ぼくはあたまがわるい

ページ名:ぼくはあたまがわるい

 

 

 

 

 

初めて夢現災害に遭ったときの景色は、もう10年近くは経った今でも薄れず脳裏に焼き付いている。罅割れる空、燃え上がる家屋、散らばる血の絨毯。どれ一つとってもただの人間が人生として体験するにはあまりにも鮮烈で目を覆いたくなるようなものだったが、それらを差し置いて魂の奥底に刻み込まれたものが僕にはあった。数分前まで何ともなかった人々がグロテスクな脱皮を遂げ、中身もその醜悪さにらしい「何か」に食われていくのを目にしたとき、未知に言いしれぬ嫌悪と焦燥を感じたのはっきりと覚えている。

 

それは後に奇書院に取り立てられ、ご老人に「それらはホルダーと悪夢であり、悪感情から呼び起こされるものだ」という答え合わせを聞かされても消えることはなく。むしろ厭忌の念は日を追うごとに高まる一方だった。だから、僕はその正体を暴き立て自ら治療する必要があった。僕もそれを呼び起こさないために。

だけど、結論から言えばそれは叶わなかった。日に日にそれは膨らんでいく一方で、いつかの日、膿を溜めた風船が割れてしまったんだ。その日、何気なく鏡を見たときに僕は絶句した。それはまるで蜃気楼のように瞬きの間に立ち消えてしまったけれど、確かにそこに自分の代わりに居たんだ。顔のない悪魔が。

彼らは手拍子を打って喜んだ。「君はダイバーとしてようやく完全に目覚めたんだ」と。

僕だけが彼らを理解できなかった。ただ、僕も「何か」になりつつあるという事実におぞましさを感じて、寒くもないのに震えるだけだった。そして、それから僕は、僕の中に僕がまだ居ることを毎日願い乞うようになった。

 

自己治療の道程は困難を極めた。

まず最初に僕はそれを悪夢に対しての憎悪だと考えた。だから奇書院の中で回ってくる任務を選りすぐって、目覚めたてた力を振り回し、それらを狩り立てることにしばらくの時間を費やした。けれど黒曜石の欠片を何度踏み躙ったところで、胸中のもやが晴れることは決してなく、むしろ募らせた迷いがさらなる悪念を掻き立てたように思う。だって、僕の姿は少しずつ醜く、そして強力になっていったから。

様々な試行の末、得られる成果はわずかばかりのもので、いつしか僕は諦めの境地に辿り着いた。だから僕は悪夢の”はらわた”を暴くことと、ローグを痛めつけることに執念を燃やすようになった。未知を一つずつ既知へと置き換えていく作業は少なからず知的好奇心が満たされる娯楽で、心を穏やかにしてくれる。奇書院や広く一般のダイバーの正義には殉ずるほどには参考しかねるけど、それでも道徳的な弱者を棒で叩くことは心底愉快だ。それらに興じている間は正気でいられるような気がするのだ。

だから、僕はそれを三等深層級になるまでずっと繰り返し続けていた。

 

初めて教え子を取ってみた。勉強は教えた方が理解が深まるだとか言うように、僕も立ち振舞を教えることで何か理解できるかもしれない、とか、まあこの先ダイバーで食っていくのは変わりないだろうから、コネを作りたかったとか。理由は色々あった。けど、いざやってみたらただ断絶が広がっただけだ。

彼女はダイバーになってもずっと人の姿のままで、卒業の折り僕とは違うことに苦悩し尋ねて来た。

「例え悪人であったとしても一人の人間を殺すのはとても心が苦しい、どうすればこの甘さを捨てれるのか」と。

僕は返答に詰まった。彼女の気持ちを理解することができないから、当然ながらその対処だって検討できやしない。

結局彼女は沈黙を「割り切れなくても、それを耐えるしかない」という答えだと捉えたらしい。

 

 

 

 

 

はきっと、私の望んでいたになれっこないから。だから、さよならをするね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧