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『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』(バトル・ロワイアル・ツー レクイエム、略称:BRII) は、2003年7月5日に公開された日本映画。
『バトル・ロワイアル』の続編。映倫により、前作同様R-15に指定されている。
これは前作の映画版の続編であり、前作の原作とは設定が異なっている。
テンプレート:ネタバレ
製作発表時、深作欣二監督は前立腺がんの脊椎転移を告白、命ある限り、と完全燃焼を誓った。この様な状況の中、撮影は2002年12月16日から開始されたが、12月21日には深作欣二が遂に力尽き入院。翌2003年1月7日からは当面の監督代行として息子の深作健太が起用された。
しかし、2003年1月12日に深作欣二が死去。1月18日の撮影再開後は深作健太が正式に監督となり、同年4月11日に本編撮影を終了した。全編の中で深作欣二が担当したのは僅か1シーンである為、実質的には深作健太の単独作品となった。
この様な経緯の後に7月5日に公開された本作だったが、原作とかけ離れた内容故に評判は観客・批評家共に決して芳しくなかった。また公開当初、東映の岡田裕介社長によって40億円、50億円を狙うと豪語された興行収入は最終的に18億5000万円となり、目標を達成する事は出来なかった。この数字は、この年の興行収入のランキングでは邦画に限定しても11位であり、また東映配給の映画に限定しても、アニメの『サクラ大戦活動写真』に抜かれてしまっている。続いて東映は『デビルマン』で「文春きいちご賞」という不名誉な映画賞を受賞してしまった。
2004年の早い時期には前作に倣った再編集版『バトル・ロワイアルII 【特別篇】 REVENGE』が製作され、同年9月にDVDとして発売が予定されていた。しかし、同年6月に佐世保小6女児同級生殺害事件が発生し、同事件の加害者女児が前作『バトル・ロワイアル』に熱中していた事が報道された為、東映ビデオは発売延期を決定。2005年2月21日に発売された。
因みに、出演している役者には平成仮面ライダーシリーズ、スーパー戦隊シリーズその他の特撮作品のOB・OGが多い他、この作品の公開後に特撮作品に出演した者も非常に多い。特にスーパー戦隊シリーズでは『特捜戦隊デカレンジャー』から『轟轟戦隊ボウケンジャー』まで3年連続でこの作品の出演者がレギュラー出演している。
「BR法」による殺人ゲームで勝ち残った七原秋也と中川典子があの島を脱出してから3年が経過し、世界はテロの時代に突入した。
七原は「BR法」が施行された後のBR優勝者や反BR法活動家により結成されたテロ組織「ワイルドセブン」のリーダーとなり、「首都庁舎爆破テロ」を実行、その犯行声明に於いて「全ての大人達に宣戦布告する」と宣言。子供達の「報復」を恐れた大人達は、正義の名の下に、「BRII」と呼ばれる新世紀テロ対策特別法を開始した。一方、3年前に七原に父を殺されたキタノシオリは、復讐を心に誓い、「BRII」への参加を志願。全国からの問題児が集まる、全寮制の鹿之砦中学校に編入する。
その冬のクリスマス、シオリを含めた3年B組の42名の生徒達は、スキー合宿へと向かうバスの中で軍に拉致されてしまう。軍服に着替えさせられ、担任である教師RIKIから「孤島に立て篭もった七原秋也を3日以内に見つけて殺害せよ!」との命を下され、強制的に戦争に参加させられてしまう。
本作品の杉江松恋によるノベライズが太田出版より出版されている。基本的には映画の脚本に準じた内容であるが、映画では描かれなかった登場人物に関するエピソードが多く盛り込まれている。映画には全く無かった、ワイルドセブンの結成に至る迄の経緯等も追加されている。また、映画では生き延びたメンバーがアフガニスタンで再会するシーンで終わるが、ノベライズでは七原と青井が崖っぷちで海に飛び込むシーンで終わっている。
テンプレート:Movie-stub
de:Battle Royale II: Requiemes:Battle Royale II: Réquiemfi:Battle Royale II: Requiemfr:Battle Royale 2: Requiem
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