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『新幹線大爆破』(しんかんせんだいばくは)は、東映製作により1975年に公開されたパニック映画、特撮映画。上映時間152分(フランス語版100分、英語版115分)。
当時のオールスター揃い踏みの豪華キャストが話題になった(東映の専属スターのみならず、いわゆる“東映色”の薄い俳優陣も数多く揃った)と同時に、それまで仁侠映画・実録ヤクザ映画を数多く手がけてきた東映が、その路線とイメージからの脱却を図るべく、当時の洋画におけるトレンドであったパニック系アクションの制作に乗り出した第一作目ということもあり、業界からも注目を集めた。しかし、国鉄から撮影(ロケ)の協力が思うように得られず、制作が2ヶ月ほど遅れ、映画の完成は封切の2日前だった。そのため試写会もなく、宣伝も行き届かなかった。また、1本立てではなく当時の人気アイドル・グループ「ずうとるび」のドキュメンタリー風短編映画(『ずうとるび 前進!前進!大前進!!』)との2本立てとなったことも影響し、第一級のサスペンス映画に仕上がりながら、不遇の扱いだった。同時期に公開された『タワーリング・インフェルノ』のヒットもあり、任侠路線が色濃く残る東映のイメージもあいまって興行的には赤字黒字のギリギリの結果となった。同じ年に穴埋め作品として(B級作品扱いで)製作、公開された「トラック野郎 御意見無用」の配給収入(8億円)の半分にも及ばなかった。なお、本作のプレスノートには制作費5億円と記述されている。
1980年代以降、同作品のレンタルビデオやテレビ放映がされるにつれ徐々に再評価されるようになり、今日に至ってもなお多くのファンを魅了している。1998年には当時の資料や対談などを内ジャケットやライナーノーツに掲載した2枚組レーザーディスクも発売されている。2001年、東映50周年記念を機にDVDソフト化希望の映画タイトルを投票により募集したところ、3位にランキングされ、翌年DVD化されて発売された。DVD化により公開当時の直接世代とは言えない1970 - 1980年代生まれの世代にも一気に認知度が高まり、『太陽を盗んだ男』と並んでカルトとも呼べる熱烈なファン層も存在している。
物語の肝は新幹線が時速80キロを下回ると爆発するという状況下の中で繰り広げられる、犯人と国家との攻防劇である。新幹線に爆弾を仕掛けた犯人、危機の回避に全力を尽くす国鉄、犯人逮捕に躍起になる警察、パニックを起こす乗客の姿で主に構成されている。
パニックムービー制作時の典型的な構図ではあるが、「爆弾による脅迫」という内容から、国鉄の協力が一切得られない中で隠し撮り映像や模型での代替といった苦肉の策がとられている。具体的にはゲリラ撮影、別件撮影や他作品との合同撮影、シュノーケルカメラを使った精密な模型による特撮が挙げられ、こうしたことから「撮影技術の進化した現代の観点」から当時のスタッフへの賞賛も大きい。
犯人側の人生背景にも大きくスポットが当てられており、町の零細工場の経営に失敗した男がなぜ犯行に至ったのか、日本の高度経済成長時代への批判を暗示しつつ明らかにされていく。こうした悪役(=犯人側)にもドラマを与え感情移入を狙った描写は邦画ならではのところがあり、単なるパニックムービーとして括れないことが高評価に繋がっている。後に短縮版である『Crisis Express 109』がフランス等海外に輸出されているが、上述のような犯人側のエピソードは割愛されており、単なるテロリストとして扱われている。また、「日本沈没がリメイクできたのなら、この作品も……」と現在でもリメイクを希望する声は少なくない。テンプレート:ネタバレ
ある日、国鉄に脅迫電話がかかってきた。「ひかり109号に爆弾を仕掛けた。その爆弾は時速80キロに達した際スイッチが入りそれ以上の速度で走っていれば問題ないが、再び80キロに減速すると爆発する仕掛けである。信じられないだろうから夕張発追分行きの貨物5790列車にも同様の爆弾を仕掛けた。どこでもいいから好きな所で時速15キロ以下に減速してみろ。爆弾は必ず爆発する。」という。結果、犯人の予告通り貨物列車は爆発、脅迫電話は本物だとわかった。
犯人グループは、経営していた町工場が倒産し妻にも逃げられたリーダーの沖田哲男、元過激派で学生運動家の古賀勝、仕事もないことから生活のため過剰な売血で死に掛けていた所を沖田に拾われた大城浩で、新幹線に爆弾を仕掛け、1人の犠牲者も出さずに身代金を得ようと完全犯罪を計画したつもりであった。
「負け組」の犯人グループと公安・国鉄とのスリルな駆け引き、そして乗員乗客らのパニックが終盤まで続く作品である。
東京発博多行の「ひかり109号」が新横浜駅を定刻通りに通過したころ、国鉄に1本の脅迫電話がかかってきた。電話を受けた宮下公安本部長は驚愕する。「ひかり109号」に爆弾を仕掛けた、その爆弾は速度が80km/hに達するとスイッチが入り、その後80km/hを下回ると爆発する爆弾だというのだ。さらに犯人は、悪戯ではないことを証明するため、9600形蒸気機関車の牽引する夕張発追分行「貨物5790列車」にも同様の爆弾(ただしこちらは15km/hで作動する)を仕掛けたとも言う。
三宅新幹線技師長、高沢新幹線運転車両部長、宮下公安本部長が脅迫電話を録音したテープレコーダーを囲む一室に、倉持運転指令長が呼び出される。事実を知らされた倉持指令長も驚愕する。
新横浜駅~小田原駅間を走行中の「ひかり109号」の青木運転士に列車無線で事態が知らされた。そんな複雑な爆弾が本当にあり得るのかと、疑問に思う青木運転士だったが、同じ爆弾が北海道夕張線貨物5790列車にも仕掛けられており、現在確認中であることを倉持指令長から告げられる。
爆弾の情報は「貨物5790列車」にも伝えられ、それを知った機関士たちは線路脇の草地へ飛び降り、列車から無事脱出した。そして無人となった「貨物5790列車」は、その後上り坂で速度が落ちた時に爆弾が爆発し脱線した(と思われる映像表現になっている)。これにより爆弾電話は本物と証明され「ひかり109号」の青木運転士にも知らされた。倉持指令長は、車内に不審物がないか捜索することと、博多駅到着までの時間を少しでも稼ぐために速度を100km/hに抑えて走行するよう指示し、再び犯人の電話を待つ。
どんなささいなトラブルでも停めるという新幹線の安全を守るシステムや基本理念に犯人から挑戦状を叩きつけられる形となった国鉄。警察による対策本部が設置され、乗客の救出と犯人逮捕へ取り組むこととなる。
停められなくなった「ひかり109号」のために、運転指令室から東海道・山陽新幹線を走行中の各列車に指令が次々と出された。まず、「ひかり109号」の前を先行する下り列車は各駅で「ひかり109号」を待避、後続列車は全列車運休とされた。その最中、先行する「ひかり157号」がBr(ブレーキ)系統の故障で立ち往生との一報が入る。そこで上り列車も全て運休とし「ひかり109号」を浜松駅で上り線に移そうとするが、浜松駅手前12km地点に「ひかり20号」が接近中であった。さらに下り列車が上り線に入るためにはATCを切らなければならないが、走行中にATCを切れば非常ブレーキがかかる。絶体絶命のピンチが訪れた。倉持は、「ひかり20号」が浜松駅を通過すると同時に「ひかり109号」を上り線に転線させる決断をし、浜松駅の分岐点に「ひかり20号」が分岐点を通過した瞬間を確認し報告させるための係員を派遣するよう指令を出した。青木運転士には、上り線を逆走させるために列車種別を回送に変更し、「ひかり20号」の通過する時間を稼ぐために90km/hまで速度をダウンさせ、さらに指示があったら120km/hに加速するよう指示を出す。青木運転士は、列車が対向して走行している上り線に転線すること、爆発すると言われた80km/hに近い90km/hでの走行すること、さらに分岐点の通過制限速度である70km/hを上回る120km/hで分岐点に進入することに対し、取り乱すほどに倉持に抗議をするが、議論する時間がない今、指示に従わせる以外にない倉持指令長は、強い口調で青木を諭し、指示通りに運転させる。青木は、指示通り120km/hに増速し、分岐点通過ギリギリ手前でATCを切る。その後非常ブレーキにより速度はおちていくが、「ひかり20号」をかわして分岐点を通過し最後尾の車両が上り線に入った段階(作中では84km/hまで速度がおちていた)で非常ブレーキが緩解して安全な速度まで増速できた。この一連の神業的な運転管制は手に汗握る名シーンとなった。
電話で届いた犯人の要求、それは500万米ドル(映画内の時代の価値で約15億円)。乗客全員の命と車両代に比べればはるかに安い要求だとうそぶく一方で、自分たちの目的は金だけだ、爆弾の解除方法は金と引き代えに必ず教える、と約束する犯人。
「名古屋駅を都合により通過する」という放送が流れると、それまでの車内検査をいぶかしんでいた乗客が遂に「なぜ止めないのか?」と騒ぎ出し、車掌室に詰め掛けた。途方にくれる田代。容疑者(藤尾)護送のため居合わせた国鉄鉄道公安官・菊池(正式には鉄道公安職員であるが劇中では公安官と名乗っていた。また鉄道公安職員は国鉄民営化後、都道府県警察鉄道警察隊に引き継がれている)は、名古屋駅通過後、事の次第を車内放送で乗客に告げるのだった。
名古屋駅通過中にパニック状態に陥った(名古屋駅で降りる予定だった)臨月の妊婦が産気づいてしまった。さらに、車内電話の順番を金で買おうとした商社マン(演・後述の矢野宣)が非難を浴びる。
500万ドルの受け渡しで、主犯の沖田は当局にヘリコプターで埼玉方面に現金を持って向かうよう指示、寄居桜沢高校の校庭に着陸させた後に秩父鉄道の野上駅に向かわせ、駅の手荷物預り所からトランシーバーを受け取らせる。そして、刑事1人に現金を持って荒川上流の長瀞渓谷を「長瀞ライン下り」で下るよう命じた。トランシーバーを通じて現金入りトランクを崖の上から垂らしたロープに結わえ付けて去るよう指示が来たが、犯人確保を焦る刑事は通りがかった大学の柔道部員たちに崖の上の爆弾犯人を捕まえてくれと叫んでしまう。ロープを垂らしていた実行役の犯人・大城はその場で受取を諦めオートバイで逃走する。しかし警察が深追いしすぎたためパトカーにバイクが激突、大城は即死してしまった。それを見つめるしかない沖田。大城の遺体からは爆弾の解除方法に繋がる物は何も出ず、焦る警察。
その後警察は都営地下鉄6号線(現在の都営地下鉄三田線)の志村車両検修場付近で犯人グループの古賀を発見、追跡を開始した。古賀は夕張で「貨物5790列車」に爆弾を仕掛けたが、その際残した指紋が学生運動で逮捕された過去の指紋と一致して身元が割れたのだ。行く手を地下鉄に遮られた刑事が古賀を拳銃で撃つものの致命傷とはならず、古賀はアジトである沖田の経営していた町工場へと逃げおおせた。
犯人グループの大城が死亡し、さらに古賀も取り逃がすという繰り返される失態に業を煮やした倉持指令長は、捜査本部に抗議に出向く。どんな変事でも停めるという新幹線の安全に対する基本理念を衝いた恐るべき犯罪であることを訴え、もっと慎重に対応するよう求めるが、捜査本部の特捜係長からは、逆に国鉄には「ひかり109号」の救出の方法はないのかと切り出された。例えば、「ひかり109号」の編成を前後半分に分割し、分割された前部の編成に乗客を集めた上で、無人になった後部の編成を停車させる。その編成が爆発すれば乗客救出はたやすいし、もし爆発しなければ集められた乗客が乗る前部の編成に爆弾が仕掛けられていることになるから、救援車を連結して、今度はその救援車に乗客を移せばいい、と提案される。しかし、固定編成が前提の新幹線では車内から連結器を外すことは絶対と言っていいほど不可能であり、もし無理に切断すれば、即座に非常ブレーキがかかる。そんなことが可能なら既にやっていると言い捨てて特捜本部を後にする。
国鉄側は警察に頼ることをあきらめ、自力で爆弾を見つけるため、鉄橋を通過する「ひかり109号」の床下機器を高速度撮影するが、光量不足で爆弾は発見できなかった。
大城の死と古賀の負傷を目にした沖田は、自分たちの負けではないかと弱気になるが、古賀は社会からはみ出た我々が犯罪を完遂することに意義があると力説する。「いいじゃねぇか……浩が死んだって、俺が死んだって、極端に言やあアンタまで死んだって、この仕事をやり遂げりゃ、俺たちはみっともなくなるんだ!」古賀の熱意が沖田を再び現金奪取へと動かした。一旦は取引の打ち切りを宣告する電話を入れることにより捜査本部を揺さぶる沖田。捜査本部は、爆弾の外し方が分からないまま取引が打ち切られることを恐れ、沖田からの再度の電話は逆探知もせず、沖田の要求を全て飲み、一切の逮捕行為や現金入りトランクへの探知機設置をしないことを約束した。最後の取引は、首都高速道路の待避エリアで行なわれることとなったが、警察は約束通り、この取引の際は現場近くのビル屋上から監視するにとどめ、結果的に500万ドルはまんまと沖田の手に渡った。爆弾解除の方法は図面で新橋の喫茶店サンプラザに預けてあるから取りに行けと捜査本部に教える沖田。この時、名古屋で産気づいた妊婦は乗り合わせた秋山女医の手当ての甲斐なく死産となってしまった。しかも、刑事が図面回収に向かうと、サンプラザの入ったビルは何と火事に見舞われていた。図面も焼失してしまった!この情報がラジオを通して「ひかり109号」の乗客にも知れ渡り、車内は大パニックとなる(この時、気がふれてしまう商社マン役・矢野宣の迫真の演技は多くの観客を魅了した)。
この頃、大城浩の遺体の指紋から、過去に起こした人身交通事故の調書が警視庁にあることが分かり、FAXが捜査本部に送られてきた。その調書には、大城浩の身元保証人として沖田哲男の名と沖田の経営する町工場沖田精器の住所が記載されており、古賀勝が目撃されて取り逃がした現場と至近であることが判明した。捜査本部は、その住所をアジトと断定、特捜係長からすぐに長田刑事に現場へ急行するよう指令が下った。警察に包囲された古賀は、車で戻ってきた沖田に気づく。(ここに来ちゃダメだ、一人で逃げてくれ)というメッセージを沖田に伝えるため、残ったダイナマイトで凄絶に自爆する古賀。その意を汲み取り、驚愕しつつ沖田は車をUターンさせた。やがてひと気の無い川原に出た沖田は、大城と古賀の偽造パスポートを燃やす。万感の思いをこめて。
「ひかり109号」車内では古賀の爆死を知った乗客たちが絶望にかられ、沖田たちにダイナマイトを売りつけたことでこの犯行に絡んだ藤尾を集団リンチしかける等、パニックの度を増していた。
遂に政府は国鉄総裁以下幹部に、「ひかり109号」が新関門トンネル到着までに、爆弾を解除し停車させるめどが立たなければ、山口県内の田園地帯で「ひかり109号」を停車させることを促し、国鉄総裁はその地点を「ゼロ地点」と定める。それはすなわち「ひかり109号」が爆破され、1500人の乗客たちを見殺しにすることを意味する。しかし、このまま九州へ入り博多駅に到着すれば、「ひかり109号」は先に線路がない以上、否応なく停車すなわち爆破せざるを得ず、それによる北九州工業地帯や新関門トンネルへの被害の拡大を防ぐためであった。
その後、広島のテレビ局からありったけの照明車を掻き集め、2度目の高速度撮影を行った結果、遂に2号車の前部台車に、電磁式速度計を伴ったダイナマイトが仕掛けられているのを発見。このため「ゼロ地点」は少し先の小月(おづき)に変更された。そして、2号車前部のドアを開け、公安官の菊池が爆弾のケーブルを引きちぎることを試みるが、跳ねたバラストが手にぶつかり、失敗する(注:劇中では全線バラスト軌道であるが、実際の山陽新幹線区間はスラブ軌道であり、このシーンの区間にバラストはない)。
最後の手段として爆弾近くのゴミ箱に作業ルートを確保する穴を開けるためガスバーナー一式を持ち込むことにした。「ひかり109号」と救援車を100km/hで並走させ、渡り板を渡してボンベとバーナーを車内に持ち込むことに間一髪成功。運転士の青木がゴミ箱に穴を開け、その穴からペンチを差し入れ、爆弾のケーブルを切断することに成功した(この間の運転は森本副運転士が行っている)。とりあえず速度を落としても爆弾が爆発する危険性はなくなった。
安心したのもつかの間、宮下鉄道公安本部長が高速度撮影された写真を持って運転司令室に駆け込んできた。6号車に第二の爆弾らしきものがあるとの報告だ。写真は不鮮明であり、爆弾かどうかは判別できなかった。もう一度撮影をすることを三宅新幹線技師長は提案するが、「ひかり109号」は、すでに「ゼロ地点」目前まで来ており、もう対処する時間は残されていなかった。国鉄新幹線総局長は覚悟を決め、倉持指令長に停車を指示するよう命令する。倉持指令長は、もし爆弾であったら大惨事になる、と停車させることに反対するが、「だからこそ停車させるんだ。大の虫を生かすために小の虫を犠牲にすることも必要だ。君が指令できないなら私が指令を出す」と指令台に足を向ける。倉持指令長はそれを遮り、「私がやります」と、停車指令を出すべく列車無線のマイクに向かった。一か八か命じた停車指令に従い、「ひかり109号」はゆっくりと停車する。6号車に爆弾は存在せず、2号車の爆弾の爆発を防ぎつつ停めることができたのだ!喜びに沸く「ひかり109号」の乗客、乗務員、そして運転司令室。倉持指令長は、新幹線総局長と目を合わすと、そのまま静かに退室した。退室し廊下を歩く倉持指令長の目に、自らが沖田に爆弾の外し方を教えるよう訴えるテレビ画面が映った。警察は主犯の沖田をおびき出すため「ひかり109号」救出のニュースを止めていたのだ。これを見た倉持指令長は、乗客の家族が死ぬ思いで救出を祈っているのに、なぜ救出のニュースを流さないのかと、警察に怒りをあらわにするが、自分も(無事に停車したものの)1500人の乗客を見捨てて「ひかり109号」に停車を命じたことに思い当たり、国鉄を辞めることを決意する。そして倉持指令長は、新幹線総局長に「明日、辞表を持って参ります」と言い残しその場を立ち去る。
犯人グループで一人生き残った沖田は、大城と古賀の遺族に身代金の分け前を送る手配をしつつ、TVでの倉持の呼びかけを信じ逆探知を避け、東海道新幹線の車庫である東京運転所の職員に爆弾除去の方法を連絡する。その後、サクマゴロウの偽名でコペンハーゲン行きのスカンジナビア航空984便で国外逃亡を図ったが、沖田の妻とともに羽田空港に連れてこられていた息子の動揺した様子から警察に見破られ、出国ゲート寸前で引き返す。そして空港から多摩川を泳いで逃亡するも対岸には警察が先回りしていた。追い詰められた沖田は、須永警察庁刑事部長の「動いたら撃つぞ」という警告を無視し逃げようとしたところを警察の狙撃隊により射殺された。沖田の夢はそこで潰え、搭乗する筈だった旅客機が夜空に高く舞い上がっていくのだった。
当時、実際の「ひかり109号」は東京9:48発の博多行きで、途中、名古屋、京都、新大阪、新神戸、姫路、岡山以西各駅停車(新尾道・東広島・厚狭の各駅はまだ開業していない)のいわゆる「Aひかり」と言われる列車であり、時刻は以下の通りであった。
東京(9:48発)→名古屋(11:49着/11:51発)→京都(12:41発)→新大阪(12:58着/13:00発)→新神戸(13:17発)→姫路(13:45発)→岡山(14:15着/14:17発)→新倉敷(14:31発)→福山(14:46発)→三原(15:01発)→広島(15:27着/15:29発)→新岩国(15:48発)→徳山(16:00発)→小郡((現:新山口)16:20発)→新下関(16:51発)→小倉(17:02着/17:04発)→博多(17:36着)
このように、東海道・山陽新幹線(東京~博多間)を全線通して運行されるひかり号は2008年3月ダイヤ改正時点では存在しない。
類似の映画として、アンドレイ・コンチャロフスキー監督の『暴走機関車』、ヤン・デ・ボン監督の『スピード』がある。『スピード』の脚本を書いたグラハム・ヨストは、映画『暴走機関車』の原案である黒澤明が書いたオリジナル脚本を読んで思いついたと公表しているが新幹線大爆破が原典とする説もある。佐藤監督は以下のように語っている。
「実は『暴走列車』は黒澤さんがやることになって、B班が実は僕がやることになっていたんです。ところがアメリカのプロデューサーと黒澤さんが対立して、結局流れちゃったんですけれども。だからあの「暴走列車」そのものの台本というのはたぶん僕が一番最初に日本で読んでたんだと思うんです。話は知っていました」(しんゆり映画祭ゲストトーク2002「新幹線大爆破」にて [1])佐藤監督は言及していないが新幹線大爆破には『暴走機関車』からアイデアを借用したと思われる部分がかなりあり、新幹線大爆破の原点のひとつが『暴走機関車』のオリジナル脚本であったことは容易に推測できるテンプレート:要出典。つまり、新幹線大爆破と『スピード』は同じ親から生まれた兄弟のような作品という見方もできるテンプレート:要出典。ちなみに、『スピード』における爆発設定速度(マイル表示)をキロ表示に変換すると、ほぼ「時速80キロメートル」である。
また、1966年の米TV映画『夜空の大空港』(高度1万フィート(3048メートル)以下に降下すると爆発する爆弾を仕掛けられた飛行機という設定)もアイデアの源になったと思われる。事実、『夜空の大空港』をたまたま観ていていた山本圭が、プロデューサーにその話をしたところ『あ、わかる?』と答えたという(キネマ旬報2005年8月下旬特別号内「DVD特別インタビュー1 山本圭」より)。
そして、同時期に東宝でも新幹線を題材にした『動脈列島』が製作され、よく比較対象とされる。田宮二郎主演の『動脈列島』が新幹線による騒音公害と絡めた社会派路線であったのに対して、本作は、娯楽作品としての面白さを追求した路線を取っていると同時に、乗客や運行に携わる関係者の真剣な対応と、警察や政府の打算的な解決策、そして犯人らの個人的な思いが交錯して描かれている点が対照的である。
1976年の映画『カサンドラ・クロス』からは全体に「新幹線」へのオマージュを感じられる。さらに小説家小林久三は『カサンドラ・クロス』をヒントに寝台特急さくら号が決起部隊にジャックされるサスペンス作『皇帝のいない八月』を執筆。松竹で映画化され、本作で古賀役の山本圭が主演。
1997年の『名探偵コナン』劇場版1作では「東都鉄道東都環状線」の線路上に爆弾が仕掛けられ、時速60キロ以下になると爆破するというシーンが登場。本作同様ポイント切り替えシーンや新幹線総合指令所とそっくりなセットやカットがアニメ化された。
2003年の韓国映画『TUBE』はタイマー式爆弾をセットされた地下鉄車両が走ると言うストーリーである。この映画にも走りつづけている列車を回避する為に待避線へ逃げる他の列車の描写がある。
2005年に公開された映画『交渉人真下正義』は本作をオマージュした場面がある。
小説では、1998年に出版された『謀略軌道 新幹線最終指令』で、盛岡発東京行きの東北新幹線「やまびこ」号の車両に、速度が時速100km以下になると爆発する爆弾を仕掛けられる。犯人は多額の身代金を要求し、JRは時間稼ぎのために急遽東京駅構内で東北新幹線と東海道新幹線の線路をつなぎ、「やまびこ」号を博多まで走らせる(小説に登場する「やまびこ」号は周波数切替対応のE2系0番台のJ編成。これは、東北と東海道・山陽で電源周波数が異なる(東北が50Hz、東海道・山陽が60Hz)ので、他の車両では東京駅を通過できないため)。
fr:Super Express 109
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