ヘンリー・小谷

ページ名:ヘンリー・小谷

ヘンリー・小谷(へんりー・こたに、本名・小谷倉市、1887年4月25日-1972年4月8日)は、大正・昭和期の映画監督。日本映画初期に、アメリカから最新技術を紹介、実践し、開拓者・指導者としても大きな役割を果たした。

広島県仁保島村(現広島市南区仁保町)生まれ。幼少時に両親とアメリカへ渡り、ハワイ、サンフランシスコと移住。ハイスクール卒業後、「オークランド・ヒルズ・カレッジ」に入るが1911年中退。ハイスクール在学中の1907年からサンフランシスコの「アルカザー劇場」で働き、1913年に「トマス・H・インス撮影所」へ入り、俳優として映画、舞台に出演する。ここには青木鶴子、トーマス・栗原、早川雪洲もいた。1917年、「フェイマス・プレイヤーズ・ラスキー(後のパラマウント)撮影所」に移りカメラマンとなる。在米中には『哀愁』や『心の旅路』などで知られる名匠・マーヴィン・ルロイやジェームズ・ウォン・ハウなども指導している。

1920年、松竹が映画事業に乗り出し松竹キネマが創立され、アメリカより技術者を招くこととなる。それに伴い、セシル・B・デミル監督や田口桜村に推薦され、松竹蒲田撮影所に撮影技師長として赴任する。

早速、まだステージの無い蒲田撮影所での松竹第1回作品、川田芳子主演の『島の女』を木村錦花と共同演出し、光線の扱いの鮮やかさとアメリカ仕込のカメラワークで新しい時代の扉を開いた。翌1921年には、後の大スター栗島すみ子のデビュー作、『虞美人草』の脚色、演出、撮影を一手に引き受け、最新技術を駆使して、周りのスタッフを驚かせた。特に、オープンセットでの項羽と劉邦の合戦シーンには多くの人数を動員して迫力あるシーンを撮り、日本最初のスペクタクルシーンを実現した。またこれまでの映画のヒロインは、舞台劇出身の男性が不自然な女装をするか、新劇やオペラ出身の女優で、いずれも既成舞台人としての型があって、自然に流出するナイーブな演技を見せることはなかったが、栗島には幸いそうした舞台的な臭みもクセもなく、小谷によってアメリカ的な表情摘出を指導されたため、映画劇の求める演技の純粋性を発揮した。栗島の出現は日本の映画劇に非常に明るさと美しさと若さをもたらして、日本映画発展の有力な鍵となった。こうした理由からこの映画自体は妙な形式ではあったものの、松竹の商品映画として一つの金字塔となった作品であった。続いて監督した『電工と其妻』は姦通を扱い、『トランク』はエロティックな場面があり、共に検閲で公開禁止となった。同年満州鉄道から委嘱された記録映画と『夕陽の村』を撮って蒲田を去る。高額なギャラを松竹が払い続けられなかったためともいわれている。

関東大震災にあい、一時京都に移り松竹下加茂撮影所で撮った後、自分でプロダクションを設立する。その後、「パラマウント・ニュース」極東代表となり、ニュース映画界の啓発にも一役かった。

戦後は駐留軍から招かれて、アメリカ陸軍通信隊映画班の教官となった。

1964年、勲五等瑞宝章受章。1972年、脳卒中により死去。享年84。

小谷の教えをうけた映画人は数多いが、特にカメラマンでは、小津安二郎を指導したことでも知られる碧川道夫、野村昊、水谷文二郎、吉田英男、川口和男らの名手が門から出ている。

目次

代表作[]

  • 島の女(1920年)
  • 虞美人草(1921年)
  • 電工と其妻(1921年)
  • トランク(1921年)
  • 満鉄の全貌(1921年)
  • 夕陽の村(1921年)
  • 舌切雀(1923年)
  • 情の光(1926年)

関連項目[]

参考文献[]

  • 『日本の映画人』(佐藤忠男・日外アソシエーツ・2007年6月)
  • 『日本映画発達史Ⅰ』(田中純一郎・中央公論社・1975年11月)

外部リンク[]

  • 日本映画データベース小谷ヘンリー
  • デジタル小津安二郎蓮實重彦 =文


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