修身百人一首 - いにしえwiki
つしま 神の治むる 国なれば 君しずかにて 民もやすけし (源仲綱)042.薩摩潟 沖の小島に われありと おやには告げよ 八重のしほ風 (平康頼)043.もののふの とりつたへたる 梓弓 ひきては人の かへす物かは (平景高)044.夜を寒み ねやの衾の さゆるにも わら屋の風
つしま 神の治むる 国なれば 君しずかにて 民もやすけし (源仲綱)042.薩摩潟 沖の小島に われありと おやには告げよ 八重のしほ風 (平康頼)043.もののふの とりつたへたる 梓弓 ひきては人の かへす物かは (平景高)044.夜を寒み ねやの衾の さゆるにも わら屋の風
波間かきわけて 潜く海士の 息もつきあへず 物をこそ思へ (二条院讃岐)024.さつま潟 沖の小島に 我ありと 親にはつげよ 八重の潮風 (平康頼)025.吉野山 去年のしをりの 道かへて まだ見ぬ方の 花をたづねむ (西行)026.またや見む 交野のみ野の 桜狩 はなの雪ちる
A. 平康頼は平安時代の武士で、平将門の乱の際に将門に加担した罪で追討された人物です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%BA%B7%E9%A0%BC
きょう) = 藤原定家006.源頼政 (みなもとのよりまさ)007.小侍従 (こじじゅう)008.平判官康頼 (へいはんがんやすより) = 平康頼009.康頼妻 (やすよりのつま)010.物かはの蔵人 (ものかはのくろうど)011.待宵侍従 (まつよいじじゅう) = 待宵の小侍従
A. 平安時代末期に、俊寛、平康頼、藤原成経が流罪にされた島参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E7%95%8C%E3%83%B6%E5%B3%B6
げ、ふたりが現実と見紛うばかりの傑作を書いたばかりにひどい目にあったという伝説をあげている(紫式部が一旦地獄に堕ちた、というのは、治承年間、平康頼によって書かれた『宝物集』や延応以降の、藤原信実によって書かれたとされる『今物語』に、羅貫中の子孫三代が唖になった、というのは、明代、
だもり)平親清四女(たいらのちかきよ の しじょ)平経親(たいら の つねちか)平経正(たいら の つねまさ)平棟仲(たいら の むねなか)平康頼(たいら の やすより)平行盛(たいら の ゆきもり)高丘河内(たかおか の かわち)高階貴子(たかしな の きし)鷹司清雅(たかつか