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『たそがれ清兵衛』は藤沢周平著の短編小説およびこれを表題作とする短編小説集である。また、短編小説「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」「竹光始末」を同時に原作とした山田洋次監督による日本映画の名称でもある。本記事中で小説および映画について説明する。
テンプレート:文学
病弱な妻を持ち、その世話のために退城の合図とともに帰宅し「たそがれ清兵衛」と呼ばれる井口清兵衛。無形流の達人であることを買われ、上意討ちの討手に選ばれたが、妻の介護を理由に断ろうとする。しかしながら、討手を引き受ける条件として、妻の療治への援助および当日の妻の介護後の実行を提案されたため、ついにこれを受ける。上意討ちの後、療養の甲斐あって体調が好転した妻とともにいる場面で話は終わる。
1983年(昭和58年)から1988年(昭和63年)まで小説新潮に掲載された8話の短編小説を収録している。いずれもあまり評判が良いとは言えないあだ名・容貌を持つ下級武士を主人公とし、彼らが外観とは異なり切れの良い剣の腕前を披露する展開となっている。収録作品は、「たそがれ清兵衛」「うらなり与右衛門」「ごますり甚内」「ど忘れ万六」「だんまり弥助」「かが泣き半平」「日和見与次郎」「祝い人助八」。「祝い人助八」は映画『たそがれ清兵衛』の原作の一つにもなっている。
山田洋次監督が初めて手がけた本格時代劇である。多くの人から愛されながらも再現することの難しさから映画化が敬遠されてきた藤沢周平作品の、しかも写真や文章といった映画化に欠かせない資料もほぼ皆無に近い幕末の庄内地方を舞台にした時代劇ということで、山田曰く「まさに制約だらけの世界」の中での挑戦となった。
徹底したリアリズムに拘った山田は、構想に10年以上時代考証に1年以上かけて、家屋や城内の様子、さらには髷に至るまで従来の時代劇とは異なったアプローチを展開。苦心の末それらが見事に結実した。
特に夜間のシーンにおいて、当時街灯など存在しないにもかかわらず不自然または不必要な明るさが見受けられる時代劇映画が多い中で、まさにこのような暗さであったであろうと観客を納得させ映画全体の彫りを深いものにしている。屋内での余吾との決闘シーンにおいてもその屋内の暗さは、田中泯の迫力と合わさってリアルな立ち回りを演出している。
時代劇に於いて頻繁に見られるダイナミズムの欠乏やラストシーンの存在意義など、議論の対象とされる箇所も見受けられるものの近年低迷する時代劇および日本映画の中で高い評価を得た作品である。
2002年度(第26回)日本アカデミー賞では『Shall we ダンス?』に続き、史上2度目の全部門優秀賞受賞を果たし、助演女優賞を除く全ての部門で最優秀賞を獲得した。また、ほかにも国内において多数の映画賞を受賞したほか、2003年(第76回)アカデミー賞において外国語映画賞にノミネートされるなど海外でも高い評価を受けた。(詳細は後述)
この映画は、短編小説「たそがれ清兵衛」のほか、同じく藤沢周平の「竹光始末」「祝い人助八」の2つの短編を原作としており、同名小説とはストーリーや設定が異なる。
テンプレート:ネタバレ幕末時代の庄内地方。海坂藩の御蔵役を務める井口清兵衛は、夕方に仕事を終えると真っ直ぐ自宅に帰り、家事と内職にいそしんでいた。重度の痴呆症を抱える老母と幼い二人の娘の世話、そして労咳で死んだ妻の薬代や葬儀などで嵩んだ借金を返済するためだ。日々の暮らしに追われ、次第に身なりが薄汚れていく清兵衛。同僚たちはそんな彼をたそがれ清兵衛と呼んでいた。
春、清兵衛は親友の飯沼倫之丞と再会する。倫之丞は妹の朋江が酒乱の夫・甲田豊太郎に度々暴力を振るわれるため、離縁させたことを清兵衛にうちあける。
清兵衛が帰宅すると、そこには美しい女の姿があった。朋江であった。「機織ばかりさせられて退屈だから」と飯沼家を抜け出し清兵衛の家を訪ねていたのだ。楽しそうに幼少時代を懐古したり娘たちと遊んだりする幼馴染の朋江に、清兵衛は再び淡い恋心を抱いた。その晩飯沼家では、酒に酔った甲田が朋江と離縁させられたことに腹を立て、倫之丞に果し合いを申し込んでいた。朋江を飯沼家まで送ってきた清兵衛は、暴れる甲田を取り押さえ、自分が倫之丞に代わって果し合いの相手をすると宣言してしまった。翌朝、城下の般若寺裏の河原で相対した清兵衛と甲田。真剣を抜き「斬るぞ」と息巻く甲田を、清兵衛は木刀の小太刀一本であっさりと倒した。その噂は城内でもささやかれていた。
朋江は清兵衛の家へ通い、家事や娘の世話を続けていた。穏やかな日々が続いていた。そんなある日、海坂藩の藩主が若くして没した。ほどなく後継者争いが勃発。藩内に暗雲が立ち込める。命の危険を感じた倫之丞は、朋江を親友である清兵衛の元へ嫁がせたいと申し出た。しかし、清兵衛は自らの身分の低さと貧しさを理由にその申し出を断る。
世継ぎが決まり、旧体制を率いてきた藩士の粛清がはじまった。粛清されるべき人物の中に、一刀流の使い手・余吾善右衛門がいた。余吾は切腹を命じられながらもそれを拒絶したばかりか、討手の服部某を斬殺。自らの屋敷にたてこもっていた。新たな討手を求めていた海坂藩は、若かりし頃に道場の師範代を務め、般若寺裏の決闘で甲田を倒した清兵衛の剣を見込み、その任務を命じる。清兵衛は断ったが、家老はそれを許さなかった。翌朝、清兵衛は朋江を自宅に呼び、身支度の手伝いを頼んだ。決闘を前に、清兵衛は秘めていた想いをついに打ち明ける。「果し合いに打ち勝ったら井口家に嫁に来てほしい」と。しかし朋江は清兵衛に縁談を断られた後、会津の有力な家中との縁談を受けてしまっていた。
余吾の屋敷。意気込んで乗り込んだ清兵衛が見たのは、憔悴した余吾善右衛門だった。「お主とすこし話がしたい。まぁ、かけんか。」余吾は訥々と話しはじめた。苦しかった浪人時代…労咳で亡くした妻子…藩のために一心に働いた末に命じられた切腹…互いの苦しい境遇に共感しあう清兵衛と余吾。しかし清兵衛が妻の葬式代のために刀を売ってしまったことを知ると、余吾の目付きが変わった。「わしを竹光で斬るというのか。」清兵衛が「小太刀で戦うつもりだった」と答えると、余吾が立ち上がった。「小手先の剣法で、このわしを殺すつもりだったのか。許さぬ。」
壮絶な果たし合いに打ち勝った清兵衛は、傷だらけの体のまま自宅に戻った。清兵衛を待っていたのは二人の娘と朋江だった。朋江を思い生きて帰った清兵衛。清兵衛の無事を待ちつづけた朋江。二人の心が重なり合った。
朋江を妻に迎えた清兵衛が幸せな暮らしを送ったのは、三年あまりだった。明治維新とともに勃発した戊辰戦争で賊軍となった海坂藩は、圧倒的な戦力の官軍と戦うことになったのだ。清兵衛は官軍の鉄砲に撃たれて死んだ。
ラストシーン。壮齢になった清兵衛の娘が父の姿を述懐する。「たそがれ清兵衛は不運な男だという人もいるが、私はそうは思わない。私たち娘を愛し、美しい朋江さんに愛され、充足した思いで短い人生を過ごしたにちがいない。そんな父を誇りに思う」と。テンプレート:ネタバレ終了
テンプレート:先代次代
de:Samurai der Dämmerungfi:Samurai hämyisen illanfr:The Twilight Samuraino:The Twilight Samurai
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