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仁義なき戦い 広島死闘篇は1973年4月28日に東映で公開された日本映画。「仁義なき戦いシリーズ」の第二弾。
テンプレート:ネタバレ
無銭飲食により大友勝利のリンチを受けた山中正治は、村岡組組長・村岡常夫の姪で未亡人である上原靖子によって手厚く看病される。その縁で山中は村岡組組員となるが、ふとした事から靖子と男女の関係となり、それが村岡組長の逆鱗に触れ山中は若頭・松永の指示で九州へ逃れる。しかし九州での和田組組長射殺事件により山中の名は裏社会で大きく轟くこととなり、山中は広島への帰参を許され、靖子との交際も村岡組長の認める所となった。
一方大友組組長である大友勝利は、実父である大友連合会会長の大友長次に、日頃の行いを叱責される。勝利は「美味いものを食い、いい女を抱く」ため大きなシノギを狙い、村岡組が警備を任されている競輪場のトイレをダイナマイトで爆破。村岡組組員の江田達と激しく対立する。また、時森勘市より跡目を譲り受け、“テキヤ”から正式にヤクザ「大友組」となる。しかし、この事が原因で時森は山中から狙われる事に。
その頃山守義雄が広能のもとを訪れ、呉に逃げてきた時森の身柄を預かってほしいと頼む。自らの組の財政的な窮乏のため、広能は時森の身柄を引き受けることを了承。それから数日後、時森の命を狙った山中が広能のもとを訪ねる。山中と広能は刑務所の中で懇意となった間柄であった。山中に時森を殺させることによって事態の収拾を図った広能だが、その計略が山守の電話から勝利に露見し、大友組に殺されそうになる。その後、広能は組員の島田幸一を使って時森を射殺。島田に罪をかぶせることで、広島の抗争が呉に飛び火するのを未然に防ぐ。
時森の死により後ろ盾を失くし、広島から追放されることになった勝利は、寺田啓一ら3人を密かに留め置き、村岡組長襲撃計画を立てるが、計画を事前に察知した村岡は山中をヒットマンとして差し向ける。寺田達を射殺した山中だが、事件直後に警察に逮捕され、無期懲役の判決を受けて服役。それを見届けた村岡組長は、靖子を元の婚家に戻し、死んだ亭主の弟と再婚させようとする。刑務所の脱衣所で村岡組舎弟・高梨国松から靖子のことを聞いた山中は裏切られたことに気づき、村岡に復讐するため刑務所を脱獄。
山中の脱獄を知った村岡は即座に松永に指示し、靖子を婚家から連れ戻させ、何食わぬ顔をして山中と対面。山中は靖子が広島にいるのを見て、自分が組長を殺そうと思ったのは間違いであったと詫びる。そして、組長の反目である勝利を襲撃。勝利の左足を撃ち抜いたが勝利の命を奪うことはできず、襲撃は失敗に終わるが、大友組の若衆である中原敬助の裏切りにより大友組は一斉検挙され、抗争は村岡組の勝利に終わる。
脱獄により全国に指名手配された山中は村岡から高梨が仮出所したことを知らされ、自分をだました高梨を射殺。しかし松永から実は高梨が言っていたことこそが真実で、靖子を慌てて婚家から連れ戻したのは村岡の計略だったことを知らされる。松永の家を飛び出した山中は、警察に包囲されてしまう。もはや逃げのびる術はなく、靖子も自分の手には戻らぬことを悟った山中は自殺。後日、山中の葬儀が村岡組長によって大々的に営まれる。弔問に訪れた広能は、高笑いする村岡を醜く感じ、悲しく死んでいった山中を偲ぶのであった。
※ナレーター…酒井哲
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