旧呉海軍工廠 - 呉市周辺の遺構まとめ
います。近くに澎湃館(旧呉海軍工廠第一弾薬庫)があります。オカモト産業(旧呉海軍工廠電気部発電所)大之木ダイモ(旧呉海軍工廠電気部仕上工場)日新製鋼呉製鉄所(旧呉海軍工廠製鋼部・魚雷実験部)外から見る範囲では遺構は残ってませんが、かなり大きな工場で近くで見るとなかなかの迫力です。
います。近くに澎湃館(旧呉海軍工廠第一弾薬庫)があります。オカモト産業(旧呉海軍工廠電気部発電所)大之木ダイモ(旧呉海軍工廠電気部仕上工場)日新製鋼呉製鉄所(旧呉海軍工廠製鋼部・魚雷実験部)外から見る範囲では遺構は残ってませんが、かなり大きな工場で近くで見るとなかなかの迫力です。
日新製鋼若葉クラブ(旧新宮防空機銃砲台)若葉町にある日新製鋼の若葉クラブここには太平洋戦争中の昭和17年に防空砲台が作られました。砲台は海岸吉浦本町線道路を挟んで東西に構築され西側が現在の若葉クラブのある高台にありました。西側には防空機銃が配備され昭和17年9月に『40mm単装機
鍋山防空機銃砲台跡鍋山はかつて旧呉海軍工廠製鋼部(現日新製鋼呉製鉄所)の後ろにあった山ここには太平洋戦争中に呉海軍工廠防衛のための防空機銃砲台が作られ、昭和17年8月に『40mm連装機銃』1基が配備されました。その後、戦局の悪化と呉海軍工廠の後ろの山という位置的な重要性もあって、
海軍工廠西海岸応急防空砲台跡海軍工廠西海岸応急防空砲台はかつて旧呉海軍工廠製鋼部(現日新製鋼呉製鉄所)の海岸線にあった応急防空砲台旧呉海軍工廠製鋼部のある半島の付け根部分の南西側海岸線に構築され、昭和20年1月に『四〇口径一〇式12cm高角砲』が5門が配備されました。通常、防空砲
海軍工廠、日本遺産、広島県建物100選 アクセス ・広島電鉄バス「昭和町」バス停から徒歩すぐ ・広島電鉄バス「日新製鋼前」バス停から徒歩2分 GoogleMapで地図を開く
A. 鉄鋼メーカー参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%89%84%E6%97%A5%E6%96%B0%E8%A3%BD%E9%8B%BC
望台からの眺め三津峰山は標高378mと北にある灰ヶ峰の半分程度の高さですが視界が開けているため防空砲台が作られたと思われます。眼下にあるのは日新製鋼呉製鉄所(旧呉海軍工廠廠製鋼部・魚雷実験部)です。境界標石境界標石とは民間地と軍用地の境界を示す石で日本各地に点在します。M字が2つ
して海軍所属の船としたもので食糧・水・燃料・兵士を運ぶものから機雷・電線を敷設するもの、測量を行うものまで様々な船があります。ここは現在でも日新製鋼呉製鉄所に鉄鉱石等を運ぶ船が忙しそうに行き交う水域なので、そういった鉄鉱石・石炭の輸送船の繋留場であったのかもしれません。呉湾の中央
になっています。アレイからすこじま公園からアレイからすこじま公園駐車場に行く道から見えるので見つけやすいです。 備考 ・日新製鋼呉製鉄所にも魚雷部の実験部跡地が残っている ・同じ海軍工廠実験部として広の広島メタル&マシナリーにも鋳物部の実験部跡地が