秀雅百人一首 - いにしえwiki
ぶく月は 唐土の はてのはてまで 見る心かな (松永貞徳)044.しづむとも ほどはあらじな こよろきの 五十路あまりの 波の捨舟 (妙寿院惺窩)045.もゝとせも 猶あきたらず 行末を 思ふこゝろそ ものわらひなる (江村専齋)046.ひとりすむ 庵とはいはじ よな/\に 我影
ぶく月は 唐土の はてのはてまで 見る心かな (松永貞徳)044.しづむとも ほどはあらじな こよろきの 五十路あまりの 波の捨舟 (妙寿院惺窩)045.もゝとせも 猶あきたらず 行末を 思ふこゝろそ ものわらひなる (江村専齋)046.ひとりすむ 庵とはいはじ よな/\に 我影
その船よそひ とくせなん 秋くれ方の 波の寒さに (細川幽斎)040.いづくより 何のためとか 野を遠み 尾花にまじり 人一人ゆく (藤原惺窩)041.行く川の 清き流れに おのづから 心の水も かよひてぞ澄む (徳川光圀)042.国をささげ 家をもおひて ゆく虫の 力まことに
〔藤原惺窩〕秀吉は大心にあらず/1p〔藤原惺窩〕羅山に贈りし歌/2p〔那波活所〕紀伊頼宣と桀紂/3p〔中江藤樹〕無刀にて溢者を捕ふ/4p〔中江藤樹〕至誠、人を動かす/5p〔林羅山〕幼時、鐘の銘を作る/7p〔林羅山〕図書編を惺窩に貸すを惜しむ/8p〔林羅山〕博学と世諺の説明/9p〔
第一期第一巻梅村載筆 林羅山 割記 藤原惺窩 口語 頁一筆のすさび 管茶山 著 頁七三羇旅漫録 曲亭馬琴 (滝沢馬琴) 著 頁一五九仙台間語 林笠翁 著 頁三〇五第二巻春波楼筆記 司馬江漢 著 頁一瓦礫雑考 喜多村信節 著 頁七九紙魚室雑記 城戸千楯 著 頁一八一桂林漫録 桂川中
A. 藤原惺窩は、戦国時代・安土桃山時代から江戸時代前期にかけての人物で、日本の儒学者です。特に、宋学(朱子学)を日本に伝えたことで知られています。また、書家としての一面もあり、多くの書作品を残しています。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%
教育部 182 朝倉宗滴話記教育部 183 北条幻庵覚書(宗哲)教育部 184 黒田家老士物語教育部 185 千代茂登草(惺窩藤光生)教育部 186 春鑑抄(林道春)教育部 187 三徳抄 上.下(林道春)教育部 188 敵戒説(林道春夕顔)教育部 189 翁問答
252 後水尾院御集歌文部1 253 後十輪院内大臣詠草(中院通村)歌文部1 254 為兼卿家集補遺(藤原為兼)歌文部1 255 惺窩先生倭謌集 巻1-5(藤原粛)歌文部1 256 衆妙集(玄旨法印)歌文部1 257 草山和歌集(元政)歌文部1 258 梶の葉 上
部 233 惟新公自記(島津義弘)詩文部 234 颺言録巻之1-4(叢翁紀正俊叙)詩文部 235 勧忠書(堀田正俊)詩文部 236 惺窩先生文集 巻之1-12(藤原為経編)詩文部 237 尺五堂昌三恭倹先生全集 巻1.2(滝川昌楽撰)詩文部 238 恭靖先生遺稿 巻1
)藤原季経(ふじわら の すえつね)藤原季通(ふじわら の すえみち)藤原菅根(ふじわら の すがね)藤原輔尹(ふじわら の すけただ)藤原惺窩(ふじわら せいか)藤原関雄(ふじわら の せきお)藤原宣子(ふじわら の せんし)藤原高子(ふじわら の たかいこ)藤原隆季(ふじわら
露寺経元 : 冷泉(下冷泉)為豊の子、為純[2]の弟。族父の甘露寺伊長の養子となった。脚注[]↑ 『陸奥話記』↑ 為勝・六条俊久・為粛(号は惺窩、為景の父、為元の祖父)・為将の父。この記事は 『藤原経元』 のための曖昧さ回避ページです。下記は同じタイトルを共有しているページへのリ
[3]を頼って、京都で医師となり、高名な医師として知名度が上がった[4]。また、茶道などの芸事だけではなく、学問にも優れ、特に儒学を好み藤原惺窩や林羅山に師事した。後にその功を認められて法印(法眼)となった[5]。板垣信憲 : 別称は信重/信里、通称は弥次郎。源姓板垣氏の当主の板
崇詠草豊公歌集(豊臣秀吉)衆妙集(細川藤孝)幽斎公歌集中院大納言集(中院通勝)今川氏真詠草伊達の松蔭(伊達政宗)前参議時慶卿集(西洞院時慶)惺窩先生倭歌集(藤原惺窩)参議時直卿集(平時直)侍従藤原光慶歌集詠二百首(脇阪安信)黄葉和歌集(烏丸光広)春の明ぼの(同)烏丸光広卿十二月花
土津霊神言行録 巻之上.下史伝部2 58 桃源遺事巻之1-5(三木之幹等編)史伝部2 59 宗長居士伝(黒川道祐)史伝部2 60 惺窩先生行状(道春)史伝部2 61 羅山林先生行状(林靖)史伝部2 62 舜水先生行実并略譜(今井弘済,安積覚共撰)史伝部2 63 貞