「負傷」を含むwiki一覧 - 29ページ

大石真丈 - Bout Wiki

固めで一本負けを喫した。2007年9月8日、CAGE FORCE初参戦となった「CAGE FORCE 04」で中原太陽と対戦し、打撃で右目を負傷させドクターストップによるTKO勝ちを収めた[1]。2007年11月10日、「HERO'S LITHUANIA 2007」でセルゲイ・グ

井上誠午 - Bout Wiki

DEEP 福岡 天下一祭り【フューチャーファイト】2005年4月10日グラップリング[]勝敗対戦相手試合結果イベント名開催年月日×井上健一郎負傷判定GLADIATOR 17【グラップリング無差別級トーナメント 準決勝】2011年5月21日○北川勇介2:26 腕ひしぎ十字固めGLA

井上克也 - Bout Wiki

ェルター級王者決定トーナメント1回戦でヒース・シムズと対戦し、KO勝ち。同じく1回戦を勝ち抜いた北岡悟と5月1日に対戦予定であったが、北岡の負傷により不戦勝となり、ウェルター級暫定王者として認定された[1]。決勝が行なわれる予定であった5月1日には初防衛戦としてアライケンジと対戦

井上明子 - Bout Wiki

勝ちを収め初勝利となった。2004年12月12日、CROSS SECTIONで吉田正子と対戦し、チョークスリーパーで一本負け。この試合で拳を負傷。治療期間中に足に水が溜まるなどの怪我が重なり、結局プロレスデビューすることなく翌2005年にJDスターを退団した。JDスター退団後は地

五味隆典 - Bout Wiki

斗にてプロデビュー、以降連勝を続けた。2001年8月26日にはウェルター級王座決定戦を三島☆ド根性ノ助と行なう予定であったが、三島の左脇腹の負傷により試合は中止となった[1]。12月16日には佐藤ルミナに勝利し第5代修斗ウェルター級王座を獲得した。2002年はレオナルド・サントス

伊澤寿人 - Bout Wiki

で行なわれた70-75kgトーナメントのリザーブマッチで“暴走セキュリティー軍団BONDS 暴走機関車”中村淳平と対戦予定であったが、中村の負傷欠場による不戦勝となった[5]。1回戦を勝ち抜いた“吉永イズム継承者 栃木真岡の特攻野郎”舘野智良が負傷したために2回戦に出場。2回戦で

久保田有希 - Bout Wiki

0:49 腕ひしぎ十字固めSMACK GIRL "Starting Over"2001年5月24日○ユタ・ダム1R終了時 TKO(棄権:足首負傷)ReMix GOLDEN GATE 20012001年5月3日×マルース・クーネン1R 2:37 腕ひしぎ十字固めLLPW: L-1

今井教行 - Bout Wiki

、改名後の初試合で高嶋龍弘と対戦。高嶋の投げを受けリングに手をついた際に右肩を脱臼し、ドクターストップによるTKO負けとなった。この試合での負傷により長期欠場を余儀なくされた。戦績[]キックボクシング 戦績28試合(T)KO判定その他引き分け無効試合13勝01300015敗510

佐藤洋一郎 - Bout Wiki

修斗選手権大会 修斗公式サイト↑修斗 日沖発、新鋭の中村“アイアン”浩士とドロー BoutReview 2008年8月4日↑修斗 鎧トシヒロ負傷で井上雄策戦が中止:9.20 新宿 BoutReview 2009年9月15日↑2009年 新人王決定トーナメント 公式結果 SHOOT

冨樫健一郎 - Bout Wiki

太平洋ウェルター級王者決定戦で石田光洋と対戦し、0-2の判定負けを喫した。2006年11月10日、修斗で朴光哲と対戦予定であったが、朴の右肘負傷のため試合が消滅した[1]。2008年7月18日、中蔵隆志の世界王座戴冠により空位となった環太平洋ウェルター級王座を賭け遠藤雄介と対戦し

冨宅飛駈 - Bout Wiki

ンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR2002年5月11日×アライケンジ1R 3:28 TKO(ドクターストップ:目の負傷)パンクラス PANCRASE 2002 SPIRIT TOUR2002年2月17日×長南亮5分3R終了 判定0-3DEEP2001 3

八隅孝平 - Bout Wiki

ったシュートボクシングで菱田剛気と対戦。1Rに右フックでダウンを奪い、さらにフロント・スープレックスでシュートポイントを奪うも、2Rに左目を負傷。2R終了時に左目眼窩底骨折の疑いによるドクターストップ・TKO負けとなった[4]。2006年3月21日、第3回全日本修斗グラップリング

内藤征弥 - Bout Wiki

ID TOUR2003年12月21日○栗原強1R 3:57 アームロックDEMOLITION2003年10月25日×イーゲン井上2R終了時 負傷判定SuperBrawl 282003年2月8日○トニー・ネルソン5分2R終了 判定3-0DEMOLITION2002年10月13日○折

八木淳子 - Bout Wiki

-3ReMix WORLD CUP 2000【準々決勝】2000年12月5日○フロワ・ホルマン2R 3:57 TKO(レフェリーストップ:腕負傷)ReMix WORLD CUP 2000【1回戦】2000年12月5日○フロワ・ホルマン1R 6:28 サブミッションLLPW: UL

光岡映二 - Bout Wiki

初の日本開催となった「UFC 144」で五味隆典と対戦し、パウンドによるTKO負け[9]。当初五味と対戦予定であったジョージ・ソテロポロスの負傷欠場による代役としてUFC初参戦を果たした[10]。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績28 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効

入江秀忠 - Bout Wiki

秀5分3R終了 判定3-0DEEP 10th IMPACT in KORAKUEN HALL2003年6月25日△MAX宮沢5分2R終了時 負傷判定0-0DEEP 8th IMPACT in KORAKUEN HALL2003年3月4日×渡辺大介1R 4:18 KO(パンチ連打)

大東旭 - Bout Wiki

するも、上山のトリッキーな戦法に翻弄され、判定負けを喫した。2006年5月26日、シュートボクシング興行で緒形健一と対戦予定であったが、拳の負傷により欠場となった[2]。戦績[]プロボクシング[]プロボクシング 戦績50 試合(T)KO判定その他引き分け無効試合39 勝26308

大類宗次朗 - Bout Wiki

級に出場。決勝で中西良行に敗れ、準優勝となった[7]。2008年8月17日、「DEEP 37 IMPACT」で桜井隆多と対戦予定であったが、負傷による欠場となった[8]。2008年10月23日、「DEEP 38 IMPACT」のセミファイナルで桜井隆多と改めて対戦し、1-2の判定

杉江大輔 - Bout Wiki

-其の八-」に緊急参戦(大会3日前に出場が発表された)。ジョシュ・トムソンに膝十字固めによる一本負け。フィニッシュとなった膝十字固めで膝を負傷。この試合後、総合格闘技を離れ柔術、グラップリングに専念することとなった。2005年7月28日~31日に開催された世界柔術選手権(ムンジ

後川聡之 - Bout Wiki

30日、聖戦 ~SANCTUARY I~でスタン・ザ・マンと対戦し、TKO負けを喫した。1993年4月30日、第1回K-1グランプリに参戦。負傷欠場となったスタン・ザ・マンの代わりに1回戦でモーリス・スミスと対戦し、3Rに右ストレートでダウンを奪われた上で0-3の判定負けを喫した

平直行 - Bout Wiki

当時の平は前田日明や船木誠勝とも違ったタイプの総合格闘技の象徴的存在だった。数度のリングス参戦を経てゼンショー総合格闘技部へ移籍するも、膝の負傷により長期欠場。その間にUFC、ブラジリアン柔術が出現するなど総合格闘技界の勢力分布図が大きく変動し、平はサンフランシスコでカーリー・グ

庵谷鷹志 - Bout Wiki

0月20日、新日本キックボクシング協会でメッケンナー・ソーキングスターと対戦し、KO勝ちを収めた。当初は鷹山真吾と再戦予定であったが、鷹山の負傷欠場により対戦相手が変更となった[6]。2003年1月26日、新日本キックボクシング協会・日本ウェルター級王者北沢勝に挑戦し、パンチ連打

幕大輔 - Bout Wiki

るTKO負けを喫した[4]。2009年8月9日、「THE OUTSIDER 第7戦」で“湾岸エリアの鬼門番”鳥海誠と対戦し、1R終了時に左目負傷によるドクターストップとなりTKO負けとなった[5]。2009年10月11日、「THE OUTSIDER 第8戦」で“アウトサイダー少子

悠羽輝 - Bout Wiki

GPのリザーブファイトでプリンス・アリと対戦し、3Rに2度のダウンを奪いKO勝ちでリザーブ権を獲得。1回戦を勝ち抜いたメルヴィン・マヌーフが負傷により準決勝を棄権し、マヌーフに敗れたラマザン・ラマザノフもKO負けしていたために悠羽輝が準決勝に進出。準決勝ではダニエル・ギタと対戦し

帯谷信弘 - Bout Wiki

に0-3で判定負けし、プロ初黒星となった。続く11月5日、「PRIDE 武士道 -其の十三-」でルイス・ブスカペに0-3の判定負けを喫した。負傷していた首をブスカペ戦で決定的に痛めた。2007年2月16日、「DEEP 28 IMPACT」のセミファイナル・DEEPライト級タイトル

志田幹 - Bout Wiki

代フェザー級王者決定トーナメント1回戦で前田吉朗を下したDJ.taikiにTKO負け。2006年12月10日、パンクラスで藤原大地に試合中の負傷によるTKO勝ち。2007年2月16日、DEEP初参戦となったDEEP 28 IMPACTで、GRABAKAの山崎剛と対戦し、判定勝ち。

戸井田カツヤ - Bout Wiki

と半年ぶりに対戦し、0-3の判定負けを喫した。2006年2月26日、修斗環太平洋ライト級王座決定戦で日沖発と対戦予定であったが、戸井田の頸部負傷により王座決定戦は中止となった[1]。2006年11月10日、修斗環太平洋ライト級王座決定戦で不死身夜天慶と対戦し、0-1の判定ドロー。

川原誠也 - Bout Wiki

、当初の予定通り2008年3月23日のパンクラス・ネオブラッドトーナメント・バンタム級で川名蘭輝と対戦することになったものの[2]、練習中の負傷により欠場となった[3]。2008年6月1日、パンクラスで柳澤雅樹と対戦し、開始41秒、パウンドによる失神KO勝ちを収めた。2008年1

朴光哲 - Bout Wiki

日、HERO'Sでミドル級トーナメントのリザーブファイトでエルメス・フランカと対戦し、2-0の判定勝ちを収めた。2005年12月17日付けで負傷を理由に修斗環太平洋ウェルター級王座を返上した[2]。2006年8月5日、HERO'Sでアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと対戦。1R

木村天鮮 - Bout Wiki

he KICK by J-SPIRIT 3rd」で中嶋剛志と対戦し、3-0の判定勝ち[9]。当初はDYNAMITE祐太と対戦予定であったが、負傷欠場により対戦相手が変更された[10]。2011年9月11日、M-1 FAIRTEX ムエタイチャレンジ「RAORAK MUAY vol

木村浩一郎 - Bout Wiki

昭5R 2:48 TKOリングス 後楽園実験リーグ'93 ROUND31993年6月9日×石川雄規3R終了時 TKO(ドクターストップ:左目負傷)リングス 後楽園実験リーグ'93 ROUND21993年4月30日△西良典3分5R+延長R終了 ドローリングス 後楽園実験リーグ'93

昇侍 - Bout Wiki

菊野が帯谷を判定で退ける、青木&ミノワマン&長南は快勝 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月24日↑【DEEP】10・24長倉立尚が負傷欠場、昇侍と長南亮の対戦相手が変更に 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月19日↑【DEEP】松本晃市郎が昇侍との打ち合いを制す

所英男 - Bout Wiki

3-0で判定勝ちを収めた。2007年3月12日、「HERO'S 2007 開幕戦 ~名古屋初上陸~」では永田克彦と対戦予定だったが、永田側の負傷欠場により急遽安廣一哉に変更。試合は腕ひしぎ十字固めで1R一本勝ちを収めた。2007年6月2日、「Dynamite!! USA」でブラッ

日沖発 - Bout Wiki

月26日、修斗でバオ・クァーチと対戦し、1-1の判定ドロー。当初は修斗環太平洋ライト級王者決定戦で戸井田カツヤと対戦予定であったが、戸井田の負傷により王者決定戦は中止となり、対戦相手が変更された[3]。2006年5月5日、カナダ・モントリオールで開催されたTKO世界フェザー級チャ

川村亮 - Bout Wiki

定3-0DEMOLITION2005年7月27日脚注[]↑試合結果 パンクラス公式サイト↑[DEMOLITION] 7.27 新木場:美木、負傷乗り越え一本 BoutReview 2005年8月2日↑【パンクラス】「前田吉朗以来の逸材」(尾崎社長)HG川村亮がライトヘビー級制す

岡見勇信 - Bout Wiki

-27、30-27、30-27)で判定勝ちを収めた[5]。2009年5月24日、「UFC 98」でダン・ミラーとの対戦が決定していたが、膝の負傷で欠場した[6]。10月24日、「UFC 104」でチェール・ソネンに0-3(27-30、27-30、27-30)の判定負けでUFC2敗

天田ヒロミ - Bout Wiki

VENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPOROでは、ハリッド"ディ・ファウスト"と対戦予定だったがハリッドが負傷したため対戦相手がフレディ・ケマイヨに変更。そのケマイヨに判定勝ちを収めた。2007年3月4日、K-1 WORLD GP 2007 IN

宮澤元樹 - Bout Wiki

ち。この試合から所属が和術慧舟會K太郎道場となった。2011年12月16日、「DEEP 56 IMPACT」で渡辺良知と対戦予定であったが、負傷による欠場となった[2]。戦績[]総合格闘技[]総合格闘技 戦績10 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試合7 勝3220003

宍戸大樹 - Bout Wiki

OXING WORLD TOURNAMENT S-cup 2004」のリザーブマッチでブルース・マクフィーに判定勝ち。アルバート・クラウスが負傷により棄権したため、準決勝でカテウ・キビスと対戦し判定勝ち。決勝ではアンディ・サワーと対戦し、2R右ストレートで3ダウンを喫しTKO負け

宮下トモヤ - Bout Wiki

2004年5月2日、パンクラス・NEO BLOOD TOURNAMENT ライト級予選トーナメント1回戦で桜沢正己に3-0の判定勝ちするも、負傷により山田崇太郎との決勝を棄権した[4]。2004年9月24日、リングネームを宮下トモヤに改めパンクラスゲート・ライト級プロフェッショナ

安永有希 - Bout Wiki

クラスの第17回ネオブラッドトーナメント・スーパーフライ級1回戦で辻田大祐と対戦し、3-0(20-19、20-19、20-19)の判定勝ち(負傷欠場となった山中剛の代理参戦)。6月5日、準決勝で北方大地と対戦し、3-0の判定勝ち。8月7日、決勝で宇津木正和と対戦し、3-0(19(

寺戸伸近 - Bout Wiki

と対戦し、2RKO勝ちで王座を獲得した[16]。2010年1月4日、「Krush.5」でアンディ・ハウソンと対戦予定であったが、ハウソンが足負傷により欠場[17]。代わりにランバー・ソムデートM16とのエキシビションマッチを行なった[18]。2010年3月13日、「Krush×S

孫煌進 - Bout Wiki

ア修斗選手権大会に出場し、ライト級優勝を果たした。2002年4月21日、修斗新人王トーナメントライト級1回戦で門脇英基と対戦予定であったが、負傷により欠場となった。2002年9月16日、修斗で山本"KID"徳郁と対戦した勝田哲夫のセコンドに付き、試合後に乱闘騒ぎを起こした。10月

寒川直喜 - Bout Wiki

06年11月22日×ドラゴ3R終了 判定0-3K-1 WORLD MAX 2006 ~世界王者対抗戦~2006年9月4日○我龍真吾4R途中 負傷判定3-0J-NETWORK「GO! GO! J-NET '06 ~STREETS of FIRE~」【J-NETWORKミドル級タイト

小林聖人 - Bout Wiki

IMPACT」で益田亮と59kg契約で対戦し、3-0の判定勝ちを収めDEEP初勝利となった[8]。当初は宮川博孝と対戦予定であったが、宮川の負傷欠場により対戦相手が変更された[9]。2011年10月29日、「DEEP CAGE IMPACT 2011 in TOKYO 2nd R

山田紗暉 - Bout Wiki

格。史上最年少でのプロとなった[1]。10月18日、福岡県立久留米体育館での竹内久子戦(広島拳闘会)がプロデビューとなる予定だったが、竹内が負傷したため、上村里子とのエキシビションになった。2010年2月7日、女子では史上最年少となる17歳5か月でプロデビュー、平安山裕子に判定勝

山本篤 - Bout Wiki

、DREAM JAPAN GP FINAL -2011バンタム級日本トーナメント決勝戦-での3位決定戦で大沢ケンジと対戦予定であったが、目の負傷(網膜剥離の可能性)により欠場となった[3]。戦績[]プロ総合格闘技[]総合格闘技 戦績23 試合(T)KO一本判定その他引き分け無効試

山田学 - Bout Wiki

も船木誠勝に勝利を収めるなどしたが、9月1日にキックボクシングルールで行われたモーリス・スミス戦で腕を骨折。長期欠場を余儀なくされた。以後は負傷に悩まされ、レベルが上がった外国人選手を相手に勝ち星を上げることも減っていくようになった。2000年1月23日の近藤有己戦を最後に引退。

山本徳郁 - Bout Wiki

り、ダウンを奪った後も笑顔で舌なめずりして追撃するなどして2RKO勝利。潜在能力の高さを見せつけ、一気に人気選手となった。しかし、試合前から負傷していた右手第二中指骨を骨折し、準決勝を棄権した。その後トニー・バレント、安廣一哉、ジャダンバ・ナラントンガラグを総合ルール(安廣のみミ

小次郎 - Bout Wiki

MAX 2005【アジアトーナメント 1回戦】2005年11月5日-ダリウス・スクリアウディス2R 1:29 無効試合(バッティングによる負傷)ZST BATTLE HAZARD 02【K-1ルール】2005年9月10日○新田明臣5R終了 判定3-0IKUSA GP -U60