ペリリュー島の戦い

ページ名:ペリリュー島の戦い

登録日:2023/06/24 Sat 10:20:31
更新日:2024/07/09 Tue 13:48:29NEW!
所要時間:約 13 分で読めます



タグ一覧
戦争 ペリリュー島 太平洋戦争 死闘 大日本帝国 地獄絵図 忘れてはいけない 歴史 軍事 第二次世界大戦 激戦 第1海兵連隊は終わりだ 地獄より地獄



ペリリュー島は地獄に包まれた


ペリリュー島の戦い(米軍側表記ではステールメイトⅡ作戦)は、1944年9月15日から11月27日にかけて太平洋戦争の中で展開された戦闘の一つ。
ペリリュー島の地獄と評される程に戦闘は苛烈を極め、米軍は4日で制圧できると考えていたところを2ヶ月半も掛け制圧する事となった。



戦力

戦闘前ペリリュー島の両軍の戦力は、以下の通りだった。


日本軍側


●歩兵第2連隊 第1大隊
 ○歩兵第2連隊
 ○歩兵第15連隊
 ○第14師団戦車隊
 ○独立歩兵第346大隊
 ○歩兵第2連隊隷下砲兵大隊、輸送中隊など


などの戦力計約10,500名。


米軍側


●ペリリュー島攻略部隊
 ○第1海兵師団
 ○第81歩兵師団


などの約48,740名。


この戦力差で日本軍守備隊は2ヶ月半も粘ったのだから驚きだ。
また、米軍はこれ以外にも海軍が加わっている。


戦闘推移

◆戦闘前~開始◆

1944年、8月下旬。


アメリカ軍は中部太平洋艦隊司令長官のスプルーアンス中将(立案当時。後に大将)が立案したガルバニック作戦に基づき「マーシャル諸島を制圧し太平洋南東から日本本土を目指す」という侵攻ルートを進む予定だった。その為、アメリカはこのペリリュー島に目を付けたのであった。


こうしてペリリュー島攻略作戦は実行される事になったのだが、作戦に参加した米軍の多くは日本軍守備隊の規模やタラワ島の戦い以降の島嶼戦で日本軍が効果的な防衛を行えていなかった経験から、この戦いも数日で片が付くと考えていた。
現地の指揮官が部下の海兵隊員に向けて「こんな小さい島の戦闘は2.3日で片付く。諸君に頼みがある、私への土産に日本軍守備隊指揮官のサムライ・サーベルを持ち帰ってもらいたい。」とまで豪語していた。
無論、米軍の中にもペリリュー島の空撮写真を見て楽観視はできないと警告した者も居たのだが、勝ち確ムードに呑まれて重要視はされなかった。


こうして米軍のペリリュー島攻略作戦は開始されたのだが、勿論無策だった訳ではない。
これまでの島嶼戦の経験則に照らし、日本軍が水際防御に戦力を割くはずだと予測した米軍は戦艦5隻を始めとする計25隻以上の戦闘艦で沿岸の防御陣地が存在すると思われるジャングルを徹底的に焼き払った。


最終的にペリリュー島にぶち込まれた砲弾のは6,000トン以上に上り、砲撃を指揮した少将は「完璧」と称賛する程だった。
当然ながらそれらが日本軍の防御陣地を粉砕し、薙ぎ払う様子を米軍は確認していた。


しかし、それは日本軍の作戦だったのである


先程吹き飛ばされたと見られた防御陣地は全てダミーであり、守備隊の主戦力はほぼ全て健在だったのである。


そんな事を知らぬアメリカ軍は9月15日、ペリリュー島に上陸を開始する。
地獄が始まる事も知らずに。



◆上陸開始◆

まず初めに、第1海兵旅団隷下3個海兵連隊がペリリュー島へ上陸を開始した。
ここで海兵連隊は地獄を見る事になる。
制圧したと思っていた陣地から、凄まじい量の砲撃が上陸中の海兵隊を襲ったのだった
何処から攻撃されたのか、海軍が制圧したのではなかったのかと混乱する海兵隊を尻目に日本軍守備隊は砲撃を続けた。
自信満々に投入したアムトラックは鉄屑に変わり、百戦錬磨の海兵隊員は次々と斃れていった。更にあのM4中戦車も3輌が破壊されてしまった。


この時の戦闘の激しさをある海兵隊は「こんな戦闘をこれまで見たことが無い。1両40,000ドルもするアムトラックがこんなに炎上しているのを見て衝撃を受けた」と語った。


更に追い討ちを掛けるように通信兵や幕僚の乗ったアムトラックも砲撃で吹き飛ばされ、上陸した海兵隊は8時間に渡って本体と連絡が取れない状態となってしまったのである。
この状態で海兵隊は守りの硬い日本軍陣地を突破できずアムトラックが破壊された事で後退もできないという状況に陥ってしまった。
まさしく地獄である。
しかし、地獄は始まったばかりであった。



◆沿岸確保作戦と白兵戦◆

上陸後に苛烈な集中砲火を浴びる事となった海兵隊。
一部の部隊では通信兵や士官の多くが死傷し、艦隊との連絡や正常な指揮系統の元での戦闘が不可能となった海兵隊員達は兵士個人の判断で前進するしかなくなり、日本軍陣地への散発的な攻撃を強いられた。
日本軍は多数の塹壕を掘っていたが、皮肉にもこれらは突撃した米海兵隊の避難場所となったという。こうした塹壕を活用しながら海兵隊はじりじりと接近し、遂に初めて日本兵と対峙し、壮絶な白兵戦を繰り広げた。
日本軍優勢と言える戦況であったが、海岸線に敷設していた地雷原が海水で腐食し機能しなかったこと、前述した米軍による日本軍塹壕の逆利用により橋頭保を築かれつつあったことなど、全てが日本軍の目論見通りに運んだ訳でもなかった。


寸断された連絡網の中から断片的に前線から入ってくる報告は凄惨なものばかりで、上陸前は楽観的だった師団長や作戦司令部は強い不安に襲われた。
そこで作戦司令部は予備1個ライフル大隊を増援として投入する事を決定した。
しかし通信、指揮系統の混乱から増援は必要な場所へ投入されたとは言い難く、最も増援を必要としていた死傷者400人を超える損害を受けていた海兵隊第一連隊へは救援が届かないなど、米軍は混乱状況にあった。


これを好機と見た日本軍は事前に策定していた第一号反撃計画に基づき、19両(諸説あり)の95式軽戦車を中核とする部隊により米軍に対する反撃を行った。
この反撃の目的は米軍を海へと叩き出すことであり、つまりは海岸線まで進出することであったが、実際にはM4中戦車やバズーカによる猛攻撃でその多くは海岸線到達前に撃破された。僅か数両の95式軽戦車が海外線に到達したものの、これも海兵隊員による肉薄攻撃で撃破されるなどして壊滅した。
この第一号反撃計画は失敗に終わり、日本軍守備隊は虎の子の戦車部隊を失い米軍を島から叩き出すのに必要な攻撃能力を喪失することとなった。


上陸後の米軍海兵隊の死傷者は約1,100名に上り、この悲惨な状況は夕方頃に通信が回復した作戦司令官にも届けられた。
予想を大幅に上回る被害に司令部は絶句し、衝撃を受けた。


更に、熱帯気候や莫大な量の重症者は海兵隊の補給を圧迫し、海兵隊を追い詰めた。
夜間になると海兵隊は日本軍のお家芸である夜間攻撃やバンザイ突撃を警戒し陣を固めたが仕掛けてきたのは心理効果を狙った散発的な狙撃や罵声だった。


許容できないレベルの被害を受け米軍作戦司令部の公式発表は
「上陸地点には、敵の迫撃砲や火砲による砲弾が少数落下したが、我が海兵隊の攻撃初日の損害は軽微に留まった」と事実と掛け離れた発表がされた。
なんだか物凄く既視感がある…


結果的に、米軍はこの上陸戦で899~1247名(資料によりバラツキあり)の死傷者、多数のアムトラック、数両のM4中戦車という大損害を出した。
しかし多大な出血を強いられたものの、橋頭保の確保には成功した。
日本軍は米軍の事前砲撃による損害を最小限に抑え、米軍上陸部隊に多大な損害を与えることに成功した。しかし反撃作戦が失敗に終わり、貴重な戦車戦力が壊滅して島内に橋頭保を築かれることとなった。


◆ペリリュー飛行場の戦い◆

日本軍の攻撃がひと段落付いた頃、師団長や作戦司令部はペリリュー島に上陸し戦況の詳細な把握を行なった。
ここで師団長は大損害を出した第1海兵連隊のプラー大佐に向け、「もっと早く進めないのか?この馬鹿野郎が!俺の言った通りにさっさと島を掌握するよう動きやがれ、この無能が!(意訳)」
と罵倒し、いち早く島の南部を掌握するよう急かした。
こうして第1海兵連隊は南部のペリリュー飛行場を攻撃するよう命じられ、ペリリュー飛行場の戦いが幕を開ける。


また、この頃になると寸断されていた海兵隊への補給が回復し始め、水や弾薬が供給されるようになった。
戦車隊の増援も加わり、勢い付いた海兵隊は飛行場へ接近を始める。
接近するにあたって日本軍の肉薄攻撃や特攻を受けいくらか被害が出たものの、上陸初日に比べればなんて事はなかった。
こうして飛行場に到達した海兵隊であったが、ここで更なる損害を受ける。
戦車隊が居るということで意気揚々と飛行場に突入した海兵隊は、飛行場といういきなり開けた障害物の無い場所に入ってしまった事により日本軍の集中砲火を受けてしまったのである。


戦車隊は対戦車砲の集中砲火を受け爆散し、機銃掃射により海兵隊員は次々と斃れた。
最終的にペリリュー飛行場を掌握するのだが、戦闘が完了した時点で突入した第1海兵連隊の人的損失は33%を超えており(上陸初日で500人、飛行場の戦闘で更に500人を失った)、本来ならば撤退すべき被害なのだが海兵師団は予備部隊が尽きており前進するしかなかった。


◆海兵隊を苦しめる補給不足◆

飛行場をなんとか掌握した海兵隊だったが、ここで重大な問題が発生する。
飛行場を掌握し前進を開始した時点でのペリリュー島の気温は40度を超えており、体調不良者が続出した。
前線に飲料水を供給する兵が運搬中に日本軍の狙撃兵によって狙撃され、前線に水分が供給されなかったのだ。
しびれを切らした海兵隊は飛行場を掌握した事で強力な零戦も消え去った為航空支援を要請。
ナパーム弾による制圧爆撃で日本軍の殲滅を狙った。
爆撃は効果抜群であり、日本軍の守備能力は少しずつ低下した。


やがて前進していった海兵隊はブラッディノーズ・リッジ(鼻血の尾根)と呼ばれる日本軍守備隊の洞窟を利用した守備陣地に到達した。
ここからが海兵隊の本当の悪夢の始まりだった。


ブラッディノーズ・リッジの戦い◆

ブラッディノーズ・リッジに到達した海兵隊は、日本軍の本格的な守備隊本隊と接敵し、熾烈な戦闘を繰り広げる。
今回の戦闘は密林での戦闘に加えて、日本軍が洞窟を要塞化した事で海兵隊は苦戦した。
特に先鋒の第1海兵連隊所属第3大隊は死傷者50人程度の日本軍守備隊に対して200人以上の死傷者を出し、作戦司令部に優秀な海兵隊員200人を失ってジャップは50人だ!ふざけるな!500人の間違いじゃないのか!?(意訳)激昂された。第1海兵連隊は泣いていい


無論海兵隊はアメリカの物量に任せてじりじりと日本軍を後退させていったが、この時点で第1海兵連隊の死傷者は1,200人を軽く超え、日本軍の天敵であるM4中戦車ですら数十輌を喪失していた。
特に連隊隷下のいくらかの大隊は連隊長ことプラー大佐へ「これ以上は無理だ」と泣きつくのだが、大佐自身も師団長からブチ切れられていた事で焦っており、「うるさい!お前自ら兵隊を率いてあの丘を落とせ!(原文ママ)」と突き返す程だった。


最終的にはこのブラッディノーズ・リッジも海兵隊の決心の肉薄攻撃で突破し日本軍を後退させる事に成功した。
しかしながら、この時点での第1海兵連隊の死傷者は更に1,500人を超え、致命的な損失を受けてしまう。



◆第1海兵連隊壊滅◆

第1海兵連隊が決死の覚悟でブラッディノーズ・リッジを突破した頃、確保したペリリュー飛行場には多数の戦闘機や爆撃機が到着していた。
このペリリュー飛行場を利用して未だに抵抗を続ける日本軍へ爆撃を行い、日本軍へ大損害を与える事に成功する。
これに対して日本軍守備隊は飛行場の行動を制限する為に斬り込み隊を編成し、夜間に襲撃する事に決定した。
斬り込み隊は手榴弾のみを装備して、飛行場に忍び寄り米兵を刀で斬り、捕まりそうになったら手榴弾で自爆した。
これが夜間に寝ている間に行われる物だから、米兵の気持ちは想像を絶するものだっただろう。


この決死の斬り込みは海兵隊を悩ませ、日本語の扱える兵を戦車や装甲車に乗せ拡声器で「夜間の斬り込みを辞めてくれ。辞めてくれたら爆撃と艦砲射撃を停止する。だから、お願いだから辞めてくれ」と発し、ビラも撒いたが日本軍の士気を高めるだけだった。
(なおこのエピソードは「ペリリュー島玉砕戦 南海の小島 七十日の血戦」という船坂弘氏の自伝本でしか確認できないため信憑性には疑問がある。)


また、前線ではブラッディノーズ・リッジに匹敵する防衛線が新たに出現し、第1海兵連隊はこれを何としても突破しようとした。
しかし、海兵隊員達は続く夜襲や連戦に疲れ果てており、突破には多大な人員と労力を費やした。
最終的に戦闘員のみならず炊事員や会計士までも投入したが、マトモな戦力にはなり得なかった。


ここで、作戦司令部や師団長らが戦闘を行なっている第1海兵連隊の様子を見に訪れたが、彼らはその惨状に言葉を失った。
兵員約3,000人を抱える海兵連隊のうち半数以上が死傷し、第1大隊は戦力の71%を消耗。隷下の3個ライフル中隊も通常240名のうち生き残ったのは僅か74名しか居なかった。
つまり、第1海兵連隊は事実上文字通り壊滅していた。


また、第1海兵連隊はアメリカ軍史上最も損害を受けた連隊となった。


この惨劇を見て師団長は「第1海兵連隊は終わった」と言い放ち、陸軍の増援を求めた。


◆激化する戦闘◆

第1海兵連隊を傘下に置いた第1海兵師団の撤退後、増援として送られた陸軍第321連隊と共に第5海兵連隊が侵攻を開始した。
彼らは日本軍が守る通称「水戸山」と呼ばれる山を陥落させようとしており、M4中戦車7輌とアムトラック7輌の援護の元で2個海兵大隊で攻撃を開始した。


しかしながら、この「水戸山」には張り巡らされた坑道と洞窟陣地があった。
この洞窟陣地は火炎放射器を吹き込まれても他の坑道へ火が回る事を遮断できる構造になっていたりと、複雑で強固に作られていた。
これに苦戦した第5海兵連隊は、穴を工兵で塞ぎ、一方から火炎放射器や野砲を撃ち込み、もう片方から待ち構えていた海兵隊員が出てきた日本兵を撃つという地道な戦術を取った。
だが、この作戦が功をなし水戸山は陥落する。


しかし、日本軍の要塞は突破しても突破しても更に奥に存在しており、海兵隊と陸軍は被害だけが増えていった。
特に第1海兵連隊の壊滅を目の当たり、もしくは詳しく聞いていた第5海兵連隊の海兵隊員達の士気は著しく低く、日本軍もそれを察知していた。
こうして日本軍は海兵隊員達の心を折る為に、行動を開始した。


夜になると休憩を取る海兵隊員を夜間狙撃で撃ち抜き、殺害した。
夜間なのにもかかわらず百発百中レベルの命中率で狙撃してくる日本軍は海兵隊員を恐怖に陥れた。当然である。
更に10月3日に、視察を行なっていた師団参謀のジョセフ=ハスキンス大佐が日本軍の狙撃兵に胸を撃ち抜かれて死亡し、ペリリュー島の戦いにおいて最も位の高い戦死者となった


この夜襲の話は陸軍にも届いたが、本土からやってきた陸軍兵にとっては信じ難い話であり、信じていなかった。
しかしながら、夜襲の魔の手が陸軍兵にも届くと、耐えられなくなった陸軍兵が発狂し自殺している。



◆戦闘の終結◆

10月14日になると、第5海兵連隊の被害は第1海兵連隊程ではないにしろ1,300人以上の死傷者を出した為、撤退を決意した。
2個の海兵連隊の完全な撤退をうけてペリリュー島攻略は完全に陸軍に引き継がれる事となり、海兵師団長はペリリュー島から去った。
その時の師団長らはペリリュー島を攻略できなかったという悔しさよりもやっとこの地獄から解放されるという安堵が強かったという。



そして1944年11月27日、抵抗虚しく補給が枯渇した日本軍守備隊は玉砕。
ここにペリリュー島の戦いは終結した。



結果的に両軍の死傷者は


数万人に達し、作戦司令部の「4日」は「73日」を費やした。戦闘終了後、米兵が日本軍守備隊の作戦司令部に入ると自決した日本兵の遺体があった。日本兵の遺体は敬意を以て埋葬され、作戦報告書には日本軍守備隊は、祖国のために、全員忠実に戦死せり」と書かれた。


このペリリュー島の戦いのアメリカ海兵隊の評価は、日本軍はアメリカ軍に多大な犠牲を負わせることによって、長期に渡る遅滞・流血戦術を実行することに成功した。ペリリューで被った多大なコストは、日本に向けて太平洋を進む連合軍に大きな警鐘を鳴らした。海空で圧倒的優勢であり、莫大な量の艦砲射撃やナパーム弾を含む爆撃と4倍にもなる兵力差であったにも拘わらず、日本兵1名の戦死ごとにアメリカ兵1名の死傷と1,589発の重火器および小火器の弾薬を要した。この戦いは数か月後には硫黄島と沖縄での、日本軍の見事に指揮された防御戦術に繋がることとなった。と評している。


一方で、日本軍がタラワ島の戦い(1943年11月)以後、ペリリュー島の戦い(1944年8月)までの9か月という長い期間をかけてようやく効果的な防御戦闘を行ったという事実を見逃してもいけないだろう。
米軍が当初ペリリュー島での戦いを楽観視していたのは油断もあるが、それだけそれまでの島嶼戦での日本軍の防衛が弱体に過ぎたということでもある。
初の本格的な島嶼戦であるタワラ島では両軍共に大きな損害を出したものの、米軍はその後戦訓研究を急ピッチで行いその後の戦いに活用した。結果、ペリリューに至るまで快進撃を続けていた。一方の日本軍はタラワから戦訓を得ることなく無策に戦い続けた。


この差が、結果的にはこのペリリューの戦いを「日本軍の局所的な敢闘」に過ぎないものとしたのである。


ペリリュー島での日本軍の奮戦は称賛されるべきものである。
しかし今一歩踏み込んで、そもそも数ある島嶼戦の中で、何故それほどペリリュー島の戦いでの日本軍の奮戦が目立つのか、その背景にある日本軍の問題点について考えることも現代に生きる我々の学びに繋がるのではないだろうか。



我々は忘れてはいけない。
この戦いを、祖国を守る為に散っていった日米両軍の兵士達を。




追記・修正をよろしくお願いします。

[#include(name=テンプレ2)]

この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,6)

[#include(name=テンプレ3)]


  • お待ち下さいじゃなくて一度削除依頼出して建て直したほうがスムーズかと -- 名無しさん (2023-06-24 10:44:21)
  • ↑ありがとうございます、そうさせて頂きます -- 名無しさん (2023-06-24 10:53:01)
  • あと、戦争関連の記事はデリケートだから、作成相談したほうがいいと思いますよ -- 名無しさん (2023-06-24 11:54:51)
  • ↑度々ありがとうございます。初心者なので至らぬ事がありますが助言助かります。 -- 建て主 (2023-06-24 12:49:57)
  • 結局負けるんか...まあしょうがないね、敬礼 -- 名無しさん (2023-06-25 16:06:54)
  • 補給がないって怖いなぁ -- 名無しさん (2023-06-25 16:08:33)
  • 削除依頼中と記載があったはずですが、何故書き直したのでしょうか?それと記事の問題を指摘したにも関わらず削除したのは何故でしょうか?? -- 名無しさん (2023-06-25 16:13:57)
  • ↑3 孤島である以上日本側も補給ができないからね、いずれ限界がくる -- 名無しさん (2023-06-28 15:09:16)
  • 補給も増援もない中、凄まじい戦いで国の為に散っていった兵士に敬意を -- 名無しさん (2023-06-28 15:36:45)
  • 局地的な痛手は与えたものの制海権・制空権は掌握されたままなので時間と共に削られて行く状況に変わりは無く、これだけの奮戦がありながら結局ペリリューの戦いがまだ続いてる10月にはフィリピンへの上陸やレイテ沖海戦も勃発するなど島自体の戦略的価値が希薄化していくのが何とも悲しい -- 名無しさん (2023-07-07 08:26:24)
  • 効果的とは言え夜襲しすぎだろ… -- 名無しさん (2023-07-08 04:11:04)
  • 相談所で削除議論中を外すか一週間意見を募り、賛成2反対0だったので項目名を変更しました。 -- 名無しさん (2024-02-06 20:46:26)
  • 気になったのは主に死傷者を中心に硫黄島の戦いとこれのどっちがヤバかったんだろうか -- 名無しさん (2024-06-19 22:02:06)

#comment

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧