「貞信公記」を含むwiki一覧 - 1ページ

日記 - なんでもある Wiki

考えられ、初期のものとして、例えば、宇多・醍醐・村上3代の「三代御記」などの天皇の日記や重明親王の『吏部王記』などの皇族の日記、藤原忠平の『貞信公記』、藤原実頼の『清慎公記』、藤原師輔の『九暦』(九条殿御記)など上級貴族の日記が知られている。平安中期以降は、摂関家や小野宮流・勧修

続々群書類従(記録部) - いにしえwiki

記録部 103 三代御記 上(藤原広昵抄)記録部 104 貞信公記(藤原忠平)記録部 105 九暦(九条師輔)記録部 106 平記(平行親)記録部 107 宇治関白高野山御参詣記(平範国)記録部 108 江記(大江匡房)記録部 109 平知信朝臣記(平知信)記録部

源経基 - 日本通信百科事典

驚キ愕イデ分散ス」と述べられており、清和源氏の実質的な祖である経基は軍事指揮官としての経験が浅く、その素質が欠如した人物だったという。↑ 『貞信公記』『日本紀略』によると、940年2月19日(天慶3年正月9日)に叙せられており、将門追討後に平貞盛・藤原秀郷(貞盛の母方の叔父)らと

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