龍田直樹
たつた なおき龍田 直樹ファイル:Replace this image JA.pngプロフィール配偶者高木早苗出生地日本の旗 日本・和歌山県岩出市血液型A型生年月日1950年9月8日現年齢72歳所属青...
曖昧さ回避 | この項目では、漫画家について記述しています。野球選手については「永井豪 (野球)」をご覧ください。 |
テンプレート:Infobox 漫画家テンプレート:漫画永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔(ながい きよし)、1945年9月6日 - )は、日本の漫画家。石川県輪島市出身。血液型O型[1]。
石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年「目明しポリ吉」でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。1980年、『凄ノ王』により第4回講談社漫画賞受賞。
2005年より大阪芸術大学キャラクター造形学科教授を務める。また、2009年より手塚治虫文化賞選考委員。
石川県輪島市に生まれ、1952年から東京都豊島区に育つ。豊島区立大塚台小学校から豊島区立西巣鴨中学校を経て東京都立板橋高等学校卒業。幼少期に手塚治虫『ロストワールド』を読んだことをきっかけに漫画家を志すようになる。
高校卒業後、早稲田大学を目指して予備校に通っていたが、3週間止まらない下痢に悩まされて大腸癌と思い込み、自分がこの世に生きていた証として漫画作品を残そうと決意[1]。のち大腸カタルに過ぎなかったことが判明して難なく完治したが、このときの決意をきっかけとして3ヶ月の浪人生活に終止符を打ち、1965年より石ノ森章太郎(当時、「石森章太郎」)のアシスタントとなる。石ノ森が持っていたSFテイストやキャラクターメイキングの方法論は非常に永井に近いものだったようで、石ノ森も自分が世に出た時期が早いだけで「同じ感性の中でものを探している」(『GO NAGAI ALL HIS WORKS』)と彼を評している。なおこの時期の石ノ森アシスタントには野口竜、桜多吾作がいた。
永井自身はストーリー漫画志望だったが、デビューの早道として比較的ページ数の少ないギャグ作品に挑み、アシスタント業の傍ら持込を続けていた。デビューは1967年、テレビアニメ『ちびっこ怪獣ヤダモン』(ピープロ)漫画化企画をきっかけとする。この腕慣らしとしてギャグ短編「目明しポリ吉」を『ぼくら』に発表、続いて『〜ヤダモン』の連載とともにギャグ漫画をコンスタントに描く。
デビューの翌年(1968年)、新創刊された『少年ジャンプ』(後の『週刊少年ジャンプ』)に『ハレンチ学園』を発表。奇妙な扮装に身を包んだ教師たちとイタズラを愛する生徒たちの破天荒な日常を描いたこの作品は、本宮ひろ志作品と両輪で同誌を牽引した。
この中で当時の小学生を中心とした流行風俗「スカートめくり」を扱った「モーレツごっこの巻」が、サブカルチャー一般に対し行われていたPTAの抗議活動に取り上げられ、子供に悪影響を及ぼすセクシュアルな作品の代表格として糾弾の対象となる。新聞紙上・テレビのワイドショーなどで名指しつつ、時に永井自身を目の前にして、本人曰く「人格否定まで」されるほどの糾弾活動だったという。
だが結果的にはこれが永井が時代を掴むきっかけとなる。『ハレンチ学園』で登場人物全てが戦争で殺し合う描写に始まり、『あばしり一家』(1969年-1973年)、『ガクエン退屈男』(1970年)などこの時期の発表作品の中で、その糾弾活動そのものをメタフィクション的にパロディ化、権力が奮う「正義」とは自由に生きる個人を押し潰すものとした上で、権力側も抵抗する個人の側も互いに奮うのは暴力だけという永井作品の根幹を成す地獄絵図を描き出すことになる。
さらにこの時期、シリアスなストーリー作品も手がけ始め、差別とそれに対する復讐を描く「鬼-2889年の反乱-」(1970年)、アイデンティティ崩壊の危機を描く「くずれる」(1971年)、親と子の絆が崩壊する「ススムちゃん大ショック」(1971年)などのいずれも人間自身の存在意義を問い直すようなSFを発表した。その一方、常識を反転させて笑いに結ぶ永井ギャグ漫画としては最も先鋭化したものの一つ『オモライくん』(1972年)も描いている。それとともにSF作家の間で注目され、1970年のSF大会で筒井康隆を初代会長に永井豪ファンクラブが設立される。
永井の更なる飛躍となったのは、東映動画とNET(後のテレビ朝日)にてアニメ化された代表作『デビルマン』(1972年-)である。前年発表の『魔王ダンテ』を基にした作品との依頼だった。この作品では「神」が必ずしも「絶対善」ではないという着想が描かれていたが、アニメ『デビルマン』は、悪魔と合体しながら苦悩しつつ人間であろうとする斬新な設定の主人公をベースに、ヒーロー作品としてリメイクすることを依頼され企画したという(なお、当時『魔王ダンテ』の掲載誌編集長であった内田勝の自著などによると、そもそもヒーローコミックとして位置付けていたという)。
アニメと同時に漫画連載(『週刊少年マガジン』)されたこの作品では、悪魔による侵略・種族の存続を賭けたヒーローの戦いを描くゴシックホラー調から、連載中期以降は人間同士の信頼感という常識が崩れていく展開へと移っていく。同じ人間の手によるヒロイン殺害という、『ハレンチ学園』の時すら避けられていた衝撃的な結末をもって後にSFマンガのスタンダードと数えられる作品となった。
以後、永井を中心としたダイナミックプロの企画陣は、東映動画とのタッグで本格的な操縦者搭乗型ロボット作品のパイオニア『マジンガーZ』(1972年-)、妖怪モチーフの『ドロロンえん魔くん』(1973年-)、戦うヒロインの草分け『キューティーハニー』(1973年-)、初の合体ロボット作品『ゲッターロボ』(1974年-、石川賢と共作)などの作品群を生み出し、ヒットキャラクターメーカーとして70年代を駆け抜ける。
ことに『マジンガーZ』では玩具メーカーバンダイ(ポピー)と出会い、玩具ブランド「超合金」をはじめとした商品展開と、マンガ・アニメ・グラフ記事など連動した講談社『テレビマガジン』の誌上企画として展開され、この分野の推進役としても重要な役割を果たした。ここで毎回の企画記事を構成していたのが、ダイナミックプロとともにアニメ企画・版権管理会社として設立されたダイナミック企画である。無敵の「超合金」や無尽蔵な夢の「光子力エネルギー」などは科学礼賛・成長幻想の産物だが、漫画もアニメも作品自体はそれに冷や水を浴びせるかのような描写がたびたびされ、その超人的なパワーを敵を倒すために使うか、自分の欲望の為に使うかは主人公の自由という、本質的には正義も悪も奮うのは暴力という一貫したテーマが見て取れる。
永井とダイナミックプロのアニメが次々と放送される中、永井自身の漫画作品はむしろそれとは全く違う展開をしていた。1973年には、後に掲載雑誌を変えながら2005年まで発表され続けている、地震で崩壊した世界が再生の道を探りながら混沌の暴力の渦中にある『バイオレンスジャック』、それとは全く逆に個人の内面が現実世界に影響を与え鬼の世界を現出させる『手天童子』などの伝奇SFを描く。
その間にギャグ漫画としても、『オモライくん』の学園漫画版として始まりながら、エロチックなギャグと悪乗りで暴走した挙句『デビルマン』のような人類滅亡をまたも起こす『イヤハヤ南友』(1974年-)や、「顔を隠して体隠さず」とマスクとマフラー以外は全裸という常軌を逸した究極のヒロインが戦う『けっこう仮面』(1974年-)、男子生徒が女子として学園生活を送って騒ぎを起こす『おいら女蛮』(1974年-)など、常識をあっけらかんと覆す世界も展開した。
1979年には青年マンガ誌の誕生とともに、得意のエロチックギャグ作品『花平バズーカ』(原作:小池一夫)をいち早く連載。少年誌では学園漫画という舞台で、初恋の相手がレイプという屈辱を受ける性表現の限界に挑みながら、一個人の内的世界が現実を破壊し尽くしてしまうという超能力漫画『凄ノ王』を発表する。この『凄ノ王』により1980年、講談社漫画賞を受賞。だがこの作品は主人公の怒りと悲しみが世界を破壊したところで唐突に終了、永井はそれを予め決めていた流れと語ったが、読者の間では必ずしもそう受け止めるばかりではなく、賛否両論であった。
このような読者の判断が賛否に分かれる例は、『デビルマン』とつながった『バイオレンスジャック』のラストや、講談社の企画主導で一種のパラレルワールドとして始まりながら永井の悪魔モチーフ作品を大きく纏め上げた『デビルマンレディー』の展開でも繰り返され、永井自身の言うように「先を決めずに」連載しながらその後の展開を読者の反応とともに創っていく永井の作風から生まれる特徴であった。
1997年銀座にて「永井豪原画展」、続く1998年「永井豪と世紀末展」という企画展が催され、それまでの漫画家・アニメ企画者としての永井の業績が初めてまとまった形で再評価された。
またこれ以後、その卓抜したキャラクターを他作家の筆により展開させた『ネオデビルマン』(複数作家競作)、『AMON デビルマン黙示録』(衣谷遊)、『キューティーハニー a GO GO!』(伊藤伸平・庵野秀明)、『マジンガーエンジェル』(新名昭彦)などのプロデュース作品も生まれている。特に『ダイナミックヒーローズ』(越智一裕)は70年代の永井ヒーロー作品があえて東映動画のタッチで描かれるという試みがなされており、往年の作品の影響力を窺わせた。
永井自身は21世紀に入って還暦を迎えても、少年誌から青年誌と広く作品を発表、今まで描いてきたホラー調作品やギャグ漫画、ロボット作品などの他、『伊達政宗』『北条早雲』『前田利家』といった戦国時代に実在した人物の漫画化に挑むなど、旺盛な漫画家活動を続けている。
2010年5月から週刊漫画ゴラクにて「デビルマン」執筆時のエピソードを多少の脚色を込めて描く「激マン!」の連載を開始。
永井は一般に「手塚以後」といわれる戦後期に新聞漫画、書店・貸本店作品といった様々な形態の漫画作品を読者として経験した上で送り手となった最初の世代の漫画家である。例えば自身も影響を受けたと語るように、手塚的なディズニーの影響下にある文法とともに、白土三平的な筋肉を持ち血の出るリアリティを持った形式も等価に受け取っている。永井のデビュー当時にあった他の漫画文法と比較すると、永井のタッチはリアルとギャグ両方の要素を持った独特のデフォルメである。また貸本・赤本時代の、単行本をまとめて「読ませる」タイプの作家とは異なり、主に週刊連載という形式で「引っ張る」作風をメインとしている。
1ページ内のコマ数が少なく(つまりコマ割りが大きめで)、コマ枠も登場人物も線が太い。時にはセリフや擬音ばかりか、登場人物までもがコマからはみ出す。1コマが見開き2ページにも及ぶこともある。ストーリー展開は速く、セリフも分かりやすく明快。メカや背景もリアルに描かれている。それでいて劇画ではない。こういった手法は、永井が一般的にしたともいえる。
また、彼はギャグ漫画から始めたせいか、シビアなストーリーの途中に、ユニークなキャラクター性を持った登場人物の行動や発言であったりなど、主人公すら巻き込んでしまうギャグのシーンを入れてしまうという事を初めて完成された形で持ち込んだ。
これらの他、短編が多数存在する。
五十音順[]テンプレート:Col-beginテンプレート:Col-3
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外部原作者作品[]テンプレート:Col-beginテンプレート:Col-2
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ダイナミックプロ内原作付きないし共作作品[]テンプレート:Col-beginテンプレート:Col-2
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他作家との共作[]テンプレート:Col-beginテンプレート:Col-2
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その他[]他
実写映画[]1970年代から1980年代にかけての永井豪原作のアニメ作品の多くは、既に発表された漫画作品をアニメ化したものではない。まず、テレビアニメの企画が最初にあって、アニメ制作会社などからの依頼を受けた永井らがアニメスタッフと共同でストーリーや設定を考案し、原作者の役割を果たした。よって、テレビアニメの放映と並行して掲載された永井やダイナミックプロの漫画家によって描かれた漫画作品はいわゆる原作にはあたらない。当初のアニメ企画とは別個の作品となってしまった『デビルマン』は例外として、『マジンガーZ』『キューティーハニー』『ゲッターロボ』『ドロロンえん魔くん』はいずれも厳密にはテレビアニメの企画を元にしたコミカライズという位置付けである。
永井の作品のアニメは、明らかにロボットものを含めSF作品が多い。それらは子供向け作品であってもセクシュアルさや過激なバイオレンスの要素を充分に含んだものであり、若年層の抱く欲求を空想科学作品というオブラート付きで満たすものだった。『マジンガーZ』が当時スペインでの最高視聴率80%を、『UFOロボ グレンダイザー』が、フランスで放送された際には最高視聴率100%を記録した、という逸話もあるほど、当時日本で放映されたTVアニメ作品ですら、諸外国にとっては新鮮で画期的で、かつセンセーショナルであった。
東映自体の企画なのか、永井やダイナミック・プロ側の発想なのかは不明ではあるが、映画版のみの特別編『マジンガーZ対デビルマン』『グレートマジンガー対ゲッターロボ』などといった一連の諸作品も、当時の子供心をくすぐる企画であった。こういった、異なった番組の主人公が同じドラマのストーリーの中でからむ、という発想は手塚治虫ゆずりであり、それ以上に自作のキャラクターを自在に弄ぶスターシステムは彼の売りとなった。
永井の率いる漫画プロダクションが、株式会社ダイナミック・プロダクション(ダイナミックプロ)である(1968年設立)。それまで漫画家による製作組織というのは、個人事業主である漫画家が外注としてのアシスタントを雇う方式や、徒弟制度としての師匠と弟子の関係のものが協力し合って製作する方式が一般的であった。しかし、ダイナミックプロでは一般の会社と同じように弟子の漫画家も社員として対等に扱い、雑誌社とのマネジメントも行って社員に自らの作品を発表するチャンスを与えるという、当時としては画期的なシステムであった。そのため、ダイナミックプロからは数多くの優れた漫画家が輩出される事になった。時期や作品により永井とダイナミックプロとの距離感は様々であるが、初期においては永井自身の志向で、最初の読者であり、作家性に激しく影響を与え合うプロ作家集団であり、アシスタントもするという位置づけだった。また、作品によっては永井名でありつつも、かなりシステマティックに互いの得意領分を担当しあいながら作られたものもある。極端な例では、「幻六郎」というプロ内の特定ユニットとしての集団ペンネームを用いた場合もある。
実際には、漫画家だけでなく文筆家としての作家もダイナミックプロには所属しており、例えば永井の実兄である永井泰宇(高円寺博)や、永井豪ファンクラブからプロとなった団龍彦も漫画原作者・作家としてダイナミックプロの一翼を担ってきた。
永井の多くの作品に「とダイナミックプロ」と付けられているのは、彼らプロ集団が全体として企画を形作り、作品を生み出す作家表現へと収斂してきたことを意味する。ただ、その関わり方としては、着想の1アイデアから場合によっては「原作」やペン入れ、通常のアシスタントなど多岐に渡り、一つのメソッドに基づいたものがあるというわけではない。
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