剥製作り

ページ名:剥製作り

小和田雅子が田園調布雙葉小学校時代に所属していた生物クラブの活動で、卒業文集に最大の思い出として書いたことで世に知られているもの。これについて語るには、先ず周辺情報として小和田雅子の「押し虫」作成から触れるのが分りやすいだろう。

『小和田雅子さん素顔の29年』永井雄一、データハウス(1993/2) p.84より引用

 小学6年生の秋、修学旅行で静岡県の登呂遺跡を見学したことや、伊豆山荘で朝までクラスメートとおしゃべりした思い出を卒業文集に綴っている。
 林間学校では、楽しいエピソードもあった。立ち寄った寺の境内で、友人たちと座っていた雅子さんのお尻の下に、1匹のハエがまぎれ込んでいた。
 そして立ち上がった雅子さんのお尻の下で、そのハエが潰されていた。
「えーっ、これ押し花? 押し虫よね」
 そうして笑う仲間の笑顔がそこにはあった。
 才知とちゃめっ気とやさしさがいっぱいの雅子さんは卒業していった。
 6年生のときに、学校の近くでテニスを習ったが、中学になるとソフトボール一色になっていった。


単にこれだけなら、品は無いが子供時代の他愛無い思い出話で済むだろう。しかしながら、『小和田雅子さん素顔の29年』、また友納尚子連載「ザ・プリンセス雅子妃物語」には虫を潰してしまったことについて、雅子が全く正反対とも言える態度を取っている記述が存在する。

『小和田雅子さん素顔の29年』永井雄一、データハウス(1993/2)

p.83より引用
 生物クラブの実習で、ウサギにエサをやっていたときのこと。下級生が間違ってアリを踏んでしまった。そのとき、
「かわいそうでしょ」
 と真顔で言った雅子さん。
 雅子さんが愛情を注ぐ動物は、その形態の美醜で選ぶことはなかった。ヘビでもトカゲでも、またちいさなアリでさえ、生きるものすべてに注ごうとしていたのである。

『週刊文春』2012年8月2日号<ザ・プリンセス雅子妃物語 第7回 「生物クラブ」顧問の回想>友納尚子連載記事

p.44より引用
 雅子さんの生物に対する興味がさらに開花したのは、六年生の「生物クラブ」からだった。
 理科の担任の岸田泰則教諭が顧問で、一年前に発足したばかりの「生物クラブ」は六年生が四人、五年生が二人だけ。飼育小屋や生物室で飼っている動物の掃除と餌やりが日課だった。雅子さんは、五年生のとき以上に朝早く登校して、学校で飼っていたニワトリやウサギ、カタツムリに自宅から持ってきた餌を食べさせた。
 また、週一回のクラブ活動の時間以外にも、昼休みや放課後に生物室に顔を出した。プラケースには蛇がいて、日当たりの悪いところで過ごすのは可哀そうだと取り出して校庭の草むらで日向ぼっこさせてあげたこともあった。下級生がふざけて蟻を踏んでいると、それを見た雅子さんは「可哀そうじゃない」と真剣な眼差しで訴えたこともあったという。

『小和田雅子さん素顔の29年』永井雄一、データハウス(1993/2) p.81より引用

 4年生のときだった。軽井沢にある小和田家の別荘に、クラスメートといっしょに遊びにいったときのこと。犬を連れて小径を散歩していると、ケガした小鳥が、弱々しく羽をバタつかせているのを見つけた。さっそく部屋に運び込んだ雅子さんは、そこで友人と2人で朝まで看病をする。
「早くよくなるといいね」
 何度も何度も、祈るような気持ちで小鳥に囁きかけた。しかし、その願いもむなしく、陽が昇ると小鳥は動かなくなった。そのときの彼女の落胆ぶりはひどいものだった。まるで家族のひとりを失ったかのように、
「ひどいじゃなの、どうして!」
 と泣き崩れてしまった。
 雅子さんの、小さな動物にかける愛情ははかり知れないものがあることを、友人は初めて知って感動した。


いかにも小和田雅子が生き物を愛する心優しき少女として描写されているが、同一本『小和田雅子さん素顔の29年』p.84とp.83の内容を比較すると「下級生にはアリを潰したことを非難しているくせに、自分がハエを潰したときは“押し虫”だと笑う」、小学校時代の雅子が他者には厳しく自分には大甘という人間性を持っていることになる。
ケガした小鳥を拾った話についても、歯が浮きそうなほど実に感動的に書かれているが、その一方で小和田雅子自身が伝蓋小学校卒業文集で書いた死んだ野鳥・コジュケイについては憐憫の情が全く感じられないという、これまた真っ向正反対の態度が確認できる。

   「クラブ」          小和田雅子

 
 六年間の思い出といえば 修学旅行、林間学校、遠
足 運動会など たくさんあります。
 でも、とても印象に残ったのは 六年の十一月十四
日のクラブです。私は 五年の時は手芸部で、今年は
生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先
生の、小さいクラブです。
 この日、私たちは、「コジュウケイ」のはくせいを
つくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスに
ぶつかって 死んだのだと先生はおっしゃいました。
 肛門から はさみをいれて お腹の皮をさきます。
その後、肉を切らないようにして 中の肉を取り出し
ます。そのためには 足とつばさを 適当なところから
切らなければなりません。足は、うまくいきました。
つばさも一こできて、残るは つばさ一ことなりまし
た。そこは、先生がなさいました。ところが何という
失敗! 先生は、つばさを切り落としてしまったので
す。あと 頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。
そして かわかしたあと 中身を入れて はくせいが
できたのに…… とても残念!
田園調布雙葉小学校、小和田雅子卒業文集作文画像

『FRIDAYフライデーSPECIAL』1993年6月26日増刊号<徳においては純真に…雅子さまの胸に刻まれた田園調布雙葉学園の校訓>

pp.74-75より引用
 雅子さまは父・恒氏の転任で米国ニューヨークから'71年に帰国。公立校にしばらく通われたあと、'72年4月、田園調布雙葉に編入された。同級生からは「オワ」の愛称で呼ばれ、5年生で手芸部、6年生の時に生物部にお入りになった。雅子さまの4~5年生時に理科を教え、生物クラブの顧問でもあった岸田泰則先生(現在、宝仙学園高校勤務)は、当時の雅子さまについて、こんな思い出を語る。
「授業中の小和田さんは大変明るい生徒でしたね。生物クラブに入ってきたのは6年生の時で、部員は全部で4人。ハムスター、小鳥、時にはウサギといった小動物を飼って、世話をしたり観察などをしていました。野生のコジュケイが校舎の壁にぶつかって死んだので、一度剥製を作ろうとしたことがあります。が、結局失敗しましてね、小和田さんに『先生のせいだ』と責められました(笑)。腹を切るのに気持ち悪がったりということはなかったですね。小和田さんは家でカメレオンを飼っていたそうで、ご両親が動物に対して変な先入観を植えつけず、のびのび育てられたからだと思います。
 小学校の卒業文集に雅子さまは生物クラブのことをお書きになっておられる。印象深い学校生活だったのだろう。


  • 「下級生にはアリを潰したことを非難する雅子」と、「自分がハエを潰したときは“押し虫”だと笑う雅子」
  • 「怪我した小鳥を拾って世話したが死んでしまって嘆き悲しむ雅子」と、「学校の窓ガラスに衝突して死んだコジュケイの剥製作りを気持ち悪がりもせず、小学校生活最大の思い出と作文に書く雅子」


いくら人格形成途上の子供とはいえ、到底同一人物とは考えがたいほどに矛盾しているエピソード群である。小和田雅子は二重人格者という解釈もできなくはないが、それよりは「小和田雅子は動物を愛する心優しい少女である」というエピソードが誇張、若しくは虚偽である可能性が高いとは言えないだろうか。自筆卒業文集画像の存在や小学校時代の友人証言、生物クラブ顧問の岸田泰則先生証言から判断されたい。
なお「押し虫」話は小学生時代だけに留まらず、成人してから友人結婚披露宴スピーチで新婦がしたネタとして(スライド手法である)招待客として出席した雅子が紹介するなどといった下品な宣伝をされているようである。

ニュース速報+板:【皇室】 陛下が触れない雅子さまの病状。東宮職医師団の見解発表は二転三転…「診断名、適応障害から変わるのでは」の憶測も

http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263132303/
283 名無しさん@十周年 sage 2010/01/11(月) 10:35:07 ID:HGGFYN670
>>141
「押し虫」は小6の作文に書いた話だけれど
それを、なんと20代中ごろのデンフタ友人の結婚披露宴スピーチで蒸し返して言ってるんだよね。
もしかしたら自分が押しつぶしたことを忘れていて、花嫁がしたと間違えて記憶してたのだろうか。
とにかく、この「押し虫」スピーチが婚約当時、テレビ局で流れたのは事実だから今もその局は当時のビデオを持っているはず。
 
ちなみに婚約当時、ある女性週刊誌は>>138の「押し虫」の作文(雅子さん直筆)をそのまま掲載していた。
これも残ってるはず。


参照:【樽ネズミ】、【プッチー】、【ショコラ】、【ピッピとまり】、【ゆり】、【作文



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