菊野克紀 - Bout Wiki
35 IMPACT」での井上誠午戦で復帰。2008年8月17日、「DEEP 37 IMPACT」でBarbaro44と対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。2009年2月20日、「DEEP 40 IMPACT」のDEEPライト級王座決定トーナメント1回戦でチョン・ブギョンにT
35 IMPACT」での井上誠午戦で復帰。2008年8月17日、「DEEP 37 IMPACT」でBarbaro44と対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。2009年2月20日、「DEEP 40 IMPACT」のDEEPライト級王座決定トーナメント1回戦でチョン・ブギョンにT
ロスの英軍基地に生まれ、その後イギリスへ移住。2004年7月10日、「Cage Rage 7」で世界ライトヘビー級王者マーク・エプスタインにTKO勝ちを収め王座を獲得。11月27日の「Cage Rage 9」でのエプスタインとの再戦もKO勝ちし、同級王座を1度防衛。2005年9月
age Warriorsヘビー級王座来歴[]2005年3月6日、デビュー戦の「UKMMAC 10」でテンギズ・テドラゼと対戦し、開始48秒、TKO勝ちを収めた。2005年5月21日、「CWFC Strike Force 1」でMarcus Tchindaに1RでTKO勝ちを収めた
。2008年3月30日、「HEAT 6」でホ・ミンソクと総合格闘技ルールで対戦。空手仕込みの前蹴りでボディを効かせ、相手選手の戦意喪失によるTKO勝ちを収めた。2008年4月20日、新日本キックボクシング協会主催「TITANS NEOS III」で嚴士鎔と対戦。序盤、相手選手の蹴
もに、デビュー以来の連勝記録を11に伸ばした。2008年2月16日、EliteXC初参戦。マリオ・リナルディと対戦。膝蹴りからのパンチ連打でTKO勝ちを収めた。2008年6月14日、EliteXCでロン・ウォーターマンと対戦し、TKO勝ちを収めた。2008年10月10日、ShoX
対戦し、スタンドパンチによるKO勝ちを収めた。2009年8月8日、ネオブラッド・トーナメント・ライト級決勝で富山浩宇と対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収め優勝を果たしMVPを獲得した[1]。2009年10月25日、パンクラスでABと対戦し、開始50秒、ABの膝蹴りがローブローと
P 2005 in HAWAII」のオープニングファイトに出場。ブランドン・ウルフと総合格闘技ルールで対戦し、バックマウントパンチ連打によるTKO勝ちを収めた。2005年11月4日、初参戦となったパンクラスで中村勇太と対戦し、アッパーによるKO勝ちを収めた。2006年1月26日、
06年1月6日、SportFightでプロ総合格闘技デビュー。2006年6月15日、WEC初参戦となった「WEC 21」でミゲール・コシオにTKO勝ちを収めた。2007年3月24日、「WEC 26」でスティーヴ・キャントウェルと対戦し、TKO勝ちを収めた。2008年3月26日、「
ク7 Wikipedia獲得タイトル[]シュートボクシング日本スーパーバンタム級王座来歴[]2002年5月13日、プロデビュー戦で寒川慶一にTKO勝ち。8月25日、所属ジム龍生塾が主催する「どついたるねん9」で中野岳に3R判定負け。11月4日、初の後楽園ホールにて歌川暁文に判定負
の所属選手となり上京した。2007年5月6日、パンクラスのネオ・ブラッド・トーナメントライト級でプロデビュー。荒牧拓にサッカーボールキックでTKO勝ちを収めた。続く7月27日の決勝で五十里祐一に0-3の判定負けを喫し準優勝となった。2007年12月12日、DEEP初参戦となった「
ンクラシストとなった。2001年8月18日、「DEEP2001 in YOKOHAMA」でシェマック・ウォレスと対戦し、マウントパンチによるTKO勝ちを収めた。試合後のリング上で9月30日のパンクラス興行での美濃輪育久とのライトヘビー級タイトルマッチをアピールした[1]。2001
はカリフォルニア州の高校レスリング州王座を2度獲得した。2008年6月1日、WECに初参戦となった「WEC 34」で、チャック・グリスビィにTKO勝ち。続いて参戦した12月3日の「WEC 37」ではヒカルド・バホスにTKO勝ち。同大会でWECライトヘビー級が正式に廃止となったため
軍のエース藤田和之と対戦。試合は下馬評を覆して、藤田のタックルをかわし3度目のタックルに膝蹴りを合わせ藤田の額を割り、ドクターストップによるTKO勝ちを収めた。ミルコはこの勝利が大きな転機となったとコメントしている。10月8日、「K-1 WORLD GP 2001 in FUKU
IDEデビューし、「PRIDE 武士道」で小路晃と対戦。ベテラン小路の寝技に引き込まれそうなシーンもあったものの、最後は得意の打撃で押し込みTKO勝ちを収めた。小路戦を含めて日本人4連戦を全勝し、シウバの如く「日本人キラー」ぶりを発揮。2005年4月23日、PRIDE GP 20
なった[3][4]。2008年3月30日、格闘技初参戦となったTHE OUTSIDER旗揚げ戦のメインイベントで与国秀行と対戦し、パウンドでTKO勝ち。MVPおよびベストバウト賞を受賞した[5]。試合途中、レフェリーに注意されカッとなり突き飛ばし、リング上で正座する場面もあった[
2」ではアレクセイ・メドヴェーデフと対戦し、判定ドローとなった。5月4日、「UFC 31」ではピート・ウィリアムスと対戦し、左フックによるTKO勝ちを収めた。6月29日、「UFC 32」ではジョシュ・バーネットと対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本負けを喫した。2002年[]4月
006年9月、エヴァンゲリスタ・サイボーグと結婚。2008年7月26日、初参戦となったEliteXCでシェイナ・ベイズラーと対戦し、パンチでTKO勝ちを収めた。2008年10月4日、「EliteXC: Heat」で高橋洋子と対戦し、判定勝ちを収めた。2009年4月11日、Stri
した[1]。初参戦となった2008年2月1日の「HCF: Destiny」ではトッド・ゴーウェンバーグをスタンドのパンチと膝蹴りで攻め立て、TKO勝ちを収めた。2008年7月19日、Affliction旗揚げ戦「Affliction: Banned」でエドウィン・デューウィーズと
せずに新田明臣に誘われてS.V.G.に入門。2002年1月4日、全日本キックボクシング連盟(AJKF)興行でプロデビュー。佐手康人にパンチでTKO勝ちを収めた。2003年8月17日、全日本バンタム級王座決定戦で平谷法之と対戦し、判定負け。王座獲得ならず。2004年11月19日、全
28日、総合格闘技デビューとなった「戦極 ~第五陣~」にホジャー・グレイシーの代役として緊急参戦し、トラヴィス・ビューと対戦。パウンドによるTKO勝ち。その際、王冠と真っ赤なマントをまとい、美女4人を引き連れるなどの派手な入場と踊りを披露した。11月1日、「戦極 ~第六陣~」でフ
12月8日、「DEEP2001 7th IMPACT」で行なわれた第1回フューチャーキングトーナメント・82kg以下級に出場。3試合連続1RTKO勝ちで優勝を果たした。所属が「荒武者総合格闘術」となった[2]。2003年3月4日、「DEEP 8th IMPACT」で入江秀忠と対戦
12月14日にプロデビューした[1]。2006年6月3日、Euphoria MFCでデリック・ノーブルにスタンドのパンチ連打からのパウンドでTKO勝ちし、BodogFightウェルター級王座(旧名はMFCウェルター級王座)を獲得した。2006年8月26日、MARSで初来日し、小池
一本負けを喫した[3]。2008年8月17日、「DEEP 37 IMPACT」のフューチャーファイトでマコ・ドラゴンと対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めた。2008年10月3日、キックボクシング初挑戦となったJ-NETWORKで元プロボクシング日本ミドル級王者鈴木悟と対戦し、
蹴りからグラウンドに引きずり込みパウンドの連打しているところで1R終了となるが、サッポは立ち上がることができず、セコンドからタオルが投入されTKO勝ちとなった。2006年9月9日、金網マッチ初参戦となった「D.O.G IV」でホセイン・オジャギと対戦。腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを
対戦し、0-3の判定負け。この試合よりリングネームを原田ヨシキとした[2]。2009年7月12日、「GRACHAN 2」で樫倉康史と対戦し、TKO勝ちを収めた[3]。2009年11月29日、「GRACHAN 3」で泰平亮輔と対戦し、三角絞めによる一本勝ち。試合後、佐伯繁DEEP代
12月14日、ヴィトー・"シャオリン"・ヒベイルと修斗世界ウェルター級タイトルマッチで再戦。終始川尻が主導権を握り、2R3分10秒パウンドでTKO勝ちを収め、第8代修斗世界ウェルター級王者となった。2005年5月22日、PRIDE初参戦となった「PRIDE 武士道 -其の七-」で
-75kgトーナメントマッチ1回戦で“南関東CRS連合小田急流憂斗元総長CARAS”山田史博と対戦し、2R1分51秒マウントからのパウンドでTKO勝ち。続く2回戦でも“埼玉白岡町の若き長 全身凶器”齋藤龍正と対戦し、1R1分27秒マウントからのパウンドでTKO勝ちを収めた[13]
の初勝利となった。2010年1月31日、「WILD KICKBOXING ~縁~」においてアラン・ヤナヒハと対戦。1Rに3度のダウンを奪い、TKO勝ちを収めた。2010年4月11日、初参戦となったシュートボクシング「維新-ISHIN- 其の弐」でSB東洋太平洋ウェルター級王者宍戸
新と対戦し、腕ひしぎ十字固めによる一本勝ちを収めた。2010年4月29日、初参戦となったパンクラスで伊藤崇文と対戦し、グラウンドパンチによるTKO勝ちを収めた[1]。2010年6月20日、SRC初参戦となった「SRC13」のオープニングファイトで石塚雄馬と対戦し、グラウンドパンチ
でKO勝ちを収めた。2008年4月5日、「CAGE FORCE 06」で鹿又智成とCAGE FORCEライト級王座決定戦で対戦し、パウンドでTKO勝ち。第2代CAGE FORCEライト級王者となった。2008年8月24日、戦極初参戦となった「戦極 ~第四陣~」のライト級グランプリ
王座を獲得した[8]。2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでちはると戦極ムエタイルールで対戦し、左肘打ちで額をカットさせTKO勝ちを収めた[9]。2011年1月30日、J-GIRLS興行でリングに上がり、J-GIRLSミニフライ級王座を当日付けで返上することを
負けを喫し準優勝となった[1]。2007年7月15日、猿丸ジュンジのリングネームでプロ修斗デビュー。豊島孝尚と対戦し、グラウンドパンチによるTKO勝ちを収めた[2]。2008年、修斗の2008年度新人王決定トーナメント・フライ級に出場。1月26日、2回戦で鳥居和行にTKO勝ち。9
殴り込み”との触れ込みで初出場し、セミファイナルで“格闘彫師”吉永啓之輔と対戦。判定になれば吉永有利という展開の中、2R終了間際にパウンドでTKO勝ち。前田日明賞(MVP)、ベストファイター賞、ベストバウト賞を受賞した[3]。THE OUTSIDER代表の前田日明に「日本人絡みの
一本勝ちを収めた[1]。2008年12月20日、THE OUTSIDER 第4戦で“スパルタンM”内藤"マゾヒスト"と対戦し、パウンドによるTKO勝ちを収めファイティングスピリット賞を獲得した[2]。2009年3月15日、THE OUTSIDER SPECIALで“池袋 弐双龍の
橋本平馬に、準決勝は服部謙一にそれぞれ判定勝ちを収めた。11月12日の決勝では内村世己のタックルを切り上のポジションからパウンドを浴びせ失神TKO勝ちを収め、ウェルター級新人王を獲得した[3]。2005年2月6日、修斗で岡田孔明と対戦し、パウンドによるTKO勝ち。2月8日付けでク
いで病院に搬送された[2]。2004年12月18日、「DEEP 17th IMPACT」で上山龍紀とDEEPミドル級タイトルマッチで対戦し、TKO勝ちを収め王座を獲得した。2005年4月3日、「PRIDE 武士道 -其の六-」でムリーロ・ブスタマンチと対戦し、0-3の判定負けを喫
定勝ちで王座を獲得した[11]。2010年7月4日、フライ級キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチで廣瀬勲と対戦し、ドクターストップによるTKO勝ちで王座の初防衛に成功した。試合後に砂辺がリングに上がり対戦を要求し、これを受諾した[12]。2010年12月5日、フライ級キング・
弁慶と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[4]。2009年2月4日、「JEWELS 2nd RING」で武田美智子と対戦し、2R右ストレートでTKO勝ちを収めた。2009年5月16日、「JEWELS 3rd RING」でシャノン・フーバーと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009
6年、アブダビコンバットポーランド予選88kg以下級で優勝を果たした。2008年10月10日、ShoXCに参戦。ジェイソン・グイダと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年5月15日、「KSW 11」でダニエル・アカーシオと対戦し、TKO勝ちを収めKSWインターナショナルミドル級王
・ブレナンに判定勝ちし、12月14日には前年に中止となった三島戦を迎える。2Rにフックでダウンを奪い、その後タックルにきた三島に打撃を浴びせTKO勝ちを収め、初防衛に成功した。2003年8月10日にヨアキム・ハンセンに敗れ、デビュー以来の連勝は13でストップ、ウェルター級王座から
固めで一本負け。続いて参戦した2008年5月24日のUFC 84では中村和裕から右ストレートでダウンを奪い、1ラウンド終了時に続行不能によるTKO勝ち。10月18日のUFC 89ではルイス・カーニにTKO負けを喫した。2009年1月24日、Affliction: Day of R
ローカル大会で3連勝を収め、WECと契約した。2008年12月3日、WEC初参戦となった「WEC 37」でジャスティン・ハスキンスと対戦し、TKO勝ちを収めた。2009年3月1日、「WEC 39」でアレックス・セルジュコフと対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2009年8月8日、ウ
イアンスで総合格闘技の練習を始めている[2]。2005年9月10日、「Gladiator Challenge 42」でユライア・フェイバーにTKO勝ちを収めた。2006年6月9日、ドゥエイン・ラドウィックにTKO勝ち。その後UFCと契約を果たし、9月23日の「UFC 63」でデビ
009年8月27日、修斗ブラジル大会で行なわれた世界ライトヘビー級チャンピオンシップでレアンドロ・"バタタ"・シウバと対戦し、パウンドによるTKO勝ちで初防衛に成功した[1]。2010年4月30日、Strikeforceと契約したことを発表(その後、出場は実現しなかった)。201
の判定勝ちを収めた[2]。2008年6月1日、WEC初参戦となった「WEC 34」でアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦し、パウンドでTKO勝ち。11月5日、「WEC 36」でジョナサン・ブルッキンズと対戦し、パウンドでTKO勝利を収めた。2009年1月25日の「WEC 3
Enter The Rough House」にてグレゴリー・ブーシェラゲムと対戦。ブーシェラゲムの関節技の猛攻を凌ぎ切り、パウンドの連打でTKO勝ちを収めた。2007年7月21日、「M-1 - Russia vs. Europe」にてアレクサンダー・ココエフと対戦し、肩固めで一
11日、DREAM初参戦となった「DREAM.3」で行なわれたウェルター級チャンピオンシップ代表者決定戦で井上克也と対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。なお、従来のDREAMウェルター級リミットの76kgではなく、契約体重77kgで試合が行なわれた。2009年4月11日、「Str
イ・ハリトーノフと対戦し、試合開始直後にテイクダウンを奪取。ここでハリトーノフは受身を取り損ねて肩を脱臼。最後はグラウンドでの膝蹴りの連打でTKO勝ちを収めた。しかし、その後のPRIDEではファブリシオ・ヴェウドゥム、アントニオ・ホジェリオ・ノゲイラ、ヒカルド・アローナ、マウリシ
けを喫した[1]。2009年4月5日、「WEC 40」でバート・パラゼウスキーと対戦し、右ストレートでダウンを奪ったところにパウンドで追撃しTKO勝ち[2]。ノックアウト・オブ・ザ・ナイトを受賞した2009年10月10日、「WEC 43」でムーシン・コーブリーと対戦し、TKO勝ち
1回戦で日向篤史と対戦し、左ストレートによるKO勝ち。2回戦で鍋久保雄太と対戦し、3-0の判定勝ち。準決勝で奥山健太と対戦し、膝の負傷によるTKO勝ちを収めた[4]。2006年12月20日、「DEEP 27 IMPACT」で行なわれたフューチャーキングトーナメント2006・ライト