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函館市にある月光仮面像
『月光仮面』(げっこうかめん)は川内康範原作の冒険活劇および同作品に登場するスーパーヒーローの名である。
1958年にテレビドラマとして製作され人気を博し、漫画化され、後に映画化される。
その後、1972年にアニメ、1981年に新設定で映画化、1999年にはキャラクターを転用したギャグアニメも製作された。
北海道函館市松風町には、月光仮面の像がある。これは原作者の川内が当地出身であることから、川内から1974年4月「思い出の地に」と寄贈されたものである。
悪人によって危機に陥った人々の前に颯爽と現れる正義の使者。白いターバンと覆面、サングラスに白いコスチュームとマントの姿でオートバイに乗って颯爽と現れ、悪を蹴散らし人々を救い出す。だが、「憎むな、殺すな、赦(ゆる)しましょう」という理念を持ち、悪人といえども懲らしめるだけで過剰に傷つけることはしない。武器として自動拳銃を持っているが、専ら威嚇と牽制に使用され、発砲しても悪人の武器を撃ち落とすためにしか使用しない。月光は特殊な超能力を持っているわけではなく、自らの正義の心と身体のみによって悪を懲らしめる。
額には月をあらわす三日月(時として裏向きの27日の月が描かれている図版があるが誤り)が描かれているが、これは月の満ち欠けを人の心になぞらえ、「今は欠けて(不完全)いても、やがて満ちる(完全体)ことを願う」という理想がこめられている。月光は善人のみでなく、悪人をも遍く照らす。まさに月よりの使者にして正義の味方である。この極めて東洋的な正義観は原作者の川内の実家が日蓮宗の寺であったことが原因であるといわれている。月光仮面の発想は薬師如来の脇に侍する月光菩薩から得られたもので、「正義の味方」という言葉自体も、「正義」そのものである神仏に対する脇役的位置づけを示すものとして川内が作ったものである[1]。
広告代理店である宣弘社のプロデューサー、小林利雄によって立案された。日本で初めてテレビ向けにフィルムで撮影された連続テレビ映画である。前番組の『ぽんぽこ物語』が不評で武田薬品がスポンサーを降りそうになったため、番組枠を押さえ続けるため、その後釜として急遽企画された。
当初、小林は時代劇を製作したかったが、予算的に不可能(後述)であったため、鞍馬天狗をベースにした活劇を企画、原作を前番組『ぽんぽこ物語』も執筆していた川内康範に依頼した。川内もまた備蓄の少ない当時の日本がアメリカのテレビドラマを輸入することは国益に反するとして憂慮しており、これに応えた。川内は人々の危機に颯爽と現れる「踊る仮面」を提案し、小林により「人々の苦難を救済する」=菩薩をイメージしたネーミングから月光菩薩の名をとり月光仮面とされた。
当時、30分のテレビ番組で80~100万円の制作費が必要と言われていたが10分番組で10万円の制作予算(後にTBSから2万円、武田薬品から3万円の援助を受け、制作費は15万円になった。30分番組になってからの制作費は60万円程度。)しか確保できなかった。そのため東映に制作を依頼したが相手にされず、宣弘社は「月光仮面」製作のためにテレビ番組製作会社・宣弘社プロダクションを設立した。
予算を抑えるために小林の自宅をスタジオ代わり(応接間が祝探偵事務所でガレージがどくろ仮面のアジト、など。)にし、それ以外はオールロケで撮影された。予算の都合で機材もろくに揃わなかったため、当初はフィルモというゼンマイ式のカメラが使用された。フィルモは1カット28秒しか撮影できなかったため、テンポの速いカット割りとなり、スピーディな印象を与え、効果を上げた。また、移動撮影が予算の都合でできなかったため、ズームを多用している。
スタッフ、キャストとも制作費を抑えるために無名の若者が集められ、助監督や編集をしていた船床貞男が監督、大部屋俳優の大瀬康一が主演となった。フィルムの編集はプロデューサーの西村俊一が行なっていた。月光仮面や悪人の仮面・覆面姿は、いつでも代役を起用できるようにとの苦肉の策である。実際、どくろ仮面は宣弘社の社員が演じた事もある。
オートバイはホンダドリームC70(2気筒250cc)を白く塗って使用した。
第3部「マンモスコング」ではミニチュアを使った特殊撮影が行われたが、その発端は月光仮面のお面が無許可販売されていると知ったスタッフが玩具店に確認に行った際、精巧なミニチュア自動車が売られているのを見付け、これを使って特殊撮影が出来るのではなかろうか?と思った事だった。玩具に合わせて20分の1スケールのセットが手作りされ、そこでミニチュア自動車などを配置して撮影された。マンモスコングの縫いぐるみは、時代劇俳優の高木新平が自作した物を借りて使用(中に入ったのは高木本人)された。また、高木新平は人工コングの縫いぐるみも製作している。また、登場する自衛隊は本物で、11月1日の自衛隊創立記念日に便乗して撮影された。
川内作詞、小川寛興作曲の主題歌「月光仮面は誰でしょう」(歌は近藤よし子、キング子鳩会)はとともに子供たちの圧倒的な支持を受け、平均視聴率は40%、最高視聴率は67.8%(東京地区)を記録し、ラジオドラマの「君の名は」同様、放送時間に銭湯から子供の姿が消えたという。「月光仮面は誰でしょう」のレコードは当時の子供向け楽曲としては異例の10万枚以上[2]を売り上げる大ヒットとなった。
しかし、識者と言われる層からは評判が悪く俗悪視され、月光仮面の真似をして子供が高いところから飛び降りて怪我(または死亡)をする事故が続発し、新聞や週刊誌から有害番組だとバッシングを受け、1959年3月には「週刊新潮」を川内が告訴する騒ぎも起きた。この結果、惜しまれつつも、1959年7月5日をもって打ち切りになった。最終回の視聴率は42.2%(東京地区)だった。
第1部第1回の放送フィルムは、現存しているものの保存状態が非常に悪く(劣化して貼り付いてしまっている。)、事実上再生は不可能となっている。また、第1部は数本の原版フィルムが紛失してしまっている。
再放送時、オープニングのフィルムは全て「幽霊党の逆襲」のものに差し替えられた。
フィルムによってサブタイトルが二種類あるものがある。
野外シーンでのバック・グラウンドには頻繁に「鳥の鳴き声」が使用されている。ほぼすべてが同じもので、具体的には、主としてサンコウチョウの囀りが聞こえ、その間からホトトギスやウグイスの囀りが聞こえるものである(ちなみにこれらの鳥類の生息環境でない場所でも、このB・Gが使用されている)。
更に同じ宣弘社の「怪傑ハリマオ」でも同じB・Gが使用されている。
第1部から第6部はすべて東映東京製作。モノクロ作品。大きな設定変更はない。オートバイは大型のメグロ。
1958年(昭和33年)7月30日公開、51分。
1958年(昭和33年)8月6日公開、52分。
1958年(昭和33年)12月22日公開、62分。
1959年(昭和34年)4月1日公開、59分。
1959年(昭和34年)7月28日公開、61分。
1959年(昭和34年)8月4日公開、60分。
(カッコ内は登場した敵)
本作のアニメ化の背景には、同時期に『赤胴鈴之助』がアニメ化されるなど、昭和30年代の漫画のリバイバルブームがあった。
ターバンがヘルメットに、オートバイは単なる白塗りからフルカウルのレーサー風に変更されている。また、武器も鞭と手裏剣に変更されている。主題歌の歌詞は旧作と同じだが、曲はポップス調のものに変更されている。
かつて月光仮面だった老人に指名された小学生が、宇宙人が変身した生きたスクーター「スクコ」に乗り、月光仮面を襲名して近所の悪人を懲らしめる。かつてのライバル怪人「サタンの爪」の孫や人の言うことを聞かないコギャルを相手にドタバタを繰り広げる。月光仮面の設定を引き継いでいるものの、その世界観は脚本の浦沢義雄が得意とするギャグテイスト溢れるスラップスティック物。
昔のテレビドラマ版に俳優として出演していた北村弘一や滝口順平が声優として出演している。
SPEEDWAY(TM NETWORK の木根、宇都宮、小室がTM開始前に所属していたバンド)が武田食品の「プラッシー」のCMソングとして歌った。
タイトルは「Rockin' on the 月光仮面」
Amusement Square が「ディスコ月光仮面」として旧作の主題歌をカバーした。
2005年にパチンコ機「月光仮面」が株式会社平和から発売された。(タイアップ機)
2002年にパチスロ機「月光仮面」が北電子から発売された。リール配列やゲーム性は同社の人気シリーズ『ジャグラー』と同じ。(タイアップ機)2008年、5号機版が発売予定。
原作者の川内の出身地である函館市にはアニメ版デザインのFRP製の立像がある。また、川内が晩年に住んでいた三沢市には「憎むな、殺すな、赦しましょう」の言葉が刻まれた石碑が建てられている。
1999年公開のスタジオジブリ制作、高畑勲監督のアニメ映画『ホーホケキョ となりの山田くん』。劇中で少年時代の憧れのヒーローとして月光仮面が登場。月光仮面の主題歌が流れ、川内が協力としてクレジットされている。
また1980年代、日本工学(ニコン)から発売された「ピカイチズーム」というフィルム式カメラのCMにも登場していた。
「正義の味方」の代名詞として、疑獄事件や政治腐敗の際には月光仮面を名乗って糾弾するものが現れる(例・辻山清)。
また同じ作者の『太陽仮面』が産経新聞(当時)に連載されて漫画化もされたが、『月光仮面』ほどの人気は獲得できなかった。
学生運動隆盛時には、神戸の関西学院大学全共闘などが「月光仮面社会主義共和国」を標榜し、KGと同学の月の学章をあしらったパロディをものしたこともある。
テンプレート:前後番組es:Capitán Centellait:Gekko Kamen
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