群書類従(和歌部) - いにしえwiki
71 内裏名所百首 だいりめいしょひゃくしゅ 順徳天皇 172 弘長百首 こうちょうひゃくしゅ 西園寺実氏 173 丹後守為忠朝臣家百首 たんごのかみためただあそんけひゃくしゅ 藤原為忠, 藤原俊成 174 木工権頭為忠朝臣家百首 もくのごんのかみため
71 内裏名所百首 だいりめいしょひゃくしゅ 順徳天皇 172 弘長百首 こうちょうひゃくしゅ 西園寺実氏 173 丹後守為忠朝臣家百首 たんごのかみためただあそんけひゃくしゅ 藤原為忠, 藤原俊成 174 木工権頭為忠朝臣家百首 もくのごんのかみため
朝日に君を 思ひ出ん かたぶく月に われを忘るな (中納言通俊)027.瑞垣の 久しかるべき 君が代は あまてる神や そらに知るらん (藤原為忠)028.磯菜つむ 入江の波の 立かへり 君みるまでの いのちともがな (平康貞女)029.もろこしの 代々はうつれど 敷島や 大和島根
71洞院摂政家百首()新勅撰和歌前宝治御百首()百首部類宝治御百首()百首部類弘長百首()群書類従172白河殿七百首()群書類従165丹後守為忠朝臣家百首()群書類従173木工権頭為忠朝臣家百首()群書類従174嘉元仙洞百首()百首部類文保御百首亀山殿七百首()群書類従166延元
。吉見頼忠 (伊勢吉見氏) : 法名は源円。吉見為頼の孫、伊勢吉見氏(伊勢源氏)の当主の頼氏(円忠)の子、頼澄・範景の祖父。吉見頼忠 (吉見為忠の子) : 吉見為頼の孫、頼廉(頼円)の孫、為忠の子、頼治の兄、頼行[1]・頼挙(よりたか)の父。生母は上記の大伯父の頼氏の娘。脚注[]
で活躍し、その戦功で肥前国を賜った。「鎮西平氏」とも呼ばれる。通字は「為」。後に伊佐早氏[7]に改称したという。詳しい動向は不詳だが、為宗(為忠)の子の為弘、為弘の子の為重、為重の子の為政(行政)、為政の子の為行を経て、為行の曾孫の為朝(行朝)と続いたという。室町時代に、紀姓藤原
伊勢の浜荻 ふく風の 治まりにきと 四方に知らせむ (北畠顕能)042.君すめば 峯にも尾にも 家居して み山ながらの 都なりけり (二条為忠)043.神の世の 三種のたから 伝へます 我がすべらぎぞ 道も正しき (花山院長親)044.二つなき ことわり知らば 武士の 仕ふる道
大僧正集前斎院摂津集一宮紀伊集肥後集伯母集(康資王母)待賢門院堀河集藤原基俊集大蔵卿行宗集(源行宗)中納言雅兼卿集(源雅兼)平忠盛朝臣集藤原為忠集左京大夫顕輔卿集(藤原顕輔)兵庫頭源仲正朝臣家集大納言成通卿集(藤原成通)貧道集(藤原教長)田多民治集(藤原忠通)親隆集(藤原親隆)清
見吉見氏一門の吉見頼貞の曾孫、為信の孫、頼元の子。脚注[]↑ 義世・義成の父。↑頼忠(源円)の父、頼澄・範景の祖父。↑ 頼直・頼茂の父。↑ 為忠の父。関連項目[]源頼宗この記事は 『吉見頼宗』 のための曖昧さ回避ページです。下記は同じタイトルを共有しているページへのリンク一覧です
(にうのおおきみ)二条為明(にじょう ためあき)二条為子(にじょう ためこ)二条為定(にじょう ためさだ)二条為重(にじょう ためしげ)二条為忠(にじょう ためただ)二条為遠(にじょう ためとお)二条為藤(にじょう ためふじ)二条為冬(にじょう ためふゆ)二条為道(にじょう ため
氏)一門の武将。約2名ほど存在する。吉見頼廉 (吉見為頼の子) : 法名は頼円。吉見為頼の子、義春[1]・頼氏・頼房[2]・頼業[3]の弟、為忠の父、頼忠・頼治の祖父、頼行・頼挙(よりたか)の祖父。吉見頼廉 (石見吉見氏) : 上記の石見吉見氏(石見源氏)の祖である吉見頼行の曾孫
頼氏(円忠)の弟、頼業[3]・頼廉(頼円)[4]の兄、頼憲の父。脚注[]↑ 義世・義成の父。↑ 頼有・頼為・頼基の父。↑頼直・頼茂の父。↑ 為忠の父。関連項目[]源頼房この記事は 『鎌倉頼房』 のための曖昧さ回避ページです。下記は同じタイトルを共有しているページへのリンク一覧です
兄。田中俊義 : 断絶。政綱系[]田中政綱 : 経村の子、義房[9]・重村・親経の弟。田中時綱田中経勝田中経世田中経忠田中経久田中経友 : 為忠[10]の弟。田中経守田中経安田中氏行 : 氏久[11]の兄。田中氏経田中経俊田中政行田中政定 : 政重(政繁)の弟。田中政親田中親行田
↑ 氏頼の父、氏昌・頼隆・頼興の祖父、氏国(氏昌の子)の曾祖父。↑ 池田基利・道繁・基長(永相)の父、道房(道繁の子)の祖父。↑ 為基の父、為忠の祖父。関連項目[]源姓福島氏特に記載のない限り、コミュニティのコンテンツはCC BY-SAライセンスの下で利用可能です。
ために後継者としては扱われず、異母弟の清盛が次嫡子となった。彼は一族の伊勢氏の養子になったという。彼の動向は不詳であるが、藤原北家一門の藤原為忠の娘あるいは、藤原高成の娘[2]を娶り、忠重・忠度・維俊・忠清などを儲けたが、若くして早世したという。そのため、子の忠重・忠度・維俊・忠
頼氏 (伊勢吉見氏) : 法名は円忠。吉見為頼の子、義春[1]・頼宗[2]の弟、頼房・頼業[3]・頼廉(頼円)[4]の兄、頼忠(源円)・吉見為忠[5]室の父、頼澄・範景の祖父。伊勢吉見氏(伊勢源氏)の祖となった。脚注[]↑ 義世・義成の父。↑ 頼有・頼為・頼基の父。↑頼直・頼茂の
に九州地方を拠点とした。肥前伊佐氏 : 桓武平氏繁盛流で常陸国の大掾氏(常陸平氏)の庶家。『刀伊の入寇 』で活躍した大掾為賢(為方)[1]・為忠(為幹)父子を祖とする[2]が、実質的な祖は親幹(為忠の子)からである。戦功によって、朝廷から拝領された肥前国を本拠とした。後に伊佐早氏