り去る農民の背中を見送っていた。
大通りの向こうで、人の悲鳴が聞こえる。
オラは大通りの向こうを見た。
人影が、人を斬った。
「見ちゃいかん」
オラは慌てて、栞の両目を手で覆う。
少しずつ、その人影が近づいてくる。
頭に左半分の般若の面を被り、もう右半分は顔に包帯を巻いていた。
包帯の隙間から髪の毛がはみ出し、右半分の眼に黒い眼帯を付けている。
身体は憲兵団の黒いマントを羽織り、身体も包帯が巻かれ、片肌脱ぎの紅染めの着流し。
手に黒い革手袋を付けて、右手に刀が握られて、刃先から血が滴っている。
左手で辻斬りした男の着物の襟首を掴んで、地面を引きずっている。
脚は左足の膝下から着流しの生地が無く、足に巻かれた包帯が露わになっている。
足に黒い革靴を履いている。
「九十九本目の刀の出来は悪かったな。オレの火傷を治すには、まだ血が足りねぇ」
不気味な男が、男を引きずりながら歩いてゆく。
通行人は、囁き合っている。
この男こそが、一条仁なのだ。
「仁さん。昼間から辻斬りしないでくださいよぉ」
爽やかな笑顔を浮かべている少年が、不気味な男の後に追いつく。
頭の後ろを掻きながら。
少年は、短髪で白いシャツの上に青い単衣。縞の袴を穿いて、白い足袋に藁草履。
「人を斬って何が悪い。この町の刀は全部試したのか?」
仁が、辻斬りした男を片手で持ち上げ投げ捨てた。
通行人が騒いでいる。
逃げ出す通行人もいる。
「ええ。百本目の刀は、甘楽さんで試したらどうです?」
少年が閃いたように、掌の上で拳を叩いて、仁に提案する。
「屋敷での借りがあったな。お前に邪魔されて、甘楽を殺りそこねたじゃねぇか」
仁が高笑いしながら、大通りの奥に消えてゆく。
一条仁、人を斬ったんか?
一条仁の刀は、父ちゃんの言う、人を殺す剣。なんか?
一条仁。楽しそうに、人を斬っておった。遠くからでもわかった。
まだ、人を生かす剣の意味が、オラにはわからんが。
もしかして、人を生かす剣の意味は、人を守る剣なんじゃろか?
それが、人を生かす剣。
だとすればじゃ。
オラは、一条仁と闘わねばならん。
そんな気がする。
この国で暗躍する、一条仁。
奴の狙いは、政府の転覆。そして、国盗り。
オラは立ち尽くして、一条仁の背中を見送っていた。
いつまでも。
「兄ちゃん。ここ臭い」
オラに目隠しされた栞が、首を横に振る。
栞が手で鼻を摘まむ。
「ああ、すまん。じゃ、行くか」
オラは栞と手を繋いで歩き出した。
まるで、一条仁の背中を追うように。
一歩歩けば、血生臭いのが薄れていった。
どうも。浜川裕平です。
信二エピソード執筆中に、このシーンが思い浮かんだので、急いで執筆しました!
未来は出来ているので、後は過去の調整ですね(笑)
まあ、未来も調整できますけど(汗)それが、自分の創造する世界!
光秀:オラ、一条仁を倒せるんやろか……
作者:大丈夫! 私がなんとかします!
茜:作者都合じゃん。
作者:……
- 道場で饅頭、羊羹、おはぎを食べる。
- 一条仁が登場。
栞の誕生日プレゼント
乙女の悩み?
有志による復刻
オラと栞は、甘味処の座敷で甘味を食べておった。
オラは白玉ぜんざいで、栞は串団子と蓬饅頭よもぎまんじゅう。
店内は賑わっており、喧騒が聞こえる。
赤い前掛けをした若い娘が、忙しなく店内を動いている。
「みたらし団子、二つね! あいよ!」
赤い前掛けをした若い娘が、紙と鉛筆を手に客から注文を取っている。
客から注文を取った、赤い前掛けをした若い娘が小走りに台所のカウンターに向かう。
それを横目で見るオラ。
小腹が空いておったオラたちは、黙って甘味を食うておった。
栞の席の屏風越しに、後席の客声が聞こえてきた。
「ほんに、この町の遊女は、ええ女がおらんのう」
「都の遊郭ゆうかくには、べっぴんがぎょうさんおるちゅう噂じゃ」
「でも、高いんじゃろ?」
「いい女を抱けるんじゃぞ? 安いもんじゃろ」
「それもそうじゃ」
「わははははっ」
後席で、一斉に机を叩いて笑い出す声。
なんじゃい。
大人の男は、女を抱くことしか考えておらんのか。
まあ、オラも男じゃがの。
茜ちゃん。
将来金に困って、遊郭で働くんやろか。
遊女の仕事で、毎晩、知らん男を抱くんやろか。
「ねぇ、あたしを抱いて?」とかゆうて。
茜ちゃんが、遊郭で知り合った男と寝るんやろか。
オラの妄想が膨らんでゆく。
オラは首を横に振る。
そげんなこと、オラがさせんけえの。
茜ちゃんは、オラが守るんじゃ。
オラは握り拳を作る。
ほいじゃが、茜ちゃんの裸を妄想しているのは、茜ちゃんには内緒じゃ。
茜ちゃんの裸を妄想するなり、鼻血が出そうになり、慌てて鼻を手で押さえる。
茜ちゃん。今頃、宗次郎と剣の稽古でもしてるんかの。
まさか、宗次郎と茜ちゃんは、デキてるんか?
いや、考え過ぎじゃ。
オラは、また首を横に振る。
気になるんなら、直接宗次郎に訊けばええんじゃ。
もうええわ。白玉ぜんざいが不味くなるわ。
「栞。よう食うの」
オラは白玉ぜんざいをすすりながら、向かいの席に座っている栞に言う。
「うん。美味しい」
栞が蓬饅頭をほうばり、茶を両手ですする。
「今日は、栞の誕生日じゃ。たらふく食うんじゃぞ」
オラは机から身を乗り出して、向かいの席に座っている栞の頭を撫でる。
その時、オラの背後の屏風越しに、前席から乱暴に机を叩く音が聞こえ、器が音を立てて揺れる音が聞こえた。
「ちっくしょぉ。なんで仁様は、私の気持ちに気付いてくれないんだよぉ。屋敷で口づけした、私が馬鹿だったよぉ」
酔っぱらった女の声が聞こえる。
続いて、酔っぱらった女のしゃっくりが聞こえた。
「お菊さん。この町で、甘楽の情報を集めないんですか?」
女の冷たい声。
「そんなの後でいいよ。それより、仁様。昼間から辻斬りとかしちゃって、私はみんなにぺこぺこ頭を下げてさぁ。嫌になっちゃうよ。迷惑料も払ったしぃ。お金はあるんだけどさぁ」
酔っぱらった女は愚痴を吐いた後、眠り込んだらしく、いびきが聞こえてきた。
「うわっ。なんじゃ、酒臭いで」
オラは前席から匂ってくる、酒の匂いに鼻がやられた。
オラは鼻を手で摘まんで、匂いを消そうと必死に手を振る。
「兄ちゃん。酒臭い」
栞も、酒の匂いに鼻がやられたらしい。
栞も鼻を手で摘まんで、匂いを消そうと必死に手を振る。
「もう我慢できんわい。オラ、いうてくるけえ」
オラは座布団から立ち上がって、前席に畳を踏み鳴らして大股で行った。
前席の机の前に立って、両手を腰に当てて、仁王立ちした。
オラの右斜めに、振袖を着た女が、オラを冷たい紅い眼で睨んだ。
振袖を着た女の奥に、和服を着た女が、気持ちよさそうに机に突っ伏して、口がにやけて涎を垂らして眠っていた。
こいつらじゃったんか。
昼間から酒飲みおって。しかも、強い酒じゃ。
ますます気に食わんわ。
「おい! おまえら昼間から酒飲んで、こっちとら酒臭くて、甘味が不味くなったわ!」
オラは大声で怒鳴った。
店内の何人かのお客さんが何事かと、こちらを見ている。
そんなの気にせずに、甘味を食べて騒いでいる、お客さんもいる。
その時、オラの右斜めに座っていた振袖女が急に立ち上がり、オラの首を絞めて片手で持ち上げた。
「な、なにするんじゃ! 放さんか!」
オラは苦しくて、足をバタバタさせる。
振袖女の肩を思いっきり蹴ったが、金属のような硬い物を蹴ったような感じで、足の指が痛かった。
さすがに、店内は静まり返った。
お客さんが何事かと囁き合っている。
「あなたから敵意を感じます。抵抗するなら殺します」
振袖女の冷たい声。
振袖女の鋭い紅い眼光が、オラを見上げて睨み付ける。
「あのう、お客様。喧嘩なら、表でやってくんなまし」
いつの間にか、店の店長らしきおやっさんがやって来て、頭を深く下げている。
おやっさんの髷まげ。店長のおやっさんの髪が薄く、頭皮が光っている。
「栞! そこの寝坊助女に、水をぶっかけてやれ!」
オラは、横で心配そうに見上げている栞に言った。
栞は、振袖女と和服女の席の机上に置いていた、ガラスのコップに入った水を、酒が入って気持ちよく寝ている和服女に掛けた。
「うわっ! な、なに!」
和服女が驚いて、上半身を飛び起こす。
何事かと、辺りを見回す。
「なにしとんじゃ! はよう、この振袖女をなんとかせえ!」
オラは、和服女に怒鳴り散らす。
振袖女の上がった腕を両手で掴む。ダメじゃ、力が入らんわい。
「麻里亜、その子を下ろして!」
酒から目が覚めた和服女が、伸ばした腕に掌を広げて、振袖女に怒鳴る。
「了解」
麻里亜と呼ばれた振袖女は、オラの首元から片手を放す。
「げほっ。げほっ」
オラは畳に屈み込み、両膝が畳について、苦しくて咳き込む。
店長のおやっさんが、ぽかんと目を開けて、目をぱちくりしている。
気まずそうに、店長のおやっさんが頭の後ろを掻いている。
「兄ちゃん。大丈夫?」
栞が、優しくオラの背中を擦る。
「だ、大丈夫じゃ」
オラは、栞の頭に手を置く。
「す、すいません! 今すぐ出て行きますから!」
和服女は慌てて顔の前で両手を振り、その場で土下座して謝った。
「もうええわ! おやっさん、会計この女と一緒で頼むで」
オラは栞と手を繋いで、おやっさんに、和服の女を顎でしゃくった。
「は、はあ……」
店長のおやっさんは、頭の後ろを掻いた。
手招きで、前掛けをした若い娘を呼んだ。
オラはそれを見届けると、大股で店を出て行った。
オラは店を出る際に、振袖の女が気になって振り向く。
あの振袖女、人間じゃないじゃろ。
中に誰かはいっとんのとちゃうか。
あんな可愛い顔して、あの怪力じゃ。たまらんで。
しばらく苛立ちが収まらず、オラは大通りを大股で歩く。
飯屋、飲み屋、芝居小屋を通り過ぎ、たすきかけをした若い娘の客呼びの声が聞こえる。
「今日は魚が安いよ! 見て寄っておくんなまし!」
手を叩いて声を張り、通行人に呼びかける、たすきかけをした若い娘。
オラは通行人とすれ違ってゆく。
鍬を担いだ農民、行商人、手を口に添えて笑い合う、二人組の着物を着た若い娘。
「あの振袖女め。もう少しで、殺されるとこじゃったわい。二度と会いたくないわ」
オラは悔しくて地団太を踏む。
悪戯のように砂埃が舞う。
オラと手を繋いでいる栞は、ぽかんと口を開けて、目をぱちくりしている。
小鳥のように小首を傾げて、オラを不思議そうに見上げている。
「そこの坊や! 待って!」
オラの背後で、聞き覚えのある声がした。
嫌な予感がして、オラは振り向く。
「はぁはぁ。やっと追いついた。さっきはごめんね。麻里亜が、坊やの首を絞めて」
さっき甘味処にいた和服女が、屈んで肩で息をしている。
和服女の隣に、オラの首を絞めた、振袖女が立っていた。
振袖女の紅い眼光が、オラを冷たく見下ろしている。
「やっぱりお前か。オラは、この女のせいで、死にかけたんじゃぞ!」
オラは、振袖女を指さした。
振袖女を蹴ってやろうと思ったが、振袖女に何されるかわからないのでやめた。
「ごめんなさい。私が酔っぱらっていたとはいえ……」
和服女が、オラに深く頭を下げる。
「ちょうどええわ。今日、妹の誕生日なんじゃ。迷惑料として、高いもんこうてもらうで」
オラは鼻で笑って、栞の頭の上に手を置いた。
「妹って、この子?」
和服女が屈んで、不思議そうに栞の顔を見つめる。
「そうじゃ。安いもんじゃろ?」
オラは腕を組んで、不敵な笑みを浮かべた。
こいつらに栞の誕生日プレゼントを買わせて、父ちゃんに貰った金は、オラの金にすればええんじゃ。
旨いこと、父ちゃんに誤魔化すんじゃ。我ながら完璧じゃ。
「栞ちゃん。お姉ちゃんが、栞ちゃんの誕生日プレゼント買ってあげるね!」
和服女が、いきなり栞に抱き付いた。
「おい、栞は人見知りなんじゃぞ。気安く、栞に抱き付くな!」
オラは栞に抱き付いた和服女を、栞から放そうとする。
「栞ちゃん、可愛いね。よしよしっ」
和服女が、栞に頬擦りをして、頭を撫でる。
栞は驚いて、目を見開き、目をぱちくりしている。
栞は、そんなに嫌がっている様子ではない。
「栞ちゃん。お姉ちゃんと一緒に行こうっ!」
和服女が腕を上げて、栞と手を繋いで歩き出した。
まあ、栞が懐いているんじゃ。
そんな悪い女でもないじゃろ。
「お、おい! どこ行くんじゃ!」
オラも慌てて、和服女と栞の後を追って歩き出す。
何故かオラの隣を歩く、振袖女。
まさか、この女に、また会うとはの。
この女、なんでオラの隣を歩くんじゃ?
オラは眉間に皺を寄せて、振袖女を上から下へと見る。
この女の可愛さに寄ったが最期じゃ。命取られるわい。
オラの前を楽しそうに話しながら歩く、和服女と手を繋いだ栞。
まるで、はたから見れば、姉と妹じゃな。
一方、暗い気持ちでオラと振袖女は、和服女と栞の後を歩いていた。
こっちは、はたから見れば、姉と弟か?
いや、母と息子ってとこか?
考えたくもないわ。やめじゃやめ。
「なんか話さんのか?」
オラは頭の後ろで手を組んで、和服女と栞を見つめたまま、振袖女に訊いた。
「あなたに話す義務はありません」
振袖女の冷たい声。
振袖女も、和服女と栞を見つめたまま歩いている。
「お前、人間じゃないじゃろ?」
オラは頭の後ろで手を組んだまま歩いて、振袖女を見上げた。
「ワタシは、博士に造られた人造人間です」
振袖女が、歩きながら静かに答える。
人造人間の言葉に反応した通行人が、すれ違いさまに、何人か振り向く。
この国に、人造人間の噂は、あるといえばあるけえのう。
「またまた、冗談が上手いのう。そげな恐ろしいもん、誰が造ったんじゃ。聞いたこともないわい」
オラは頭の後ろで腕を組んだまま歩いて、鼻で笑った。
「木下佑蔵きのしたゆうぞう。ワタシの生みの親であり、息子は木下信二きのしたしんじ」
振袖女が急に立ち止り、オラを冷たい目で見下す。
「前に、木下佑蔵の屋敷が爆発したっちゅう噂を聞いた。そして、木下信二は、憲兵団の護衛任務中に命を落としたと……」
オラも立ち止り、驚いて目を見開いたまま、真っ直ぐ見つめる。
両手に拳を作って。
「木下信二は、死後の世界で死神と契約を交わし、一条仁に生まれ変わりました」
振袖女が歩き出した。
一条仁。
さっき、辻斬りをしておった男。
こいつら、一条仁の仲間なんか?
オラは歩き出した。
「おまえら、一条仁の仲間か?」
オラは歩いたまま俯いた。
拳を握り締める。
「はい。ワタシとお菊は、仁と別行動です」
歩きながら答える、振袖女の冷たい声。
「仁に伝えとけ。今すぐ、国盗りをやめろとっ」
オラは立ち止った。俯いたまま。
歯を食いしばって、握り拳を作る。
「できません。仁の意思です」
振袖女が、オラの横を通り過ぎて立ち止る。
「だったら、オラが止めてやるけえの!」
オラは振袖女の背中に指を差す。
オラの怒鳴り声に、何人かの通行人がすれ違いさま、また振り向く。
ただの独り言じゃ。気にせんでええわ。
振袖女がなにも言わずに歩き出す。
「こらぁ! 二人とも、なにやってんのよ!」
和服女が、オラたちの少し先で立ち止まって振り返る。
オラもなにも言わずに歩き出す。
しばらく、オラと振袖女の間に沈黙が流れた。
その間に、和服女は栞に誕生日プレゼントを買ってやった。
髪飾り。草履。振袖。
どれも高価な物ばかりじゃった。
髪飾りを買った小物屋の店前で、和服女と振袖女との、お別れの時がやってきた。
小物屋の店先には、ビー玉、おはじき、櫛くし、髪飾り等が並べられている。
店頭のガラス瓶に入れてある風車が、風を受けて気持ちよさそうに回っている。
「はい。大事にするんだよ? 栞ちゃん」
和服女が屈んで、栞の頭を撫でる。
「うんっ!ありがとう!」
栞が誕生日プレゼントを抱いて持ち、嬉しそうに頷く。
感謝を込めて、和服女に深く頭を下げた。
「あ! 光秀! 帰ってこないと思ってたら、こんなところにいた!」
オラたちの前に現れた茜ちゃんは、両手に腰を当てていた。
「あ、茜ちゃん!?」
オラは驚きのあまり、心臓が飛び出しそうじゃった。
思わず後退る。一歩、また一歩と。
しもうたぁ。
思った以上に、時間が掛かったわい。
「誰よ、この人たち。説明してもらうわよ!?」
茜ちゃんが頬を紅く染めて、じりじりとオラに歩み寄る。
オラは、和服女と振袖女を見た。
和服女が、オラの耳元で囁いてきた。
「あの娘こ恋人? 私たちは、これで帰るね。楽しかったわ、ありがとうっ」
なんとまあ、心地の良いことじゃ。
大人の女も、ええのう。
って、そんな場合ではない。
オラは首を横に振る。
「これにはの、ふかぁい事情があるんじゃ。のう、栞?」
オラはそういうなり、栞の手を繋いで走り出した。
「待てぇ! 光秀の馬鹿ぁ!」
茜ちゃんの声が聞こえる。
まさか、茜ちゃん。妬いてるんか?
頬が紅かったが。
そんなわけないわな。
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- 甘味処で光秀が白玉ぜんざい、栞が串団子と蓬饅頭を食べる。
- 酔っぱらった和服女(お菊)に「おい! おまえら昼間から酒飲んで、こっちとら酒臭くて、甘味が不味くなったわ!」とキレる→振袖女(麻里亜)に首を絞められる→目覚めたお菊は土下座→光秀「おやっさん、会計この女と一緒で頼むで」と金を払わず?出て行く
- 追いかけてきて謝罪するお菊→光秀「今日、妹の誕生日なんじゃ。迷惑料として、高いもんこうてもらうで」(ちなみに誕生日を祝う風習が日本に定着したのは戦後のこと)
茜ちゃんの想い
有志による復刻
数日前、振袖女と和服女に栞の誕生日プレゼントをこうてもらった。
あれから、茜ちゃんの機嫌が悪く、茜ちゃんはろくに口も訊いてくれん。
そんなある日。
オラは欠伸をしながら、頭の後ろを掻いて、家の廊下から続く道場に顔を出す。
道場の柱に腕を添えて凭れ、手の甲に額を載せる。寝起きなので、頭はまだ寝ている。
髪を手触りすると、寝癖で逆毛になっていてすごいことになっている。
寝ぼけながら、道場の庭を見ると、竹箒たけぼうきで庭を掃いていた茜ちゃん。
茜ちゃんは、今日も長い髪を後ろで紅い紐で束ね、淡いピンクの単衣にたすき掛け、黒い袴に白い足袋。
茜ちゃんは道場に来るとき、いつも同じ服装だ。
茜ちゃん曰いわく、その服装が落ち着くらしい。
茜ちゃんは、竹箒を掃く手を止めて、額の汗を手の甲で拭う。
そんな茜ちゃんを、オラは道場の柱に凭れて腕を組んで見惚れていた。
「なに見てんのよ? 寝坊助さん。あんたくらいよ? 昼まで寝てるのは」
茜ちゃんがオラに振り向いて、竹箒を持ったまま、片手を腰に当てる。
「茜ちゃん。それより、宗次郎と栞はどこじゃ?」
辺りを見回すと、宗次郎と栞の姿がなく、オラは首を傾げる。
オラは頭の後ろを掻きながら、道場の軒下に寝転んで欠伸をする。
「ああ。宗次郎なら、お母さんの薬を買いに、隣町に出掛けたわよ? 栞ちゃんは、葛城さんと一緒にお母様のお店に遊びに行ったわ。なんで、あんたと留守番しなくちゃいけないのよ……」
茜ちゃんが話し終わると、顔を手で押さえて首を横に振り、ため息を零した。
「そか。宗次郎の母ちゃん、病で倒れて寝込んでおるもんな。栞は、饅頭に釣られたか。栞らしいわい」
オラは胡坐をかいて頬杖を突き、眠そうに眼を擦りながら茜ちゃんを見ていた。
「隣町は、いい薬があるからね。あ~あ、あたしも栞ちゃんと一緒に行きたかったなぁ」
茜ちゃんは空を仰いで、心ここにあらずといった感じで、同じ所を竹箒で掃いている。
「なんじゃ、行けばよかったじゃろ」
オラが欠伸をする。眼に涙が滲む。
「葛城さんに、道場の留守番を頼まれたのよ。あんたは寝てるし。まあ、あたしはここに来るのが日課になっちゃてるし。あたしのお父さんもお母さんも、剣術を習って損はない。とか言ってるし、いいんじゃない?」
茜ちゃんが頷いて、肩を竦める。
「そうじゃのう。オラ、手伝うけえ。一人じゃ大変じゃろ?」
オラは踏み石の下駄に足を入れる。
「いいわよ。もう終わるから。もうちょっと早く起きなさいよ」
茜ちゃんが手で制して、竹箒を掃く。
「そか。昨日は、なんか眠れんくての」
オラは下駄に足を入れたまま、頭を掻いた。
言いにくいが、茜ちゃんのことを考えておった。
「どうかしたの?」
茜ちゃんが竹箒を掃く手を止めて、心配そうにオラを見ている。
「いや。その、な、なんじゃ。あ、茜ちゃんのことを考えてて、な」
オラは頬を人差指で掻きながら、気まずそうに茜ちゃんをちらちらと見ていた。
言ってしもうた。頭で考えてたことが、口に出てしもうた。
茜ちゃん、怒るで。逃げる準備したいが、頭がまだ寝ぼけとる。
「そ、そう……あ、あたしも、み、光秀のこと考えてた。昨日の夜……」
茜ちゃんが頬を紅に染め、竹箒を持ったまま俯いた。
「えっ!? ほ、ほんまか!?」
オラは驚いて立ち上がる。
下駄を履いていたことを忘れてバランスを崩し、前のめりに扱こけそうになる。
「光秀!? 危ない!」
茜ちゃんが慌てて、オラの身体を支えてくれる。
茜ちゃんのいい香りが、オラの鼻を刺激した。
茜ちゃんの白くて細い手を見る。
急に鼓動が高まり、オラは慌てて、茜ちゃんから離れる。
茜ちゃんの顔が見れなくなり、オラは茜ちゃんから背ける。
茜ちゃんとオラの間に、微妙な空気が流れた。
一陣の風が悪戯のように吹き抜ける。
「ね、ねぇ。光秀。あたしは、光秀に嫁とつぎたいと思ってる……光秀、あたしを養うために、将来なにになるの? あたしに聞かせて?」
茜ちゃんは、オラの背中に抱き付いた。
茜ちゃんの温もり、茜ちゃんの胸の感触。
茜ちゃんの着物越しに伝わる、茜ちゃんの鼓動。
「そ、そげなこと言われても、オラにはわからんわ! 親父の刀鍛冶を継ぎたいと思うとる。でも親父は、剣も扱えん息子を継がす気はないらしいで」
オラは寂しそうに空を仰いだ。着物の帯に手を添えて、風が頬を優しく撫でた。
今のオラに、茜ちゃんを抱きしめる資格はないんじゃ。そげなこと、わかっとる。
「あたしの想いを無駄にしないでよ! いいわ。あたしが光秀に、本気で剣を教える。全力であたしにかかってきて。今の光秀の剣に、あたしは納得しないから! あんたも、あたしが好きなんでしょ!?」
茜ちゃんがオラから離れて、軒下に竹箒を立てかける。
軒下に立てかけてあった二本の竹刀を手に取り、一本をオラに投げてよこす。
オラの足元に落ちた、一本の竹刀。
オラはその竹刀に目を落とす。
そうじゃ、オラは茜ちゃんが好きなんじゃ。
じゃったら、茜ちゃんより、剣が強くないといけん。
今のオラは弱いけえ、茜ちゃんさえも守れんのじゃ。
答えてやらんといけんのじゃ、茜ちゃんの想いに。
そして、オラも茜ちゃんが好きじゃと、剣で話すんじゃ。
オラは竹刀を拾い上げて、竹刀の柄を握り締め、竹刀を構える。
オラは中段の構えをして、真っ直ぐ茜ちゃんを見た。
「本気できなさいよ? 今までサボってた分。あたしが光秀に教えた剣は、間違えじゃないから。あんたの身体に沁しみ込んでるはずよ。それを思い出しなさい。いいわね?」
茜ちゃんは竹刀を片手で持ち、だらんと腕を下げて構えている。
鋭い目つきで、オラを見ている。
「茜ちゃん、すまん。オラに、茜ちゃんの想いを伝えてくれてありがとうじゃ。オラも、茜ちゃんが好きじゃ。じゃけえ、全力で応えるけえの!」
オラは変わらぬ態勢で、茜ちゃんを見つめる。
なんじゃ、眠気が一気に覚めたわい。
「は、恥ずかしかったんだからね! あんたに想いを伝えるの! 今度は、あんたがあたしを守る番なんだからね! 男が女を守れないでどうするのよ!?」
茜ちゃんが構えたまま、頬が紅くなっている。
照れくさそうに、オラをちらちらと見ている。
「言われんでも、茜ちゃんを守るけえ。さっさと始めようで」
オラは茜ちゃんを睨んで、鼻で笑った。
「稽古とは違うからね! あんたの剣、教えてもらうわよ!」
茜ちゃんは、相変わらず竹刀を持った手をだらんと下げて構えている。
オラと茜ちゃんは睨み合ったまま。
オラと茜ちゃんの間に、静かな空気が流れる。
それにしても、なんじゃ、あの茜ちゃんの構え。
腕下げて隙だらけじゃ。オラの攻撃を誘ってるんか?
ひょっとしたら、茜ちゃんはわざとあの構えをして、オラの攻撃を誘い、反撃を仕掛ける気か?
考えても仕方ないわい。ここは先手必勝じゃ。
「うぉぉぉぉぉ!」
オラは竹刀を振り上げて、一気に茜ちゃんに向かって駆ける。
オラが茜ちゃんの懐に入る時。
茜ちゃんは飛び退り、オラの竹刀の横振りを避ける。
オラが空振りした隙に、茜ちゃんはオラの脇腹に竹刀を打ち込んだ。
「ぐっ」
オラ呻いて、そのまま態勢を崩して前によろける。
茜ちゃんに打ち込まれた脇腹を押さえる。
「そんなんじゃ、あたしに打ち込めないよ!」
茜ちゃんの声が、オラの背中に突き刺さる。
「まだまだじゃ!」
オラは振り返り際に、竹刀を逆袈裟ぎゃくけさに振った。
オラの竹刀が風を切る。
「どこ狙ってるの?」
茜ちゃんは嘲笑うかのように鼻で笑った。
茜ちゃんは、相変わらず腕をだらんと下げ、竹刀の柄を握り締めて構えている。
掠りもせんかったか。
茜ちゃん。なんなんじゃ、その構えは。
隙だらけのはずなんじゃが、手応えすらないわい。
「いくでぇ!」
オラは竹刀を横に構えて、茜ちゃんに突進した。
ダメじゃ。どう動いていいかわからん。
オラは首を横に振る。
「あんたの剣は、そんなもんなの!?」
茜ちゃんはオラの動きを読んで、一歩大きくカニ歩きして、オラの袈裟振りを避ける。
今度は、左右の脇腹に竹刀を打ち込んだ。
「あたしの剣を止めてみなさい!」
茜ちゃんは、よろけている光秀に構わず、竹刀を乱れ打ってきた。
オラは茜ちゃんの竹刀を避けきれずに、左に右へと、次々に左右の脇腹に竹刀が打ち込まれる。
茜ちゃんは最後に、竹刀でオラのお腹を突いた。
オラは力任せに尻餅をついた。
砂埃が舞い上がる。
茜ちゃんの竹刀が、オラの喉元に突きつけられる。
茜ちゃんの顔が、陽光で眩しくて見えない。
オラは陽光が眩しくて、顔の前に手を翳し、陽光を手で遮る。
「剣は心で振り、技を磨くだけでなく、心をも磨くこと。心が乱れれば、剣も乱れる。心が強ければ、剣も強くなる。葛城さんの言葉よ」
茜ちゃんが手を差し伸べる。
オラは生唾を飲み込んで、茜ちゃんの手を握った。
背中を汗が伝う。頬に汗が伝う。
心の中で、茜ちゃんの言葉を繰り返す。
剣は心で振るもの。目で見て振るものではない。
技を磨くだけでなく、心も磨け。それこそが、剣の心なり。
心が乱れれば、剣も乱れる。心を研ぎ澄まし、心で戦え。
心が強ければ、剣も強くなる。強い心こそ、最強の剣なり。
それこそが、人を生かす剣であり、人を守る剣。
親父は、そう言っておった。
オラは立ち上がって、袴についた砂埃を片手で払う。
そうか。
オラは、今まで目で見て竹刀を振っておった。
そうじゃない。心で振るんじゃ。心で。心に念仏のように唱える。
オラの心は乱れておる。心を研ぎ澄ますんじゃ。
オラは瞼を閉じてみる。
道場は静寂に包まれており、小鳥の囀さえずりが聞こえる。
深呼吸してみる。身が清められていくような感じがした。
風が心地良く、オラの身体を優しく撫でてゆく。
「どう? 少しは葛城さんの言葉、思い出した?」
茜ちゃんが砂利を踏んで、竹刀を素振りする音が聞こえる。
砂利、か。
待てよ。この砂利を、上手く利用できんもんじゃろか?
茜ちゃんが砂利を踏む音を頼りに戦えば、なんとかなるんじゃ?
茜ちゃんの足の動きに注意すれば。
よし、やってみるか。
「茜ちゃん。始めるで」
オラは静かに瞼を開けた。
オラは中段の構えをした。心を落ち着かせるため、深く深呼吸をする。
真っ直ぐに茜ちゃんを見る。
心で振る。
目で見て振るな。
自分にそう言い聞かせる。
「ふ~ん。少しはやる気になったみたいね」
茜ちゃんはオラと距離を置いて、また腕をだらんと下げて、竹刀を構えた。
またその構えか、茜ちゃん。
せめて避ければええんじゃ。無理に打ち込もうとせんでええ。
「いくでぇぇぇぇぇ!」
オラは竹刀を振り上げて、茜ちゃんに駆けた。
茜ちゃんの懐に飛び込もうとしていた。
その時、茜ちゃんの足が動いた。
茜ちゃんが、砂利を踏む音が聞こえる。
ここじゃ。
オラは直感で、大きく一歩引いて身体を仰け反り、茜ちゃんの打ち込みをかわした。
オラは声を上げて、オラは竹刀を振り上げ袈裟に振った。
オラの剣気が風を纏い、風が宙に舞った。
茜ちゃんが一瞬動きを止め、また砂利を踏んで、すかさずオラの懐に踏み込み、竹刀を逆袈裟に振る。
オラは、砂利を踏む茜ちゃんの足を見て、また大きく一歩引き、竹刀を袈裟に振る。
次の瞬間。
竹刀と竹刀が重なり合う鈍い音が庭に響いた。
「や、やるじゃない。呑み込み早いわね。さすが、葛城さんの息子だわ」
茜ちゃんは飛び退る。
焦ったらしく、額に冷や汗を掻いている。
額の汗を、手の甲で拭う。
「こういうことか……」
オラは茜ちゃんを見て、小さく呟く。
これで確信したわい。
茜ちゃんは、竹刀を振る時、足が動く癖があるようじゃな。
オラは今までの流れで、それを見逃さんかった。
何も考えんこうに、茜ちゃんの竹刀を受けておったが、オラの洞察力は鋭いわい。
「あたしの竹刀を避けたからって、いい気になってんじゃないわよ!」
茜ちゃんが焼きになって、声を上げて竹刀を振り上げてくる。
茜ちゃん。
心が乱れているで。さっきのオラじゃ。
さっきまでの冷静さはどこいったんじゃ。
オラは、茜ちゃんの乱れ打ちを、ことごとくかわしていった。
茜ちゃんの足の動きに注意して。
庭に激しく、竹刀と竹刀が入り乱れる音が響く。
竹刀と竹刀が、闘気を纏って(まとって)、風を切っていく。
茜ちゃんとオラの視線がぶつかり合い、火花を散らす。
その時、茜ちゃんが腕を振り上げた隙を、オラは見逃さなかった。
オラは茜ちゃんの胴に、竹刀を打ち込んだ。オラの剣気が、竹刀から放たれた。
オラの剣気で、茜ちゃんの髪を束ねた紐が切れて、紅い紐が地面に落ちる。
茜ちゃんの艶のある長い髪。風で優しく靡いている。
茜ちゃんは動揺して、竹刀を振り上げたままだった。
茜ちゃんの眼が、さざ波のように揺れている。
オラは、茜ちゃんの胴に竹刀を打ち込んだ態勢のまま。
「そ、そんな……あたしが、負けた?」
茜ちゃんが小さく呟いた。
足が崩れ落ちて両膝を地面につけ、そのまま力なく俯いた。
「そうじゃ。心が乱れておったけえの」
オラは一歩下がって、茜ちゃんに深くお辞儀をする。
その時、表門から拍手が聞こえた。
オラは振り返って、表門を見た。
「ブラボー、ブラボー。実にいい試合だったぜ。なあ、千春ちはる?」
表門に立っていた異人の少年。
異人の少年はベレー帽を被り、金髪で肩くらいのカール。
左眼がグリーンの瞳で、右眼が蜥蜴とかげのようなブルーの眼で、整った目鼻立ち。眼の下に紅い一本の線が、口許まで引いてある。
ストライプ柄のシャツに黒いネクタイ。
膝までのストライプ柄の半ズボンを穿いて、白い靴下に黒い革靴。
異人の少年は、ズボンのポケットに両手を突っ込んでいた。
「いい魂の匂いがするわね。ねぇ、二コル。あの娘こ、十三人目の生贄にどうかしら?」
異人の少年の隣に立っていた女性。
女性は笠を被り、白い布で目隠しをして、額に不気味な目の入れ墨が彫ってある。
振袖を着て、白い足袋に草履を履いている。
女性はお腹で両手を組み、左手の親指と中指と小指に指輪を嵌め、右手の人差指と薬指に指輪を嵌めている。
手には、血の様な不気味な魔方陣が書かれた赤い魔導書を持っている。
女性は笠を手で上げて、額に彫られた不気味な目の入れ墨を覗かせている。
あの眼、まるでオラを見透かしているようじゃ。
こいつら誰なんじゃ?
嫌な予感がする。
- 茜「光秀、あたしを養うために、将来なにになるの? あたしに聞かせて?」→光秀「そ、そげなこと言われても、オラにはわからんわ!」
- 千春と二コルが登場、なぜか二コルの「二」の字はすべてカタカナではなく漢数字の2で書かれている。
千春と二コル
有志による復刻
千春が小さく肩を落として、小さくため息を零す。
千春がおもむろに笠を取った。千春の艶のあるお団子頭が露わになる。
千春は垂れた前髪を耳に掻き上げた。
「さっ、やるわよ。二コル」
道場の表門に立っている千春が、二コルの肩に手を置く。
片手で、血の様な不気味な魔方陣が書かれた赤い魔導書を開く。
茜ちゃんとオラを見た後、オラに歩み寄る。
「俺は見学といこうか。千春の魔術がねぇと、俺は戦えねぇからな」
二コルは踵を返して、道場の表門の柱に凭れ、腕を組んだ。
二コルは鼻で笑って、鋭い歯を見せてニヤリと笑う。
千春が魔導書を開いたまま腕の伸びをしながら、オラの横を通り過ぎようとしていた。
「汝を縛れよ」
千春はオラの肩に手を置いて、魔導書を開いたまま呪文を詠唱した。
すると、魔導書が妖しく紅く光った。
「ぐっ」
オラの身体の上に重い力がのしかかり、オラは片膝を付いて、竹刀を地面に突き立てる。
押し潰されそうになりながらも、歯を食いしばって、手足に力を入れて必死に抗あらがう。
そして、オラの心を覗くような、背筋に寒気が走り、頭痛がして額を手で押さえる。
「暴れると困るもの。光秀くんが暴れて、大事な生贄を傷つけちゃったら、生贄の価値ないものね。そこで大人しくしててね。光秀くん」
千春が片手で魔導書を閉じて、オラにひらひらと手を振って微笑み、千春はオラの横を通り過ぎた。
こいつ。
オラの心を覗きおった。
一瞬、ぞくりと頭痛がしたわ。
茜ちゃんは、オラが守るんじゃ。
「あ、茜ちゃんに、手を出すな……」
オラは、手足を震わせて立ち上がり、茜ちゃんに振り返る。
歯を食いしばって茜ちゃんに手を伸ばそうとするが、また重い力がのしかかる。
オラは片膝を付いて、竹刀を地面に突き立てる。
「し、信じられない。術に縛られているとはいえ……光秀くん、なかなかやるじゃない」
千春が動揺して振り向き、魔導書を地面に落とした。
震える手で、魔導書を拾い上げる。
「案ずるな。こいつに抵抗力があるだけだ。大したことねぇ」
鼻で笑う二コルの皮肉が、矢のように飛んでくる。
「負けた? あたしが負けた……?」
茜ちゃんは、オラに負けたショックで俯いたまま、何か呟いている。
よほど、オラに負けたことがショックじゃったんじゃろ。
「あなた、顔を上げてごらんなさい。あら、可愛い娘さんね。茜ちゃんか」
千春が屈んで茜ちゃんの顎に手の指を添えて、茜ちゃんの顎を少し上げる。
茜ちゃんの瞳が、悲しい波で揺れていた。
そして、千春が茜ちゃんの額に人差指を突き刺して、笠を持っている手で魔導書を開いて頁を捲る。
「汝に呪じゅをかけよ」
千春が静かに呪文を詠唱した。
また魔導書が妖しく紅く光り、茜ちゃんの額に熱そうな音を立てて蒸気が昇る。
「あぁぁぁぁぁ。熱い、熱いっ! やめて、やめてぇぇぇぇぇ!」
茜ちゃんのもがく声が、オラの眼に焼き付く。
茜ちゃんは抗うこともできず、苦しそうに口から泡を吹き、悪魔のように白い眼を剥いている。
こんなの茜ちゃんじゃない。
見てられず、オラは茜ちゃんから顔を背ける。
「やめろぉぉぉぉぉ!」
オラは竹刀を握りしめて、千春を睨み据えて怒鳴った。動けん身体がもどかしい。
オラの眼に涙が滲んで、頬を涙の粒が伝い、地面に雪の結晶となって涙が染みる。
オラは何もできない自分が悔しくて俯く。
顔を上げると、歯を食いしばって両手で竹刀を握り締め、千春を睨み据える。
千春が呪文を唱え終わり、片手で魔導書を閉じて立ち上がる。
千春が額の汗を手の甲で拭って、深く息を吐いた。
「さてとっ。茜ちゃんに呪いも掛けたし、光秀くんは術が効いて動けないだろうから。これで、安心かしら。私、十三人目の生贄探しに疲れちゃったわ。少し休むわね」
千春がふらつきながら欠伸をして、道場の縁側に座る。
千春の艶のあるお団子頭が陽光で煌めく。
笠を自分の隣に置くと、頭が波のように揺れてうたた寝している。
あの女。呪文で、力を浪費したちゅうんか?
だとしたら、チャンスじゃが……
オラはこの様じゃ。
オラは、固唾を飲んで茜ちゃんを見守っていた。
茜ちゃんは竹刀を地面に突き立てて立とうとしていた。
しかし、茜ちゃんは力が抜けたように地面に崩れる。
茜ちゃんの手から離れた竹刀が、軽い音を立てて地面に倒れた。
茜ちゃんは必死に抵抗して、両膝と両手を地面につき、俯いて息が荒い。
やがて、茜ちゃんは唸って顔を上げて、オラに手を伸ばす。口許からは涎が垂れている。
茜ちゃんの額にみみず腫れしたような呪の文字が浮かび上がり、茜ちゃんが気を失ってうつ伏せに倒れた。
「ご苦労。いい仕事っぷりだったぜ」
茜ちゃんを見届けてから、道場の柱に凭れて腕を組んでいた二コルが柱から離れる。
ズボンのポケットに両手を突っ込んで、鋭い歯を見せて不気味に笑いながら、茜ちゃんに歩み寄る。
茜ちゃんの傍らに来ると、二コルは屈んで茜ちゃんの顎に手の指を添えて、茜ちゃんの顎を少し上げる。
茜ちゃんの額の文字を見下ろして、二コルは鼻で笑った。
二コルの声で目を覚ました千春。
懐から扇おうぎを取り出して広げ、小さく扇あおいでいる。
「あら。茜ちゃん、光秀くんが好きみたいよ? 二コル。勘助かんすけの屋敷に連れて行く前に、光秀くんに私たちが何者なのか教えてあげたら?」
千春は口許に手を添えて、扇を扇ぎながら、茜ちゃんを見て苦笑した。
こいつ。
茜ちゃんの心までも読みおった。
余計なことしおって、額に彫られたあの眼か?
「ああそうだな。この女が死ぬ前に教えてやるよ。お前、この女が好きなんだろ?」
二コルが茜ちゃんの顎から手を離し、おもむろに立ち上がる。
ズボンのポケットに両手を突っ込んで、オラを見て不気味に笑っている。
二コルの右眼、蜥蜴のような眼が見開く。
「お、お前らの、も、目的は、な、なんじゃ……?」
オラは立ち上がろうと手足に力を入れて、肩で息をして手足が震える。
なんとか顔を上げて、二コルを睨み据える。
「始めに言っとくが、俺たちは道場破りじゃないぜ? 道場破りがこんな手荒なことしないだろ? もともと、千春は人形師だったんだ。まあ、千春の親父が黒魔術に手を出して、人形に命を吹き込もうとしていたがな。やがて、千春の親父は禁断の黒魔術を完成させ、一冊の魔導書と魔具まぐを作った。ならず者が噂を聞いてそれを狙って、千春の店に押しかけたんだ。千春の親父はならず者に殺され、ならず者に抵抗した千春は、ならず者に両眼を切られて、両眼を失明したんだ。結局、ならず者は魔導書と魔具を見つけることはできなかった。しかし、親父から魔具を受け取り、千春は身に付けていた。千春の指輪がそうだ。ならず者は、ただの指輪だと思ったらしい。魔導書がなくとも、魔具があれば、術は発動できる。千春は失明する前に完成させた人形に魔術で命を吹き込んだ。それが俺だ。俺は、魔界から召喚された魔物の子供だ。そして俺は、千春の額に目を彫ってやった。それで眼のように見ることができるってわけだ」
二コルがズボンのポケットに両手を突っ込んだまま、まくしたてた。
そうか。
二コルは人形なのか。
じゃったら、こいつらの目的はなんじゃ?
「よくできてるでしょ? 私の最高傑作よ」
千春が扇を扇ぎながら、膝の上で頬杖を突いて、うっとりと二コルを眺めている。
「俺の目的は、十三人の姫君の生き血を飲んで、王になることだ。この女で十三人目なんだ。若い娘の血じゃないとダメでな、儀式に失敗したりで大変だったぜ。この町の瘴気が見えるか? 俺の魔力が瘴気を覆わせたんだ。まだ瘴気は完全じゃないが、身体の弱い奴は病に倒れるだろうな。俺が王になれば、この瘴気がやがて国中を覆うことになるんだぜ? 滑稽だろう?」
二コルが鋭い歯を見せて、可笑しいというように額に手を当てて高笑いする。
まさか。
宗次郎の母ちゃんが病で倒れたのは、こいつらの仕業ちゅうんか?
そして、こいつらも仁と同じ、国盗りが目的ちゅうわけか。
悪い奴は、考えることが同じじゃわい。
「さ、さっきはよくもやってくれたわね。黙って聞いてりゃ、なんなのよ。あ、あんたたち……だ、誰か知らないけど、この道場には手出しさせない……」
茜ちゃんがおもむろに立ち上がり、口許の泡を手で拭い、肩で息をしている。
身体が震えながらも屈み込んで地面に落ちた竹刀を拾い上げて、二コルに中段の構えをする。
竹刀を持つ手が震え、竹刀が震えている。
「ほう、大人しく寝てりゃいいものを。意外とタフだな。ますます気に入ったぜ。その体で大丈夫か?」
二コルが茜ちゃんに振り返り、両手をズボンのポケットに突っこんだまま、茜ちゃんを見て不敵に笑っている。
「二コル、わかってる? 茜ちゃんに乱暴はダメよ? 大事な生贄なんだから。傷つけたら価値ないんだから」
千春が姿勢を正して、息を吐いて額の汗を手の甲で拭いながら、暢気に扇を扇いでいる。
「わかってるって。ったく、うるせぇな」
二コルはポケットから手を出して、面倒そうに頭の後ろを掻いている。
「あんたの相手はあたしよ! 覚悟しなさい!」
茜ちゃんが声を上げて駆け、二コルの背中に向かって竹刀を真っ直ぐに振り下ろす。
不味い。
オラは茜ちゃんを見て、生唾を飲み込んで喉を鳴らした。
「よせ! 茜ちゃん!」
オラは嫌な予感がして、茜ちゃんに怒鳴り、手を伸ばす。
「おっと。大人しく寝ててもらおうか。姫君。俺だって、魔力が使えるんだぜ?」
二コルが素早く茜ちゃんに振り返り、竹刀を手で受け止める。
そのまま、片手で竹刀を投げ飛ばすと、態勢を崩した茜ちゃんは前のめりによろけた。
茜ちゃんの背中に向かって、片手を突き出して掌を広げる。
二コルの右眼の蜥蜴のような眼が大きく見開いた。
二コルから発せられる、邪悪な波動の力を感じた。
吐き気がするような黒い力。
今度はなんじゃ?
また嫌な予感がする。
「うっ」
茜ちゃんが急に胸を押さえて苦しみ出し、やがて気を失ってうつ伏せに倒れた。
茜ちゃんが握っている竹刀が、寂しそうに茜ちゃんの手の中で静かに眠った。
遅かった。
それにしても、身体が重くて動けん。
どうなってんじゃ。
一人でも動きを封じればいいんじゃが。
せめて、あの女だけでも。
念力ちゅうわけにもいかんかいの。
「やれやれ。勢い任せに暴れて、姫君の身体に傷がついちまうと、生贄としての価値がねぇからな。せっかく見つけた、十三人目の生贄だ。大事に扱いたいもんだぜ」
二コルが肩を竦めた後、おもむろに屈み込んで、重そうに茜ちゃんを肩に担ぐ。
二コルが茜ちゃんを肩に担ぐと、「こいつ重いな。肉の食い過ぎだろ」と舌打ちして愚痴を零す。
「千春、帰るぞ。そいつの術は解いていいぜ」
二コルは千春に表門を顎でしゃくて、親指で表門を突き刺す。
「それが、光秀くんには不思議な力があるみたい。術で縛ってるのに、声を出せてるし。それに私、光秀くんの不思議な力に縛られて動けなくなったみたい。どうしましょう。困ったわ」
千春が困ったように深くため息を零して、膝の上で頬杖を突いて、扇を扇いでいる。
退屈そうに空を仰ぐ。扇で扇ぎながら。
「はぁ!? どういう事だよ!? じゃなにか? この女を置いていけってか? お前がいないと儀式ができねぇだろ!」
二コルが苛立って片手を横に広げ、肩に担いだ茜ちゃんを落としそうになり、態勢を崩してよろける。
どういうことじゃ?
オラの念力で、あの女の動きを封じたちゅうんか?
なんにしても、今がチャンスじゃ。
「か、えせ。あ、茜ちゃんを、返せ……」
オラは重い足を引きずって、二コルに歩み寄る。
なんじゃ、さっきより動けるで。
「こ、こいつ。何者……? 千春の術に縛れて歩けるだと? し、信じられねぇ……」
二コルが思わず、額に冷や汗を掻いて後退る。
一歩。また一歩と。
「たぶん、光秀くんが首にかけてる勾玉が魔具だと思うの。光秀くんが術師だなんて、油断したわ」
千春が面白くもなさそうに頬杖を突いたまま、扇を閉じで、オラの首飾りを差す。
オラの首飾りをじっと見つめて。
この首飾りが、魔具じゃと?
オラは二コルに歩み寄る足を止めて、首飾りの勾玉を握る。
神力を封じた魔具ちゅうんか?
神さまは言うておった。オラは選ばれし者じゃと。
あれは、どういう意味じゃ?
訳がわからんわい。
こいつは、神さまの魂を封じ込めておるんじゃろ?
じゃったら、オラにも神力が使えるかもしれん。
そいつに賭けるで。これしかないんじゃ。
「おいおい。こいつが術師だって? 聞いてねぇぞ」
二コルは表情を歪ませて、茜ちゃんを担いだまま後退る。
二コルは予想外の事態に動揺している。
「ごめん、二コル。呪文は使えないけど、二コルでなんとかしてよ」
千春は膝の上で頬杖を突いたまま、ため息を零した。
閉じた扇を縁側に突き立てて。
「っち、呪文ナシかよ。まあいい。動けるのは俺だけか。だったら、俺だけでも勘助の屋敷に連れて帰る! 千春、後で来いよ! お前に構ってる暇はねぇ!」
二コルが拳を握りしめて、踵を返して表門に向かって駆け出した。
「待て!」
オラは二コルの背中に手を伸ばした。
茜ちゃんがオラの眼から遠ざかる。ゆっくりと。
時間の流れがゆっくりに感じる。
なんじゃ、この感じは。
茜ちゃんを守るんじゃ。絶対に。
オラの目の前で、茜ちゃんを傷つけおって、お前ら許さんで。
神さま。
力を貸してくれ、お願いじゃ。
少しは力が戻ったじゃろ?
オラは勾玉を強く握る。
『お主の願い、しかと受け止めたぞ。これより、力を解放する』
頭の中で、神さまの凛とした声がした。
神さまの声が消えたと思ったら、勾玉が眩く青白く光った。
『光秀、助けて……』
あ、茜ちゃん?
茜ちゃんの声が、頭に響く。
これは、神力なんか?
『あたし、死にたくない。生贄になりたくない……』
それとも、勾玉を通して、茜ちゃんの声が聞こえるちゅうんか?
とにかくじゃ。
茜ちゃん、助けるけえ。
『お願い。光秀の剣で、こいつを斬って!』
茜ちゃんを傷つける奴は、オラが許さんけえの。
不思議と力が漲みなぎるわい。
力を感じるで。
茜ちゃんの声が消えた。
「!? あ、茜ちゃん!?」
オラは握り拳を作って、歯を食いしばった。
二コルが表門を潜ろうとしている。
なにしとんじゃ。手遅れになるで。
動け、動くんじゃ、オラの身体。
茜ちゃんは、オラが守るんじゃ。
立ち上がれ。立ち上がるんじゃ。
「させるかぁぁぁぁぁ!」
オラは茜ちゃんの顔に手を伸ばした。
その瞬間、オラに張られた結界のガラスが砕け散ったのか、青白い破片がオラの身体から四方に飛び散る。
同時にオラの身体から、力の強風が吹き荒れる。
オラの力に押されたのか、千春が縁側で横に倒れて気を失った。
千春の魔導書が風で、頁が捲られてゆく。
信じられないほど、オラの身体が軽くなった。
勾玉の青白い光が、静かに消えた。
オラは心を落ち着かせるため、瞼を閉じて、深呼吸してみる。
茜ちゃんを守ると意を決し、瞼を開けて、表門を見つめる。
よし、いくで。
「茜ちゃんを返さんか!」
オラは駆け出し、二コルを追った。
竹刀を強く握って。
表門を潜って、大通りを左右に見る。
『助けてくれ……』
『身体が、いうこときかねぇ……』
『勝手に身体が動いて、人を斬っちまった……』
『あたし、どうしたのかしら。知らない男と寝てた……』
『私、店のお金を盗んでた……』
表通りを出て、すぐに頭痛がして、頭の中で声が響く。
オラは頭を押さえる。なんじゃ、この声は。
戦いの始まり
有志による復刻
オラの首飾りの勾玉が青白く光を放つ。
オラの目の前で、狐が変化する様な音を立てて煙が立ち昇る。
「な、なんじゃ?」
オラは顔の前を手で翳す。
煙臭くて咳き込み、煙を手で振って煙を追い払う。
「お前の心の声は、千春に操られている人たちみたいだね」
煙の中から、氷のような冷たい声が聞こえる。
煙の中の影が、オラに近づいてくる。
煙の中から現れたのは、雪のように白い毛に覆われた狐だった。
狼のように尖った二つの耳、瞳は紫で、口許から鋭い牙が覗いている。
尾は九に分かれ、九の尾が生き物の様に動いている。
足には鋭い爪が生え、耳が痒いのか、猫の様に後ろ足で耳を掻いている。
「ワタシが誰かわかるかい?」
白狐が鼻で笑って、首を動かしてオラを見据える。鋭い歯を覗かせて。
煙臭かったのか、人間の様に咳き込んでいる。
「なんじゃ。お前もあいつらの仲間か?」
オラは竹刀を握り締めて、竹刀を斜めに構え、白狐を睨み据える。
どうも、こいつから敵意を感じんが。
こいつ、何者じゃ?
「ワタシが千春と二コルの仲間に見えるかい? それは違うね。ワタシは神さまさ。ああ、耳が痒いね」
白狐は耳が痒いのか、猫の様に後ろ足で耳を掻いている。
「神さまじゃと? 変化できるちゅうんか? じゃったら、オラの前で人間の姿に化けてみい」
オラは鼻で笑って、竹刀を白狐に突き出した。
「お断りだね。人間の姿は好きじゃないんだ。それより、どうだい? 神力で変化したのさ。様になってるだろ?」
白狐はお座りして、自分の身体を見ろとばかりに首を動かしてオラを見据える。
瞼を閉じて気持ち良さそうに毛づくろいしながら、嬉しそうに九の尻尾を振っている。
「見入ってる場合じゃないわ! 茜ちゃんを見失ったじゃろうが! どうしてくれるんじゃ!」
オラはくつろいでいる白狐を見ていたら苛立った。
袖をまくって、大股で白狐に歩み寄り、白狐の後ろ脚を蹴って八つ当たりした。
はよう、人間の姿に化けんか。この白狐。
お前が、あの神さまちゅうんわ、よおわかったけえの。
「なにするんだい! 喰ってやろうか!」
猫が驚いた様に白狐の毛が逆立ち、白狐は驚いて立ち上がる。
低く唸って口をかちかちして、オラを睨んで食って掛かる。
「いててて。お前の足、鉄が入っとるんとちゃうか」
オラは足がじんと痺れて、兎のように足を押さえて飛んでいた。
「あの女子おなごを死なせたくないんだろ? 早く背中に乗りな。匂いを嗅いで、二コルを追うよ」
白狐が鼻を嗅いで耳を立て、急に真剣な顔つきになった。
「……そ、そうじゃな。ふざけてる場合じゃないわい。まさか、オラを振り落す気じゃないじゃろな?」
オラは文句を言いながら、白狐の背中に跨いだ。
白狐の背中は、意外と乗り心地がよくて、毛が温かった。
馬には乗ったことないが、どんな感じなんかの。
ふと、そんなことを思った。
「しっかり掴まってな。振り落されたくなかったらね」
白狐が勢いをつけて地を蹴り上げ、一気に駆け出した。
通行人を避け、素晴らしい跳躍で小屋の屋根に飛び乗る。
白狐は屋根から屋根に飛び移り、矢のように駆けてゆく。
高さが違う屋根を飛び上がったり飛び降りたり、藁屋根に足を奪われそうになり、瓦屋根を危うく滑り落ちそうになり。
その度にオラは態勢を崩して、白狐に振り落されそうになる。
景色が矢の様に早く通り過ぎる。
横を向いて景色を見ていたら眼が回り、加えて白狐の体の揺れで酔って吐きそうになる。
慌てて前を見る。
しばらくして、少し白狐の体の揺れに慣れてきた。
気分も良くなり、元気を取り戻す。
「二コルは、勘助の屋敷に向かってる筈じゃ」
オラは白狐の背中に、振り落されまいと必死に捕まっていた。
風の抵抗を受けないように、姿勢を低くして。
「二コルが儀式の間に入ったら終わりだ。勘助の屋敷は、千春が強力な結界を張ってるからね。ワタシたちが結界に入ろうとすれば、弾き飛ばされる。その前に、方を付けるよ」
白狐は真っ直ぐに前を見据えている。
白狐は不安なのか、少し元気がないのか、ため息を零す。
それにしても、神さまに名前付けてやらんとな。
いつまでも神さまじゃ、言いにくいわい。
それに、なんか腹が立つんじゃ。
親しみもないで。
お前は狐じゃから、コンじゃ。
呼びやすくなったで。
「コン。茜ちゃんを助けるで」
オラはコンの首に手を回して、コンにしがみついていた。
「コンだって? ワタシの名前かい?」
コンが顔を振り向いて、すぐに顔を戻す。
「そうじゃ。今日から、お前の名はコンじゃ」
オラはコンの頭を撫でた。
「名前ねぇ。ありがたく頂くよ。ワタシの力は長く持たない。なんとか、二コルに追いつくよ」
コンがスピードを上げた。
ただでさえ、振り落されそうなのに。
これ以上は無理で。
オラは手に力を入れて、足もコンの身体に回した。
まるで柔道の締め技みたいに。
「いたで! 二コルはあそこじゃ!」
オラは、通りを鬱陶しそうに怒声を上げながら駆ける二コルの後ろ姿を、指さして見下ろす。
その時、コンの身体が蛍の光の様に点滅し始めた。
少しずつ、コンの点滅が弱くなる。
「変化は力を浪費するんだ。どうやら、ここまでみたいだ」
コンがため息を零す。
「後は任せろ。コン、ゆっくり休んじゃ」
オラはコンの頭を軽く叩いた。
「しっかり掴まりな! ちゃんと送り届けてあげるよ!」
コンが瓦屋根から跳躍して、二コルの前に飛び降りた。
コンが地面に着地と同時に、オラに着地の反動があった。
コンの四本足で、着地の衝撃が和らぐ。
砂煙が盛大に舞う。
コンが牙を剥いて低く唸り、二コルを睨み据える。
オラはコンの背中から飛び降りた。
その時、コンが疲れ切ったのか、身体が横倒しになり、オラに顔を上げて微笑むと、コンの身体が消えた。
町人は、何事かと立ち止ることもなく、よろめきながら何か呟いて通り過ぎていく。
きっと、町のほとんどの人が、あの女に操られているんじゃろうな。
それとも、瘴気にやられたかもしれん。
オラは空を仰ぐ。
今日は晴れている。瘴気の様な霧は見えない。
人間には見えん瘴気の霧なんか?
「な、なんだ。さっきのはなんだ。お前も、魔物を召喚したっていうのか? 冗談じゃねぇ」
二コルは動揺して、茜ちゃんを肩に担いだまま後退る。
二コルの額に冷や汗を掻いている。
人形のくせに汗を掻くんか。
お前は出来損ないじゃ。
「魔物じゃないわい、神さまじゃ。ただし、タチの悪い神さまじゃ」
オラは竹刀を肩で叩いて、二コルを睨み据える。
「へっ。笑わせるんじゃねぇ。あれが神さまだと? 低級魔物じゃねぇか。ビビッて損したぜ。あいつはどうした? 死んじまったか? それとも、ビビッて魔界に帰ったか?」
二コルが可笑しいというように鼻で笑い、額に手を当てて高笑いした。
「コンは休んどるだけじゃ! まだコンの力は完全じゃないけえの。オラだって、神力が使えるんじゃぞ! これはの、神さまの魂が封じられた勾玉なんじゃけえの!」
オラは首に下げている、勾玉を二コルに見せつけた。
「るせえ! 邪魔するんじゃねぇ! どうしてもってんなら、力ずくでどいてもらうぜ?」
二コルが茜ちゃんを肩に担いだまま、片手をズボンのポケットに突っこんでいる。
「そうじゃの。残念じゃが、あの女は来んで? 縁側で伸びてるけえの」
オラは竹刀を二コルに突き出した。
「でけえ力を感じて、胸騒ぎがしてたんだ。そういうことか。俺だって魔力が使えるんだ。千春抜きでも戦えるぜ」
二コルが不敵な笑みを浮かべて、オラを指さす。
「茜ちゃんを傷つけたら、生贄の価値ないんじゃろ? それでも闘うんか?」
オラは竹刀を二コルに突き出したまま、二コルを睨み据える。
これはオラの賭けじゃ。
できれば、こいつと戦いたくない。
戦えば、茜ちゃんを巻き込むことになる。
「お前のせいで、俺はイライラしてんだ。少しばかり、この女が傷ついても構わねぇ。千春の法術で治せば問題ねぇ。まあ、生贄の価値は下がるがな。ここは勝負といこうじゃねぇか。俺が勝ったら、この女は頂く。お前が勝ったら、俺は諦める。といっても、今回だけな。せっかく見つけた生贄だ。みすみす見逃すわけにもいかねぇ。どうだ? この勝負乗るか? そうそう、言い忘れてたぜ。早くしねぇと、この女、千春の呪いで死じまうぜ? どのみち、この女は死ぬってことだ。残念だったな」
二コルは苛立ちで頭を掻き、愉快という様に垂れ下がった前髪を耳に掻き上げて、鼻で笑った。
あの女の呪いで、茜ちゃんが死ぬじゃと?
この勝負に負けたら、茜ちゃんは、こいつが王になるための生贄にされる。
どっちに転んでも不利じゃが、せめてこの勝負に勝って、茜ちゃんを助ける。
それから、茜ちゃんの呪いを解く方法を考えたらええんじゃ。
「茜ちゃんを安全なところへ頼む。この勝負乗った。必ず勝って、茜ちゃんを助ける!」
オラは竹刀を中段の構えをして、竹刀を握り締める。
「言っておくが、千春の呪いは解けねぇぜ? 式が複雑だからな。まあいい。身体が鈍ってんだ、お前で遊んでやるよ」
二コルが口笛を吹いた。
すると、遠くから人力車がやって来た。
「この女を、ここから少し離れたところに停めてくれ」
二コルが人力車に茜ちゃんを乗せると、人力車を引いている男に言う。
人力車を引いている男は黙って頷き、人力車を走らせた。
あの男も、あの女に操られているんじゃろうな。
「さて。これで心置きなく戦えるぜ。おっと、建物は壊すなよ?」
二コルが腕を回して、首と指の骨を鳴らす。
そして、二コルの両手指の爪が鋭く伸びた。
二コルが不気味に微笑んで、鋭く伸びた爪同士を鳴らすと、金属音が鳴り火花が散った。
二コルとオラが向き合う。
嫌な風が吹き上がった。
「この爪の餌食になりたくないだろ? 切れ味は逸品だぜ? 命の保証はねぇ」
二コルが指を動かしながら、オラに不気味に微笑んでいる。
確かに、あの爪をまともに食らったら終わりじゃ。
竹刀で防げんかもしれん。
オラの頬を冷や汗が伝う。
恐怖に身体が支配され、オラは一歩も動けない。
「どうした? 掛かってこねぇのか? こっちからいくぜっ!」
二コルが駆け出し、素早く指を斜め下に振り下ろす。
刃の風がオラを襲う。
オラは素早く顔の前に竹刀を横に構えた。
竹刀の柄と、竹刀の刃先を握って。
二コルの刃の風が竹刀を真っ二つに切って、二コルの刃の風がオラの身体に突き刺さる。
オラの上半身の着物が袈裟に裂かれ、袈裟の傷口から血がどっと吹き出す。
刃の風力に押され、足が引きずる。
オラが二コルの刃の風に押され切ったところで、オラは片膝を地面につく。
オラの上半身の袈裟傷は深手を負い、傷口から血が吹き出る。
オラの両手には、真っ二つになった竹刀を握っている。
「無様だな! 稽古の竹刀が壊れちまったな!」
二コルが鋭い歯を見せて、オラに歩み寄る。
二コルの鋭い爪が引いてゆく。
あの爪の武器を引っ込めおった。
これはチャンスなんか?
「茜ちゃんの呪いに比べたら、これくらい、なんともないわい」
オラは二コルを睨み据える。
傷口を手で押さえて止血したいが、真っ二つになった竹刀が唯一の武器じゃけえの。
手放す訳にはいかんのじゃ。
「勢いがいいねぇ。いたぶらねぇと、俺の気がおさまらねぇ」
二コルが、オラの胸倉を掴み上げる。
たとえ、真っ二つに切れた竹刀でも戦えるんじゃ。
オラは両腕を上げて、真っ二つに切れた竹刀を見る。
よく見ると、真っ二つに切れた竹刀の切り口が、二本とも鋭利になっている。
そうか。
こいつを武器にしたらええんじゃ。
「は、放せ」
オラは、自分の胸倉を掴んでいる二コルの腕に、右手に握っている竹刀の切り口を、二コルの腕に思いっきり突き刺す。
二コルが舌打ちして、オラの胸倉から腕を離す。
竹刀の切り口が二コルの腕に突き刺さり、二コルの腕から血が伝う。
「こいつ、やりやがったな」
二コルが腕に突き刺さった竹刀を抜いて投げ捨て、傷口から血が吹き出て傷を手で押さえる。
二コルが舌打ちしてよろける。
「いくでぇぇぇぇぇ!」
オラはその隙に、二コルに全身の力を込めて体当たりを食らわす。
二コルは派手に尻餅をついた。
オラは素早く屈み込んで、地面の土を握って、二コルの両眼に向け、砂を放り投げた。
「くそぉ! 眼が見えねぇ!」
二コルは両目を擦って、じたばたして暴れている。
オラは二コルがじたばたしている隙に、竹刀の切り口を二コルの身体に刺そうとした。
次の瞬間。
二コルの右眼、蜥蜴の様な眼が見開く。左眼は瞑っている。
二コルの右眼から、邪悪な波動が発せられる。
「おっと。動けねぇだろ?」
二コルが不敵に笑いながら、おもむろに立ち上がる。
服に付いた砂ほこりを、ゆっくりと振り払う。
どうなってるんじゃ?
胸が締め付けられるようで、身体が動かん。
茜ちゃんに使った技ちゅうんか?
オラは歯を食いしばる。
「ほらよ。こいつはどうだ?」
二コルが右手首を左手で押さえて、右手首が銃弾の様に発射される。
「ぐっ」
オラは二コルの右手首に勢いよく押され、オラの身体はくの字に曲がる。
やがて物置小屋に立て掛けていた板を突き破り、物置小屋の壁に激突した。
オラは口から血を吐く。
二コルの右手首を右手で掴んで離そうとするが、二コルの右手首に力が入り、簡単に離れない。
力を入れて二コルの右手首を離そうとすると、金属音とともに、二コルの指の間から鋭いかぎ爪が生えた。
しっかりと、かぎ爪がオラの身体に食い込む。
オラは痛みに耐えられず、物置小屋の壁伝いに滑り落ちて、地面に座り込む。
右手で袈裟傷を押さえて止血する。
そして今度は、二コルの右手首の切り口から勢いよく煙が噴出された。
煙が緑色から黄色へ、煙が噴出される音が一音高くなる。
そして煙が紅くなったところで、二コルの右手首が閃光とともに爆発した。
オラは爆風で、物置小屋の壁を突き破り、物置小屋の反対側に吹っ飛ぶ。
失速したオラは、物置小屋の反対側の草むらで仰向けに倒れた。
屋根の下敷きにならなくて幸いだった。
オラの意識が遠のく。
流石に不味いわい。
茜ちゃんを守るどころか、オラが死んでしまうわい。
なんで神力が使えんのじゃ。
神力が解放されたはずじゃろ。
オラは心で文句を言いながら、血だらけの右手で勾玉を握る。
「派手にやっちまった。様ねぇな。屋根の下敷きになって死んじまったか?」
二コルの声が近づいてくる。
二コルが瓦礫を掻き分けたり、瓦礫を蹴っている音が聞こえる。
オラは顔を上げて、上半身を起こす。
屋根の下敷きになったと思い込んどる。
爆風で吹っ飛んだ物置小屋は、煙が上がってよく見えない。
これでしばらく時間が稼げるじゃろ。オラは煙臭くて咳き込む。
茜ちゃん、すまん。
負けるかもしれんで。
ダメじゃ。勝てんわい。
オラは大の字になって、空を仰ぐ。
生きているのが不思議だった。
風が気持ちよくて、疲れ果てて眠りにつこうとした。
『なにやってんのよ、光秀。情けないわねぇ。あいつに勝って、あたしを守るんでしょ?』
突然、茜ちゃんの声が頭に響いた。
「あ、茜ちゃん!?」
オラは驚いて上半身を起こし、辺りを見回す。
茜ちゃんの姿がどこにもないので、オラはまた頭を地面につけようとした。
頭の後ろに何か感触があった。
「強い心があれば負けないわ。光秀は、それを持ってる。光秀には守るモノがあるから。絶対に負けない。もう一度思い出して。あたしを守って」
半透明の茜ちゃんが、オラの顔を覗き込んでいる。
茜ちゃんは、太腿ふとももでオラの頭を支えてくれていた。
茜ちゃんが微笑み、オラの頭を優しく撫でる。
「強い心……茜ちゃんを守る……」
頭の中で呪文の様に唱える。
これは、夢なんじゃ。
オラは夢を見ている。
「どお思い出した? 自分を信じなさい。光秀、立てる?」
茜ちゃんがオラの肩を支えて、オラの上半身をゆっくり起こす。
茜ちゃん立ち上がって、オラの肩に手を回して、オラを支えながら、オラをゆっくりと立ち上がらせる。
「茜ちゃ……」
そう言いかけた時、茜ちゃんは消えていた。
オラは落ち着かせるために、血だらけの右手で勾玉を握って、深呼吸する。
強い心、自分を信じるんじゃ。茜ちゃんが教えてくれたけえの。
竹刀は真っ二つになってしもうたが、そんなの関係ないわい。
次は勝つで、二コル。もう負けんけえの。
オラは勾玉を両手で握り締めた。
そして、オラの思いに応えるように、左手の甲が青白く光った。
「なんじゃ?」
思わず声に出して、左手の甲を見る。
オラの左手の甲に、魔方陣の様な模様が入れ墨の様に彫られている。
手応えを感じる。勾玉が脈打っている。
強い心があれば、神力が使えるちゅうことか。
だから、さっきは神力が使えなかったんじゃ。
オラに強い心がなかったけえ、勾玉は応えてくれなかったんじゃ。
信じ続けることが、本当の強さなんじゃ。
そういうことじゃろ。茜ちゃん。待っとれよ、助けるけえ。
「なんだよ、こっちにいたのか。やれやれ、悪運が強い奴だぜ」
煙の中から、二コルが現れた。
二コルは左手で右手首の切り口を握ると、右手首が生えた。
二コルは右手首を回して、右手の指を動かす。
オラは左手にしっかり握られた、真っ二つに切れた竹刀の柄を両手で握り締めて、中段の構えをした。
竹刀の上半分がないので、心もとないが。
「やられっぱなしじゃったが、こっから反撃じゃ」
オラは二コルを睨み据える。
「おいおい、切れた竹刀でなにができるってんだ? その身体で」
二コルが可笑しいという様に、額に手を当てて高笑いした。
「お前を刺すには、これで充分じゃ!」
オラは駆け出した。
オラは二コルの懐に入るなり、二コルの右肩に竹刀を突き刺した。
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目覚めた力
~プロローグ:光秀と栞~
有志による復刻
妹の栞と手を繋いで、オラは町を歩いていた。
この通りは、店が多く並び、喧騒と活気づいている。
オラは、栞に優しく微笑む。
「欲しいもんあるか?」
オラの隣を歩く栞は、可愛い着物を着ている。
栞が歩くたびに、栞のポニーテールが小さく揺れる。
栞は、オラの顔を見上げて、オラの着物の袖を引っ張ってくる。
栞は物欲しそうに、顎に人差指を当てて、小首を傾げる。
嬉しそうに、店に並んだ物を指さす。
栞が目を輝かせて、オラに訊く。
「兄ちゃん。なにこうてくれるん?」
栞が嬉しそうに、オラの着物の袖を強く引っ張る。
「ん? 内緒じゃ」
オラは栞の頭を撫でて、栞と睨めっこした。
ちょっと変な顔をしてみる。
「ケチ」
栞が頬を膨らませて、そっぽを向く。
まだ栞が頬を膨らませて、そっぽを向いたままだ。
「兄ちゃんが悪かったけえ」
オラは頭の後ろを掻いた。
しばらく、オラと栞の沈黙が続いた。
栞は人見知りが激しく、内気な女の子じゃ。口数が少ない。
栞の友達は、幼馴染の宗次郎、宗次郎のいとこの茜じゃ。
栞と茜は仲がいい。女の子同士じゃからかの。
もちろん、宗次郎と栞も仲がええが。
とにかく、栞は、宗次郎と茜に懐いておる。
そんな栞を、オラは放っておけんのじゃ。妹思いじゃけえ。
栞は物珍しそうに、キョロキョロしている。
今日は、栞にやる、髪飾りを買いに来たんじゃ。
栞。兄ちゃんが、可愛い髪飾りをこうたるけえの。
町の光景が通り過ぎてゆく。
甘味処で、三色団子を食べている旅人。
咽たのか、急に胸を叩いて、慌ててお茶を飲んでいる。
店の若い女が、店の奥からやってきて、団子で咽た旅人の背中を心配そうに擦った。
行商人が手を叩いて大声を上げ、客を必死に呼び込んでいる。
男が真剣に、店に並んだ魚を見ている。料理人じゃろか?
少し考えてから、大きい鯛を買った。刺身にするんやろか?
遊女らしき、二人組の若い女が話し込んでいる。
手を叩いて笑ったり、怒ったりしている。
きっと世間話じゃろな。
鍬を担いだ、農民らしき二人の男が通り過ぎる。
彼らの表情が暗く、会話も少なかった。
農作物が採れんかったんやろか?
三人組の子供たちがはしゃいでいる。
一人は女の子で、歌いながら手毬をついている。
二人は男の子で、無邪気に追いかけっこしている。
この町は、表向きはこうして明るいがの。
裏じゃ、勘兵衛が牛耳っているけえの。
勘兵衛は、この町で一番の金持ちじゃ。
町長でさえ、勘兵衛には手を出せんでおる。
きっと、金で町長を黙らせておるんじゃろな。
噂じゃ、勘兵衛は武器を都から密輸しておると聞いたことがある。
誰かがそう言うておったが、それが本当なら恐ろしいのう。
それにじゃ。いつも、勘兵衛の傍らにおる、勘兵衛の用心棒、銀二。
銀二は龍之介の義理の兄らしいが、銀二は恐ろしい男じゃ。
龍之介は、勘兵衛の息子じゃ。
龍之介も、これまた勘兵衛と似てたちが悪いけえ。
銀二は人斬りで有名じゃけえの。物騒じゃわい。
じゃけえ、勘兵衛には誰も逆らえん。
よそ見していると、誰かとぶつかった。
「いてっ」
「その娘、ワシにくれんか? その娘、気に入ったんじゃ」
「りゅ、龍之介……」
オラは腰が抜けて、尻餅をつく。
思わず、尻餅をついたまま後退る。
顔を上げると、高そうな袴を着た龍之介が、腕を組んでいた。
龍之介がオラを見下して、不敵な笑みを浮かべている。
龍之介は、銀二の義理の弟になる。えらい兄を持ったもんじゃ。
龍之介は、いつも三人の子分と一緒で、無銭飲食を繰り返しておる。
店のもんは、龍之介たちに困り果てておる。
かというて、龍之介に逆らえん。親の顔があるけえの。
「お前、その娘の男か?」
龍之介が、オラを鋭く睨み付ける。
栞がしゃがんで両膝を地面につき、オラに抱き付いてくる。
栞が、龍之介の顔を見たくないのか、顔をオラの着物に埋めている。
栞は、龍之介が怖いんじゃろ。
「ワシに付き合ってくれんか。欲しいもんこうたるで?」
栞は、着物に顔を埋めたまま。顔を横に振る。
栞の抱き付く力が強くなる。
「栞が、こわがっとるじゃろ」
オラは、栞の頭を優しく撫でた。
栞を安心させるように、栞を抱きしめる。
「ほう、栞いうんか。可愛い名前じゃのう。力づくでも奪ってええんか?」
龍之介が、仁王立ちで腕を組んでいる。
「やれるもんならやってみい。栞は、オラが守るけえの」
オラは立ち上がった。着物についた砂埃を払う。
栞も、ゆっくりと立ち上がらせる。栞の着物についた砂埃を払ってあげる。
「さすが、栞の男や。気にったで!」
龍之介が鼻で笑った。
可笑しいというように、大笑いしながら手を叩いた。
「栞、行こう」
オラは栞を連れて、踵を返した。
「待てや! おいらからは逃げられんで?」
「おで、団子喰いたい。腹減った」
「わいも腹減ったなぁ。哲、その団子よこせや!」
オラの目の前に立ちはだかる、龍之介の子分の悪ガキ三人組。勝、安、哲じゃった。
三人とも、安っぽい着物を着ている。
龍之介も、三人に着物をこうてやればええのに。
勝は、手の骨を鳴らして、不気味な笑みを浮かべている。
哲は、袋から団子を取り出して食っている。食いしん坊め。
安は、腹が減ったのか、お腹を押さえている。急に哲の団子を横取りする。
「よう腹減る奴らじゃ。栞を手に入れてからじゃ。好きなだけ食わしてやるけえの」
龍之介が呆れたように、顔に手を当てて顔を横に振る。
龍之介が隙を見せておる。逃げるなら今じゃ。
栞には、手出しさせんけんの。汚い手で触らせんで。
こいつら油断しておるけえ。
「栞、走れるな!?」
オラは栞を連れて走り出した。
「わっ」
栞が、小さく声を漏らす。
三人か。
安は、細い体系じゃけえ。体当たりしたら吹き飛びそうじゃ。
やってみるか。なんとかなるじゃろ。
「行かせるもんか!」
三人組の誰かの声がした。たぶん、勝の声じゃろ。
通せんぼをしている三人組の真ん中の安。
オラは、細い体系の安に勢いよく体当たりを食らわした。
予想通り、細い体系の安は吹っ飛んだ。
安。今度から、体力つけとけよ。
その細い体、みっともないけえの。
オラはその隙に逃げた。
勝と哲は、顔を見合わせて、呆気に取られている。
「なにやっとんじゃ! はよ捕まえんか!」
オラの背中で、龍之介の怒鳴り声が聞こえる。
ここは一通りが多いけえの。それが救いじゃ。
うまく人に紛れ込めば、しばらくやり過ごせるじゃろ。
今日は賑わっているけえ。下手に逃げるよりマシじゃ。
オラは、うまい具合に人ごみに紛れ込んだ。
大人が多いので、子供のオラたちは、上手く人ごみに身を隠せた。
しばらく人に紛れ込んで歩いていると、ふいに水車小屋の影から、女に声を掛けられた。
「あんた、龍之介に追われてるんだろ?」
水車小屋の影で顔が隠れている。女は煙管を吸って、煙を吐いた。
華やかな着物を着て、艶めかしい。男が寄ってくる色気があった。
お団子頭から垂れ下がった長い前髪で、顔が少し隠れている。
女は、垂れ下がった長い前髪を掻き上げて、オラに微笑む。
「な、なんじゃ。お前」
女の魅力に吸い寄せられるように。オラは、その女に何故か歩み寄った。
「兄ちゃん。知らない人についていっちゃダメ」
妹の栞が、オラの着物の袖を引っ張て、その場から動こうとしない。
「大丈夫。お姉さんは、悪いことしないよ」
女は栞に歩み寄って、屈んで栞の頭を優しく撫でる。
水車小屋の影から出てきた女の顔は綺麗じゃった。
ものすごい美人じゃ。
オラは、美人を前に思わず緊張した。
自然に背筋が伸びる。
「それ、臭い」
栞が、女の煙管を指さして、栞は鼻を摘まんだ。
小首を一生懸命に振っている。煙管の煙が苦手らしい。
確かに、煙管の煙は臭い。
オラは、煙管の煙は、なんとか大丈夫じゃった。
あまり、煙管の煙は好きでないがの。
「ごめんごめん。でも、これ、美味しいんだよ? お嬢ちゃんには、まだ早いね」
女が栞を抱きしめて、栞の頭を撫でる。
女が立ち上がる。
「お前、何もんじゃ?」
オラは、怪しい女を見上げる。
女の口紅が色っぽくて、思わず生唾を飲み込む。
「さっき、お前さんが龍之介に絡まれてるのを見かけてね。それで、助けてやろうと思ったまでさ」
女が煙管を吸って、煙管の煙を粉のようにオラに吹きかける。
「ごほっ。ごほっ。龍之介のやつ、オラの妹を連れ出そうとしたんじゃ。ごほっ」
オラは咳き込みながら、煙管の煙を掻き消そうと、必死に手を振った。
「兄ちゃん。この人、いい人?」
栞が鼻を摘まんだまま、鼻声で喋る。
オラの着物の袖を引っ張って、オラの顔を見上げる。
「可愛い妹じゃないか。こっちきな」
女が顎でしゃくる。
女が、栞に微笑んで手招きしている。
「だ、誰か知らんが、龍之介に捕まるよりマシじゃ」
オラは変に納得して、妹を連れて、女の後について行った。
「兄ちゃん。あの人、悪い人?」
栞が心配そうに、オラの顔を見上げる。
栞は、まだ鼻を摘まんでいる。
「さあの。心配いらんじゃろ」
オラは、栞を安心させるように、栞の頭を撫でた。
女は、オラたちの会話が聞こえていたのか、振り向いて微笑む。
やがて女が、どこかの店の裏口に入って行く。
オラたちも、小走りで女の後を追う。
店の裏口の戸を開けてすぐ、女が突っ立っていた。
「そこ入ったら、うちの店の厨房じゃけえ」
女は石畳の上に立ち止って、引き戸に顎をしゃくる。
「そ、そろそろ、名前教えてくれてもええじゃろ?」
オラは女を一瞥し、伏目で、女と目が合わせられずにいる。
「ここまで来れば安心じゃろ。うちは神楽じゃ。あんたたちは?」
女は裏口に目をやる。
寂しい目で、入ってきた裏口を見つめたまま。
煙管を吸って、煙をゆっくり吐く。
「オ、オラは、光秀。この子は、オラの妹の栞じゃ」
オラは女を一瞥してから、栞の頭の上に掌を載せた。
「光秀と、栞ちゃんやね。よろしくね、栞ちゃん」
神楽が、栞に微笑んで、ウインクする。
栞が照れたのか、恥ずかしそうに俯いた。
栞の頬が紅くなっている。
「神楽、ここの店はなんじゃ?」
オラは栞の頭を撫でてから、辺りを見回した。
「遊女の店や。うちの店は、性的なサービスはないけえ」
神楽が肩を竦める。
不敵な笑みを、オラに向ける。
「ゆ、遊女の店じゃと!?」
オラの顔が一気に紅くなる。
鼻血が出そうになり、慌てて鼻を押さえる。
「兄ちゃん。遊女ってなあに?」
栞が、オラの着物の袖を引っ張って、顔を上げて訊いてくる。
煙管の煙に慣れたのか、鼻を摘まんでいない。
「お嬢ちゃんには、まだ早いけえ。知らんでいいからな」
神楽が屈んで、栞の頭を撫でた。
「光秀、大丈夫か? 鼻血出てるで?」
神楽が懐から、ピンクのハンカチを取り出した。
「う、うるさいわい。ちょっと興奮しただけじゃ」
オラは、神楽が差し出したハンカチを奪い取って、鼻を吹く。
鼻血が出ないように、オラは空を仰ぐ。
「可愛いのう。うちが相手してやろうか?」
神楽が、豊満な胸をオラの顔に押し付けて、オラの頭をガシガシと掻く。
「え、ええわい! オラは、茜が好きなんじゃ!」
オラは恥ずかしくなって、神楽の胸から放れる。
気になって、神楽の懐から覗く豊満な胸を一瞥してしまう。
「ふうん。今度、茜ちゃん紹介してな?」
神楽が垂れ下がった前髪を掻き上げて、オラに微笑む。
神楽が腰に手を当てて、オラの顔をまじまじと見つめる。
「お、覚えておったらな。けど、ここには二度とこんけえの!」
オラは、ハンカチで鼻を吹きながら、神楽に舌を出した。
栞は不思議そうに小首を傾げて、二人を見比べながら、目をぱちくりさせている。
「残念やな。さて、うちは店に戻るけえ。うちの母に面倒を見てもらいんさい」
神楽が小さくため息を零す。
栞に微笑んで、栞と握手した後、栞に手を小さく振っている。
神楽は立ち上がって、煙管を吸いながら、奥に消えていった。
「なんじゃ。こんなとこじゃ、落ち着かんわい」
オラは大股で、着物の袖をまくって、引き戸に向かった。
「兄ちゃん。お腹空いた」
栞が、オラの着物の袖を引っ張る。
そう言われてみれば。
今日はおやつ食ってなかったのう。
オラのお腹が鳴った。
「なんか、食わしてもらうかの。なあ、栞?」
オラは栞の顔を覗き込んだ。
「うん。栞、饅頭がいい」
栞が、オラの顔を見て微笑む。
「饅頭は、年寄りが食うものじゃぞ?」
オラはため息を零して、栞に呆れる。
「饅頭、美味しいもん」
栞が立ち止って、頬を膨らませ、身体をくねくねさせる。
涙目になって、今にも泣きそうだ。
そんな栞を見て、オラは笑った。
栞も笑った。ちょっぴり涙を零して。眼に滲んだ涙を手で拭う。
引き戸の前で。オラは深呼吸をする。
オラは胸を撫で下ろした後、引き戸をゆっくりと開ける。
はじめまして。浜川裕平です。
数年前から構想していた物語を、2015年から本格的に執筆していたのですが……
本編を執筆している途中で、本編とリンクする百年前のエピソードを、どうしても書きたくなりました。
先に、百年前のエピソードを書き上げてから、本編を投稿しようと思います。
お時間がある時に、この物語を読んでくださると嬉しいです。
どうぞ、この物語をよろしくお願いします。
第一話:勘兵衛の過去
有志による復刻
神楽に教えてもらった引き戸を開くと、そこは台所だった。
オラに向かって、左隣のかまどの上にはお釜が載っていて、お釜の蓋から湯気が出ている。
かまどの奥には、床に樽が幾つか置いてあった。
たぶん樽の中身は、漬物樽と酒が入った樽じゃろう
目の前に大きな木のテーブルがあり、テーブルの周りに木の丸椅子がある。
ここで、店のもんが食事するんじゃろか。
オラに向かって右隣には、流し台がある。
流し台の水道の蛇口から水が滴る。
台の上に、桶が載っている。
桶の中には水が入っており、桶の中に野菜が入っている。
流し台の奥に、ガスコンロがある。
「そろそろ、飯が炊けたかねぇ」
台所の奥から女の声がした。
台所の奥にある大きな暖簾から現れたのは、着物の上に白いエプロンを着た女だった。
エプロンで手を吹いて、床に置いてある下駄を履く。
「おや? あんたたちが、光秀と栞ちゃんかい?」
引き戸の前で突っ立っているオラたちを見て、女がオラたちに訊く。
この女、どことなく神楽に似ておるの。
もしかして、この女が神楽の母ちゃんじゃろか。
「そ、そうじゃ。お、お前が、神楽の母ちゃんかの?」
オラは恥ずかしくて女を一瞥する。
人差指で頬を掻いて、女から顔を背ける。
「ああ、そうだよ。あたしは、八重ってんだ」
八重は、釜の蓋を開けながら答える。
「よし、いい感じだ」
八重が釜の中を確認してから、釜の蓋を閉じる。
なんじゃ。
神楽がいうには、ここは遊女の店らしいが、そげな怪しい雰囲気でもないの。
まあ、店の名前は知らんが。知りたくもないがの。
どうせ、大人の店じゃ。オラには関係ないわい。
「突っ立ってないで、座りなよ。引き戸は閉めておくれよ?」
八重が台所に移動して、台所からまな板と包丁を取り出す。
「わ、悪かったの。じゃ、入るけえ」
オラは振り返って、引き戸をゆっくり閉める。
キョロキョロしながら、オラたちはテーブルの椅子に座り込む。
「兄ちゃん。いい匂いする」
栞が、この部屋に漂う匂いを嗅いで、八重をじっと見ている。
八重がまな板と包丁を水道で洗った後、水の入った桶から、人参を取り出す。
水気を切った人参をまな板の上に載せて、包丁で人参を切る軽快な音が聞こえる。
「ちょっと待ってね。今、ご飯の支度してるんだ」
八重が台所でせわしなく作業しながら言う。
「兄ちゃん。お腹空いた」
栞が足をバタバタさせて、オラの着物の袖を引っ張る。
「兄ちゃんも、お腹空いたわい」
オラは、テーブルに突っ伏した。
「そや。うちの客から饅頭頂いたんやけど、食うかい?」
八重がテーブルにやってきて、テーブルの上に両手を置いた。
オラたちの顔をまじまじと見る。
「饅頭欲しい!」
栞が元気な声を出して、嬉しそうに鼻歌を歌う。
足をバタバタさせている。
「栞ちゃん、可愛いねぇ。ちょっと持ってくるからねぇ」
八重は栞に微笑んで、暖簾の奥に消えて行った。
「はぁ。ダメじゃ」
オラはテーブルに突っ伏したまま呟く。
オラと栞は、空腹で無言のまま。
オラと栞の腹の虫が同時に鳴る。
「やあぁ。うん、いい匂いだぁ~」
その時、暖簾から黒い忍装束に身を包んだ、女がやってきた。
髪は、ショートヘアだ。
下駄を履いて、大きく背伸びをする。
「だ、誰じゃ!? お前は!?」
オラは驚いて身構える。
女が何者かわからぬ不安と、高鳴る鼓動。
こいつ何もんじゃ。忍装束に身を包んで。
「わっ」
栞は小さく声を出して驚く。
初めて忍装束に身を包んだ女を見るのか、目をぱちくりしている。
栞も不安なのか、無言でオラの顔を見上げる。
「わわっ!? それは、こっちの台詞だぁ!」
黒い忍装束に身を包んだ女が、驚いたようにオラを指さす。
忍装束の女の指先が震えている。
「お前も、ゆ、遊女か!?」
オラも負けじと、忍装束に身を包んだ女を指さす。
オラも女を警戒して指先が震える。
「ちっが~うっ。あたいはね、ここで料理のお手伝いしてんの!」
忍装束に身を包んだ女が、腰に両手を当てている。
「わっはははっ~」と、急に女は、腰に両手を当てたまま高笑いする。
「なにわらっとんじゃ! お手伝いがそげな恰好するんか!?」
オラは訳もわからず頭にきて、栞から手を離す。
怪しい忍装束に身を包んだ女に大股で歩み寄る。
「これはくノ一! 昼は店のお手伝い。夜はくノ一。なぁ~んてねっ」
忍装束に身を包んだ女が、オラの頭を撫でて、ピースしてウインクする。
「なんじゃ、取ってつけたように。お前なんか可愛くないわい!」
オラが両手を組んで、鼻で笑ってそっぽを向く。
「なによ! これでも、あたいはくノ一の隊長なんだからね!」
忍装束に身を包んだ女が、腰に手を当てて、オラの胸を小突く。
「お前は、下っ端でええじゃろが!」
オラは、忍装束に身を包んだ女に舌を出す。
「いっちょやったろうじゃないの!」
忍装束に身を包んだ女が、オラを睨み付ける。
勝ち誇ったように腕を組んで、不気味な笑みを浮かべている。
「望むところじゃ! できそこないのくノ一め。覚悟せえよ!」
オラも負けじと、忍装束に身を包んだ女を睨み付ける。
拳を突きつけ、歯をむき出す。
二人の視線が熱くぶつかりあい、火花が散っている。
「騒がしいから来てみたら、なにやってるんだい。梓」
八重が暖簾から現れた。
八重が持っているお盆の上には、饅頭が盛られた皿と、急須、熱いお茶が載っている。
八重は顔に手を当てて呆れ顔をして、お盆をテーブルの上に載せる。
「うちの客でね。都で甘味処を営んでるおやっさんが持って来てくれたんだ。この饅頭」
八重が椅子に腰を下ろす。
頬杖をついて、饅頭を一つほうばる。
「わぁ。いただきます!」
栞が手を合わせて、両手でお行儀よく饅頭を口にほうばる。
「あ~! あたいが食べたかった饅頭!」
梓が、お盆の上に載った饅頭が盛られた皿を指さす。
思わず涎が出て、「いけねっ」と言って、涎を手で拭った。
「残念じゃのう。これは、オラの饅頭じゃけえ」
オラは勝ち誇ったように、テーブルに歩み寄る。
オラは梓が饅頭を食うなというように、梓に鬱陶しそうに手を振った。
オラも椅子に腰を下ろして、饅頭を口にほうばる。
「お姉ちゃん、あげる」
栞が饅頭を食べ終わり、皿から取った饅頭を半分こして、半分こにした饅頭を梓に差し出す。
「うわ~。ありがとうっ!」
梓が目を輝かせて、栞から饅頭を受け取る。
口にほうばって、饅頭を飲み込んだ後、栞に抱き付く。
咽ればよかったんじゃがのう。
この女め。
「お姉ちゃん。喉詰まる」
栞がお茶を飲んだ後、梓から放れて、隣の椅子に座る。
「ああ、ごめんごめん」
梓が照れたように、頭の後ろを掻いた。
梓が栞の隣の椅子に腰を下ろす。栞の頭を撫でた。
「この子。栞ちゃんってんだ。仲良くしてやっておくれ、梓」
八重が椅子から立ち上がって、栞の肩に手を置く。
「もっちろ~んっ。あんたの名前は知らなくていいからね!」
梓が栞に抱き付き、オラに舌を出す。
「こげな女はほっといて、オラは腹ごしらえじゃ。饅頭が不味くなるけえの」
オラは、饅頭をやけ食いした。
やっぱりオラは、「ごほっ。ごほっ」と、咽た。
慌てて、胸を叩いて、お茶を飲み干す。
お茶もよそに入って、咽てもうた。
「や~い。罰だ! ねぇ、栞ちゃんっ」
梓が栞の肩に両手を置いて、栞の頬に自分の頬を引っ付ける。
可笑しそうに、オラを指さして笑う。
「兄ちゃん。変なの」
栞も、饅頭に咽たオラが可笑しいのか小さく笑った。
「さて。あたしゃ、ご飯の支度でもしようかね」
オラたちのやり取りを見ていた八重が、栞に微笑んでから台所に向かう。
「八重さん。いいですよ、あたいがやりますから」
梓が立ち上がって、八重を制した。
「そうかい? じゃ、頼むよ。あたしゃ、この子たちと話したかったんだ」
八重が椅子に座って、頬杖をつく。
「孫でもできた気分ですかぁ? なぁんてねっ」
梓が鼻歌を歌いながら、台所で作業している。
包丁を切る軽快な音が聞こえる。
「そんなとこだよ。それより、また夜遅くまで仕事してたのかい?」
八重が頬杖をついたまま、梓を見つめる。
「ええ。なかなか、勘兵衛が尻尾を出さなくて。最近、勘兵衛の情報がないんですよ」
梓がガスコンロに移動して、鍋に火を点ける。
鍋の中に、桶に入っていた野菜を入れる。
「か、勘兵衛じゃと!?」
オラはテーブルを勢いよく叩いて、椅子から立ち上がった。
「わっ」
栞が驚いて、お茶を飲む手が止まる。
「……勘兵衛はね。あたしの夫だったんだ。神楽が生まれてすぐに、勘兵衛はあたしを捨てたけどね」
八重が頬杖をついて、寂しそうに天井を見つめている。
「!? ってことは、八重は龍之介の母ちゃんになるんか?」
八重から衝撃な話を聞かされ、オラは動揺していた。
変な汗を額に掻く。手にも汗を掻いている。
「そうなるね。あたしと別れた後、勘兵衛、また女を作ってね。龍之介は、その女の間に生まれた子さ」
八重が饅頭を口にほうばる。
「どうぞっ。八重さん」
梓が湯呑を持って来て、梓が湯呑にお茶を淹れてくれる。
「ありがとう」
八重が、気を遣ってくれた梓に目配せして、梓が淹れてくれたお茶を飲む。
梓が八重に微笑んで会釈して、梓は台所に戻って行く。
「ってことは、神楽と龍之介は、腹違いの姉弟ってことか?」
腕を組んで考え込んでいたオラは、テーブルから身を乗り出して、オラの向かいに座っている八重に訊いた。
「そうなるね。勘兵衛がおかしくなったのは、流行病で息子と妻を亡くしてからさ。あたしと出会う前の話になるね」
八重が肩を竦める。
八重が小さくため息を零す。
「あの勘兵衛に、そんなことがあったんか……」
オラは椅子に座り込んで、腕を組んで妙に感心した。
「あたしも昔は遊女でね。流行病で息子と妻を亡くした勘兵衛は、遊女と酒に溺れて、店に金を使うようになったんだ」
八重が頬杖をついて、寂しそうに窓の外の景色を見つめている。
「自業自得じゃろ」
オラは腕を組んでそっぽを向き、鼻で笑った。
「勘兵衛はあたしの客でね。一緒に暮らすようになってから、すぐに神楽が産まれたんだ」
八重が頬杖をついたまま、寂しそうに窓の外の景色を見つめている。
「八重さん。遊女の時は、綺麗だったんだよ?」
梓が、オラの肩に手を置く。
話に夢中で、梓の気配に気づかんかった。
こいつ。やっぱり、気配を消すところ、くノ一じゃな。
「余計なお世話だよ。昔の話さ」
八重が腕を組んで、深いため息を零す。
「でも、それからですよね? 勘兵衛が八重さんを捨ててから、勘兵衛が武器商人になったのは……」
梓がオラの肩に手を置いたまま。
梓の顔を見ると、表情が曇っていた。
この女も、辛い過去があるんじゃろな。
「ああ。今、極秘で新しい武器を研究してるらしいからね。勘兵衛のやつ」
八重がお茶を飲んで、一息つく。
「勘兵衛、龍之介を産んだ妻を平気で殺めたんだ。銃の試し撃ちとかで。それも、龍之介の目の前で」
梓が、震える声で話す。
オラの肩に置いている梓の手に力が込められる。
「眠いっ」
栞が大欠伸をして、目を擦った。
眠いのか、テーブルの上に突っ伏す。
腕の上に頬を載せて、静かに寝息をたてた。
「……栞ちゃんの前で、こげな話するもんやない。この子の将来のためにもな」
八重が栞の眠り顔を見て、栞に微笑む。
八重が優しく栞の頭を撫でた。
「ごめんね、栞ちゃん。こんな話して」
梓が、反省して栞を抱きしめた。
栞の着物に顔を埋めて、梓が泣いている。
「栞に、悪いことしたわい」
寝ている栞の寝顔を見ていたら、やるせない気持ちになった。
オラは俯く。膝の上に握り拳を作って。
オラは、栞を守らんといかんのじゃ。
せめて、栞の笑顔を守らんといけんのじゃ。
勘兵衛。どうして、変わってしもうたんじゃ。
お前はもう、人に戻れんのか?
「あたしゃ、栞を寝かせてくるけえ」
八重が栞をおんぶして、暖簾の奥に消えて行った。
しばらく、オラと梓の間に無言が続いた。
重い空気が流れている。
「……飯の支度はできたんか?」
オラは顔を上げて、梓に訊いた。
「わわっ! 鯛があったの、忘れてた!」
梓が涙を拭って、台所に向かう。
梓が台所の下に置いてある発砲スチロールの中から、大きな鯛を取り出す。
梓が、せっせと鯛を水道で洗っている。
「それにしても、神楽って、綺麗じゃのう」
オラは頬杖をついて、神楽を思い出した。
神楽の豊満な胸を妄想してしまう。
「ああ、確かに。神楽は、あたいの幼馴染さ。まあ、あたいは神楽みたいに胸がないんだけどね」
梓が、鯛の鱗を包丁で取っている。
「そうなんか。なあ、梓。勘兵衛を恨んでるんか?」
オラは頭の後ろで手を組んで、台所で鯛を捌いている梓に訊く。
「……あたいの両親は勘兵衛に殺された。行き場のないあたいを、八重さんが拾ってくれたんだ。今は、この店に住み込んで働いてる。仲間も勘兵衛に殺されたよ」
梓が俯く。
梓の包丁のスピードが明らかに落ちた。
梓の包丁の音が不快に聞こえる。
そんな気がする。
「勘兵衛を殺して、仲間と両親の仇を取るんか?」
オラは梓を鋭く見つめた。
「当たり前だろ。あたいは勘兵衛を殺して、この町を守るんだ。そのために、ずっと勘兵衛をマークしてきた。都の憲兵団長も、勘兵衛の情報を欲しがってる。だから、あたいは勘兵衛の情報を都の憲兵団長に売ってるんだ。生活のためにね」
梓が顔を上げた。
梓の包丁のスピードが、元に戻った。
そんな気がする。
気のせいかもしれん。
「オラは、勘兵衛の話を聞いた限りじゃ、勘兵衛はそげな悪い男に見えんがの」
オラは鼻で笑って、肩を竦めた。
梓の包丁の音が止まった。
「どれだけ、血が流れたと思ってる!?」
梓の声が強張る。
梓が握っている包丁が震えている。
「オラは、勘兵衛を救いたいがの。そうすれば、丸く収まると思うんじゃ」
オラは腕を組んで、暢気に首を縦に振っている。
「ふざけるな! あんたは、間違ってる!」
梓がオラに振り向いて、包丁を握りしめ、オラに包丁を向ける。
包丁を持っている手が震えている。
「子供にそげな物騒なもん向けるんか!? 結局お前も、やってることは勘兵衛と同じじゃろが!」
オラはテーブルを強く叩いて、椅子から勢いよく立ち上がる。
「ど、どういうことよ!? 教えてよ……教えなさいよ!」
梓が動揺している。
梓が首を横に振りながら。答えを求めるように、オラに歩み寄る。
「強者はの、なにがなんでも、弱者を黙らせるんじゃ。今、お前は、そうしておるじゃろ?」
オラは梓を力強く指さした。
鋭く梓を睨み付ける。
「!? あ、あたいは、勘兵衛と同じことしようとしてた……!?」
梓が立ち止る。
「違う。……そんなんじゃない」と言って、梓は否定するように首を横に振っている。
「勘兵衛を殺したとこで、お前の両親は天国で喜ばん! 死んだ仲間も浮かばれんのじゃ! 目を覚まさんか!」
梓を落ち着かせるように、オラは梓に歩み寄って、梓の腕を掴む。
大丈夫じゃ。
梓は、いくらでもやり直せる。
勘兵衛も。
誰も責めちゃいけんのじゃ。
「えっ?」
梓は放心状態だった。
「これから、考えればええんじゃ。みんなが幸せになる方法をな」
オラは梓の背中を優しく擦った。
「!? あ、あたいのしてきたことは、間違ってたんだ……」
梓は両膝を床につけて、包丁を床に落とした。
床に落ちた包丁が重い音を響かせる。
子供のように、梓はオラに抱き付き、壊れたように梓はオラの胸で泣き崩れた。
「饅頭でも食うて、落ち着け」
オラは梓を抱きしめて、梓の頭を優しく撫でた。
赤ん坊をあやすように。
「うん……」
梓が包丁を拾って、立ち上がる。
台の上に、包丁をそっと置いた。
テーブルの椅子に腰を下ろして、饅頭を口にほうばる。
「ゆっくり、饅頭を噛みしめて食うんじゃ。その饅頭が、お前の過ちじゃけえ」
梓は、饅頭を無邪気に食っている。
梓に歩みより、梓の肩に、オラは優しく手を置いた。
「……ありがとう。少し、気が楽になった」
饅頭を一つ食べ終わった梓が愚痴を零す。
「どっちが子供か、わからんの。これじゃ」
オラは鼻で笑って、梓の背中を小突いた。
「あ、はははっ。みっともないとこ、見せちゃった。あたい、あんたより大人なのにね」
梓が涙を手で拭う。
「オラは光秀。ちゃんと覚えるんじゃ、ええな?」
オラは胸を叩いて、胸を張った。
「光秀、か。あんたは強いね。見なおしたよ」
梓がオラに振り向く。
「仲直りじゃ。最初、オラ反抗的じゃったからの」
オラは照れて、人差指で頬を掻いて、梓から顔を背けた。
恥ずかしそうに、オラは手を差し出して、梓に握手を求める。
「よろしく、光秀。いや、師匠!」
梓が立ち上がって、オラと熱い握手を交わした。
梓がオラを抱きしめる。
そうじゃ。新しい明日が来るんじゃ。
新しい世界が。オラたちを待ってるんじゃ。
どうも。浜川裕平です。更新、お待たせしました!
百年前のエピソードということで、資料集めが大変でした。
ネットで調べていたのですが、面倒になり、設定は近代的です(笑)
設定を近代的にすれば、後あと楽になるかなぁ。なんて思ったり。
さて。新キャラの八重・梓が登場しましたね~。
勘兵衛の過去も明らかになりました。
これから、どうなるんでしょう? 作者自身もわかりません(笑)
一応、ストーリーは作ってるんですけどね(汗)
まだまだ、お話は続きます!またお会いしましょう!
- 木のテーブル、流し台、蛇口、ガスコンロ、発泡スチロール、「ピースしてウィンクする」など世界観がよく分からなくなる要素が多数登場(あとがきによると百年前の資料をネットで集めていたが面倒になって近代的な設定にした、とのこと)。
- 神楽の母八重、黒い忍装束に身を包んだ女(梓)登場。
- 「梓の包丁のスピードが明らかに落ちた。」など後に書かれたパートより心理描写がうまくできている。
- 光秀「勘兵衛を殺したとこで、お前の両親は天国で喜ばん! 死んだ仲間も浮かばれんのじゃ! 目を覚まさんか!」と出会ったばかりの梓に説教→「!? あ、あたいのしてきたことは、間違ってたんだ……」と泣き崩れる
第二話:呪われた神さま
有志による復刻
「光秀。お前本気なのかい? 勘兵衛を救うだって?」
八重が暖簾から顔を出した。
八重が下駄を履く。腕を組んで、じっとオラの顔を見ている。
「や、八重さん!? 聞いてたんですか!?」
梓が驚いて、オラから慌てて離れる。
「ああ。つい、立ち聞きしちまったよ」
八重が肩を竦める。首を横に振る。
八重は椅子に腰を下ろして足を組む。
「いやっ~。お恥ずかしいでござるよっ」
梓が頭の後ろを掻いている。
「勘兵衛が人に戻れば、この町は平和になるはずじゃ」
オラは椅子に座って、饅頭を口にほうばる。
「馬鹿言うんじゃないよ。子供のお前になにができるってんだい?」
八重が腕を組んで、冷たい目でオラを鋭く睨み付ける。
「そうだよ? 銀二もいるんだよ?」
梓が両手に腰を当てて、オラの顔を覗き込む。
「……なにか、情報はないんか? 役立ちそうなやつじゃ」
オラは頼り気に、梓を見上げた。
梓。お前はくノ一じゃろ。
隠密じゃろ。
きっと、あるはずじゃ。
思わぬ掘り出し物がの。
「うーん。なにかあったっけ?」
梓は腕を組んで、頬杖をついている。
真剣に考え込んでいる。
「あたしが聞いた話じゃ。勘兵衛に殺された子供の霊が、勘兵衛の呪いで神さまになって、神社に棲みついてるらしいじゃないか」
八重が頬杖をついて、面白くもなさそうに話す。
「おおっ。それだっ! その噂話、あたいも聞いたよ! 確か、勘兵衛が祭りで遊んでる子供を拉致して、屋敷の地下牢に監禁して、子供の背中に呪いを彫ったんだっけ? それで、子供に食料も与えず、子供はそのまま餓死したんだよね……」
梓が思い出したように指を弾いて頷いた。
話し終わる頃には、梓は嘆いて俯いていた。
「惨い話だよ。子供の両親は捜索願いを出したんだけど、数日後に子供の遺体が川岸に上がったんだ」
八重が同情して、滲んだ涙を手で拭う。
「それで、その子の両親は勘兵衛が殺したとかで訴えちゃって、見せしめで民衆の前で晒し首にされたんですよね……」
梓は俯いたまま。
「……ああ。勘兵衛は子供が死んで神になる呪いを、監禁した子供にかけて、呪いで神に転生した子供が勘兵衛に力を貸す。ってことだろうね」
八重が嘆いて涙声で語る。
「噂じゃ、勘兵衛と銀二は不老不死の力を得たらしいです。勘兵衛の呪いで神になった子供が、勘兵衛に不老不死の力を与えたんだと思います」
梓は俯いたまま、握り拳を作る。
梓も嘆いて拳が震えている。
「すまん。オラは、そんなつもりで訊いたんじゃないけえ……」
オラは惨い話を聞いて、悲しさのあまり俯いた。
「その神さまとやらに頼んでみるのかい? よしとくれよ」
八重が頬杖をついて鼻で笑う。手をひらひらと振った。
「いやぁ。なんといいますかっ、もっとこう、楽しい話はないんですかねぇ。あっはははっ~」
梓が顔を上げて、頭の後ろを掻きながら、苦笑している。
「つまらんわ。ああつまらん。勘兵衛の呪いで死んだ子供の霊が神さまになったじゃと? そげんなおとぎ話、誰が信じるんじゃ」
オラは腕を組んで、鼻で笑った。
つまらないという感じで、そっぽを向いた。
「あっ。でも、でもだよ? あたいは信じてなかったんだけど、神楽が一度神さまに会ったらしいんだよね。神社で」
梓が思い出したように拳を掌で叩いた。恥ずかしそうに頭の後ろを掻く。
「……梓、それ本当なんか!? なんで黙ってたんね!?」
八重が思わず椅子から立ち上がり、初耳だという感じで目を見開いている。
「あっ。でも、けっこう前の話ですよ? あたい、八重さんに話そうと思って忘れてました」
梓が思い出したように、指を顎に当てている。
梓が「すみませんっ」と言って、八重に会釈する。
「じゃ、神楽に話を訊こうかの。その神さまとやらに、会いたくなったわい」
オラは指を弾いて、椅子から立ち上がる。
「勝手にしなよ。あたしゃ、神さまとか信じないんだ。あんたたちでやりな」
八重が深くため息を零した。
好きにしろというように、手をひらひらと振っている。
「栞ちゃんを見てくるけえ」
八重が暖簾の奥に消えて行った。
梓とオラは顔を見合わせた。
「梓、案内せえ。神楽はどこにおるんじゃ?」
オラは腕を組んで、暖簾の奥を顎でしゃくった。
「ふふふふっ。よおしっ。ご飯の支度も終わったし。神楽に会いに行こうっ!」
梓が片足を上げて、腕を上げた。
梓、お前は喜怒哀楽が激しいの。
でも、それくらいでないとの。
この町は狂っとるけえ。
オラと梓は、暖簾の奥に入る。
「奥はこないなっとるんか」
オラは辺りを見回して感心していた。
暖簾の奥に、二階へ続く立派な大階段がある。
天井が高く、天井の蛍光灯が幻想的に照らしている。
廊下に置かれた行燈が怪しく光る。
大階段の周りに、襖が閉まった部屋や、襖が開いた部屋が幾つかある。
それぞれの襖には、見事な風景の墨絵が描かれている。
廊下の床も、掃除が行き届いて、光が反射されて綺麗だ。
「この店、なんていうんじゃ?」
オラは、廊下に飾られた生け花に心を奪われていた。
「十六夜っていうんだぁ。神楽が店の名をつけたんだよぉ。この店、都の憲兵団長で政宗さんのはからいで建ててくれてねぇ。立派なもんだろぉ?」
梓がターンを決めて、ピースを決める。
「あっ、政宗さんはうちの常連でね。いつもお世話になってるんだ」
梓は、廊下の奥に向けて、背筋を伸ばして敬礼した。
「ふぅん。儲かってるんか?」
オラは生け花を触って、本物か造花かを確かめた。
この生け花、本物じゃ。世話が大変じゃろな。
生け花の香りを鼻で楽しむ。
「いやぁ、それがねぇ……あははっ~、大きい遊女の店ができちゃって。そっちにお客さんが流れちゃってねぇ。今、常連さんしかいないんだ」
梓が頭の後ろを掻いて苦笑いする。
その時、廊下の奥から、三味線の旋律が聞こえてきた。
まるで、別世界に誘うかのように。
「あっ。今、神楽。舞の稽古中かなっ?」
梓が腰に手を当てて、廊下の奥に聞き耳を立てる。
「舞って、なんじゃ?」
オラは腕を組んで考え込んだ。
「ああ。踊るんだよ、お客さんの前で。神楽の舞、綺麗なんだぁ」
梓が鼻歌を歌いながら、舞のお手本を見せた。
「なんじゃ、変な動きして。じゃったら、師匠の舞はこうじゃぞ」
オラも負けじと、梓を真似て舞の動きをしてみる。
ゆうても、舞は知らんがの。
適当に踊ればええんじゃ。こんなもん。
美人が舞をすれば、男は惚れるけえの。
「なにそれっ~。変なのっ」
梓がオラを指さして、お腹を抱えて笑っている。
「しっかし。疲れるのう、舞ちゅうのは」
オラは変な動きをしたので、息が切れた。
「よしっ。じゃ、大広間に行こうか。そこに神楽が居るから」
梓が胸を張って、両手に腰を当てた。
「師匠は先に行ってるけえの」
オラは廊下を走って、奥に向かった。
「こらっ~。廊下を走るなっ~!」
背中で梓の怒鳴り声が聞こえる。
その矢先、滑りやすい床で、オラは盛大に前のめりにこけた。
床との摩擦で、しばらく床を滑った。
「いってぇ。なんじゃ、この床は」
オラは床に座り込んで、膝を擦っていた。
「だから言ったでしょう。もうっ」
梓がオラに歩み寄って、両手に腰を当てて、オラの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
梓が屈んで、心配そうにオラの膝を見ている。
「なんともないわい。子供は怪我がつきものじゃけえの」
オラは立ち上がって、なんともないように歩き出した。
「さっすが、師匠! 頼もしいやっ」
オラの背中で、梓の声が聞こえる。
オラは、大広間らしき襖を前に立ち止った。
「ここか? 大広間ちゅうのは」
オラは襖を指さす。
「そうだよぉ~」
梓が嬉しそうに鼻歌を歌っている。
オラは深呼吸した。
胸を撫で下ろす。
神楽、頼むで。
最高の土産話、訊かせてもらうけえの。
オラは、勢いよく襖を開けた。
「神楽はおるんか!?」
大広間は、とにかく部屋が広かった。
ここで、客とどんちゃん騒ぎでもするんやろか。
大広間には、大きな舞台がある。
ひょっとして、舞台で舞をするんかもしれんの。
それにしても、どんだけ十六夜ちゅう店は大きいんじゃ。
オラには一生かかっても払えん金をかけて、十六夜は建てられたんじゃろな。
都の憲兵団長、政宗か。噂じゃ、相当剣の腕がいいらしいが。
いくら強い奴でも、不老不死の勘兵衛と銀二相手じゃ、なんぼなんでも敵わんで。
噂の神さまの力を借りるしか、残された道はないんじゃろな。
「おや? 光秀じゃないか。どうしたんだい?」
大広間の真ん中で舞の練習をしていた、神楽の動きが止まる。
神楽は、和服に着替えていた。
同時に、三味線を弾いていた女の手が止まる。
女も和服を着ている。
なんじゃ。
三味線弾いとる女も遊女なんか?
まさか、この店のもんは全員くノ一じゃあるまいの。
えらいとこに来てしもうたで。
「神楽、和服に着替えたんか?」
オラは頭の後ろで腕を組んで、神楽に歩み寄った。
「神楽ぁ。遊びに来たよぉ~」
梓が神楽に勢いよく抱き付く。
神楽の豊満な胸に、顔を押し付ける。
「あ、梓。卑怯じゃぞ! 女やからといって、女の胸に飛び込みおって!」
オラは梓が羨ましくて、梓を指さす。
指先が興奮で震えている。
「へっへ~。いいだろっ~」
梓が舌を出す。
「すまんけど、外してくれないかい?」
神楽が扇を畳んで、三味線を弾いていた女に言う。
「はいっ。失礼します」
三味線を弾いていた女が、神楽に会釈して、大広間を出て行った。
「何の用だい? うちは舞の稽古していたんだ」
呆れたように、抱き付く梓を見ている。
「実は、神楽に訊きたいことがあるのだっ! 師匠、お願いっ!」
梓が素早く神楽から離れて、梓が胸を叩く。
梓がオラに会釈する。
「師匠? 光秀がかい?」
神楽は訳がわからずに鼻で笑って、呆然としている。
「か、神楽。お前、神さまに会ったことがあるんじゃろ?」
オラは畳に胡坐をかいた。
神楽の胸の妄想をやめて、咳払いして語る。
オラは神楽を一瞥する。
「うん。うん」
梓が瞼を閉じて、腕を組んで、首を縦に振っている。
「なんだい? 会ったことはあるけど……何を話したか覚えてないんだ」
神楽が畳に正座した。
首を傾げて、天井を仰いだ。
「ええっ~! これじゃ、振り出しだぁ!」
梓が肩を落とした。
梓がこめかみを両手の掌で押さえて、首を横に振った。
「なんじゃ。覚えとらんのか」
オラも肩を落とした。
「力になれなくて、すまないね。でも、それがどうかしたのかい?」
神楽が目をぱちくりさせて、オラと梓を交互に見る。
「それがさぁ。光秀と一緒に勘兵衛を救える方法を考えてたら、神楽が神さまに会ったって言うから」
梓が肩を落としたまま喋る。
その後、ため息を零す。
「そうじゃ。もしかしたら、そこに手がかりがあると思うての。神楽に話を訊こうと思ったんじゃ」
オラも肩を落としたまま喋る。
その後、ため息を零す。
「なかなか面白いことを考えたじゃないか。でも、覚えてないんだ」
神楽が扇を広げて畳んで、扇を畳みの上に置いた。
「それより、梓。光秀を師匠って言ってたけど。あれは、どういう意味だい?」
神楽が懐から煙管とマッチ箱を取り出して、マッチで煙管に火を点ける。
神楽が息を吹きかけて、マッチの火を消す。
使ったマッチをマッチ箱に入れて、畳の上にマッチ箱を置く。
「いや~。色々ありまして。複雑なんですよぉ」
梓が顔を上げて、頭の後ろを掻く。
「あ~あ。面白くないのう」
オラは胡坐をかいたまま、頭の後ろで手を組んだ。
「そや。あんたたち、地下の訓練所で戦ったらどうだい?」
神楽が廊下を顎でしゃくる。
煙管を吸って、煙管の煙を吐く。
「うん? どういうこと? よくわからんぞぉ」
梓が腕を組んで、考え込んだ。
「体を動かして汗を掻けば、少しはいい案が出るかもしれないじゃないか」
神楽が煙管を吸って、煙管の煙を吐いた。
「ああ、なるほどっ。それいいかも」
梓が納得したように、拳を掌で叩いた。
「訓練所じゃと? 十六夜の地下に、そげなもんがあるんか?」
オラは頭の後ろで手を組んだまま、天井を仰いだ。
「ああ。くノ一の訓練所さ。もしかしたら、忍びの素質が光秀にあるかもしれないね」
神楽がオラを、真剣な表情で見つめている。
「またまたぁ。神楽ったら、冗談上手いんだからぁ。光秀、まだ子供だよ?」
梓が両手を腰に当てて、高笑いしている。
「忍び、か。……栞が起きるまで、まだ時間があるじゃろ。梓、訓練所に案内してくれ」
オラは立ち上がった。
「えっ~。光秀、本気なの!? 怪我しても知らないよ?」
梓が慌てて両手を振って、オラを制する。
「梓。こうしている間にも、勘兵衛の手によって死人が出てるんじゃ。それでも、梓は何もしないで黙っておるんか?」
オラは冷たい目で、梓を鋭く睨んだ。
「!? や、やだなぁ。またキッツいお説教ですかぁ?」
梓が頭の後ろを掻いて苦笑する。
梓が俯く。
「やっぱり、光秀は漢だよ。相手してやりな、梓。それが、くノ一の隊長としての義理だろ?」
神楽が腕を組んで、煙管を吸う。
ゆっくりと煙管の煙を吐く。
「そ、そうだね。そうだよね」
梓は俯いて、拳を作った。
「なにしとんじゃ。さっさと案内せえ、梓隊長」
オラは大股で大広間を出て行く。
「よぉし。手加減はしないからねっ!」
梓が俯いたまま、深呼吸する。
顔を上げて、涙を手で拭って、小走りに大広間を出て行く。
梓は腕を振り回した。
「光秀、頼んだよ! お前なら、できるはずだ!」
背中で神楽の大声が、オラの胸に突き刺さる。
オラたちは、廊下の奥に吸い込まれるように消えて行った。
廊下の行き止まりまで、やって来た。
「行き止まりじゃぞ?」
オラは目の前の壁を睨んでから、つまらなそうに梓に振り向く。
「と、思うでしょ? にししし」
梓がなにやら、壁に掛けてある絵を外して、現れた小さなボタンを押した。
すると、目の前の壁が低い音を立ててゆっくり下がり始める。
行き止まりの奥に階段が現れた。
「か、隠し階段か!?」
オラは隠し階段を見て驚いた。
「この隠し階段、政宗さんのアイディアなんだぁ」
梓が隠し階段の前で、手を合わせて目を輝かす。
「ここは忍者屋敷か。他にも仕掛けがあるんじゃなかろうの?」
オラは呆れたように、梓を見る。
「あるよっ。畳の下とか壁の中に、忍びの武器とかね。後は隠し部屋とか、脱出用の隠し階段とか」
梓が不敵な笑みを浮かべる。
「……だと思ったわい」
オラは肩を落として、ため息を零した。
「ほらっ。行こうよっ」
梓がオラの腕に抱き付いて、隠し階段を下りる。
「お、おい。放さんかっ!」
オラは梓から放れようとして、バランスを崩し、盛大に階段から転げ落ちた。
「し、師匠っ~!?」
梓の哀れむ声が虚しく聞こえる。
やれやれ。
廊下で転んだり。
訓練する前に、オラから進んで怪我するわ。
これじゃ、先が思いやられる。
こんなんで訓練できるんかの。
どうも。浜川裕平です。
今回は、早めの更新となりました!
頭で想像しながら、十六夜の雰囲気を書かせていただきました。
なんか、話が膨らんでますが(汗)
気にしない、気にしない。
次は、バトルシーンですね……
バトルシーンを書くのはあまり得意じゃありません(汗)
でも、なんとか頭の中でシーンが出来上がってるので、なんとかなるさ~。
では、またあとがきでお会いしましょう~。
- 蛍光灯と行燈が同時に登場。
第三話:訓練所での特訓
有志による復刻
「あたたたっ。腰を痛めたわい」
オラは腰を擦りながら、階段を下りて行った。
階下に現れたのは、広い立派な道場だった。
大したもんじゃ。
地下に、こげんな部屋があるとは。
「師匠っ~。お爺さんみたいっ! そんなんじゃ、勘兵衛と闘えないよぉ~」
オラの背後で、梓の暢気な声が聞こえる。
「やかましいわ! 梓は黙っとれ!」
オラは振り向いて、梓に怒鳴った。
怒鳴ったら、腰に痛みが走った。
オラは階段を下りて、ゆっくりと道場に足を踏み入れる。
道場の壁には、木刀と竹刀が何本か壁に掛けてある。
その横の掛け軸には、四文字熟語で[風林火山]と達筆な墨字が書いてある。
天井には蛍光灯が、静かに道場を希望の光で照らしている。
奥の壁に、[押忍!]と達筆な墨字が書かれた、長方形の額が壁に掛けてある。
部屋の隅に生け花が飾られてあった。生け花の花が凛と咲いている。
壁の中に、行燈が置かれている。まるで、行燈の灯す光が魂のようだ。
また、道場も凝っておるのう。
たまげたわい。
「どないなっとんじゃ、ここは」
オラは静まり返った道場を見回す。
微かに汗の匂いと、花の香りと、涙の匂いがする。
そんな気がした。
道場に、神聖な雰囲気を感じる。
ふと、梓が鍛錬を積み重ねる光景が頭を過る。
ここで、くノ一が訓練しとんか?
なんのためにじゃ?
勘兵衛を倒すためか?
それとも、無駄な血と涙を流すためか?
お前らは、なんのために、ここで訓練しとんじゃ。
これ以上、オラが無駄な血を流させんけえの。
必ず、策はあるんじゃ。
諦めんけえの。町の未来を見つけるまで。
オラは勘兵衛と闘うで。
オラは握り拳を作った。
「どう? 立派な道場でしょ?」
梓が嬉しそうに、両手を広げてターンを決める。
「十六夜は女ばっかじゃが、男はおらんのか?」
オラは掛け軸を見ながら、梓に訊いた。
「……昔は男の人もいたんだけどね。みんな、勘兵衛に殺されたんだ」
梓は俯く。
梓は握り拳を作る。
顔を上げて、おどけて見せて苦笑いする。頭の後ろを掻いている。
「じゃったら、オラが忍びになるけえ。そうすれば、めでたく男の忍びが復活じゃ」
オラは壁に掛けてある、木刀を手に取る。
「やめてよ! 光秀に死んで欲しくないんだっ。それに、光秀、まだ子供だよ?」
梓がオラの元に駆け寄って、屈んでオラに抱き付く。
「死にやせんのじゃ! こうなったら、神頼みじゃけえの。化け物相手に、生身じゃ勝てんわい」
オラは木刀を片手で握りしめる。
「どうするつもり? 特訓しても、勘兵衛には勝てないよ?」
梓がオラに抱き付いたまま、震える声でオラに訊く。
「もしかしたら、この特訓を、神さまが見てるかもしれんで」
オラは両手で木刀を握りしめて、天井を仰ぐ。
天井を仰いだまま、鼻で笑った。
「え? どういうこと?」
梓が顔を上げる。
不思議そうな顔をしている。
「その神さまちゅうのは、勘兵衛に呪いをかけられて神さまになったんじゃろ? じゃったら、オラに希望を感じてるはずじゃ。神さまは、なんでもお見通しじゃけえの」
オラは天井に向けて、木刀を突き出した。
「あっ、はははっ。そうかもしれないね……よおしっ。特訓始めるかぁ!」
梓が急に元気になって、オラから離れた。
ガッツポーズを決めた後、屈伸や伸びをして準備体操を始める。
「オラは素振りじゃ」
オラは木刀で軽く素振りをする。
「ルールは簡単。あたいに、一回でも攻撃を当てれば合格ね」
梓が鼻歌を歌いながら、道場の真ん中に移動する。
「ふんっ。簡単じゃわい。見とれよ、梓隊長」
オラは鼻で笑って、梓を睨む。
道場の真ん中で向かい合う、オラと梓。
腕を組んで、不敵な笑みを浮かべる梓。
オラは、両手で木刀を握り締めて構える。オラの高鳴る鼓動。
「いつでもいいよ!」
梓が屈伸や伸びをしている。
「いくでぇ!」
オラは木刀を振り上げた。
先手必勝じゃ。
「はいっ!」
梓の掛け声がした。
梓が一気にオラの懐に入り、梓の前蹴りがオラの腹に入った。
は、速い。
まるで、動きが見えんかった。
さすが忍びじゃ、あっという間じゃ。
「ぐっ」
オラはよろけて、態勢を崩す。
まだまだじゃけえの。
さすが、隊長さんじゃ。
まるで別人じゃ。あの梓が。
「もういっちょ!」
オラが態勢を崩した隙に、梓の肘打ちが、オラの腹に思いっきり入る。
「っつ」
オラは苦しくて、声も出せん。
腹が痛くて、手で押さえるのがやっと。
情けないわい。
こげんに、あっけないんか。
子供相手に、手加減もないわい。
「まだまだっ!」
梓の回し蹴りが、オラの横顔にめりこむ。
梓の攻撃が首に入り、オラの首に変な音がした。
オラの視界が揺らぐ。目眩と意識が一気に遠のく。
身体が揺れて、あまりの痛さで、持っていた木刀を落とす。
「ほらほら、どうしたのさあっ!」
オラがよろけてお腹を押さえている隙に、梓の下段回し蹴りが、オラの足を宙に蹴り上げた。
オラの体が無様に宙に浮く。
その隙に、梓は疾風のように、オラの身体を一気に背負い投げた。
一輪の風が舞った。
オラの身体は、道場の床に叩きつけられた。
鈍い音を立てて、身体に電撃のような衝撃が走る。
気が付けば、道場の床で仰向けに倒れていた。
静かに瞼を閉じる。息が荒い。
「降参かなぁ?」
梓の声が、波のように揺れている。
身体が痛い。汗を掻いている。
瞼を開けると、梓が不敵な笑みを浮かべていた。
両手に腰を当てて。
「少し休憩だねぇ。こりゃ」
オラは薄目で見た。
梓が肩を竦めて、頭の後ろで手を組み、鼻歌を歌いながらオラから遠のいてゆく。
オラは梓を見届けてから、悔しくて大の字になる。呆然と天井を見つめる。
オラの口から白い息が、まるで魂が抜けるように昇ってゆく。
ダメじゃ。勝てんわい。
梓は下っ端じゃなかったのう。さすが、くノ一の隊長じゃ。
多くの仲間の死を乗り越え、死の物狂いで鍛錬してきたんじゃ。
きっと、ここの遊女も、梓を信じておるんじゃろうな
オラも、負けてられんわい。
一回でもいいけえ、梓に攻撃を当てればええんじゃ。
見極めるんじゃ、梓の攻撃を。そして、梓の隙を見つけるんじゃ。
そこに、オラの全てを賭ける。
オラは、落ちている木刀を見つめた。
始めから強い奴はおらんのじゃ。
最初は、こんなもんじゃけえ。
守るだけじゃ、ダメなんじゃ。
攻めんと。なにがなんでも。
攻撃は最大の防御。と、ゆうじゃろう。
しばらく呆然と、天井を見つめた。
頭の後ろで手を組んで。
さっきの梓の動きの映像が、頭の中で流れてゆく。
頭の中で、映像を止めたり、戻したり、再生したりを繰り返す。
そういえば、宗次郎のいとこの茜に、よう喧嘩の特訓させられたの。
龍之介を倒す特訓とか、面白半分で茜がぬかしておったわ。
おもしろおかしく、宗次郎とオラと茜で特訓しておったのう。懐かしいわい。
あの時は、まだこの町は平和じゃったの……
梓を見ると、梓は木刀で素振りしていた。
しばらく、梓の木刀の素振りを見てみる。
梓は素振りに飽きたのか、蹴りを繰り出したり、木刀を振ったり。
様々な攻撃を繰り出している。
「ん? どうしたのさ?」
梓がオラに気付いて動きを止めて、オラを見ている。
木刀を床に立てて、腰に手を当てている。
梓、汗を掻いておらん。
余裕じゃのう。
「面白くなってきたわい」
オラは梓を見るのをやめる。
天井を見つめて、小さく呟く。
梓が首を傾げている。
また、木刀の素振りを始めた。
オラは、ゆっくり立ち上がった。
肩で息をしている。
思い出すんじゃ。
これは、茜の特訓と同じ。
訓練ゆても、所詮喧嘩じゃ。攻撃を一回当てればええんじゃけえ。
いやちゅうほど、茜と特訓したじゃろ。
茜も蹴りが得意じゃった。
「あれ? 休憩終わりっすかぁ?」
梓が、オラに振り向く。
オラは梓を睨む。
勝ち誇ったように、オラは鼻で笑う。
似ておるわい。
茜と梓の攻撃が。
攻撃の基本は同じちゅうことか。
嫌でも重なるで。やっと勝てそうじゃわい。
「休憩じゃないわい。作戦を立てたんじゃ」
オラはお腹を押さえながら、深呼吸した。
目が慣れれば、攻撃を避けれるはずじゃ。
動体視力が、ものをいうんじゃ。
そうすれば、攻撃のチャンスもあるけえの。
「へぇ~。それは楽しみだっ。うん。じゃ、行きますかっ!」
梓が鼻歌を歌いながら、木刀を持ったまま肩を回す。
梓が道場の真ん中に移動する。
まずは、敵を知るんじゃ。
避けることに専念するんじゃ。
梓の攻撃の癖、隙を見つけるんじゃ。
オラは木刀を拾い上げた。
さっきは動けんかったけえの。
いまのところ、梓は蹴りしかしてないけえ。
きっと、梓は蹴りが得意なんじゃろ。
また、オラと梓が道場の真ん中で向き合う。
今度は、梓は木刀を握っている。
「いくぜよっ!」
梓が掛け声とともに、激しく木刀を振り回してくる。
今度はおまけで木刀か。そうはいかんけえの!
オラは梓の木刀の振り。
梓の木刀が風を切る音を澄まし、オラも負けじと木刀を交える。
梓の木刀の振りが早くて、オラの防御が遅れ、痛くて声を漏らす。
カッコつけて木刀持ったとこで、オラには通用せんで!
オラは、必死で梓の動作を覚えるんじゃけえ。
しばらく、オラと梓の木刀が激しく交戦する中。
少しずつ、オラの動体視力が追い付いてゆく。
「!? えっ!? 見切られてる!? うそっ!?」
梓が驚いて動揺して、梓の動きが止まった。
梓とオラの木刀がぶつかり合い、お互いの木刀が震えている。
そして、お互いが同じタイミングで木刀を下ろす。
「どうじゃ? 少しは上達したじゃろ」
オラは親指を、梓に突き出した。
「なにさぁ。その異様な上達さはっ。なんか、腹立つなぁ」
梓が頬を膨らませて、木刀を肩に載せて、腰に手を当てている。
「蹴りが得意なんじゃろうが、そうはいかんで」
オラは拳を作って、木刀を梓に突き出した。
「ふぅん。そう思うんだぁ? そんなこと、一言も言ってないよ?」
梓が木刀を肩に載せたまま、頭を掻いている。
「今度は、こっちの番じゃけえの」
オラは木刀を両手で握り締める。
「ほいっ! 作戦変更じゃ!」
梓が木刀を持ちかえて、刃のようなパンチを繰り出してきた。
なんじゃと!
梓のやつ、パンチも得意なんか。
オラが動揺している隙に、梓の右ストレートが、オラのお腹に入る。
「ぐっ」
オラは痛さで声を漏らす。
オラがよろけている隙に、梓の木刀の突きが、オラのお腹を刺した。
「うらぁぁぁぁぁ!」
梓はオラの腹に木刀を刺したまま、道場の壁まで突進した。
「ぐっ」
オラは声を漏らす。
道場の壁にオラの背中が鈍い音を立てて張り付く。
オラの腹に、梓の木刀が食い込む。
オラの腹に突き刺さる痛みが走った。
痛みで、オラの木刀が手から滑り落ちる。
「こ、降参じゃ」
オラは梓の木刀を両手で掴む。
「にょろ? 手も足もでまい? 余は満足じゃ。わははははっ~」
梓が木刀を、オラの腹からゆっくり引く。
オラに背中を向けて、梓は歩いていく。
梓は木刀を肩に載せて、鼻歌を歌いながら、腕を振ってリズムを取っている。
オラは、道場の壁伝いに滑り落ちて、床に腰を下ろした。
オラは悔しくて俯く。曲げた膝に腕を載せて。
なんぼやっても同じじゃ。
どうすればええんじゃ。
ふと、道場を見回す。
風林火山の四文字熟語が目に止まった。
風林火山、か。茜の言葉が過る。
『いい? どんな状況でも、必ず勝機はあるのよ!?』
今まで、道場の真ん中で戦ってきたんか。
……そうか。これじゃ、敵に薬をやるようなもんじゃ。
何も考えずに戦っておったが。梓は動きやすいうえに、のびのび戦ってたわけじゃ。
なら、今度は梓の動きを狭めればええんじゃ。この道場を利用すればええ。
じゃが、どうやって、梓の動きを狭めるんじゃ?
オラは顔を上げて、なんとなく道場を見回す。
一通り道場を見回した後、道場の端に目を止める。
待てよ。そうじゃ、道場の端を利用するんじゃ。
そうすれば、梓の動きを封じれる。
オラがわざと端に逃げ込めば、梓の攻撃は限られてくる。
正面か、上か。それしかないけえ。
よっしゃ、いっちょやったるで。
オラは木刀を拾って、ゆっくり起き上がる。
「おや? 旦那ぁ、三度目の正直っすか? ぬふふふっ」
梓が、オラに振り向く。
口元を掌で押さえて、手をひらひらさせて笑っている。
オラは無言で、道場の端に移動する。
「あれれ? 敵に背中見せるんですかい?」
道場の端に移動するオラを見て、梓が肩を竦めてため息を零す。
木刀を肩に載せて、腰に手を当てて、オラを眼で追っている。
「攻撃は最大の防御なり。そういうことじゃけえ」
オラは道場の端で、木刀を握り締めて構える。
オラは鼻で笑った。勝ち誇ったように。
「ん? なんだなんだ? 自分から端に追い詰めれて、どうしちゃったんですかねっ!」
梓が可笑しいというように、木刀を握り締めて、オラに駆け寄ってくる。
来るぞ。
オラは生唾を飲み込む。
梓の嫌味もここまでじゃ。
正面に飛び込むか?
それとも、上か?
梓が木刀を横に構えて、風のようにオラの懐に飛び込もうとしている。
梓が歯を見せてオラに笑った。
正面か!
今じゃ!
オラは真っ直ぐ、木刀を突き出した。
梓のお腹にめがけて。
次の瞬間、オラの木刀が梓のお腹に食い込んだ。
オラも歯を見せて、梓に笑った。
「あ、あちゃ~。や、やられちゃったかぁ。参った参った。梓隊長不覚なりっ」
梓が、オラから一歩引いて、身体がよろけた。
梓が安堵感からか尻餅をつく。
「攻撃は最大の防御じゃ」
オラは笑って、親指を梓に突き出した。
オラは疲労で、床にうつ伏せに倒れた。
オラは薄目で道場を見て、瞼を閉じた。
「み、光秀!?」
意識が遠のく中で、梓の声が聞こえる。
しばらく眠らせてくれ。オラは疲れたで。
これで、合格じゃろ?
どうも。浜川裕平です。
いや~。やっと、三話更新できました!
今回は、戦闘シーンを書くのに時間を掛けたかったので。
自分では、迫力のある戦闘シーンが書けたと思います(笑)
まだまだ勉強不足だぁ(汗)
やっぱり、戦闘シーンを表現するのは難しいっ!
でも、楽しく書かせていただきました!
今後、光秀を忍びとして活躍させてあげねば!
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