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『パッチギ! LOVE&PEACE』(テンプレート:Lang ラブアンドピース)は2007年5月19日より公開された映画。
監督は井筒和幸、エグゼクティブプロデューサーは李鳳宇。2004年に公開されてヒットした『パッチギ!』のキャストを一新して迎えた、続編的位置づけにあたる作品。「パッチギ」は朝鮮語(韓国語)で「突き破る、乗り越える」ならびに「頭突き」の意。
1974年の枝川(現在の東京都江東区)。アンソン(井坂俊哉)とその一家は、病にかかった息子チャンス(今井悠貴)の治療のために、京都府からこの街に引っ越してきた。アンソンはある日、駅のホームで京都時代からの宿敵近藤(桐谷健太)と遭遇し、彼が率いる大学応援団と朝鮮高校生との大乱闘に巻き込まれるが、気のいい国鉄職員の佐藤(藤井隆)に助けられる。佐藤はその争いが原因で国鉄をクビになってしまうが、アンソンの家族とも親しくなり妹キョンジャ(中村ゆり)にほのかな思いを抱く。キョンジャは、ある日ホルモン屋の手伝いをしていた所に偶然に客として居合わせていた芸能プロダクションの関係者からスカウトを受けたことをきっかけに芸能界入りを決意する。しかし芸能界への一歩を踏み出すものの、なかなか芸能界独特のしがらみに馴染めない。そんなキョンジャに対して声を掛けてくれたのは、自然体で業界に染まらずにいる先輩俳優の野村(西島秀俊)だった。やがてキョンジャはそんな野村に迷いながらも惹かれ始めていく。一方チャンスの病状は次第に悪化し、医師より日本では助かる術がないと宣告される。アンソンはアメリカでの治療にかかる莫大な費用のために無謀な計画を立て、佐藤を巻き込みたった2人で危険な仕事へと突っ走っていく。愛する者の命を救うために…。そしてキョンジャの恋の行方は…。
前作の1969年の京都から5年、その後のアンソンの一家を中心とした在日コリアンの人々の生活を描いた物語である。前作のような泣いて笑えるテンポの良いエンターテインメント的な物語展開は抑えられている。
1974年当時の世相、ファッション、流行等が垣間見える。また、在日コリアンが直面していたとされる差別の場面が数多く登場する。また、今作ではアンソンの父の回想シーンがあり、オールドカマーと言われる在日1世が若かりし頃に故郷である済州島から強制連行(徴兵・徴用)され、日本軍の南方戦線であるヤップ島へ送られていく中で懸命に生き抜いてゆく様子が描写されている。これらの内容については、映画レビューサイトなどでは、フィクションであるとはいえ、あまりに史実を無視し、視点が在日コリアンの主張にのみ傾向している事から否定的な意見も多く[1]、多方向で様々な議論が沸き起こした。産経新聞では、「日本人が戦前においては如何に残虐で、また今日においても如何に差別的であるかを強調し、日本人であることが嫌になる内容」を持つ徹底的な反日映画であると評した。
一方で映画評論家の前田有一は「この映画は反日映画ではなく、在日コリアンを貶める描写も多々見られ、反在日コリアン映画である」との感想を述べている。
当初パッチギ!に出演した沢尻エリカを予定したが、出演を固辞され、中村ゆりがキョンジャ役を演ずることとなった。なお、中村は、本作公開中に自身が在日コリアンであることを明かした[2]。
なお、劇中劇として描写されている「太平洋のサムライ」は、同時期に上映された石原慎太郎氏脚本による映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』のパロディーとも受け取られる。
井筒監督は、この映画と同時期に上映された石原慎太郎が製作総指揮した映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」について上映前から「戦争の美化映画」等と酷評をしており、「俺は、君のためにこそ死ににいく」に出演していた窪塚洋介等から「映画を観てから評論して欲しい」「観る前に言うヤツ(井筒)はアホ」などと反論された。結果的に「俺は、君のためにこそ死ににいく」に興行収入で惨敗した(2007年度上映ランキングにてこの映画は圏外)。
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