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一向に子供ができる気配のないことで千代田・宮内庁をやきもきさせ続けていた東宮家雅子夫人が、不妊検査で特に異常なしの結果を得て、両陛下に向かって自分には何ら問題がないと主張した内容の発言に登場するフレーズ。フルの台詞だと『検査の苦しさよりも私が子供を産める身体だと、両陛下にご理解をいただいてほっと致しました』とのこと。
元女湯盗撮カメラマンにしてフリージャーナリストを肩書とする友納尚子の記事において、「両殿下(=徳仁雅子)をご結婚前から知り、今も多くを知り得る関係にある、皇室の将来を憂う人物でもあるX氏」が証言したという、実に眉唾物の形で飛び出す発言である。後に友納尚子が週刊文春で連載したプリババこと「ザ・プリンセス雅子妃物語」にて、「子供を産める身体」云々の台詞はカットされぼやかした記述になっているが、時期は彼らの結婚から5年後である1998年夏のことだとされている。
結婚当初から子作りそして不妊治療と真剣に向き合っていれば皇室御一行様スレ住民奥様方の共感も得られたかもしれない。しかし三十路を目前にした結婚だったのにも関わらず、結婚後数年は二人きりの時間が欲しいと子作りをまともにせず、子供ができることを皆望んでいるとお声がけをされた陛下に向かって露骨な口答えをし、東宮侍医長が基礎体温の提出を求めても応じるどころか激怒して侍医長を辞職に追いやった等の経緯からして、「子供を産める身体」云々は只々雅子が問題を全て夫徳仁に押し付けてドヤ顔言い訳しているようにしか受け取れないと、スレ住民奥様方にとって非常に印象の悪い言葉の一つでもある。
★ごく大雑把な時系列★ 1993年6月9日徳仁雅子結婚 |
参照:【友納尚子】、【食卓】、【私の友達にそんなことを言う人は一人もいません】、【基礎体温】、【雅子の(゚Д゚)ハァ?な発言シリーズ】
【友納尚子】pp.95-99より引用
私は昨年来、雅子妃のご体調にかかわる取材を続けてきた。皇太子殿下とのご成婚のある日、沿道を埋め尽くした国民の祝福を受けて、晴れやかな笑顔で手を振っていた雅子妃はどこへ行ってしまったのか。何が雅子妃を追い詰めたのか。
そして皇太子会見(補足:2004年5月徳仁による「人格否定」発言がなされた会見)の後、宮内庁関係者の取材を重ねていた私のもとを両殿下のお側近くにつとめた人物が深刻な面持ちで訪ねてきた。仮にX氏とする。
X氏は両殿下をご結婚前から知り、今も多くを知り得る関係にある。皇室の将来を憂う人物でもある。X氏は皇太子のご学友、ある皇族の相談役、両殿下と親しい知人ら数名と話し合ったうえで、彼らを代表する形で私に対面したのだという。この証言が公にされれば「守秘義務」という観点から責めを負う可能性もあるが、多くの国民に危機意識を共有して欲しいとの思いから私のもとを訪れたのだと、X氏は説明した。
「皇太子の会見でのご発言に対するとまどいの声もあるようですが、あれは止むに止まれぬ気持ちから出たお言葉だと思います。それだけ雅子妃のご病状は悪いのです。このまま手をこまねいていては雅子妃が立ち直られることはないかもしれません」
以降、私とX氏とのやりとりは数十時間に及んだ。「菊のカーテン」という言葉があるが、その内側の人物が、雅子妃が置かれている状況をこれほど率直に語ったのは初めてのことだろう。
その核心証言に入る前に、X氏が危惧する雅子妃のご病状を改めて振り返りたい。
・・中略・・
皇室典範は「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めているのだから、宮内庁がお世継ぎを何よりも優先するのは当然のことだろう。皇室の存続がかかる親王のご誕生は国民の誰もが待ち望んでいることだ。しかし、お世継ぎか、外国訪問か、という二者択一論はいささか短絡すぎるのではないか。いうまでもなく親王の誕生を誰よりも祈っていたのは、ほかならぬ雅子妃だからだ。前出のX氏は、雅子妃のお立場をこう代弁する。
「妃殿下がお世継ぎのことをお考えにならないはずがありません。お世継ぎをお産みになるという責務が皇太子妃にあるということを自覚し、早く授かりたいと、誰よりも願っていらしたのは妃殿下です。しかし、こればかりは自然なもので“コウノトリのご機嫌”に任せるしかありません。ご夫妻はご懐妊に向けて、頭が下がるほど前向きでした。妃殿下も細かい検査を何度もお受けになられた。その結果が正常だと分かると安堵して、『検査の苦しさよりも私が子供を産める身体だと、両陛下にご理解をいただいてほっと致しました』とおっしゃったと聞いています」
それほど雅子妃にかけられたプレッシャーは大きかったのだ。
「宮内庁の幹部は顔をあわせればお世継ぎの話ばかりです。妃殿下が『(皇太子と)もう少し二人だけの時間を過ごしてみたい』と述べられても、『高齢出産はお身体がきつくなります』などと周囲がたしなめたそうです。また、宮内庁の関係者は妃殿下ご本人だけではなく、ご家族やお父様がつとめておられた外務省にも『とにかく一人産んでくれればいいんですから』『これは国事行為ですから妃殿下に産んでいただくよう諭してください』『産んでくれれば日本経済のGDPも三パーセント上がるんだから』などと露骨な言い方で迫りました。不謹慎な発言は、妃殿下の耳にも届いたようです。妃殿下が求められているのは世継ぎを産むことだけ、皇室外交なんてとんでもないといわんばかりでした。天皇皇后両陛下が強くお世継ぎを望んでいる、ということも毎日のように聞かされたそうです。愛子さまが生まれてからも日をおかずに、医師から『二人目のお子さま』について相談がありました。
妃殿下は決してそういうことをおっしゃるような性格ではありませんが、これでは何のために外務省を悩んで辞めたのかわからない、世継ぎを産むための機械ではないと思っても人間として当然です。繰り返しますが、誰よりも妃殿下こそがお世継ぎの誕生を一番望んでいるのです。しかしまた、皇太子妃のおつとめはそれだけではないはずです。親身に聞いてくれるのがお世継ぎの話題だけでは、ご自分の存在に疑問を持たれるのは当然ではないでしょうか」(同前)
p.41より引用
この(補足:1998年の)夏は異常高温が続いた。七月二十五日には、和歌山県和歌山市で夏祭りに集まった人たちが毒物により死亡した「和歌山カレー事件」が発生、日本中を震撼させた。マスコミの関心はこの事件にシフトし、皇太子ご夫妻を追っていた人員は削減された。
八月に入り、ご懐妊に向けて宮内庁医師団が具体的な検査などを含めた治療について、両殿下に納得のいく説明をしたものと思われる。自然な形を待っていたご夫妻も残された時間を痛感されていた。諦めかけていたお気持ちもよぎったのではないかと言われていた。主治医の坂本正一氏(東大名誉教授・御用掛)をはじめ、宮内庁病院の非常勤医師だった堤治東大教授が担当した。皇太子はご決断されて、この秋から治療に入ることになったといわれている。
残暑が厳しい中、皇太子ご夫妻は石川県で開催される「第十回全国農業青年交換大会」にご臨席された。日程の最終日の八月二十七日には、県内の「ふれあい昆虫館」を訪ねられたのだった。到着されたときは土砂降りの雨で湿度も高かったが、館内は花が咲き乱れ、別世界のようだった。
たくさんの蝶がヒラヒラと舞っている中で、お二人が植物をご覧になっていた時だった。雅子妃の頭に一匹の蝶が止まったのだ。まるでリボンのようだった。一瞬、館内にいた関係者や報道陣からどよめきが起こった。雅子妃は笑顔で、皇太子はその様子を温かく見守っていた。
「まさしく幸せを運んでくれるお告げのようでした。雅子妃は笑顔でじっとされていました。このハプニングで、天気の崩れで晴れなかった気持ちも明るくなるほどでした。殿下も『何かいいことが起こるのでは』と笑顔でおっしゃっていました」(宮内記者)
秋になり、皇太子ご夫妻は宮内庁病院で度重なる検査を受けられた。お二人にとってお辛い時間もあったかもしれないが、元宮内庁関係者によれば雅子妃のお気持ちは意外にもそのようなものではなかったという。
「これまでお子さまが生まれないのは雅子妃のお身体のせいだといわれてきたことから、この検査結果が出たことで『やっと周囲にわかってもらえる』と安心したお気持ちの方が強かったと言われています」
検査結果が出たことで、具体的な治療は翌年からということになったという。皇太子ご夫妻は希望を抱かれていた。
(文中一部敬称略・以下次号)
p.40より引用
(補足:敬宮愛子ちゃん誕生の2001年12月1日の)翌日午後、両陛下が宮内庁病院にお見舞いに来られた。帰り際、報道陣のカメラの前でお見送りをなさる皇太子に向かって、美智子皇后は「いい赤ちゃんでしたね」と目を細められた。陛下も「とても良かったですね」とお祝いを告げられた。
一方、宮内庁は内親王のご誕生と同時に、第二子のご誕生に向けての舵取りを始めようとしていた。来年には皇太子は四十二歳、雅子妃が三十九歳、ご年齢と内親王ご誕生までに時間がかかったことを考えると、急がなくてはならない。皇統維持の重要性のみを考えれば当然のことだが、宮内庁は焦りを抑えきれずにいた。両陛下のお考えもあると思うが、準備だけは進めておきたいところだった。この数週間後、宮内庁の幹部たちは都内で会合を開いた。そこで課題として挙げられたのは、雅子妃の第二子に対するご意志を早くご確認することだったという。
実は千代田側が、「出産直後の雅子妃に露骨に第二子の話をしたことがあった」(東宮関係者)という。
出産への労いも祝いもそこそこに、「早く次の子を、男の子を」という言外の期待。
今生まれたこの子は、心から祝福されているのだろうか、辛い治療に耐えてきたことは何だったのか――。実は、雅子妃は千代田側の強制で卵管にチューブを通す検査まで行ったのだった。その後にご気分が悪くなられ、御進講を途中で退席されたこともあった。望んでも妊娠しない、それは今ではごく普通のことだ。だが、皇太子妃が懐妊されないということを皇室制度は想定していなかった。そのため皇太子ご夫妻の置かれた状況はあまりにも困難なものだったが、ご夫妻がそれに立ち向かって行かれたからこそ、いまこの素晴らしい命の誕生につながったのだった。
その喜びを無にするような「第二子への期待」は、もはや恐怖であったと言っても過言ではないだろう。そのような非人間的な扱いに耐えられなかったとしても、それはけっして雅子妃のせいにできはしない。
ある宮内庁関係者によれば、皇太子ご夫妻は新婚時代、「二年間は子どもをつくりません」と両陛下におっしゃったと言う。真実だとしたら、落胆したことだろう。
実は、皇太子ご夫妻は真剣に「お世継ぎ問題」を受けとめていた。雅子さまは、生真面目で頑張りやだ。両陛下の期待に応えたいという使命感のような気持ちは強かった。しかし、この問題は頑張ろうとすればするほど女性にはつらい。
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