森の王と王の森

ページ名:森の王と王の森

 森の王と王の森(King of forest & King's forest)は、リトアラ半島北西部カリア地方に出没するという魔物の一種。魔族の一種ともされるが、遭遇して生還した例が非常に少なく、地元の伝承として残るに留まる。区分に当てはめればその特徴から領域系の魔物ということになるが、研究者の間ではそもそもこれを魔物と分類して良いものかという議論も存在する。

 森自体はカリア平原に存在する森(「王の森」と呼称される。調査団が何度か入ったが何の変哲もない森であり、航空写真等でも変わった点は認められなかった。必要のある時だけその姿を現すのではないかと考察されている)で、この森に迷い込んだ者の中で「森の王」に選ばれた者はその身を以てカリア地方に豊穣を齎すとされる。

 地元の伝承がいつ頃からあったのか不明だが、はっきりと記録されたのは400年代に「王の森」に迷い込んだ3人の兵士の内の1人が「森の王」に選ばれ、残った2人がそれを報告した事例が最初である。尚、その年から数年間はカリア地方の農産品は豊作だったと記録されている。以降も数十年に一度、「王の森」で行方不明者が一人出るとその年から数年は豊作が続く。

 

事例

400年代の事例

 記録上最古の遭遇事例。原文記述者の悪筆により、423年説と433年説がある。

 カナンツェの兵士ら3名が野営の為に薪を集めに「王の森」に入り、その内の1人が「森の王」に選ばれた。

 生還した2人の証言は「森の中に急に開けた空間に出た」「玉座が一つあって、そこには腐敗した死体が腰かけていた」「玉座の死体が急に立ち上がり、剣を構えて襲い掛かってきたのでアンデッドの罠と思い、3人で戦った」「すぐに切り伏せ、1人がとどめを刺した。自分達は気付けば森の外に居て、アンデッドととどめを刺した兵士は居なくなっていた」といった内容であった。

 報告を受けた指揮官は最初まともに取り合わず、消えた兵士を逃亡したものと考えていたが、その後周囲の村で情報を収集した結果、伝承があることが判明し「森の王」に選ばれた説が有力となった。

 

1674年の事例

 1674年9月、流星の災厄で被災者を受け入れた結果、スラムから出火した大火でカリア平原へ避難してきたレティナの住民らの内、住民らの誘導を行っていたレティナの騎士ガストーネ・フィオレンツォ・ヴァンニが周辺の安全確保の為の探索中、「森の王」に選ばれた。ヴァンニは自分が住民らの中でも目立つように、自邸に飾っていた中世の甲冑とマントを身に着けていた。

 彼は使用人らと志願した住民に「王の森」の周囲を調べさせ、最も危険度が高いであろう森の中へは使用人2人を引き連れて自ら探索に入った。使用人の1人はマスケット銃を持っていたが、ヴァンニはレイピアを、もう1人の使用人は中世時代のブロードソードを持っていた。

 夜になってもヴァンニらが戻らない為、心配した住民数人が「王の森」に入り、使用人2人が倒れているのを発見。周囲には発砲した状態のマスケット銃と折れたレイピアが落ちていた。

 使用人らはすぐに意識が戻り、森の中で急に開けた場所に出たこと、ヴァンニが何か拾った直後にその場所の椅子に腰かけていた人骨が立ち上がって襲い掛かってきたこと、ヴァンニは勇敢に戦ってレイピアを折られてもなおブロードソードで果敢に攻めたこと等を話した。

 

1747年の事例

 1747年6月、アルマニア軍に撃墜されたリトアラ共和国陸軍の魔法飛行兵2名(アリーチェ・ヴェレッティ兵長とカミッラ・セヴェリーニ兵長)が、カリア平原を移動中に航空機に発見されることを避ける為に「王の森」へ入り、ヴェレッティ兵長が「森の王」に選ばれた。

 セヴェリーニ兵長は撃墜される際に右足と両目に重傷を負い、ヴェレッティ兵長に背負われていた為、自分が森に入ったことも分からなかったが、ヴェレッティ兵長が少し妙な空間で自分を降ろして休憩していたところを何者かに遭遇し、短機関銃を連射した音が聞こえた為、心配になって声をかけたがそこからの記憶がなく、気付けば目と足が完治した状態で森の出口に倒れていたと証言している。

 ヴェレッティ兵長は任務放棄と敵前逃亡の容疑で本人不在のまま軍法会議にかけられたが、彼女の中隊長であるカランドレッリ大尉とセヴェリーニ兵長の証言によって戦死認定されている。

 

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