第2話「環境維持課」

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「……環境維持課?」
「そです、今日から亜条さんが働く職場ですよっ!」

 特区に来て早々遅刻の危機に見舞われ、案内役を名乗るハーピーの女性"羽槻"と共に全速力で駅構内を走り抜けエレベーターに乗り込んだところで、僕の職場についての説明を受けた。彼女は忘れっぽいのか、時々思い出したかのように必要な説明を持ち込んでくるので、全体としての説明が理解できていない部分も無いわけではない。そもそも、このエレベーターに乗るまでの間に、やたらと他の人外種からの視線を感じて、そちらばかりが気になってしょうがなかった。だがそんな僕が真っ先に興味にも似た疑問を抱いたのは、所属部署についてのことだった。

「それってどんな部署なんですか……?」
「環境維持課はすごいんですよ? この菱目崎で困ってる人がいれば、環境維持課がすっ飛んでいって助けてあげる、そういう仕事をするところですねっ!」
「つまり、相談係的なそういう感じのですか」
「うんうん、その通りです! まあ殆どHEXASがお仕事ほとんど取っちゃってて、今は何でも屋みたいなことしてますけどね、えへへ」

 説明を聞く限りでは、一般企業でいう総務部のような立ち位置だろうか。社内における雑用を務めるような、そういう部署のような気がする。おそらくは重労働が待ち受けているのかもしれない。僕はあんまりそういうの向いていないんだけれども……。
 やがてエレベーターは35階に到着する。おそらくここに"環境維持課"が入っているのだろう。新入社員の時のような、ソワソワした落ち着かない気持ちが身体を襲う。

「あっ! なんとか間に合ったみたいですね!」
「本当ですか、よかった……」

 なんとか人外種に怖い目に遭わされずに済む、と言葉を続かせそうになってしまい、いかんいかんと心の中で自制を聞かせるために言葉を飲む。とは言いつつ、時間内に指定の場所にやって来れてこれで一安心といったところだ。第一印象も悪いものにならないようにしておく必要があるだろう。
 目的となる場所の扉の前にやってきた。端には「環境維持課」と書かれたプレートが掲げられている。見たところ自動扉だろうか、羽槻が手に持った端末を壁に当てると、そのまま扉はサッと開く。

『おかえりなさい、羽槻さん』
「HEXASただいま~。あ、紅麗課長、噂の人間さん連れてきましたよ~!」
「あっ、どっどうも、本社から参りました亜……」

 がしゃり。

 羽槻を真似て、壁に受け取った端末を当てて中に入ろうとするも、突然目の前に先ほどと同じ扉が現れる。僕は思わず鼻先を挟んでしまいそうになった。

「えっ」
『識別不明なユーザーを確認。権限がありません。認証コードを登録してください』

 あまりにも唐突だったために、僕はどう対応すれば良いのかわからず、一瞬戸惑ってしまう。わたわたと慌てていると、扉の奥から声が聞こえてきた。

「あっ、ごめんなさい! まだシステムにちゃんと登録できてないみたいだから、しばらく不便かもしれないですっ!」
「あ、そ……そうなんですね。ではどうすれば」

 羽槻が言うには、まだちゃんとユーザー登録がシステム上にて済んでおらず、HEXASが僕を未確認ユーザーとして対応してしまうらしい。そのため、一部の部屋や区画には入れなかったり、締め出されたりすることがあるみたいだ。これでは普段の業務に支障が出てしまいそうだな、と考えていると、また素早く扉が開いた。扉の向こう側にいた彼女は、申し訳無さそうな顔をしつつ、

「しばらくの間、私が代わりに開けますね!」

 と提案を投げかけてくる。なぜ彼女が申し訳無さそうにしているのかは分からないが、僕個人としてはあまり快くはないなぁ、と感じるのは言うまでもない。

「……あ、ありがとうございます。アハハ」

 とはいえ、これは仕事である。公私を混同など出来ない。なるべく自分でも無理がないようにと思いつつ、彼女の提案を受け入れた。
 ようやく僕は今日からお世話になるであろう仕事場のオフィスに入室することが出来た。多分忙しそうにせわしなく業務が行われているのだろうと思うと、案外中は閑散としており、少し面食らってしまう。何人かの人外種が、己の業務に集中していたり、こちらを眺めたりしているのが見えた。
 だがそれよりも、僕はさらに面食らう以上の気持ちに陥れられてしまった。

「それで、君が噂の人間社員か」
「ひっ……」

 羽槻に「こちらへどうぞ!」と案内されたのは、窓からの逆光でシルエットと化した誰かが座っている机の前だった。そのシルエットは人間の女性のそれに似ているようにも思うが、よく見ると頭部に大きなツノのようなものが見え、どこか身体そのものの大きさも異常なほど大きく見える。僕は圧倒的な威圧感に、つい悲鳴をこぼしてしまった。顔や身体から汗が吹き出しているのを身をもって感じている。

「ようこそ、環境維持課へ。歓迎しよう、私の名前は紅麗<くれい>。この課の課長だ、よろしく頼むよ」
「あっ、そ、そそそのっ僕は、ああああ亜条ですっ! そ、その……よろしくお願い……し、します……っ」

 "紅麗"と名乗ったその女性は、ぐい~っと高めの天井ぎりぎりまで大きく高く伸びた。だがそれよりも目が行ったのは、彼女の下半身が異様に長いことだ。いや、長いだけではない。よく見れば、机からはみ出したところには、先細りしたホースのようなものが見える。僕はそれを見て、初めて彼女が何なのかを悟った。

「ふむ、亜条君だね、よろしく。……ああ、今の時代の人間には見慣れないものだろう。見ての通り、私はラミア族だ。ラミア族は総じて巨体でね、どうしても目立ってしまうのは我慢してもらいたい」
「あ、はは……ラミアさん、でしたか、これは本当にその、えっと……」

 紅麗課長が太陽の光が差し込む日差しから少し逸れ、顔がようやくちゃんと視認できるようになった。ネコのような細い瞳孔をした眼がぎょろりとこちらを睨み、鋭い牙を隠し持った口がへの字になって閉じている。全体的に赤みがかった髪や肌が鮮やかだが、それが更に僕の恐怖心を大きく煽った。
 泣きたい。僕は今すっごく泣きたくて仕方がない。男だからとか、そういった常識はどこかに投げ捨て、泣いてこの部屋から出ていきたい。僕は必死に今を切り抜けるための方法を考えていた。

「さっきはシステムに手こずったようで大変だっただろうが、ここではこの先もっと大変な目に遭うことを覚悟すると良い。まあ、君がどのような理由でこの特区にやってきたのかは事前に知っているが、人外たちとの円滑なコミュニケーションを取るには、積極的に仕事に参加することが最も近道だ」
「えっ、あ、はい。わかりました」
「多少苦しい上に、今までと全然勝手も違うかもしれんが、それは我慢することだな」

 だが、紅麗課長は僕の恐怖心など気にもしていないのか、仕事に対するアドバイスのような事柄を伝えてくる。僕はただ、その場で氷のように固まって彼女の言葉を聞くことしかできなかった。

「話はひとまず以上だ。今日は新任ということもあるから仕事は特に無いが、君が生涯に渡って共にするだろう机の場所くらいは知っておけ。羽槻、彼を机に案内してくれ」
「ふぇ? あっ、はい! いますぐに! 亜条さん、こっちです!」
「……羽槻め、また窓をぼっと眺めてたな」

 二人は普段からこういう会話をしているのだろう。どこか小慣れた感じさえ見受けるものだ。紅麗課長も、見た目ほど恐ろしい性格をしている感じもしない……かもしれない。ともかく、案内を受けた僕は羽槻についていく。が。

「おやおや? キミが噂の新人クンッスか?」
「え?」

 突然、僕の視界にいないところから誰かが話しかけてくる。反応からして、また声からしても羽槻のものではないのは明確だが、それ以外の人外種も少し離れたところにしか見当たらない。ではいったい……

「ほらほら、こっちッスよ、こっちこっち」
「す、すみません、どこにいるのか……うわああっ!!」
「あっ、亜条さん!」

 僕は声が聞こえる方に、その声の誘導に従って床を見てみる。すると、そこには青色の透き通るような水たまりっぽいものが見えた。だが、その水たまりに不思議な感じを抱いた僕は、じっとそれを眺めてみる。訝しさを感じながら眺めていると、次の瞬間水たまりが顔面にめがけて飛び上がってきたのである!
 衝撃を感じて怯んだ僕は、思わず後ろに背中から転んでしまった。硬い床が背骨に大きな振動を与えてくるのを感じ、一瞬意識が遠のきそうになった。

「いってててて……」
「エッ……アッ、アッハハハハハ! くっそ、ニンゲンってここまで面白い反応見せてくれるんッスね! 前に本で読んだのより面白いッス!」
「もう、水無月さんはいつもそんなことばかりして! ……亜条さん、大丈夫ですか?」
「あ、はい、なんとか……」

 特区に来てすぐの時といい、今日一日だけでも転び過ぎである、僕は。まんまとイタズラに引っかかってしまった僕は、その仕掛け人たる笑い声の元に目を向ける。そこに見えたのは、グネグネと不定形な動きを見せる、水色の透き通る身体を持つ人外種だった。それは少しずつ、ゆっくりと人間のような形へ変形していく。

「悪い悪いッス、新人クン。ほら、俺の手につかまるッス」
「……いえ、大丈夫ですよ。一人で起き上がれますから」
「そッスか。んじゃいいんスけどね」

 声からして男性とも女性とも取れそうな、おそらくはスライム族であろうその人外種は、ようやくはっきりとした顔立ちがわかるようになってきた。初手で突然イタズラを仕掛けてくるとは、僕も警戒心が分散しすぎたかもしれない。水無月と呼ばれた彼(?)に向かって、羽槻が咎めるように指摘をした。

「亜条さんは新人なんですから! あんまりひどいことしちゃいけないですよ水無月さん!」
「もー、羽槻ちゃんはうるさいッスね~。そう言ってこの新人クンの前でエーカッコシーしてるんスか~?」
「ああああ言いましたね水無月さん! 今日という今日は許さないですよ、本当に!!」
「そーんな先輩風吹かせなくても、羽槻ちゃんは十分風吹かせてるッスよ? その翼でバタバタすりゃいいんスから!」
「えーっと、あのー……」

 羽槻と水無月はとうとう喧嘩を始めてしまい、どうすることも出来ない僕はただわたわたと慌てふためくことしか出来ずにいた。完全に取り残されてしまった僕は、彼らの後ろから大きな影が近づいてくるのが見えた。はっきりと見覚えのあるこの影は、先程の……

「喧嘩する暇があんならさっさと仕事を片付けろ馬鹿共がァァァァ!!!!」
「「わぁぁぁぁぁ!! ごめんなさぁぁぁい!!!」」
 



「えっと、ごめんなさいね。初日からこんなにバタバタした感じになってしまって」
「いや、その……びっくりすることは多かったですけども……」
「水無月くんおバカだから、ああいうやんちゃなケット・シーでもしないようなイタズラを仕掛けてくることがたまにあるんですよね……そのたびに注意するんですが」

 日が傾き始め、陽光はオレンジになる頃、夕刻。社屋のエントランスまで送る役として付き添ってくれた羽槻は、2時間近く水無月と共に紅麗課長の叱責を受けたために、どこかぐったりとした様子も感じる見た目になっていた。やはり、どうあってもあの方は怒らせるようなことは無いようにしなければならないと、僕は心からそう誓うのだった。

「……でも、今日はいつもよりとっても楽しい一日だったです。新入社員が入ってくる時はいつも楽しいけれど、亜条さんが来た時は、もっと違う楽しさを感じました」
「えっ、そうなんですか?」
「はい! まあちょっと、みっともないところ見られちゃったけれど……」

 えへへ、と苦笑をする羽槻を見ていると、僕は何故かその瞬間だけ、一切の抵抗感や恐怖心が薄れているような、そんな気がした。

「それじゃ、今日はここまでです。亜条さんの自宅は、端末に記録されてると思うので見てみるといいですよ~」
「あ、ありがとうございます。また明日、よろしくお願いします。羽槻さん」
「いえいえ! 明日から一緒に頑張っていきますから!」

 右の翼をパタリパタリと振り、微笑んだ顔で僕を見送ってくれた羽槻を尻目に、僕は足を進めた。エントランスを抜けた先で、端末の画面をつけ、自宅位置を確認した。

 ――今日一日の出来事を振り返っても、不思議と悪い気がすることはなかった。
 



「はぁ、今日は一日大変だった」

 新しい自宅は、職場からそう遠くないところに建てられた一軒家だった。道中、人外種それぞれの生活に合わせているであろう建物がいくつも見られたが、僕の家は至って平均的な作りだ。特区に引っ越すに当たり、必要な持ち物は元いた東京の自宅から送ってもらったが、特区に持ち込めないものが多く占めていたため、なんとダンボール2箱分しか荷物がなかったりする。
 なんだかんだ、転勤初日の新たな我が家に足を踏み入れるというのは気持ちが高ぶるもので、意気揚々とした心持ちで端末を認証パネルにかざす。その時、

「ねっ、キミでしょ? 特区に越してきた東京の社員って」
「わっ……な、なんですかあなたは」

 突然横から声をかけられる。流石に最初のように転ぶことはなかったが、それでも僕は思わず強張ってしまう。

「大丈夫だから、安心して。私はこういうものだから」

 何かから身を隠すような体勢で、声から察するに女性であろう彼女は、名刺を私に渡してきた。

「週刊時代記者 蕪城、さん?」
「そそ。ちょっとキミの事について色々聞きたいことがあるんだけど、いいかな? ホントちょっとだけだからさ……!」
「いや、そんなこと突然言われましても……というか記者?! 特区にどうやって」
「シッ! ……そのことは聞かないで。とにかく私はあなたに興味があるのよ、ね。取材に協力してくれないかしら……?」
「あのちょっと、そんなグイグイ来られても、めっ、迷惑ですから……!」

 なんとも押しの強い記者だ。疲れでヘトヘトな僕のことなんてお構いなしに、身体を寄せては取材の申込みを強引に押してくる。僕はなんとか引き下がって抵抗するのが精一杯だ。

「もちろんただとは言わないわ、それなりのものもつけるつもり。だから……」
『警報。警報。HX-01第18J区画にて未確認のユーザーを発見。現在、現場に確保ドローンを急行中』
「チッ、見つかったか」

 突然、道路脇の地下に埋まっていたはずのポールが伸び出てきて、赤い警報ランプが回転しながら備えられたカメラで撮影を実行しようとする。被写体はおそらく彼女だ。

「とにかく、お話する気になったらそこに連絡してね。いつでも聞くから、さ? それじゃまた必ず! バァ~イ」

 蕪城と名乗る女性記者は僕に強引に名刺を押し付けると、一目散に暗闇へと逃げ去っていった。直後、目の前の道路を幾台かの"確保ドローン"が通り過ぎるのが見えた。

「ホント、騒がしい一日だった……なんだったんだろう」

 いよいよ、明日から本格的な仕事だ。今後もおそらく色々あるのだろうけれど、覚悟を決めて挑むしか無いだろう。……僕はそういった決意を胸に抱き、自宅の扉を開いて中へ入っていった。

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