龍田直樹
たつた なおき龍田 直樹ファイル:Replace this image JA.pngプロフィール配偶者高木早苗出生地日本の旗 日本・和歌山県岩出市血液型A型生年月日1950年9月8日現年齢72歳所属青...
テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:漫画
石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、1938年(昭和13年)1月25日 - 1998年(平成10年)1月28日)は、日本の漫画家。1984年までは石森 章太郎の表記を用いた。本名、小野寺章太郎(おのでら しょうたろう)。血液型はAB型。
代表作は『サイボーグ009』、『佐武と市捕物控』、『マンガ日本経済入門』、『HOTEL』など。仮面ライダーシリーズを始め特撮作品の原作者としても活躍。SF漫画から学習漫画まで幅広い分野で作品を量産し「漫画の王様」、「漫画の帝王」と評された。
1989年、漫画には「面白い、おかしい」だけではない多数の表現が可能になったとして、漫画の新しい呼び名「萬画」を提唱し「萬画宣言」を発表。以降は自らの職業を「漫画家」ではなく「萬画家」と称した。没後の2007年末には、500巻770作品におよぶ個人全集『石ノ森章太郎萬画大全集』(角川書店)が、一人の著者による最も多い漫画の出版の記録としてギネス・ワールド・レコーズに認定されている。
SF好きとしても知られており、SFから作品のヒントを得ていたことも指摘されている[1]。
息子に俳優の小野寺丈(長男)と石森プロ社長の小野寺章(次男)がいる。小説家の今野敏は親戚である。
1938年(昭和13年)1月25日[注釈 1]、宮城県登米郡石森町(いしのもりちょう、現登米市中田町石森。これが石ノ森のペンネームの由来である)に、父・康太郎(こうたろう)、母・カシクの長男として生まれる。姉、弟2人、妹の5人兄弟。下記にもあるように当初は映画監督を志していたが、3歳上の姉は生来病弱で外出もままならないため、学校での出来事や外での見聞などを絵に描いて見せていたのが、漫画の原点であったという。中学時代、近所の子供を集めて漫画同人誌『墨汁一滴』を作るも、2号で廃刊。2年生の時「毎日中学生新聞」に4コマ漫画を投稿し入選、以後投稿マニアとなる。
宮城県佐沼高等学校[注釈 2]入学後、『漫画少年』への投稿仲間を集めて「東日本漫画研究会」を設立、肉筆回覧誌『墨汁一滴』を制作する。このころ既に漫画業界で「宮城県に天才がいる」と評判になっている。この頃のあだ名は「じゃがいも」。
高校在学中の1954年(昭和29年)、『漫画少年』新年号にて「二級天使」でデビュー。厳格な公務員であった父からは漫画家になることを反対されていたが、姉が応援してくれたこともあり、翌年の高校卒業と同時に姉の病気治療も兼ねて二人で上京。手塚をはじめ多くの漫画家たちが住んでいたトキワ荘に住み、作家活動を始めた。トキワ荘グループの男性陣の中では最年少ではあったが、最も早く頭角を現し、赤塚不二夫[注釈 3]などは、自分の漫画を描くよりも、石森のアシスタントをする時間の方が多いほどだった。また創作速度も極めて速く、藤子不二雄[注釈 4]やのちに石ノ森のアシスタントを務めた永井豪など、石ノ森を知る人間は口を揃えて制作の速さを証言している。藤子の『まんが道』では、藤子が2人で一日に5、6枚描ければ良い所を、石ノ森は1人で15-20枚を描いていたという話が出てくる。また石ノ森のエッセイ漫画『サンジェルマン伯爵』(サイボーグ009「海底ピラミッド編」のエピローグに相当)には、「昔(赤塚不二夫と二人で描いていた時代)は月650枚という無茶もやったが、最近では歳だから300枚でフウフウいう」とある。
しかし1958年(昭和33年)4月、一緒に上京しトキワ荘グループのマドンナ的存在となっていた姉が石ノ森の外出中に倒れ、そのまま亡くなってしまう[注釈 5][注釈 6]。最大の理解者であった姉を失った事は、後の石ノ森の作風にも大きな影響をもたらした。
1959年(昭和34年)、東映動画(現・東映アニメーション)の劇場アニメ『西遊記』の制作現場に派遣。手塚のアシスタントだった月岡貞夫とともに送り込んだものだった。石ノ森は月岡とともに「このまま東映動画に入ってアニメーションをやりたい」と訴えたが、当時東映動画の若手スタッフだった白川大作(後に東映動画専務)から「(絵が個性的でアニメに向かないから)ちゃんと漫画をやれ。そのかわり漫画が売れたらそれを原作として買いに行く」と説得されて断念した[2][注釈 7]。後にこのときの約束通り東映動画で作品がアニメ化された。さらに東映本体での特撮番組企画へとつながる東映グループとの接点のきっかけとなる。
石ノ森萬画館の最寄駅であるJR石巻駅に飾られた人気作品の人形。
1964年(昭和39年)7月19日より代表作『サイボーグ009』の連載を開始[注釈 8]。この頃にはすでにスター作家となっており、この時期に描かれた石ノ森のマンガ入門書『マンガ家入門』(1965年)『続・マンガ家入門』(1966年)は当時から広く読まれた。これは漫画の技術論から、具体的なストーリー構想術までが書かれた画期的な漫画家入門書で、長年の間漫画家志望者のバイブルとなった。また、『サイボーグ009』を連載していた当時、ファンレターの宛先が漫画家の住所となっていたため多数の読者が訪問していた[1]。すがやみつるが『サイボーグ009』の連載終了直後に訪問したときは、サインを貰いにきた別の訪問者に対して、訪問者に見えないところで当時チーフアシスタントであった永井豪が絵だけではなくサインまで書き上げて渡していたという[1]。このような対応を行わないと仕事にならないほど訪問者がきていたことが原因である[1]。
仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズ(『秘密戦隊ゴレンジャー』『ジャッカー電撃隊』)の生みの親の一人である、渡邊亮徳(東映本社元副社長、当時の東映テレビ部事業本部長)との出会いと絶大なるサポートによって、1971年(昭和46年)より特撮作品『仮面ライダー』の原作とその漫画化(仮面ライダー)を担当。既にある漫画の実写映像化ではなく、製作会社である東映の企画に設定とキャラクターデザインを提供、出来上がったものを元に漫画も執筆するというものであり、この成功をきっかけに同社における数多くの特撮・変身ヒーロー番組の原作を手がけることになった。もともと映画監督志望だったこともあり、一部の作品(『仮面ライダー』や『イナズマン』)では監督も務めており、『仮面ライダーBLACK RX』ではグランザイラスのキャラクターデザインも担当した。
1981年(昭和56年)より日本漫画家協会理事を務める。
1985年(昭和60年)、画業30年を機に「石森章太郎」から「石ノ森章太郎[注釈 9]」に改名。もともと「石森」で「いしのもり」と読ませるつもりだったが「いしもり」の読みが定着してしまっていたため、初心に戻る意味をこめて改名を行なった。しかし山田ゴロが自身のサイトで語る所によると、これまで打ち合わせ・旅行・忘年会などの季節行事で関係者一同に頻繁に会っていたのが、改名した頃からなくなってしまい、石森プロに連絡しても会わせてくれなくなった。程なく関係者一同に「先生は病気らしい」という話が広まったという。
1998年(平成10年)1月28日死去。60歳没。死因はリンパ腫による心不全。誕生日の3日後であった。戒名は「石森院漫徳章現居士」。墓は東京都豊島区池袋三丁目の祥雲寺にある。
※五十音順
この欄で紹介する作品は、漫画が原作というわけではない(詳細は上記の「経歴」を参照)。また、自らは漫画を描いていない作品も少なくない。
以下は没後製作されたが、著作権管理を一括する配慮からテロップでは原作者とされている。
作品自体は八手三郎原作だが、石ノ森の手による秘密戦隊ゴレンジャー、及びジャッカー電撃隊のキャラクターが登場しているため共作扱いになっている。
この他、『侍戦隊シンケンジャー』にも『ディケイド』(没後の原作名義作品)のキャラクターが出演したが、石ノ森の名はクレジットされていない。
以下は没後の製作。
映像作品のコミカライズ、ノベライズは除く。
漫画[]仮面ライダーシリーズの漫画作品は、仮面ライダーシリーズ#他の作家による漫画作品を参照。
角川グループ創立60周年の記念企画。2006年2月22日第1期発売開始。全12期500冊。770タイトルにもなる。2008年現在全12期発行完了。
ネットでの予約販売のみ(一般書店では購入不可能)、各期ごとのセット販売のみ(1冊ずつの購入は不可能)、限定生産という、入手を難しくする条件が重なったため、復刊ドットコムで販売形式が発表された当初は、掲示板に批判的な意見が多数寄せられた。
2008年1月24日にギネス・ワールド・レコーズから「1人の著者によって出版された最多コミックの記録」として世界記録の認定を受けた[3]。
上のアニメや特撮の原作となった作品のキャラクターは省いている。
原作者という立場ではあるが、いくつかの作品では、石ノ森章太郎本人がテレビ番組や映画作品中に出演している。
出演時期によっては「石森章太郎」名義になっている。
手塚治虫と石ノ森は単に知名度のみならず、作品の質・量とも随一であり、二人にまたがるエピソードも多いため、節を分けて解説する。
山田やすがやのサイトによると、正確には「石ノ森の作画作業を補助する、本来の意味のアシスタント」(こちらは石森スタジオと呼ばれていた)と、「石森プロ関連作品の漫画化やキャラクター商品などの絵描き」の二種類があり、両者は仕事場も別々で、どちらかしか担当したことがない弟子も多いという。例として永井は前者、すがやは後者である。石森が亡くなった際、葬儀は密葬にて行われたが、『ライダー』ブームから始まるテレビまんが誌黎明期に活躍していた門下生たちは直訴した結果、石森の家までの集団訪問を許されている。
石ノ森萬画館
de:Shōtarō Ishinomorien:Shotaro Ishinomories:Shōtarō Ishinomorifr:Shōtarō Ishinomoriid:Shotaro Ishinomoriit:Shotaro Ishinomoriko:이시노모리 쇼타로ms:Shotaro Ishinomoript:Shotaro Ishinomoriru:Исиномори, Сётароth:โชทาโร่ อิชิโนะโมะริzh:石之森章太郎zh-yue:石之森章太郎
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