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平成20年(2008年)1月1日に発生した事件。サンデー毎日が初めてこの事件について触れ、その後週刊文春も内容に若干差異があるものの似たような記事を発表している。週刊文春は「元旦おせち事件」「小和田家おせち事件」と記事見出し・小タイトルで名付けも行っている。
『サンデー毎日』2008/2/3号 <「めまい」で精密検査 美智子さまにのしかかる“三つの心労”> p.30より引用 |
『週刊文春』2008/1/31号<雅子さまと小和田夫妻「元旦おせち事件」> pp.39-40より引用 |
注目されるのは、これら両誌記事に対し宮内庁がとった対応の違いである。
平成20年1月24日「サンデー毎日」(平成20年2月3日号)の記事について 「サンデー毎日」(平成20年2月3日号)に「美智子さまにのしかかる”三つの心労”」の見出しで書かれた記事に関する事実関係及び宮内庁東宮職としての対応は下記のとおりです。 |
平成20年1月29日「週刊文春」(平成20年1月31日号)の記事について 「週刊文春」(平成20年1月31日号)の「雅子さまと小和田夫妻『元日おせち事件』」と題する記事の中に「陛下が皇太子の頃,正田夫妻が東宮御所へ食事に招かれたことは一度もなかった。」という記述があります。 |
先ず『サンデー毎日』2008/2/3号に対して抗議しているのは「宮内庁東宮職」であることに注目したい。この二誌への対応以前にも「女性セブン」(平成20年1月3日・10日号)の記事についてと、「THEMIS(月刊テーミス)」(2008年1月号)の記事についてと、2件HPで掲載があるが、いずれも対応を求めているのは「宮内庁」と記載されている。ということから、『サンデー毎日』2008/2/3号については東宮職限定=徳仁と雅子が反応して抗議行動に出たことが窺える。またこのサン毎への抗議文書で用いられている接続詞「そもそも」も妙な使われ方である。
そしてその後に発売された『週刊文春』2008/1/31号については、皇后陛下のご両親である正田夫妻についてのみ事実と異なる点があるとして宮内庁から説明が発表されただけで、宮内庁東宮職からは何ら抗議・反論文書が発表されていない。
また元日、雅子さまは新年祝賀の儀を午前中に切り上げ、小和田家のご両親と東宮御所で昼食を共にされたとも。
雅子さまが皇太子をお残しになって東宮御所に戻られた後のことです。雅子さまの両親である小和田夫妻と妹の池田礼子さん一家が東宮御所を訪れていたのです。お体のため、儀式をお休みされたのは仕方ありませんが、お帰りになってからご親族とおせち料理を囲まれたとお聞きしました。
この日、小和田夫妻と池田一家は皇居で新年祝賀行事が続いている頃に東宮御所に入ったという。皇太子より一足先に東宮御所に戻られていた雅子さまは、皇太子がお戻りになるのを待ち、ご一家揃ってご親族にお会いになられた。
ご親族には大膳課が用意したおせちが振る舞われた。
これらをつき合わせて考えると、サン毎記事の一部が否定され、
これらが、東宮職により確認された事実である。
一方で、文春記事の
等は否定されていない。
したがって「小和田家親族は東宮夫妻が元旦祝賀の儀に出かけている間に東宮御所に上がりこんでいて昼食を食べていた。そして早々に戻ってきた雅子はすぐに彼らを顔を合わせることはせず別々の部屋にいたが、皇太子が祝賀の儀を終え戻ってきてからおせち料理を一緒に食べた」ということが推測され、これが2008年元旦小和田家おせち事件の全貌ではないかと考えられる。
おまけに小和田家親族が毎年新年に東宮御所へ上がりこんでいることまでバラされて、そのようなことはしなかった正田家(お誕生日にお招きにより東宮御所に上がる程度だった)と宮内庁HPで比較される事態に至っている。「しょっちゅう会ってるシリーズ」でまとめられているような雅子夫人実家小和田家べったり度合いは今更言うまでもないが、火消し抗議をするどころか却って延焼を招いている東宮職の対応は、まことにお粗末であるとしか言いようがない。
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