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マキノ 真三(-しんぞう)は、日本の映画監督、映画プロデューサーである。「日本映画の父」として知られる牧野省三の三男、映画監督マキノ正博、映画プロデューサーマキノ光雄の弟として生まれたが、映画人としては大成しなかった。
京都に生まれる。
高村正次の「正映マキノキネマ」、兄の正博がマキノ本家に設立した「京都映音」に関わったのち、日活京都撮影所で、兄・正博や辻吉郎の助監督をつとめる[1]。1940年(昭和15年)、兄・正博が監督した『続清水港』でチーフ助監督をつとめた後、同社を退社、翌1941年(昭和16年)、東京・巣鴨町の大都映画で近衛十四郎を主演に『愛憎乱麻』で映画監督としてデビューした。同作は「マキノ真三第1回監督作品」と銘打たれて同年7月8日に公開されたが、同社ではそれきりであった。また、同年11月26日、女優の宮城千賀子と恋愛結婚する。宮城が1939年(昭和14年)の稲垣浩監督作『宮本武蔵』で「お通」を演じたため、前作『宮本武蔵』の轟夕起子が兄の正博と結婚したのに続いて、「お通がふたりマキノ家に嫁いだ」と当時騒がれた[2]。
1943年(昭和18年)、兄・正博が撮影所長をつとめる松竹京都撮影所で、師の辻吉郎との共同監督、滝沢一との共同脚本で『海賊旗吹っ飛ぶ』を撮る。前年引退し家庭に入った妻・宮城が長男・省一を出産する[2]。
第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)6月、「劇団なでしこ」を結成し舞台に復帰、地方巡業で成功していた妻の宮城と「マキノ芸能社」を設立、演劇活動に挑むが、1948年(昭和23年)10月[2]には解散している[1]。同社の傘下に設立した「マキノ映画」が製作した『桜御殿』、『鉄路の薔薇』を監督した。同社に抱えていた映画監督の並木鏡太郎の映画復帰第1作『右門捕物帖 謎の八十八夜』を「新光映画」で製作、高村正次が真三を引っ張り出し、プロデュースさせた[3]。同年10月、「劇団なでしこ」を母体に新芸能社「ピンク・リボン・カンパニー」(PRC)を妻とともに設立、劇団の活動に重点を置いた[2]。
高村正次が設立した「宝プロダクション」に入社、1952年(昭和27年)に加藤泰監督の『ひよどり草紙』をプロデュースしているが、「マキノ芸能社」の負債返済をめぐり夫婦仲は冷め、宮城は盛んに映画出演を始め、1953年(昭和28年)の中盤に離婚することになった[2]。その後は新東宝に移籍したりしたが、映画プロデューサーとしてもつづかなかった。のちに陶芸の世界へ進み、長野県の安曇野に移住した[1]。
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