スペイン

ページ名:スペイン
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スペイン
スペイン
スペイン王国旗
正式名称スペイン王国
一般名スペイン
標語もっと先へ(Plus Ultra)
国歌国王行進曲(Marcha Real)
公用語スペイン語
首都マドリード
政治体制軍政政治
国家元首アルフォンソ13世
首相新情報:ミゲル・プリモ・デ・リベラ

旧情報:ホセ・マリア・ギル・ロブルズ

通貨スペインペセタ
建国1715年(法令上)

1874年(再独立)

面積(本土)約 505,990km²
人口(本土のみ)約 2500万人


スペイン(スペイン語:España)、正式名称スペイン王国(スペイン語:Reino de España) は本土を南西ヨーロッパのイベリア半島にもつ王国で、大西洋と地中海の島々や、西アフリカの植民地などを保有している。本土は、北はフランス・コミューンとアンドラ、西はポルトガルと国境を接しており、大西洋と地中海に挟まれた珍しい場所に立地している。ポルトガルとスペインの国境は1,214kmにおよびヨーロッパでもっとも長い国境線である。

海外領土として地中海のバレアレス諸島と大西洋のカナリア諸島と二つの列島を保有している。またアフリカではスペイン領ギニア、西サハラ、スペイン保護領モロッコなどを保有している。これらの植民地は、ドイツ領中央アフリカ、フランス共和国、ドイツ帝国などと国境を接している。



目次

歴史[]

20世紀初頭[]

三度にわたるカルリスタ戦争、共和制の失敗、問題のあった改革、米西戦争での敗北などによってスペインは屈辱と社会的政治的な分裂を背負ったまま20世紀に突入した。スペインは1874年から1923年にかけて、内閣交代制というシステムを使用していた。これは自由党と保守党の二党が不正選挙を行うことで世論が悪くなったら、片方の政党に政権を委譲するなどその二党が権力を独占し共有するしくみである。憲法上はスペインは立憲君主国であるが、上記の理由よりそうであるとは言い切れなかった。当時の真の野党はスペインで最も大きな労働組合のUniónGeneral de Trabajadores(一般労働組合)であった。

20世紀のスペインは政治的暗殺をはじめとしたアナキズムテロが頻発した。当初このような過激派を抑え込みながら、民主主義の国民への浸透を目指して設立された内閣交代制も腐敗や、議員のえこひいき、統治主義的な困難に直面して、抑え込みも浸透も実現することはなかった。

1910年代スペインは絶え間のない植民地の蜂起や本土の反乱などが続き、社会主義者、アナキスト、ナショナリスト達のスペイン政府、とくにアルフォンソ13世への不信感は加速度的に上昇した。アルフォンソ13世は衰えた道化人として嘲笑されるようになり、カルリスタたちでさえも近代政治成立後の身のない選挙に対して具体的な脅威を示し始めた。

リーフ戦争(1920~1923)[]

リーフ戦争とはスペイン王国とスペイン保護領モロッコでアブド・エルクリムによって建国された植民地化に反対するベルベル人の国家である、リーフ共和国との戦争である。スペインの将軍だったダマソ・ベレンゲル・フステによる一番最初のモロッコ遠征は数および技術的にも勝っていたにもかかわらず、エルクリム率いる軍によって圧倒的な被害を被り、敗北が続いた。このリーフ共和国による3年間のスペインへの圧倒的勝利は、今までのスペインの民主的プロセス全体を否定することとなり、政府への不満が高まった。極め付きには1921年7月から8月にかけて士気が低く、装備も行き届いていないうえに、地理的にも政治的にも分断状態であったスペイン軍がアンワールの戦いにおいてエルクリム率いるリフ軍に壊滅されるという事件が発生し、これを知ったスペイン国民は怒り、すぐに通りや議会で暴動が発生した。その戦いの結果をゴルフに戻る前に聞かされたアルフォンソ13世は「臆病者の命は安いものだ」と言ったことから、政府や軍だけでなく国王自身にも民衆の怒りの矛先が向けられた。

リベーラの政治(1923)[]

先の敗北による政治的混乱に乗じて、政治的暴力が横行した。その最たる例が、一般労働組合に所属するアナキストのルイス・二コラウ、ペレ・マテウ、ラモン・カサネレスによって、国会の暴動中に締め出されていた、当時首相のエドゥアルド・ダト・エ・イラディエの暗殺である。

この暗殺事件はマヌエル・ガルシア・プリエト前首相の自由主義政府の確立へとつながった。新政府はエルクリムの激しい攻撃の中モロッコにさらに資源を投入し、リーフ戦争へ更なる支出をすることを拒否することによって、軍部の権力を急速にそいだ。しかしながら、この処遇に軍は不満を溜めていきミゲル・プリモ・デ・リベーラ将軍によるクーデターにまで到達した。

1923年9月13日、リベーラはマドリードに進軍し、守備隊を説得することで、高速で町を占領した。彼は憲法上に新たな欄を書き加え、交代内閣制をはじめとした古い秩序を洗い流す必要があるとし、そのマニフェストをすぐさま発布。アルフォンソ13世は自由党や共和派の議会での攻撃に憤慨しており、彼が単に自分の権力を高めるためだけにクーデターを行っていることを知っていたにもかかわらず、リベーラを支持し、彼を新しい首相に任命した。首相になったリベーラはすぐさま戒厳令を発布し、議会を解散させ、リベーラが率いる最高司令部が国を管理し始めた。官僚は次々と友好的な将軍や事業家などに置き換えられた。彼は当初リーフ戦争を続ける気はなかったが、リベーラは予備役のさらなる動員を発令し、影響力のあるアフリカ人将校を抑えるために、化学兵器の使用を許可した。一方スペインは大戦の勝利者であるドイツと長年経済関係を築いており、リベーラはその関係をより密接にするよう努めた。ドイツの資本がスペイン国内に入り、スペイン経済を軌道に乗せ、産業や銀行ブームを引き起こした。これによりスペインの労働組合、特に一般労働組合は表向きは「政治に無関心」なリベーラに協力していたため、スペインは労働組合とこれまでにないほどの平和な時代に突入した。加えて、このドイツとの密接な関係は、ピレネー山脈沿いのコミューンの恐怖にたいして、ある種の保険を獲得しただけではなく、リーフ戦争への軍事的援助なども得られたため、経済的だけでなく、軍事的にも良い影響をスペインに与えた。

終戦(1925~1927)[]

アフリカの軍の強化にもかかわらず、エルクリムひきいるゲリラを壊滅させることはできず、戦争はなかなか終わらなかったが、1925年4月ドイツ軍が奇襲という形で介入することによって急速に戦況は好転した。ドイツはスペイン側として戦争に介入し、モロッコとドイツ本国から10万人以上の兵を動員し戦線に配備、リーフ側を圧倒した。1927年5月8日、ホセ・サンジュルホ・サカネル将軍指揮下のドイツ・スペイン連合軍がリーフ遇を破り、ここにリーフ戦争が終結した。

イギリス陥落(1925)[]

1925年6月9、リベーラの直接管理下にあったスペインはイギリス革命の混乱に乗じでジブラルタルを奪取した。成長を続け、強大になったイギリス帝国に太刀打ちすることは叶わなかったうえに、スペインがジブラルタルを失ったのは200年以上前の出来事であったが、ジブラルタルの岩周辺の領土的野心は潰えることはなかったものであったので、6月4日のイギリス連合の建国宣言により、帝国の植民地が無防備になったため実行に移したとされる。ジブラルタル奪取の計画は事前に計画されたものではなく、ジブラルタルを保有することによって、リベーラの支持率を安定させようという政治的な考えのもとに行われた突発的な行動であった。

アンダルシア軍司令部は、非武装、未準備、無人であったジブラルタルのイギリス軍駐屯地を何の軍事的抵抗も受けずに、占領を完了できた。この不法的占領行為は、ほとんど外交的非難も浴びずに、イギリス連邦の国家からの批判を浴びただけに終わった。ドイツ帝国は事前にジブラルタルの岩の奪取を計画していたが、スペイン経済はドイツのベルリン証券取引所と密接に結びついていたため、スペインのこの行為を称賛したが、モロッコでは互いの利権が対立している。このような出来事から、スペインはドイツからイデオロギー、地政学的、戦略的な面から友好的な国家として、帝国の同盟国のような存在に近くなっていった。このスペインのジブラルタル押収によりドイツ帝国の地中海支配は確実になり、一連のイギリス帝国の没落によってイギリスの植民地はそのほとんどがドイツの手に渡った。

リベーラ政治の衰退(1928-1936) []

初期リベーラ政府は度重なる軍事的な勝利によって、当初の予想を超えて長い期間人気を誇った。しかしながら、リベーラがその人気に乗じて、愛国同盟という組織を設立し、政治家をその組織に参加させることで、国家の政治を非政治的な性格を持つ政党と法人主義によるものに変化させようとした計画は、中道および左翼をなだめることだけでなく、右翼もその単純な組織に参加させることを拒否し、この計画は失敗した。このリベーラの権力の強さによって、王党派はカルリスタ達への迫害を強め、カルリスタのスペイン王位請求者であるドン・ハイメですらその姿勢を撤廃せざるを得なかった。1920年代から1930年初頭にかけて、リベーラの政治は衰退に向かっているという予感が国内に立ち込めた。スペインの好景気の正体はイギリスとフランスの革命により、帝国協定およびアメリカの諸国との貿易が活発化したことによるものであり、諸国の経済問題によりスペイン経済は衰退していった。急速に降下しているスペイン・ペセタは民衆を不安に陥れ、CNTや一般労働組合をはじめカルリスタ達などは町の中心地において、デモなどが復活した。1936年初め、衰退するリベーラの権力は、一部の王党派や官僚の間にしか働かなくなった。軍隊および教会はリベーラではなく、カルリスタ達の側につき、リベーラへの勝利を虎視眈々と狙っており、スペイン国内の右派を担っている。さらにリベーラへの不満は急進左派と中道左派の活動を活発にし、カタルーニャのアナルコ・サンディカリスト達はフランスからの援助を受け取り、次の革命を待ち続けている。

政治[]

徴兵法:限定的徴兵

経済法:民間経済

貿易法:輸出重視

首相:ミゲル・プリモ・デ・リベーラ

外務大臣:フリオ・ロペス・オリバン

経済大臣:ホセ・カルボ・ソテロ

治安大臣:セヴェリアーノ・マルティネス・アニド

情報大臣:ペドロ・バザン・エステバン

軍事[]

陸軍[]

スペイン陸軍は現在13,000人ほどの人数で構成されており、2つの司令部、17の歩兵師団、1つの山岳師団、2つの騎兵師団、2つの守備隊、2つの軽歩兵師団を保有している。現在、マヌエル・ゴッド・リロピス将軍が、部下であるホセ・エンリケ・バレラとともに参謀総長を務めている。世界的に見て、スペイン陸軍は近代的ではあるが、陸軍には非常に重要な改革点がいくつかあり、その一つに、現在最新の設備を保有している軍隊はリーフ戦争の名残でそのほとんどはアフリカにいる。

海軍[]

スペイン海軍はスペイン級戦艦2隻、カナリア級巡洋戦艦2隻、建造年が異なる軽巡洋艦6隻、駆逐艦17隻、潜水艦12隻で構築されている。その規模の大きさにもかかわらずドイツ設計のカナリア級巡洋戦艦が時代遅れの他艦船を性能で大きく引き離しており、新鋭化は海軍の大きな課題の一つである。現在、海軍大臣はアントニオ・マガズ・イ・ペルス提督である。

空軍[]

スペイン空軍は2つの戦闘機隊、1つの迎撃機隊、および戦術爆撃機隊と海軍爆撃機隊をはじめとした、計214機の航空機で構成されている。スペイン国内では参謀本部によって空軍はただの海軍の付属品として軽視されており、慢性的な資金不足に陥っている。新しい航空機と空軍強化はファン・アントニオ・アンサルド少佐が担っている。

​文化[]

言語[]

スペイン語、カスティーリャ語は法律で認められた言語であるが、ほかにもカタルーニャ語、バスク語、ガリシア語話者も存在するなど多数の言語が存在するが、多言語は厳しく抑圧されている。

慣習[]

シエスタは、スペインの農村部分で実施されている習慣で、昼食後2~3時間の昼寝をとることで、生活リズムを午前と午後に二分している。午後遅い時間に散歩することも、スペイン人の特徴的な習慣である。

ティータイムは南イタリア地域と同じく午後9時10分ごろと、ヨーロッパの中では最も遅い。

スペイン人は夜に趣味を楽しんだり、アクティビティを行ったりすることが多い。これはイベリア半島は夏になると非常に暑いため、このような習慣が定着したとされている。例えば、夏のマドリードやバルセロナ、サラゴサなどの主要都市では、文化的な公演が午前2時半から3時半ほどまで続くことが、割と一般的である。



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