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京成金町線柴又駅前にたつ、車寅次郎の銅像。
男はつらいよ(おとこはつらいよ)は、渥美清主演・山田洋次監督(一部作品除く)のテレビドラマ及び映画である。テレビドラマ終了後、後述の理由により映画としてシリーズ化された。テキ屋稼業を生業とする"フーテンの寅"こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。旅先で出会った"マドンナ"に毎度のことながら惚れつつも、結局いい人どまりで終わってしまう寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
映画シリーズは松竹によって1969年から1995年までに全48作が、1997年に特別編1本が製作された。
山田洋次が全48作の原作・脚本を担当。第3、4作を除く46作を自ら監督した。第3作の監督は森崎東、第4作は小林俊一である。第5作を山田洋次が再び監督し、シリーズを完結させる予定であったが、あまりのヒットに続編の制作が決定した。
以降、全作品がヒットして松竹のドル箱シリーズとなり、30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズとしてギネスブック国際版にも認定された。ただしこれは作品数においてであり、年数では『ゴジラ』シリーズの方が長い。渥美清の死去により、1995年に公開された第48作「寅次郎紅の花」をもって幕を閉じた。その後、ファンからのラブコールが多かったとの事で、「寅次郎ハイビスカスの花」を再編集し新撮影分を加えた「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」が1997年に公開された。また渥美の死により、第49作および本来の最終作となるはずだった第50作がお蔵入りになった。テンプレート:ネタバレ
渥美清が演じる主人公、「フーテンの寅さん」こと車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供。実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、16歳の時に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。第1作は、テキ屋稼業で日本全国を渡り歩く渡世人となった寅次郎が家出から20年後突然、倍賞千恵子演じる腹違いの妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又・柴又帝釈天の門前にある草団子屋に戻ってくるところから始まる。
シリーズのパターンは、一貫している。寅次郎は、旅先や柴又で出会うマドンナに惚れてしまう。マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて振られてしまう。そして落ち込んだ寅次郎が正月前、もしくは盆前(即ち正月、盆がテキ屋は書き入れ時)に再びテキ屋稼業の旅に出て行くという結末となる。
寅次郎夢枕の千代や、いわゆる「リリー三部作」[1]のリリーなどのように寅次郎に恋愛感情を持ったマドンナもいたが、この場合は、寅次郎の方が逃げ腰になり、自ら身を引く形となっている。また、マドンナと「うまくいっている」と誤解している時点で、寅次郎が柴又に帰り、さくら達にマドンナとの楽しい体験を話す場面は、渥美清の語りは落語家のような名調子で、スタッフやキャスト達は「寅のアリア」と呼んでいた。
42作目以降の4作品のマドンナは、さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる泉(後藤久美子)となり、寅次郎は満男のコーチ役に徹している。このようになったのは渥美が病気になり快活な演技ができなくなったためである。また当初は予定されてなかった泉の登場は、満男を主役にしたサブストーリーに満男の恋の相手が必要になったためである。ちなみに山田監督の話によれば第49作で泉と満男を結婚させようと考えていたらしいが、渥美の死去により幻になった。(「紅の花」で泉の結婚式を妨害し結婚式を中断させたのは結婚への伏線であったとも考えられる。)
レギュラーとして登場した人物は、寅次郎、さくらのほか、さくらの夫・諏訪博、草団子店を経営する叔父・竜造と叔母・つね、博が勤務する印刷会社「朝日印刷(第一作、第二作のみ共栄印刷)」の社長で寅次郎の幼馴染・タコ社長こと桂梅太郎(第六作のときにだけ堤梅太郎と名乗る)、帝釈天の御前さま、寺男で寅次郎の舎弟・源公などがいた。マドンナとして複数回登場した女優もいるが、リリー、泉と歌子(吉永小百合)以外は、別の役で出演している。おいちゃんこと叔父・竜造役は初代が森川信、2代目は松村達雄、3代目は下條正巳が演じた。その他、毎回役柄は違うものの、サブキャラクターとしてレギュラー出演する俳優も多く存在した。
テキ屋稼業の寅次郎は、柴又に帰るのは数えるほどしかなく、一年中日本各地を旅している。青年時代に実際にテキ屋体験がある渥美ならではの見事な口上も、ファンの楽しみであった。また、このシリーズは原則としてお盆と正月の年二回公開されたが、お盆公開の映画の春から夏への旅は、南から北へ、正月公開の秋から冬への旅は、北から南へ旅することが多かった。画面に映し出される日本各地の懐かしい風景がシリーズの魅力の一つでもある。
なお第48作まで一貫してエンドロール表示は設定されず、出演キャストや製作スタッフ等の字幕表示はオープニングでされた。
作数 | 公開時期 | タイトル | マドンナ | ロケ地 |
---|---|---|---|---|
1 | 1969年8月 | 男はつらいよ | 光本幸子 | 京都府、奈良県 |
2 | 1969年11月 | 続・男はつらいよ | 佐藤オリエ | 京都府、三重県(柘植) |
3 | 1970年1月 | 男はつらいよ フーテンの寅 | 新珠三千代 | 三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島) |
4 | 1970年2月 | 新・男はつらいよ | 栗原小巻 | 愛知県(名古屋市) |
5 | 1970年8月 | 男はつらいよ 望郷篇 | 長山藍子 | 千葉県(浦安市)、北海道(札幌市、小樽市) |
6 | 1971年1月 | 男はつらいよ 純情篇 | 若尾文子 | 長崎県(長崎市、福江島)、静岡県(浜名湖) |
7 | 1971年4月 | 男はつらいよ 奮闘篇 | 榊原るみ | 新潟県(越後広瀬)、静岡県(沼津市)、青森県(鰺ヶ沢町、弘前市) |
8 | 1971年12月 | 男はつらいよ 寅次郎恋歌 | 池内淳子 | 岡山県(備中高梁) |
9 | 1972年8月 | 男はつらいよ 柴又慕情 | 吉永小百合 | 石川県(金沢市)、福井県(東尋坊) |
10 | 1972年12月 | 男はつらいよ 寅次郎夢枕 | 八千草薫 | 山梨県(甲府市)、長野県(奈良井) |
11 | 1973年8月 | 男はつらいよ 寅次郎忘れな草 | 浅丘ルリ子 | 北海道(網走) |
12 | 1973年12月 | 男はつらいよ 私の寅さん | 岸惠子 | 熊本県(天草、阿蘇)、大分県(別府) |
13 | 1974年8月 | 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ | 吉永小百合 | 島根県(津和野、温泉津) |
14 | 1974年12月 | 男はつらいよ 寅次郎子守唄 | 十朱幸代 | 佐賀県(唐津市)、群馬県(磯部温泉)、埼玉県 |
15 | 1975年8月 | 男はつらいよ 寅次郎相合い傘 | 浅丘ルリ子 | 青森県(青森市)、北海道(函館市、長万部町、札幌市、小樽市) |
16 | 1975年12月 | 男はつらいよ 葛飾立志篇 | 樫山文枝 | 山形県(寒河江市)、静岡県 |
17 | 1976年7月 | 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け (仮タイトルは「男はつらいよ 柴又の伊達男」) | 太地喜和子 | 兵庫県(龍野市) |
18 | 1976年12月 | 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 | 京マチ子 | 長野県(別所温泉)、新潟県(六日町) |
19 | 1977年8月 | 男はつらいよ 寅次郎と殿様 | 真野響子 | 愛媛県(大洲市) |
20 | 1977年12月 | 男はつらいよ 寅次郎頑張れ! | 藤村志保 | 長崎県(平戸島) |
21 | 1978年8月 | 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく | 木の実ナナ | 熊本県(田の原温泉) |
22 | 1978年12月 | 男はつらいよ 噂の寅次郎 | 大原麗子 | 長野県(木曽福島)、静岡県(大井川) |
23 | 1979年8月 | 男はつらいよ 翔んでる寅次郎 | 桃井かおり | 北海道(支笏湖) |
24 | 1979年12月 | 男はつらいよ 寅次郎春の夢 | 香川京子 | 和歌山県、京都府、アメリカ合衆国(アリゾナ州) |
25 | 1980年8月 | 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 | 浅丘ルリ子 | 沖縄県、長野県(軽井沢) |
26 | 1980年12月 | 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 | 伊藤蘭 | 北海道(奥尻島・江差町)、徳島県 |
27 | 1981年8月 | 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 | 松坂慶子 | 大阪府、瀬戸内、佐賀県(対馬) |
28 | 1981年12月 | 男はつらいよ 寅次郎紙風船 | 音無美紀子 | 福岡県(秋月)、大分県(夜明)、静岡県(焼津市) |
29 | 1982年8月 | 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 | いしだあゆみ | 京都府(京都市、伊根)、長野県(信濃大町)、神奈川県(鎌倉市)、滋賀県(彦根市) |
30 | 1982年12月 | 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 | 田中裕子 | 大分県(湯平温泉、別府鉄輪温泉、湯布院) |
31 | 1983年8月 | 男はつらいよ 旅と女と寅次郎 | 都はるみ | 新潟県(佐渡市、新潟市、支笏湖) |
32 | 1983年12月 | 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 | 竹下景子 | 岡山県(備中高梁)、広島県(因島) |
33 | 1984年8月 | 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 | 中原理恵 | 岩手県(盛岡市)、北海道(釧路市、根室市、中標津町、養老牛温泉) |
34 | 1984年12月 | 男はつらいよ 寅次郎真実一路 | 大原麗子 | 鹿児島県(枕崎市・指宿市)、茨城県(牛久沼) |
35 | 1985年8月 | 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 | 樋口可南子 | 長崎県(上五島)、天草市、秋田県(鹿角市) |
36 | 1985年12月 | 男はつらいよ 柴又より愛をこめて | 栗原小巻 | 静岡県(下田)、東京都(式根島)、静岡県(浜名湖)、福島県(会津若松市) |
37 | 1986年12月 | 男はつらいよ 幸福の青い鳥 | 志穂美悦子 | 福岡県(筑豊)、山口県(萩市) |
38 | 1987年8月 | 男はつらいよ 知床慕情 | 竹下景子 | 北海道(斜里町) |
39 | 1987年12月 | 男はつらいよ 寅次郎物語 | 秋吉久美子 | 奈良県(吉野)、和歌山県、三重県(志摩市、伊勢市二見町) |
40 | 1988年12月 | 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 | 三田佳子 | 長野県(小諸市、松本市)、長崎県(島原市) |
41 | 1989年8月 | 男はつらいよ 寅次郎心の旅路 | 竹下景子 | オーストリア(ウィーン)、宮城県(松島)、石川県 |
42 | 1989年12月 | 男はつらいよ ぼくの伯父さん | 後藤久美子 | 佐賀県(佐賀市、古湯温泉、吉野ヶ里)、茨城県(袋田) |
43 | 1990年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の休日 | 夏木マリ | 大分県(日田市)、愛知県(名古屋市) |
44 | 1991年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の告白 | 吉田日出子 | 鳥取県、岐阜県(奥恵那峡・蛭川) |
45 | 1992年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の青春 | 風吹ジュン | 宮崎県(油津)、岐阜県(下呂温泉) |
46 | 1993年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の縁談 | 松坂慶子 | 香川県(琴平・志々島・高見島)、栃木県(烏山) |
47 | 1994年12月 | 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 | かたせ梨乃 | 新潟県(上越市)、滋賀県(長浜、西浅井町)、神奈川県(鎌倉市)、長崎県(雲仙) |
48 | 1995年12月 | 男はつらいよ 寅次郎紅の花 | 浅丘ルリ子 | 鹿児島県(奄美大島)、岡山県(滝尾・津山)、兵庫県(神戸市) |
特別編 | 1997年12月 | 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇 | 浅丘ルリ子 | 沖縄県 |
「男はつらいよ」シリーズの撮影はほぼ全国で行われているが、高知県と富山県では撮影が行われていない。ただし、高知県では49作目の撮影が決定していた。また、セリフ上では第8作で高知へ行ったということになっている。なので寅さんと縁がなかったのは富山県だけということになる。
高知県、富山県共に後に男はつらいよ以後松竹の看板として国民的映画シリーズになった釣りバカ日誌では連続して撮影が行われた。
海外撮影はアメリカ(24作)、オーストリア(41作)で行われた。
シリーズ49作目のマドンナは田中裕子で、その兄役で西田敏行が出演の予定だった。物語は、妹が中絶した子供の父親が寅さんでは無いかと兄が疑い、それから寅さんがこの兄妹の後見人になる、また泉と満男を結婚させる、というものだったらしい。公開日は1996年12月28日と決まり、秋からの撮影を控えていた。「渥美清の伝言」によると1996年6月28日に秋から始まる撮影に向けて意欲を燃やしていて、誰もが制作できると思っていたらしい。しかし、渥美の死去により実現しなかった。
そこで、公開するはずだった1996年12月28日にほぼ同じキャスト、ロケ地で虹をつかむ男が渥美清への追憶映画として公開された。倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆の三人はこの映画でも親子役である。渥美清もCGではあるが1シーンだけ登場している。
1997年に公開された「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」は、根強い寅さん人気に応える形で作られた作品である。満男が寅さんを回想する内容で、タイトルになっている25作目「寅次郎ハイビスカスの花」だけではなく、11作目「寅次郎忘れな草」、15作目「寅次郎相合い傘」のシーンが使われている。映像技術の進歩によって作る事が出来た作品とも言え、満男が見た幻としてCGの寅さんが登場した。主題歌を八代亜紀が歌っている。
主題歌レコードは1970年2月に日本クラウンから発売され、シングルで38万枚のセールスを記録した[3]。売り上げこそ平凡だが、映画の主題歌としては息の長い曲となった。
当初の歌い出しは、妹が嫁に行けない事を嘆く内容だったが、妹さくらが結婚したため、自分がやくざ者だと自嘲する歌詞に変更された。
沢知恵がアルバム「いいうたいろいろ2」の中でカバーしている。49作目「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」では、八代亜紀が主題歌を歌っていた。
映画第1作の前に、1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間、26回にわたり、山田洋次・森崎東脚本のテレビドラマ「男はつらいよ」が放映されていた。提供は日本石油(現・新日本石油)。
テレビ版の制作と放送はフジテレビで、企画と演出は小林俊一。テレビ版のキャストは映画版とは多少異なる。最終回で寅次郎はハブ狩りで一儲けしようと奄美大島に出かけるが、そのハブに噛まれて毒死してしまう。寅次郎を死なせたことについて視聴者からテレビ局に抗議の電話が殺到し、これが映画化に繋がった。当初、松竹は映画化に反対だったが、山田洋次の説得に折れる形で映画化された。映画自体は1969年6月には完成していたらしいが、一時お蔵入りとなり、8月になってから上映された。
当初は「愚兄賢妹」という番組名が考えられていたが、フジテレビから「それでは堅苦しい」と言われタイトルを変更することになり、小林俊一が「男はつらいよ」と命名した。これは、その頃渥美清主演で放映されていたTBS系列ドラマ「泣いてたまるか」の山田洋次脚本による最終回のタイトルが「男はつらい」だったことと、北島三郎が唄っていた「意地のすじがね」の中にあった「つらいもんだぜ男とは」という歌詞から思いついたとされている。後者の経緯から、「意地のすじがね」の作詞者でもあった星野哲郎に主題歌の作詞が依頼された。
渥美の死去を速報で報じた「ビッグトゥデイ」でタイトルバックとハブに噛まれたシーンなどが放送されたのがきっかけとなり、後日初回と最終回が番組内で全編放送された。翌1997年にはビデオ化され発売された。なおテレビ版は初回・最終回しか現存していない。テレビ版が放送された当時は、VTRが2インチ規格で高価なうえ操作も煩雑だったことや、著作権法の関係で番組の保存が著しく制約されていたことなどから、テレビ界全体に番組保存の概念が希薄だったことが理由であると推測される。
渥美清没後2年の命日を記念して1998年8月7日午後7時、高井研一郎作画のコミック版を元に、シリーズ11作の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」を参考にした「アニメ 男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」がTBS系列で放映された。
視聴率は7.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、TBSの予想よりは不振に終わった。
制作:エイケン
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