水野晴郎

ページ名:水野晴郎

水野 晴郎(みずの はるお、1931年7月19日 - 2008年6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。生涯、独身であった。

出生時の本名は水野和夫(みずの かずお)。通称・マイク・ミズノ (Mike Mizno) としても知られている。なお、訃報に接した水野の愛弟子・西田和昭によると、山下奉文陸軍大将への尊敬の念とシベリア超特急シリーズへの愛着から「水野先生は『(戸籍における)本名を山下奉文陸軍大将と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した』と自分に告げ、(改名・証拠文書として)保険証を見せてくれた」とのこと[1]で、日本紳士録第八十版にもそれを裏付けるプロフィールの記述がある。

目次

経歴[]

テンプレート:現在進行

生い立ち[]

1931年、岡山県高梁市に誕生。2歳からは満州で育ち、第二次世界大戦後は岡山県に引き揚げる。青年期には岡山から大阪・神戸・姫路の映画館に通っていた。慶應義塾大学文学部(通信教育課程)を卒業。元郵便局職員で「紙幣捌きの名人」と称されていた。両親が早くに亡くなり、年の離れた妹を男手一つで育てた。

映画界へ[]

映画との出会いは戦後であった。 戦時中は軍人として死ぬ事を教育されていた水野は敗戦後の価値観の変化に戸惑う。アメリカに押しつけられた民主主義というものの意味が理解できなかった。そのときに出会ったのがアメリカ映画であった。

「民主主義というのはこういう面白い映画をみんなが自由に撮れて、みんなが自由に観ることのできる社会なんだ!」そしてこの出会いは水野の人生そのものを決めることになったのであった。

1956年、20世紀フォックス映画に入社し映画界へ。5年後に日本ユナイト映画にヘッドハンティングされ、宣伝総支配人となり、1972年に独立。ユナイト映画在籍時、ビートルズの主演映画「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「史上最大の作戦」「真夜中のカーボーイ」「夕陽のガンマン」、「追想」、意図的に誤字を使った「007/危機一発」などの邦題を考案したのも水野と言われる。

この間1960年代には(本名)水野和夫・名義で、また独立後は水野晴郎・名義で、映画雑誌「スクリーン」や「キネマ旬報」に映画評などを多数執筆している。同誌には特に2000年代前半あたりまで「水野晴郎対談」や「アカデミー賞受賞作に見るアメリカ映画の楽しさ」など多数の連載ものをもっていた。

金曜ロードショーの解説者として[]

独立後は1972年10月4日から、日本テレビ系の映画番組『金曜ロードショー』(1972年~1985年までは『水曜ロードショー』)の解説を担当。

1983年6月、初の拘束名簿式比例代表制による選挙が行われた第13回参議院議員通常選挙比例代表区に確認団体「新自由クラブ民主連合」(新自由クラブと社会民主連合とが結成していた統一会派)から名簿順位第3位で出馬し、落選した(新自由クラブ民主連合の獲得議席は1。当選者は田英夫)。

選挙出馬のため、金曜ロードショーの解説を1983年6月から降板していたが、1985年4月に復帰。1997年3月まで24年半に渡って解説を続け、水野の知名度を飛躍的に上げることになった。

その後1997年に「金曜ロードショー」の解説を降りたあとも、日本テレビの深夜の映画番組「麹町名画座」で「いやぁ映画って本当にいいもんですね~」の文句とともに解説を5年間続けた。なお、「シベリア超特急」の上映会がアメリカで開かれた際に渡米していた2000年の途中からは水野氏の解説なしで同番組が放送されていた。水野はこの間、雑誌「スクリーン」の連載「アカデミー賞受賞作にみるアメリカ映画の楽しさ」も休載している。

「いやぁ、映画って本当に(「ほんっとうに」と発音)いいもんですね~(他に「おもしろいもんですね~」や「素晴らしいもんですね~」もあった。)」という水野のセリフは瞬く間に定着し、お茶の間の人気を集めることとなった。番組プロデューサーによると「クルーカットに口髭という一目で覚えられる風貌だったことが採用の決め手になった」とのこと。そのため収録時は口髭をメークで強調。当初はカメラの前で極度に緊張するのでNG連発だったという。本番前にココアや豆乳を飲むことで気持ちを落ち着かせるなど、慣れるまでは苦労の連続だった。

著作「母の愛そして映画あればこそ―夢と希望を追い続けたわが60年」において「世界の警察を取材するために海外へ渡るときは解説を何本かまとめ撮りしていた」と述べている。

また、番組開始時はフィルム撮影だったためNGを出すとフィルムを廃棄して頭から撮り直しになるので「いつか上手くなって一発で決めよう」と意気込んでいたが、そうなる前の1976年10月に「撮り直しの利くビデオ撮影に切り替わった」と当時を振り返っている。 またフジテレビ系の映画番組『ゴールデン洋画劇場』も、「シベリア超特急」が放映される場合のみ解説を担当したことがある。[2]

映画俳優挑戦と「シベ超」シリーズ誕生[]

1992年には日活の創立80周年記念作品『洛陽』に山下奉文役で映画俳優に挑戦[3]。これが4年後の『シベリア超特急』に繋がっていく。2004年の映画「下妻物語」では、「主人公の白百合イチゴがコンビニで「水野晴郎」を見かける」という設定で本人役で友情出演していた。登場時にはテレビ出演時に水野がよく着るシベリア超特急のロゴが大きくプリントされた白のスウェットシャツを着ていた。

ウィズダムを設立し、映画評論の仕事以外にもMGMのミュージカル「雲流るるはてに」、カトリーヌ・ドヌーブ主演「銀行」など海外名作映画の輸入配給、テレビ番組の製作を手がける。2004年には秋田県のシネマコンプレックス・パンテオンシネマズAKiTAをプロデュース。神戸のサンテレビの映画番組『ドリームシアター』においても(体調不良により降板するまで)解説を担当した。

また、2008年現在α-Stationで放送されている番組『CHUMMY TRAIN』では、水野による「いやぁ、チャミトレって本当にいい番組ですね~」というジングルが使用されている(現在は番組オープニングにて使用)。これは以前この番組のゲストに呼ばれたときに収録したものである。

この他、一部の発売業者による激安DVDにおいて、解説を担当した。

晩年[]

晩年の2000年代前半には体重の増加で肝臓が悪くなっていたといい、2006年1月には吐血して意識不明にもなっている。2007年には背骨骨折も経験した。体調の悪化で2007年10月にクランクインするはずだった「シベ超」シリーズ最終作の撮影も延期されていたと言う。2008年に入り、入退院を繰り返すようになり、4月ごろにはペンすらもてなくなった。それでもなお、口述筆記で制作活動をつづけていたとのこと。2008年6月10日(15時05分)肝不全により死去、テンプレート:没年齢[4][5]。死の直前には長年の夢であった「水野晴郎映画塾」を立ち上げたばかりだった。先述した「シベ超」最終作の台本はできあがっていたといい、西田らが何かしらの形で完成させるとの事。

尚、葬儀・告別式は親族で行ない、7月17日に品川プリンスホテルにて、水野自身が創設した『日本映画批評家大賞』主催で偲ぶ会が開かれる予定である。

「シベ超」[]

1996年からは『シベリア超特急』シリーズで映画監督としてデビューした。監督名義は「マイク・ミズノ」となっている。同映画はその奇天烈な内容から、「シベ超」の愛称で、一部の映画ファンからカルト的な人気を得て大人気シリーズとなっている。

邦題・宣伝担当作品[]

  • ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!
  • 史上最大の作戦
  • 真夜中のカーボーイ
  • 夕陽のガンマン
  • 007/危機一発
  • 女王陛下の007
  • 夜の大捜査線
  • チキ・チキ・バン・バン
  • 華麗なる賭け
  • 眼下の敵

出演映画[]

  • ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発 (2008年、松竹、監督:河崎実) 死去のおよそ2ヶ月前に撮影されており、遺作となった。一般公開は2008年7月(予定)。

警察マニアの一面[]

警察マニアとしても有名で、国際警察官協会の日本支部会長を務める。アメリカで保安官補(実際に活動する執行官)の体験勤務をしたり、パトカーのサイレン音を集めたレコード『世界のパトカー』をプロデュースし発売したこともあった。警官の制服を着ているときの満面の笑みは有名。

かつては警察学校で警官の昇進に関わる本格的な講義を受け持っていた他、生前には日本各地の警察、警察大学校、警察学校で講演していたこともあった。警察庁長官からは表彰を受けている。本業の映画解説にも米国警察や司法制度に精通する一面が随所で発揮された。

かつては『水曜ロードショー』『金曜ロードショー』で放送される本編の映画が93分未満で放送時間が余った際、映画とは関係のない水野の警察関係のコレクションや記念写真がミニコーナーでたまに放送されることがあった。

また、アメリカのパシフィック・ウエスタン大学より「警察学博士」号を授与されているが、この大学は実態のないディプロマミルである。

なお、日本のパトカーにアメリカ式のパトライト、つまりバーライトを採用するよう提案したのは水野だという(本人談)。従来日本のパトカーにはルーフの中央に水平回転式・筒状の赤色警光灯がぽつんと取り付けてあるだけだったが、水野はアメリカで目にした大型の警光灯をみてこれだと思い、これをかねてから交流のあった警視庁のトップに提案したところ採用に至ったという(アメリカのパトランプの色は赤・青・橙など各色あるが、日本は規定で赤と決められていたため、色だけが変えられた)。

但し警視庁は当時の資料がないので分かりかねるとしている(フジテレビ「トリビアの泉」より)。なお、生理学的には青が最も注意を惹く色だとされる。

警察マニアとしての知名度から、1978年の東映映画「多羅尾伴内」に、警察署長役で出演したことがある。また、1997年のNHK朝の連続テレビ小説「あぐり」にも、主人公のモデルとなった吉行あぐりと同郷(岡山)出身ということもあって、これも警察署長役で出演している。

1993年、著書「母の愛そして映画あればこそ―夢と希望を追い続けたわが60年」で第13回日本文芸大賞受賞。そのほか著作に「いやあ!映画って本当にいいもんですね」「続・いやあ!映画って本当にいいもんですね」「水野晴郎の映画がいっぱい」「水野晴郎の映画がいっぱい2」「水曜日は映画の気分」「水野晴郎のわが映画人生」「水野晴郎の映画365」「映画のわかる本」「シベリア超特急連続殺人事件」「水野晴郎と銀幕の花々 : 日本映画の大女優たち 」「Women in Hollywood : ハリウッドの女神100年伝説」「ビデオで観る100本の洋画」「映画の旅はロマンでいっぱい」「ハリウッド100年」「世界のお巡りさん24時」「パトカーで駆けめぐるニューヨークの昼と夜」「アメリカン・ポリス体験旅行」「ザ・お巡りさん : 第一線警察官への手紙」「パトカー図鑑」「ザ・お巡りさん : 世界の警察直撃取材」など多数。

水野ファミリー[]

水野の弟子として、元漫才師の西田和昭(西田和晃)がいる。水野の片腕を務めるほか、現在もタレント、喜劇役者として活動している。そのほか占野しげる、中野ダンキチらが水野ファミリーとして知られている。

エピソード[]

  • 映画評論の仕事で多忙を極め、時間がなかったことから2台のモニターで2本の映画を同時に見たことも。「そんなんで話の内容、分かりますか?」と尋ねられた水野は「2本とも分かりませんでした」と答えている。
  • 名セリフである『いやあ、映画って本当にいいものですね!』だが、本人に拠ればその言葉が出たのは「水曜ロードショーで1974年4月3日に放送した「シェーン」の映画で、最後の解説で時間が余った時に出た一言。担当者から『もう一言付け加えてください』と言われてとっさに出た言葉だったんだよ」とのことである。[6]
  • 伊集院光のラジオ「深夜の馬鹿力」に出演した際、水野本人が語ったところによると初体験は18歳の時、森の中で年上の女性とだったと語っていた。
  • ラジオでおすぎに、弟子の西田和昭(西田和晃)を「まるで恋人みたい」と言わせるほど弟子思いの一面を持つ。
  • 2007年6月29日、映画の試写室で階段踏み外しによる転倒で背骨を圧迫骨折して全治3ヶ月の重傷を負った(2004年にも映画の撮影中に同じ個所を骨折している)。骨粗しょう症の治療中でもあり、周囲が心配していた矢先に同年12月13日、自宅で転倒、肋骨を骨折し動けずにいたところを所属事務所関係者に発見され、12月17日までに入院した。
  • 他人の映画へのカメオ出演する場合、映画の内容にかかわらず「本人自身の役で、胸に『シベリア超特急』のロゴが入ったトレーナを着ている」か、「警官役で、制服姿である」のいずれかであると言ってよい。
  • 上述のように、水野自身が宣伝担当していた007シリーズのパロディである映画『0093 女王陛下の草刈正雄』(2007年公開)にもカメオ出演した。この他テレビゲームソフトであるゴールデンアイ 007のCMにも浜村淳と共演で出演していた。
  • 親代わりになって育てた妹が嫁ぐ時、涙を見せまいと毅然と装っていたが、途中席を立ち、式場のトイレで一人感涙したという。

CM[]

  • ソニーベータマックス
  • リーバイス

関連事項[]

  • 浜村淳
  • 西田和昭
  • ナンシー関
  • パンテオンシネマズAKiTA
  • 水野晴郎シネマ館
  • HANDSHAKING(第5回対談)
  • ケータイ刑事 銭形シリーズ
  • 浅草キッド
  • おすぎ
  • 新自由クラブ
  • 社会民主連合
  • 岡山県出身の人物一覧

脚注[]

  1. 水野晴郎、戸籍上の名前を改名していた!恐るべし『シベ超』への愛!今日都内で会見シネマトゥデイ映画ニュース2008年6月11日
  2. ゴールデン洋画劇場の解説者の高島忠夫が病気療養で降板したため
  3. この起用は、軍服姿の水野の風貌が「山下奉文に酷似していたから」と言われる。
  4. 水野晴郎さん死去、映画に情熱捧げた生涯 nikkansport.com、2008年6月11日
  5. 「シベ超」終着駅に… 水野晴郎さん死去infoseek news 6月11日
  6. スポーツ報知 2008年6月12日付紙面に記事があるが、その詳しい経緯に関しては、1997年頃にスポーツニッポンのインタビューで報じられている。

外部リンク[]

テンプレート:Wikinews

  • 水野晴郎ドットコム(公式サイト)
  • 早稲田大学人物研究会・水野晴郎講演録


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