殿下の料理番

ページ名:殿下の料理番

昭和天皇~今上陛下~徳仁の三代にわたって仕えた宮中料理に携わる元・大膳課に属していた渡辺誠氏の著書『殿下の料理番 皇太子ご夫妻にお仕えして―伝統と新風 皇室のいま』(小学館文庫2001年)のこと。著者である渡辺誠氏は1948年東京生まれ、東宮御所の主厨を経て1996年退官(48歳前後の若さで大膳職を辞したことに)、2003年1月に54歳の若さで肝不全にて急逝している。

渡辺氏自身が語る「イセエビ・フカヒレ・フォアグラなど予算計画から外れた異例の食材グレードアップ」「当初は最後まで顔を明かさない謎の客として訪問」という、小和田雅子が1992年12月12日徳仁のプロポーズを受諾する以前、何度も徳仁と食事を共にしていたその内容が大いに注目される。「大食い雅子さま」のご機嫌を取るために、徳仁が婚約内定以前の段階からゴージャスな食い物を餌にしていたこと、また雅子がそれを遠慮するでもなくほいほい喰い付いていた事実がよく分かる生々しい証言である。

この後、雅子周辺OWDが雑誌記者らに「大膳の料理は不味い」と吹き込み、それを記事に書かせるという事件を起こしている。これは皇太子と雅子の婚約・結婚そしてその後の生活を縁の下の力持ちとしてバックアップしていた渡辺氏を始めとする大膳課の人々に感謝を述べるどころか、侮辱しているといっても過言ではない仕打ちと言えるだろう。

渡辺氏著書である『殿下の料理番』は、小和田雅子エピソードの他にも、食という観点から当時の東宮事情が窺える貴重な証言が記され、また詳細且つ分かりやすい語り口で皇室世界を紹介している本である。雅子マターを抜きにしてもとても読み易い面白い本であるので、興味を持たれた方には一読をお勧めするものである。

参照:【大膳】、【大食い雅子さま】、【釣書き

目次

小和田雅子とイセエビとフカヒレ[]

  • 『殿下の料理番 皇太子ご夫妻にお仕えして―伝統と新風 皇室のいま』渡辺誠、小学館文庫2001年「微笑みのマリアージュ」の章、pp.126-133より引用 (注目される箇所を太字表示しています)

特別なお客さま
「明後日、お客さまがお見えになることになりました。大至急、メニューを考えてもらえますか?」
 (補足:皇太子)殿下が葉山の御用邸でご静養されているときのことです。内廷職員から、私のもとに電話が入りました。内廷職員というのは、殿下のお側でプライベートなご用向きをも承る職員のことです。
 :
(中略)
 :
 お客さまといっても、これはご公務ではありませんから、特別な費用が割り振られるわけではありません。あくまでも、通常の食費の中から捻出することになりますので、決して贅沢な食材をふんだんに使えるというわけではないのです。そこで、通常考えられうる食材を組み合わせた中国料理のメニューを考えて、それを葉山の御用邸にいる職員にファクシミリで送りました。
 しばらく待つと連絡が入りました。
「メニューの件ですが、内容をもう少し検討し直してもらえませんか?」
「えっ?」
 私は一瞬戸惑いました。これはたいへん珍しいことでした。と言いますのも、殿下が私ども大膳の組んだメニューに対し、変えてほしいと言われたことなど、それまで一度としてなかったからです。お友だちがお見えになられるときに、若い方たちなので量を多めにしていただきたい、といったご要望を伺ったことはありますが、内容についてのご注文を承ったことはありません。
 お料理の内容を検討するということは、食材をグレードアップするということにつながります。常に私どもの立場まで配慮してくださる気配りの細やかな殿下は、それが何を意味しているのか、よくご承知になっていらっしゃいます。今回に限ってそうまでおっしゃるということは、よほど特別なお客さまなのだと考えました。
 そこで私はさっそくメニューとその食材を組み直しました。当初は小エビを使う予定だったエビ料理は、食材を伊勢エビに変え、新たにフカヒレもメニューに加えました。そして次のようなメニューにして、再度、送信しました。

  前菜の盛り合わせ
  スープ
  フカヒレの姿煮込み
  牛肉のオイスターソース炒め
  伊勢エビの淡雪炒め
  チャーハン
  デザート

 すると、折り返し、
「『たいへん結構です』とのことです」
 という返事をいただきました。ホッと安堵したことは言うまでもありません。急いで食材の手配をしました。

 その翌々日、御所にお客さまを迎える当日になっても、いらっしゃる方がどなたなのかはわかりませんでした。通常の場合ですと、遅くても来客のある前日までに、大膳に「明日のお客さまはこういう方です。こんな料理を作ってください」という依頼伝票が回ってきて、それをもとに食材を手配したり、下準備をしたりするのです。
 ところが、このときは内廷職員を通して電話で依頼があったのみで、当日になっても正式な伝票が回ってきませんでした。
 ただ、いつにないご注文をされたことからして、その日のお客さまが大切な方だということはわかりました。それならば、厨房を預かる私どもも、殿下が胸を張っておもてなしできるようなおいしいものをお作りしなくてはならないと、大膳のスタッフ一同、いつも以上に気合が入ったように思います。
 :
(中略)
 :
 やがてお食事が終わり、どのお皿もすっかりきれいになって下がってきたのを自分の目で見たとき、心から胸をなでおろすことができました。
 お客さまがお帰りになられるとき、大膳の者も廊下に出てお見送りをすることがしばしばありますが、このときはそういうこともなく、この日、お客さまのお顔を拝見する機会はありませんでした。最後まで、謎のお客さまだったのです。
 その後、しばらくしてメディアはお妃報道でにわかに騒がしくなりました。そして小和田雅子さんとのご婚約が正式発表されます。大膳の職員たちの間でも、「あの日のお客さまは雅子さんだったのではないか」という話が出たりしました。
 のちに、私は直接ご本人からお礼を言われ、このときのお客さまがやはり雅子さんで、それが初めての御所へのご訪問であったことを知ることになります。
 ご成婚という慶事に向けてのカウントダウンは、こうして始まっていたのです。

小和田雅子とフォアグラとロッシーニステーキ[]

  • 『殿下の料理番 皇太子ご夫妻にお仕えして―伝統と新風 皇室のいま』渡辺誠、小学館文庫2001年 「微笑みのマリアージュ」の章、pp.134-138より引用 (注目される箇所を太字表示しています)

フォアグラのおもてなし
 やがて雅子さんの御所への訪問も公けのものとなり、回を重ねるようになりました。おふたりでお食事をされる機会も、私が担当しただけで数回ありましたし、和食を召し上がったことも幾度かありました。
 そのたびに殿下はおもてなしのお料理のことにも心砕かれていましたが、たいていは、ふだんお客さまがいらっしゃるときと変わらぬご指示で、あの晩のような特別なご要望はありませんでした、
 ところが、もう一回だけ珍しいご要望をされたことがあったのです。私が担当してフランス料理をお出ししようというときでした。
「ロッシーニはできますか?」
 侍従を通して、こんなお問い合わせがありました。
 ロッシーニとは、ひとことで言えばフィレ肉の上にフォアグラをのせたお料理です。イタリアの名作曲家ロッシーニが好んだ料理というところからその名が冠され、「牛フィレ肉のロッシーニ風」などと称されています。殿下もお出まし先などでしばしば召し上がっていらっしゃいます。
 それにしても、「ふだん、ご自分から高級食材を使うお料理をご指名になられたことはないのに、お珍しいな」、そんな思いが私の脳裏をよぎりました。
 そのころはまだ雅子さんのお好みがわかりませんでしたが、内廷の職員がお伺いしたりしたのでしょう、少しずつ情報が入ってきました。その中に、お肉類がお好きらしいというものがありました。殿下はそれをお知りになって、おいしいフォアグラを使って「ロッシーニ」とお望みになられたのだと思います。
 私は、
「はい、大丈夫です」
 と即答しました。
 その後、侍従からまた連絡が入りました。
「先ほどの件ですが、『食材の用意などで無理があるようであれば、別の料理で結構です』とのことです」
 いかにも殿下らしいお言葉です。
 大膳では、フォアグラを用いる場合、かつては缶詰になったものを使うのがほとんどでした。これは日本のフランス料理店でもたぶんそうだったと思うのですが、保存の問題などから、ひと昔前には新鮮な生のフォアグラを入手することがむずかしかったからです。加工料がプラスされる分だけ缶詰のほうがやや高くつきますが、当時はフォアグラを調理するための専門的な技術や知識も乏しく、慣れてない料理人がおぼつかない手際で調理するよりは、缶詰を利用したほうが技術的な失敗が少ない、などの理由もあったのだろうと思います。
 しかし、それはしばらく前のお話。運輸事情も保存技術も飛躍的に進歩した今日では、生のフォアグラも入手しやすくなっています。さらに味の点でいえば、やはりフレッシュ・フォアグラのほうが格段においしいのです。缶詰ものは、やはり缶詰特有のにおいを消し去ることができません。
 そこで、大膳でもときには生のフォアグラを入手するようになっていました。
 独立なさった直後に、それを召し上がっていただいて、私は殿下にこのように申し上げたことがありました。
「このフォアグラは、氷漬けしてフランスから空輸したものです。一週間に一度だけ届きます。金曜日に成田空港に着きまして、そのときがもっともよい状態です。土曜日、日曜日までは、おいしく召し上がっていただくことができます」
 私のこの説明を覚えていてくださって、フレッシュ・フォアグラが用意できるのかどうかということをご心配になったのだと思います。
 外務省に勤務されていた小和田雅子さんが御所にお見えになるのは、どうしても土曜日か日曜日になります。そこで、そのおいしいフォアグラがもし用意できるのなら、雅子さんに召し上がっていただきたい、それが無理なら、別の料理でいい、とおっしゃりたかったのでしょう。
 ご要望に副うべく、私がフレッシュ・フォアグラを使ってロッシーニをお作りしたことは、ご想像の通りです。そして、「なぜ珍しくフォアグラのような高級食材を……」と不思議に思ったことも、のちになって納得がいきました。その日は雅子さんのお誕生日だったのです。

補足:小和田雅子29歳誕生日である1992年12月9日は水曜日。このフォアグラディナーは、その前の5・6日の土日、若しくは13日の日曜か、19日土曜が可能性として考えられる。12日土曜はプロポーズを受け入れた当日であり、当夜は小和田一家&小川東洲のメンツで中華料理を食べに出かけているため除外。『FLASH』1993/1/26号<“長かった道のり”…小和田雅子さんに決まるまで>p.7に「12月19日 デート」と記述があり、おそらくこの日か。

 皇室では、陛下や殿下のお誕生日には、朝からお祝いの行事が続きます。その日のご夕餐はほとんどの場合ご一家で摂られますが、おそらくおふたりだけということはないと思われます。
 そういう意味では、おふたりだけで静かに過ごされるお誕生日はこのときくらいしかない、と言ってもいいかもしれません。この日だけはご馳走でお祝いをして差し上げたかったのではないでしょうか。
 料理人の私がこんなことを勝手に想像するのはおこがましいのですが、ひとりの男性として大切な女性のことを想うときは、誰もみな同じなのではないかと想ったものです。そして、「もし事前にそっと教えていただいていれば、口あたりのいいシャンパンなどをご用意できたのに」――とも思いました。

皇室とインスタントラーメンとマスコミ[]

  • 『殿下の料理番 皇太子ご夫妻にお仕えして―伝統と新風 皇室のいま』渡辺誠、小学館文庫2001年 「忘れられない料理と出来事」の章、pp.172-177より引用 (注目される箇所を太字表示しています)

報道の誤解
 皇室への関心が高いことはわかるのですが、心ない一部マスコミによって、あやふやな伝聞をもとにしたり、興味本位の憶測で報道されたりすることは、たいへん残念なことです。
 たとえば、ある週刊誌にこんな記事が掲載されたことがありました。
  ≪皇太子殿下からのご注文で、あんパン、クリームパン、ミルクパン、などのほか、野沢菜、ナス、白菜の漬物をお届けしました。≫
 これは、那須の御用邸の近くにある八百屋さんの主人の言葉として紹介されました。これだけ読むと、まるで殿下がお食べになりたいとのご要望で、あんパンやクリームパンを頼んだかのように受け取られてしまいます。ところが、この言葉の陰にはいくつもの誤解と推測が混じっていたのです。
 この八百屋さんには、たしかに大膳の職員が食品の注文をすることがあります。翌朝のために何か不足する食品などがあった場合、たいていは職員の誰かが来るまで黒磯町まで買いに出るのですが、都合がつかないときには、そのご主人にお願いすることがありました。そのときは、お出迎えのために車が出払ってしまっていて町まで出かけることができなかったので、お願いすることにしたのです。
 たしかに、朝食用のパンを買ってきてほしいと頼みました。宮内庁の大膳が焼くパンを那須まで届けてもらうと、場合によっては中一日おいてからになってしまうこともあります。そこで地元のパン屋さんで焼いたものを注文することもしばしばありました。
 そして、それを届けてきてもらうついでに、職員が食べるパンやら漬物やらを一緒に持ってきてほしいと頼んだというのが、事の真相です。
 その話がどういうわけか、地元の新聞に載ってしまいました。それを見た週刊誌の記者が八百屋さんのご主人に取材をして、その結果が冒頭のような話になってしまったのです。
 たぶん、このご主人はそんなことは言っていないと思われます。記者から、
「御用邸に、皇太子さまと雅子さまがお食べになるパンをお届けしたそうですね?」
 と問われて、
「はい」
 と答え、さらに、
「そのなかには、あんパンやクリームパンもあったそうですが……」
「はい」
 と答えた――。それが記事になったときには「殿下からのご注文」になり、両殿下と市販の菓子パンというミスマッチな組合わせをおもしろがった記者の手によって、興味本位の記事が書き上げられたのでしょう。
 実際に両殿下が召し上がったのは、朝食用のパンだけ。あとはすべて、職員のおなかに入ったものでした。いつものように買い物を頼んだ職員にも、頼まれた側の八百屋のご主人にも、何の落ち度があったとは思われません。それがこんな結果を招いてしまうとなれば、宮内庁が報道陣に渋い顔をしたくなるのもやむをえないことかもしれません。

 似たような推測の報道のなかに、
  ≪両殿下はインスタントラーメンがお好きである≫
 というものがありました。それだけならまだしも、
  ≪皇太子殿下の学習院のご学友は、「おなかがすいで夕食まで待ちきれず、ご自分でインスタントラーメンを作って召し上がった」という話を聞いたことがあるそうです。≫
 などとかかれているではありませんか。
 少なくとも私どもはそんなお姿を拝見したことは一度もありません。この記事が書かれたのは仮御所のころでしたが、当時のお部屋には殿下がお使いになるキッチンなどはありませんでしたし、大膳の厨房か事務室には常に誰かしらいますが、殿下がそこに降りてこられてラーメンを作られたことなどありませんでした。
 そのうえ、さらに一般の方が信じてしまいそうな話が続いています。
  ≪お住まいの東宮仮御所には、インスタントラーメンの詰まったダンボール箱が置かれている。≫
 最後に、この記事はこんなふうに締めくくられていました。
  ≪東宮御所の夜更け、それぞれのお勉強が一段落なさったあとで、おふたりが仲良くインスタントラーメンを召し上がっている、そんなほのぼのとした情景が目に浮かぶようだ。≫
 なんとも不思議だと思いました。というのは、実際にインスタントラーメンの入ったダンボール箱が置いてあったからなのです。それは災害時に備えた職員の非常用食品でした。殿下へのご来客などで業務が深夜に及ぶとき、職員は夜食を食べることがあります。そうしたときにこのインスタントラーメンを食べるといったこともあるにはあったようですが、なぜそれが「殿下がお好きで……」という話になってしまったのでしょう。その箱が置かれていたのは事務所のいちばん奥の部屋で、外部の人がむやみに入れるような場所ではありません。
 考えられるのは、この事務所に取材に来たテレビクルーの人たちがインスタントラーメンの箱を見て、それがマスコミ関係者に流れて、おもしろおかしく報道されるネタになったのだろう、ということでした。
 最後のフレーズには、怒りを通り越して呆れてしまうとしか言いようがありませんでした。想像とはいえ、何の根拠もなくこういう記事を書く記者というのは、それをどれだけの人が読み、どれだけの人がそれに影響されてしまうか、さらには、この無責任な記事が誌面に出てからどんどんとひとり歩きしてしまうことを、まったく気づかずに書いているのでしょうか。
 こうした報道には、本当に心を痛めました。「報道の立場として世の中の皆さんに出すからには、きちんと根拠のある内容を書いてほしい」「少なくとも自分で書いたことに堂々と胸を張れるようなものにしてほしい」、そんなことをよく思ったものです。

雅子と「ミスターワタナビィー」[]

『殿下の料理番』(渡辺誠著、小学館文庫2001年)
p.150より引用
 やがて、私は妃殿下から「ミスター渡辺」と呼んでいただくようになりました。一般職員に「ミスター」の敬称は過ぎた呼び名なのですが、お料理をお教えしたりするところから、敬意を表してくださったようでした。私は、「ミスター渡辺を呼んでください」というお声がかかるのを、心待ちにするようになりました。

英語自慢の雅子が態々こう口にしているわけだから「みすたーわたなべ」と日本語発音する筈はなかろう、恐らく「ミスターワタナビィー」と英語調抑揚がついていたことだろうとお察しする住民により、御一行様スレッド用語としてしばしばこのカタカナ表記が使われている。(一応)日本人である雅子が同じ日本人相手に「ミスター」付けで呼ぶ頓珍漢な脳内白人ぶり、呼ばれた渡辺氏の当時の戸惑いが伝わってくる文章である。

参照:【マサグリッシュ】、【レイシスト



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