井筒和幸

ページ名:井筒和幸

テンプレート:半保護井筒 和幸(いづつ かずゆき、1952年12月13日 - )は、日本の映画監督、タレント。奈良県大和郡山市出身の70歳。奈良県立奈良高等学校卒業、血液型A型。

目次

映画監督として[]

来歴[]

高校時代から8ミリ、16ミリ映画の製作を行っており、1975年に友人と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立する。1975年にピンク映画『行く行くマイトガイ 性春の悶々』を初監督(「井筒和生」名義)。上京後もピンク映画を撮り続け、そのうちのひとつである『色情女狩り』から「井筒和幸」名義となる。その一方で、関西の情報誌「プレイガイドジャーナル」にコラムを執筆。

1981年、初の一般映画『ガキ帝国』(「プレイガイドジャーナル」がプロデュースした、ATG映画)がヒットし、日本映画監督協会新人奨励賞を受賞。『赤い復讐 暴姦』を最後にピンク映画から遠ざかる。

『ガキ帝国』のヒットを受け、同1981年のうちに続編『ガキ帝国悪たれ戦争』を制作するが、主人公たちがアルバイトをしている「モスバーガー」店での喧嘩シーンで「この店のハンバーガーは猫の肉や」というセリフがあったため、モスバーガーからの強硬な抗議があり、早々に公開中止となる。この映画は、以降はソフト化もされない「封印作品」となっている。

1983年には、メジャー作品であるあだち充原作の『みゆき』の監督を任される。原作漫画の内容を知らずに報酬条件で引き受けたが、原作を電車内で初めて読み、その「内容のなさ」にあきれて本を電車の中に放置した。なんとか仕事を続けるが、撮影前のカット割をしているうちに鬱状態となる。精神科医の診断では「仕事のストレスでの離人症のため、最低2ヶ月の療養が必要」と診断されるが、撮影は「3日延期」したのみで開始。抗欝剤を大量に飲みながら監督をつとめ、映画を完成させた。なお、完成後には、病気は嘘のように治ったという[1]

1991年9月、大作『東方見聞録』の撮影中にエキストラの俳優が死亡する事故が起きる(死亡事故、事故後の詳細については下記の#映画撮影中の死亡事故を参照)。

1996年公開の『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』では、関西出身の監督らしく大阪の土着的な風景をフィルムに定着することに成功し、ブルーリボン賞作品賞を受賞するほどの評価を得る。その後、1999年の『のど自慢』や2003年の『ゲロッパ!』など立て続けに話題作を制作。

2005年の『パッチギ!』はザ・フォーク・クルセダーズの名曲「イムジン河」をテーマに、在日朝鮮人と日本人の高校生どうしの抗争と恋愛を描き話題となる。2度目のブルーリボン賞作品賞を得るなど、多くの映画賞を受賞した。

2008年の『TO THE FUTURE』は、朝日放送新社屋完成記念 Theショートフィルムズと題して、7月12日から7月21日まで新社屋の新・ABCホールにてオムニバス形式で上映された、こどもをテーマに製作された短編映画。近年、こどもを取り巻く環境下において、ひとつの社会問題としてクローズアップされている、学校関係者などに理不尽な要求を行う親(モンスターペアレント)をテーマに、現代社会に蔓延する問題を鋭く描いた作品である。タイトルの『TO THE FUTURE』は、ターミナルで偶然見かけた、自衛隊のポスターからヒントを得たという。

タレントとして[]

1990年代半ばからテレビやラジオのバラエティ番組にも出演し、映画評論等をおこなうようになる。しかし自らの感性と異なる作品に辛辣な意見を呈する自身のスタイルから、放送媒体への出演が徐々に制約されるようになる。極論な意見を口にすることから、辛口評論家と呼ばれることがある。映画としては徹底した作家主義を好むらしく、特にフランシス・フォード・コッポラには最大の賛辞を送っている。2006年以降は情報番組でのコメンテーターを務めることもある。

近年、独自の哲学と論理に依拠した意見から、講師としてセミナーに招かれる事が多い。また、さまざまなジャンルのパネルディスカッションにおいても、多角的な見解を示している。こうしたことから、映画人としての傍ら、思想家としての側面を伺うことができる。

映画批評における発言・出来事等
  • 2005年12月24日、テレビ朝日の「虎の門」においてチャン・ツィイー主演の「SAYURI」に関して「日本人芸者の役に中国人を配役するなんて異常だ」等、辛辣なコメントをした。しかし、自身の作品「パッチギ!」にてアルジェリア系フランス人とのハーフの日本人である沢尻エリカを朝鮮人役に起用している。
  • 「ラスト・エンペラー」について、中国人や日本人にまで英語を話させる姿勢を中心に苦言を呈しており、映画本来の出来映えにはあまり触れなかった。
  • パッチギ! LOVE&PEACE」と同時期に上映された石原慎太郎製作・脚本の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」について、上映前から「戦争の美化映画」等と批判的なコメントを述べており、「俺は〜」に出演していた窪塚洋介や新城卓監督から「映画を観てから評論して欲しい」等の反論を受けることになる。また、石原に対して「映画では俺が先輩」等と言明したが、実際には石原のほうが映画界でのキャリアが長く、現在に至るまで多数の映画脚本を執筆している)[2]。興行的には、「パッチギ! LOVE&PEACE」は「俺は〜」に及ばない結果となった。[3]
  • 映画『ALWAYS 三丁目の夕日』についてはネガティブな捉え方をしており、辛辣な見解を述べていた。第29回日本アカデミー賞最優秀作品賞部門において『三丁目の夕日』が受賞した際、授賞式後に「初めて見たが学芸会もいいとこ、4コマ漫画もいいとこで、こんなゲテモノがアカデミー12冠だったのかと改めて喫驚した」と改めて同作品を論評したが、未見で評価を下していたことが明らかになった。
  • 2007年11月16日、第4回蛇いちご賞において、上記のように未見の映画を批判するスタイルが論難を浴び、監督部門に選出されている。

映画撮影中の死亡事故[]

事故の概要[]

1991年9月22日、自身が監督を務めた映画『東方見聞録』の撮影中に、エキストラ(足軽役)として出演していた俳優A(仮名・当時21歳)が、ロケ現場である静岡県駿東郡小山町上野で溺死する事故が発生した。事故現場には、武者が滝つぼに落ちるシーンの撮影のため、川の流れを利用した水深2メートルもの大がかりな滝つぼのセットが組まれていた。Aは総重量約9kgもの鎧を着せられ、手を縛られた状態でこの滝つぼに入ったところを激流にのまれ、その後意識不明の重体となり病院へ運ばれたが、翌日死亡した[4]

事故後[]

同年11月に、Aの遺族(両親)が業務上過失致死罪で御殿場警察署に告訴し、死亡した俳優の演技上の安全を確保する義務を怠ったとして、監督である自身と助監督は書類送検された[5]。事故後も『東方見聞録』の撮影は完成するまで続行されたが、事故が報じられて社会問題となり、1992年5月18日に予定されていた公開は中止となった[6]。(その後、1993年8月1日にビデオ発売)

『東方見聞録』の製作会社であるディレクターズ・カンパニーはこの事故の翌年に倒産したため、遺族への補償金は自身が支払うこととなった[7]。事故後、映画の仕事から距離を置いていたが、1993年に仙頭武則の依頼により『突然炎のごとく』で監督業に復帰している[8]

主な監督作品[]

  • 『行く行くマイトガイ 性春の悶々』(1975年・井筒和生 名義、三上寛 茜ゆう子 橘ルミ子)
  • 『熱くて深い交わり 肉色の海』(1978年・井筒和生 名義、北京一 大賀美津子 城あけみ)
  • 『暴行魔真珠責め』(1979年・井筒和生 名義、池内琢磨 高橋章代 反口博子)
  • 『足の裏から冥王まで』(1979年・井筒和生 名義、劇団日本維新派)
  • 『僕と隠岐島号』(1979年・井筒和生 名義、港雄一)
  • 『女教師 覗かれた暴行現場』(1980年・井筒和生 名義、港まゆみ 沢木ミミ 青野梨麻)
  • 『色情女狩り』(1981年・上野淳 紗貴めぐみ 亜希いずみ)
  • 『ガキ帝国』(1981年・島田紳助・松本竜介)
  • 『赤い復讐 暴姦』(1982年・沢木美伊子 下元史郎 大杉漣)
  • みゆき』(1983年・永瀬正敏 宇沙美ゆかり 三田寛子)
  • 『晴れ、ときどき殺人』(1984年・渡辺典子 太川陽介 松任谷正隆)
  • 『(金)(ビ)の金魂巻』(1985年・九十九一 小林まさひろ 大門正明)
  • 二代目はクリスチャン』(1985年・志穂美悦子 岩城滉一 柄本明)
  • 『犬死にせしもの』(1986年・真田広之 佐藤浩市 安田成美)
  • 宇宙の法則』(1990年・古尾谷雅人 横山めぐみ 鳥越マリ)
  • 風、スローダウン』(監修、1991年・石田靖 五十嵐いづみ 長原成樹)
  • 『東方見聞録』(1993年ビデオ発売、緒形直人 設楽りさ子 柴俊夫)※未公開
  • 『罪と罰 ドタマかちわったろかの巻』(1994年・間寛平 坂上香織 古尾谷雅人)
  • 『突然炎のごとく』(1994年・坂上香織 小木茂光 山本太郎)
  • 『クレイジー・コップ 捜査はせん!』(監修、1995年・間寛平 小松みゆき 大竹まこと)
  • 岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』(1996年・矢部浩之・岡村隆史(ナインティナイン)、大河内奈々子)
  • 『さすらいのトラブルバスター』(1996年・鹿賀丈史 久本雅美 村田雄浩)
  • 『のど自慢』(1999年・室井滋 尾藤イサオ 小林稔侍)
  • 『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』(1999年・室井滋 尾藤イサオ 竹内結子)
  • ゲロッパ! GET UP!』(2003年・西田敏行 常盤貴子 山本太郎)
  • パッチギ!』(2005年・塩谷瞬 高岡蒼佑 沢尻エリカ)
  • パッチギ! LOVE&PEACE』(2007年・井坂俊哉 中村ゆり 藤井隆)
  • 『TO THE FUTURE』(2008年・光石研)

出演番組[]

テレビ[]
  • ピンポン!(TBSテレビ)※水曜日コメンテーター
CM[]
  • 近畿ろうきん(近畿労働金庫)
  • クリアアサヒ(アサヒビール株式会社)

過去の出演番組[]

テレビ[]
  • THE・サンデー (日本テレビ)
  • ぐるナイ(日本テレビ)
  • 爆笑問題のバク天!(TBSテレビ)
  • 虎の門 (テレビ朝日)
  • ナンボDEなんぼ(関西テレビ)
  • ちちんぷいぷい(毎日放送)
  • タモリ倶楽部(テレビ朝日)
  • スーパーモーニング (テレビ朝日)
ラジオ[]
  • 井筒和幸の土曜ニュースアドベンチャー (ニッポン放送)2002年7月~2005年3月
  • ブジオ! (TBSラジオ)※火曜日担当
  • CUT BACK (α-STATION)2006年4月~10月
  • GEO@チャンネル presents シネラバ(TOKYO FM)
  • Kakiiin(TBSラジオ)
CM[]
  • Terios Lucia(ダイハツ工業)
  • アテンザ(マツダ株式会社)
  • 味の素 うまいシリーズ(味の素株式会社)
  • きき湯(株式会社ツムラ)
  • 料金プランファミリーズ(ツーカーセルラー東海)

著書[]

単著[]

  • あの娘をペットにしたくって 双葉社, 1986.9
  • 宇宙の法則 リクルート出版, 1990.1
  • アメリカの活動写真が先生だった 小学館, 1998.12
  • こちトラ自腹じゃ ワニマガジン社, 2002.11
  • 小説ゲロッパ! ソニー・マガジンズ, 2003.8
  • アホか、お前ら! 徳間書店, 2004.2
  • 虎の門井筒和幸のこちトラ自腹じゃ! 101本斬り テレビ朝日コンテンツ事業部, 2004.12
  • サルに教える映画の話 バジリコ, 2005.10
  • 民族の壁どついたる! 河出書房新社, 2007.5. -- (14歳の世渡り術)

共著[]

  • 大阪オールスターズ編「大阪呑気大事典」(JICC出版局 1988.8)
    • 大阪の様々なキーワードをコラム形式で紹介する本。多数の項目を執筆している。(編集:チャンネルゼロ)
  • テンプレート:Cite book
  • 愛、平和、パッチギ!(李鳳宇との共著) 講談社, 2007.5
  • 豊かで複雑な、僕たちのこの世界(森達也の対談集に対談者として参加) 作品社, 2007.8
  • それぞれの韓国そして朝鮮(姜尚中,磯崎新,黒田福美,澤地久枝,筑紫哲也,中井信介,浜美枝,雅,梁英姫,リービ英雄との共著) 角川学芸出版, 2007.12

脚注[]

  1. 中島らも+鮫肌文殊『ひそひそくすくす大爆笑』(メディアファクトリー)に収録の井筒監督との対談より。
  2. 2007年4月19日デイリースポーツ
  3. 2007年度上映ランキングにてこの映画は圏外(2007年全国映画概況;日本映画製作者連盟)
  4. 朝日新聞1992年3月5日朝刊
  5. 朝日新聞1992年3月5日朝刊
  6. 朝日新聞2004年9月11日
  7. アエラ2002年7月1日、朝日新聞2004年9月11日
  8. 朝日新聞2004年9月11日

外部リンク[]

  • 日本映画データベース
  • 講演依頼ドットコム

fr:Kazuyuki_Izutsu



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