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忠次旅日記(ちゅうじたびにっき)は1927年(昭和2年)に日活大将軍で製作されたサイレント時代劇。第1部「甲州殺陣編」、第2部「信州血笑編」、第3部「御用編」に分かれる。監督は伊藤大輔、主演は大河内傳次郎。「忠次三部作」または「忠次三部曲」と総称される。
全26巻。その年のキネマ旬報ベストテンで第1位(第2部)・第4位(第3部)に入賞。
「国定忠次は鬼より怖い。にっこり笑って人を斬る。」と唄われた幕末の上州(現群馬県)の侠客国定忠次は、悪代官をこらしめ農民を救う英雄として講談、浪曲や大衆演劇で人気を集めていた。大正時代に澤田正二郎や尾上松之助主演で映画化された。
1926年(大正15年)に日活に入社した伊藤大輔は、同年の時代劇映画「長恨」でコンビを組んだ第二新国劇出身の若手俳優、大河内傳次郎を使って従来の颯爽とした英雄忠次像を廃し、子分に裏切られて破滅していく人間くさい忠次像を映画化しようとした。
だが、経営陣は、松之助が演じた従来の忠次像にこだわり許可しなかったので、止む無く伊藤は第1部「甲州殺陣編」でヒーローとしての忠次を描いた。幸い好評を得たので、その実績をもとに本来のテーマである第2部、第3部を製作した。伊藤本人の言を借りれば「無頼漢の忠次とは何事だと横槍が出て、仕方なしに『血笑編』と『御用編』のテーマは残して、まず最初に『甲州殺陣編』と言う無意味な立ち回りを撮ったんです。その立ち回りが当ったんで、松之助さんも病没したことではあるし、まあ続けてあともやれということで・・・・そんな時代の産物でしたよ、あの忠次は。」というように、第1部は監督自身あまり愛着を持っておらず、本来のテーマを元にした第2部、第3部が重要なのであった。それでも三作とも、外国映画の影響を受けた斬新な演出、動きのあるカメラワーク、御用提灯の効果的な使用、大河内の迫真の演技、激しい立ち回り、瑞々しいリリシズム、字幕の巧妙な使用など、従来の時代劇と違う新しさが評価された。
1927年3月第1部封切、8月第2部封切、12月第3部封切。大好評でたちまちのうちに監督・伊藤大輔、主演・大河内伝次郎、撮影・唐沢弘光のゴールデントリオは人気が集まり、最新の映像表現で、続く「新版大岡政談」「興亡新撰組」「御誂次郎吉格子」などのサイレント時代劇の名作を世に送った。当時の評を見ると「鮮烈なタッチのカッテイングと悲壮感」(第1部)「胸を打つセンチメンタリズムのほとばしり」(第2部)「灰色のニヒリズムと悲愴美」(第3部)と書かれていて、後の日本映画を支える人材達はこの映画に少なからず影響を受けており、その後の日本映画の歴史を変えたエポックメーキングな「時代劇の古典」として重要な地位を占めている。
その後、伊藤監督自身が総集編を作るときに第1部を廃棄、残った第2部と第3部のフィルムも散逸し、断片しか残されない「幻の名作」とされていたが、1991年(平成3年)12月第2部の一部と第3部の大部分のフィルムが広島県の民家で発見され、東京国立近代美術館フィルムセンターで復元ののち1992年(平成4年)10月10日、11日、同センターで公開された。
注:フィルム、シナリオともに紛失しているため、あらすじは参考文献をもとにまとめたものである。
第1部「甲州殺陣編」8巻甲州の山中、捕り手に追われ谷川に飛びこんだ忠次は、水晶掘りのお玉と三吉の姉弟に救われる。二人は遺産の水晶鉱山を、叔父で顔役の文太と十手持ちの博徒八幡屋兵蔵に奪われ、不自由な暮らしを強いられていた。その後、文太と兵蔵がお玉を拉致し大金を奪った事に怒った忠次は、水晶商人に変装して八幡屋のもとを尋ね、正体を明かして姉弟の危機を救う。その帰り道に待ち伏せていた悪人を倒し、姉弟に別れを告げて何処ともなく去っていく。第2部「信州血笑編」8巻悪代官を斬って赤城山に立てこもった忠次は役人に襲われたが、そのときの誤解から友人御室の勘助を死なせてしまい、償いのため勘助の遺児・勘太郎を連れて放浪の旅に出る。仇である自分を親のように慕う勘太郎に、忠次は心からの愛情をそそぎながらも今後の事を思い、信州の顔役壁安こと壁安左衛門に勘太郎の身柄を預けようとするが、かつての子分が自分の名を騙って盗賊をする事を知る。怒りと失望に愕然とする忠次。子分は申し訳なさに自害、「身内には盗賊はいない」と思っていた忠次は恥じて勘太郎とともに壁安の家を出る。そのころ忠次の持病の中風が悪化し利き腕の右手が利かなくなる。頼りにしていた子分や友人にも次々と裏切られ、探索の手はきびしくなるばかり。次々と二人を襲う危機を何とかして切り抜けるが、最早、子連れの逃避行は出来なくなってきた。二人の身を案じる壁安の命をうけ追いついてきた子分・三つ木の文蔵の説得に、忠次は泣く泣く勘太郎と別れ、朝焼けの中を一人おちのびる。 第3部「御用編」10巻越後長岡の造り酒屋澤田屋に番頭として潜伏していた忠次は、束の間の平穏な時期を過ごしている。澤田屋の娘お粂に告白されるが、自分の境遇では受け入れられないと悩む。ある日澤田屋の息子の危機を救うために悪人の音蔵に正体を明かし、捕り手に追われる羽目になる。澤田屋とお粂との犠牲で窮地を脱し、病苦に苦しみながらようやく上州に帰る。成長した勘太郎に合いに行くが、お尋ね者の身では声をかけることすら出来ない。忠次は病気と心痛のあまり山中で倒れ、役人に捕らえられる。一方、文蔵ら子分たちは護送途中の忠次を救い、戸板に乗せて妾のお品が待つ国定村に帰る。寝たきりの忠次を、村人や身内は献身的に看護する。だが、裏切り者が出て隠れ家は捕り手に包囲される。忠次を守るべく子分たちは奮戦するが一人また一人倒され、役人中山精一郎に諭された忠次はお品もろとも縄につく。Smallwikipedialogo.png | このページには、クリエイティブ・コモンズでライセンスされたウィキペディアの記事が使用され、それをもとに編集がなされています。使用された記事は忠次旅日記にあり、その著作権者のリストはページの履歴に記録されています。 |
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