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テンプレート:文学『ビルマの竪琴』(ビルマのたてごと)は、竹山道雄が執筆した児童読み物。作者が唯一執筆した児童向けの作品で、雑誌『赤とんぼ』に1947年3月から1948年2月まで掲載された。ビルマ(現在のミャンマー)を舞台としている。
市川崑の監督によって、1956年と1985年に、2回映画化された。
テンプレート:ネタバレ
時は1945年7月、日本軍はビルマ(現在のミャンマー)で連合軍の猛反抗に遭い、戦局は非常に悪くなっていた。
日本軍のある小隊長は音楽学校の出身で、自らの小隊の隊員に合唱を教えていた。そのため、隊員達は歌うことによって、隊の規律と慰めと団結を得ていたのであった。中でも、水島上等兵は才があったため、音楽に熱中し、竪琴の演奏を得意として、部隊でたびたび演奏を行っていた。また、水島はビルマ人の格好で斥候に出て、状況を竪琴で小隊に知らせていた。
終戦を迎え、小隊は捕虜となり、ムドンの捕虜収容所に送られる。しかし、終戦を知らない部隊が三角山で戦闘を続けており、このままでは全滅する状況だった。そこで、イギリス軍と交渉して、水島が連絡に行くが、消息不明となる。その後、水島を案じる隊員たちの前に、青いオウムを肩に乗せた、水島によく似た青年仏教僧が現れる。隊員はその僧を呼び止めたが、僧は一言も返さず、逃げるように歩み去った。
ひょんな事から隊長は、おおよその事情を推察する。親しい物売りの老婆からオウムを譲り受け、「オーイ、ミズシマ、イッショニ、ニッポンヘカエロウ」と日本語を覚えこませた。数日後、隊が森の中で合唱していると、大仏の胎内からふいに聞き覚えのある水島の竪琴の音が聞こえてきた。隊員達は大仏の鉄扉を開けようとするが、固く閉ざされた扉はついに開かない。
小隊が3日後に日本へ帰国することが決まった。隊員達は、青年僧が水島ではないかという思いを捨てきれず、彼を引き連れて帰ろうと毎日合唱した。隊長は、日本語を覚えこませたオウムを青年僧に渡してくれるように物売りに頼む。出発前日、青年僧が皆の前に姿を現した。収容所の柵ごしに隊員達は『埴生の宿』を合唱する。ついに青年僧はこらえ切れなくなったように竪琴を合唱に合わせてかき鳴らす。彼は水島上等兵だったのだ。隊員達は一緒に日本へ帰ろうと必死に呼びかけた。しかし、彼は黙ってうなだれ、『仰げば尊し』を弾く。祖国のメロディーに心打たれる隊員達を後に、水島は森の中へ去って行った。
翌日、帰国の途につく小隊のもとに、1羽のオウムと封書が届く。水島は、三角山に立てこもる部隊を説得するも、その部隊は自滅の道を選ぶ。その後、水島はムドンへ向かうが、3、4丈(約10m)の崖から落ちて重症となる。そして水島は、人食い部族に助けられ、祭りの生贄にされそうになる。しかし、強い風が吹いてきたところで、水島は竪琴で、精霊が飛んでくるような音を出す。部族はそれを怖がり、水島を助け、ビルマ僧の服装で見送ってくれた。その後、水島は再びムドンへ向うと、道々で無数の日本兵の死体に出くわす。衝撃を受けた水島は、英霊達の休まる場所を作ってあげずに、自分だけ帰国することはできないと思い、この地に留まろうと決心する。その後、水島は本当の僧侶となったのだった。祖国や懐かしい隊員たちへの惜別の想いと共に、強く静かな決意が手紙には綴られていた。オウムは「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」と叫ぶのだった。
1956年ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジオ賞受賞。1957年アカデミー外国語映画賞にもノミネートされた。
スタッフ[]出演者[]1985年7月20日公開。
スタッフ[]it:L'arpa birmana
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