「慈照院」を含むwiki一覧 - 1ページ

続群書類従(武家部) - いにしえwiki

長曽我部元親式目武家部 657 延徳二年将軍宣下記(恵林院殿将軍宣下記)武家部 657 永正五年将軍宣下次第(准后宣下次第)武家部 658 慈照院殿御髪置記武家部 658 常徳院殿御髪置記武家部 658 慈照院殿大将拝賀編目武家部 659 慈照院殿年中行事武家部 660 年中恒例

武家百人一首 - いにしえwiki

の つらき斗を うつつにて ゆめにそこゆる あふさかのせき (平貞国)096.けふはまつ 思ふ斗の 色みせて 心のおくを いひはつくさし (慈照院太政大臣)097.友もなき 夜半の枕の たちはなや むかしをかたる にほひなるらん (太智院贈太政大臣)098.霞とも 花ともいはし

勇猛百人一首 - いにしえwiki

の つらきばかりを うつつにて ゆめにぞこゆる 逢坂の関 (平貞国)096.けふはまづ 思ふばかりの 色みせて 心の奥を いひはつくさじ (慈照院贈太政大臣源義政)097.友もなき 夜半の枕の たちばなや 昔を恋ふる 匂ひなるらむ (大智院贈太政大臣源義視)098.霞とも 花とも

英雄百人一首 - いにしえwiki

見てなげき 聞て弔ふ 人あらば 我に手向よ 南無阿弥陀仏 (千葉介胤直)080.我庵は 月まつ山の 麓にて かたふく空の 影をしぞおもふ (慈照院義政)081.淋しさの 種をぞ植し 宵/\に 夢おどろかす 庭の萩原 (桜井中務基佐)082.なき身とは たれもしれども 諸共に いま

群書類従(和歌部) - いにしえwiki

くばんじかあわせ 藤原隆祐 221 永福門院百番御自歌合 えいふくもんいんひゃくばんおんじかあわせ 永福門院 221 慈照院殿御自歌合 じしょういんどのおんじかあわせ 足利義政, 飛鳥井雅親 221 尭孝法印自歌合 ぎょうこうほういんじかあわせ

銀閣寺 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

待たず、工事開始の翌年である1483年にはここに移り住んでいた。義政の没後、去した義政の菩提を弔うため東山殿を相国寺の末寺に改め、義政の法号慈照院に因み慈照寺と名付けられるのである。その後、火災に遭い、東山殿当時からの遺構は観音殿(いわゆる銀閣)、東求堂及び庭園のみであるといわれ

一般家集の一覧 - いにしえwiki

集(蒲生貞秀)草根集(正徹)草根集抜書(一条兼良)草根集寄書草根集部類(高田与清)草根集類題(安田躬弦)拾塵和歌集(大内政弘)馬上集(心敬)慈照院准后御集(足利義政)桂林集(源直朝)松田丹後守集(松田貞秀)慕景集(太田道灌)常徳院義尚集(足利義尚)蓮如上人御詠歌亞槐集(飛鳥井雅親

続群書類従(連歌部) - いにしえwiki

元年後小松院御独吟和漢聯句連歌部 482 応仁二年後花園院御独吟百韻連歌部 482 延徳三年後土御門後柏原両院御百韻連歌部 482 応仁元年慈照院殿御独吟百韻連歌部 482 永正二年兼載独吟蘆名家祈祷百韻連歌部 482 大永八年宗長独吟名号百韻連歌部 483 賀茂社法楽宗牧独吟名

今出川義純 - 日本通信百科事典

のり)と水野氏(尾張平氏)との間の子、第10代目将軍の義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹)[1]・実相院義円(義圓/義忠/義仲[2])・慈照院周嘉の弟、照禅院了玄の兄、義利・本多利綱室の父。目次1 概要2 脚注3 関連項目4 関連リンク概要[]足利義視の第4子として生まれた[

歌書(歌合) - いにしえwiki

歌合寛正歌合按察使親長卿家歌合武州江戸歌合七夕歌合文明十年歌合文明十年九月尽歌合文明十三年三十番歌合文明十四年将軍家歌合文明十四年将軍家歌合慈照院殿御自歌合四十四番歌合書抄殿中十五番御歌合正広三百六十番自歌合十番歌合明応元年歌合公武歌合武家六十番歌合地下歌合尭孝法印自歌合岩山道堅

源義知 - 日本通信百科事典

数名ほど存在する。脚注[]↑ 第10代目将軍の足利義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹とも、竹王丸の父)・実相院義円(義圓/義忠/義仲)・慈照院周嘉・今出川義純・照禅院了玄の父。↑ 『歴朝要紀』(高松松平氏の編纂)より。↑ 義顕・義藤の父、氏義の祖父、義盛の曾祖父。関連項目[]

足利義純 - 日本通信百科事典

)と水野氏(尾張平氏)との間の子、第10代目将軍の足利義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹)[1]・実相院義円(義圓/義忠/義仲[2])・慈照院周嘉の弟、照禅院了玄の兄、義利・本多利綱室の父。源姓今出川氏の祖となった。脚注[]↑ 竹王丸の父。↑ 『系図纂要』関連項目[]源義純新

足利義忠 - 日本通信百科事典

義圓、俗名は義忠/義仲[1]。足利将軍家一門の足利義視(よしのり)の子、第10代目将軍の義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹)[2]の弟、慈照院周嘉・今出川義純・照禅院了玄の兄。畠山義忠 : 法名は賢良入道。畠山氏(武蔵源氏)一門の能登畠山氏(能登源氏)の当主の畠山満慶(満則)

足利義勝 - 日本通信百科事典

俣城主をつとめた。脚注[]↑ 第10代目将軍の足利義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹とも、竹王丸の父)・実相院義円(義圓/義忠/義仲)・慈照院周嘉・今出川義純・照禅院了玄の父。↑古河足利家(古河公方)の当主の足利高基(高氏/義基)の子、晴氏(藤氏・義氏・藤政・輝氏・家国の父、

足利義仲 - 日本通信百科事典

義圓、俗名は義仲[1]/義忠。足利将軍家一門の足利義視(よしのり)の子、第10代目将軍の義稙(義材(よしもと/よしえだ)/義尹)[2]の弟、慈照院周嘉・今出川義純・照禅院了玄の兄。塩松義仲(石橋義仲) : 斯波氏(奥州源氏)下野石橋氏一門の塩松氏の武将。約2名ほど存在する。脚注[

続群書類従(和歌部) - いにしえwiki

院御集和歌部 424 順徳院御集和歌部 425 光厳院御集和歌部 425 式部卿邦高親王御集和歌部 426 等持院贈左府御集和歌部 427 慈照院准后御集和歌部 428 後福照院殿御詠草和歌部 428 後妙華寺殿御詠草和歌部 429 中園相国御集(洞院公賢公家集)和歌部 430

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