「……あーあ」
私は暗がりの部屋でヘッドホンを投げ捨てる。
キーボードががしゃりと雑に鳴って、さっきまで聞こえていた音声の代わりに無機質なPCの駆動音が耳を覆った。
「結局、何も分からなかった」
世紀の天才K博士。
そのラボにハッキングして盗聴まではできたけど、なにも成果がない。
ただ遊んでいるだけだし、何か重要な機密やパークを揺るがす秘密を洩らせばすぐに漏洩させて、人生滅茶苦茶にしてやりたかったのに。
あれだけの成果を積んでいる人物の没落なんて、絶対楽しいのになぁ。
「……まぁいいや、そのうち何か漏らすでしょ」
噂通りの能天気さと無邪気さ。
何も考えていない、今日が運が悪かっただけでこの後監視を続けていれば、きっと尻尾を出す。
ふふ、楽しみだな。
パーク職員が、しかも博士として貢献している人が、こんな10代の女の子にしてやられて地位を失墜するんだ。
たまらない。
「ふふ、ああははははは!!」
私は悶えるような喜びに身をくねらせる。
周りは暗い部屋に引きこもってPCばっかやってる私を狂人扱いするけれど、狂人で結構。私は現に狂人だ、狂ってる。
でなきゃ、高校中退して親の仕送りでハッキングを繰り返していない。
でも、私の実力は思ったより高かったようで……最近は成功があたり前。
今の私の遊び道具として、K博士なら満足させてもられると思ったけど……こんな簡単にハッキングできちゃうのは肩透かしも良い所だ。
「全く、もっと私を楽しませ…………うん?」
ふと、PCの画面を見ると一通のメールが届いていた。
題名は……ジャパリパークのクーポン案内?
下らない、あんな動物園誰が行くか。興味もない。
『すいませーん! ピザお持ちしましたー!』
お。やっと来た。
夕飯のピザとコーラはやはり鉄板だ。
一旦音声落として、今季アニメでも見ながらだらだらアニメ批判でもしよう。
「はーい、今開けまーす」
私は諭吉を握ってドアを開ける。
オートロックマンションで一人暮らしには慣れた手つきだ。
「やぁ! このピザあんま美味しくないね!」
でもそこにはピザ屋の店員は居なくて。
代わりに白衣の女が、私のピザを不味そうに頬張っていた。
思考が……停止する。
「という事でお邪魔しまーす、あ。ピザのお代は払っといたよ!」
「ちょちょちょ!!?」
「あ、ピザか! はーい!!」
「もご!? もごご!?」
口にピザねじ込まれ……!?
く、苦しっ!
「ね、これ不味いよね。駄目だよこんなの食べちゃ、まだ伸びたカップ麺のが美味しい……うわ、部屋きったな!!」
「ちょ、勝手に入らない、げほっげほっ」
女は勝手に部屋に入って物色している。
不味いマズいまずい! 不審者だ!
白衣の意味は分からないけど絶対ヤバい奴だ!
とにかく逃げないと! 逃げないと!
……だが。
「ドアが、開かない!!?」
どうして!? 一度締めただけで、いやそもそも中から開かないってあり得ない!
なんで!? なんで!?
「なにをやってるんだい? ここはオートロックマンションだろう?」
背後から女の声。
余裕の色を滲ませた、声。
「だったらなんだよ! どうして!」
「簡単だ、既にシステムは私の支配下、という事さ」
女は不敵に笑う。
瞬間、照明はチカチカと点滅し、シャワーの音が風呂場から聞こえて、テレビは勝手に点く。
背筋が凍る、理解が出来ずただ、ただ、目の前の異常に打ちひしがれる。
「あ、ありえない! いくらオートロックでこのマンションが、そんな」
「あり得ない? あははは! これは君も良く知る方法。ハッキングだよ」
「嘘だ! ハッキング出来る訳ないだろ! そんなの! 常識で考えろよ! オートロックの意味を!」
「あはは! バレたか! でもまだ常識なんて狭い所にいるから分からないのだよ! こんなの私の細工でちょちょいのちょいなんだよ田沼千恵≪たぬまちえ≫君」
「……ッ!? どうして私の名前を」
「そんな怖がらないでくれよ。桟橋高校中退その後親の支援で東京都新宿区にあるここバアルマンションに居住し日夜引きこもりドミノピザとコーラがお気に入りな事くらい誰でも知っているさ」
声が出ない、その全てが的中していた。
女は笑う、笑う。
「こ、個人情報保護法で、それ犯罪だぞ!」
「それを君が言うのかい? 私のラボを盗聴しておきながら、まったくもう!」
「え、私の?」
――――私の?
なら、この人は。
白衣を着て、楽しそうに私を見据えるこの女が。
「そう。英雄を超えた英傑、暴虐色の好奇心、世界悪とも呼ばれた私こそがK博士だとも!」
嘘だ。
その言葉は掻き消える。
世紀の天才、そう称されるK博士なら……でも、なぜ。
「どうして、ここに。職員はパークからあまり出ないって思っ」
「私は職員じゃないよ、来園者だもん」
「はぁ!?」
「あはははは! 私を職員だと思っただろう? 200ページ目破壊が何かパークに関する暗号だと? それが他愛のない遊びに掻き消えてイライラしたかい? 仕事だからとラボを後にして完璧に職員だと勘違いしたかい? 私を何も考えない享楽主義者だと思ったかい?」
残念。全部君を弄するブラフだよ。
K博士はそう言って、不敵に笑った。
体が脱力する、これが絶対的な『天才』。
私は……とんでもないのを相手に……?
「……こんなの、狂ってる」
片鱗だけで、私は理解した。
何もかもが。
すべてが人間の収まるスペックを超えている。
常軌を逸脱し過ぎた実力、これは狂気でしかない。
「私を狂人扱いなんてやめてよね、私は天才だよ。狂人とは理性の無いただの獣さ」
「貴女に理性があるって、ありえない」
「酷い事言うなぁ。分かりやすくゲラゲラ笑って見せた方がぽいかい? 下らないね!」
K博士は諭すように、まるでそれが世界のルールのように言った。
「いい? 自身の欲に身を任せてただテンション高くベラベラ喋るだけの奴なんてたかが知れてる。そんなの雑魚だ、三下だ、狂った自分に陶酔した有機物だ」
「でも、貴女もそうでしょ」
「そう見えているのなら、もう少し人生経験を積むといい。見える世界も広がるだろうね! まったく、私をそこいらのありふれて取って付けた薄っぺらい狂人キャラと一緒にされちゃ困るよ! ぷんぷん!」
口でぷんぷんって……大人の女性が言うなよ気持ち悪い。
「誰が気持ち悪いんだ! 可愛いだろう!」
「ナチュラルに心読まないで!?」
「ねーこのドクペ冷えてないよー!」
「勝手に部屋漁らないでよ!?」
「冷蔵庫なんにもな!! え、なにもな!」
「大人しくして! 頼むから!」
「詰めとこ! じゃぱりまんめっちゃ詰めとこ!」
「もおおおおおおお!」
「夜だよ! もう少し近隣住民の方々に配慮しなさい!」
「ふざけんなよ勝手に!」
「ふざけるか! 私は何時でも本気だ! 怒るぞ!」
えぇ……。
「はぁ……もういいよ、どうせ、私捕まるし」
ラボへの盗聴及びハッキングがバレたんだ。
通報は免れない。
少年法は私を護るだろうけど、それ相応の相手に私はケンカを売ったんだ。
良くて臓器売買、悪くて人権はく奪出荷コースかな。
「丁度いいや……私、なにもないし。どうなっても」
「まぁ親にも見捨てられて、友達もいなくて自分の事狂ってるって思ってる性格だとそうだろうね」
全部当たってるけど……むかつく。
というか、どこまで知ってるんだこの人。
「でも、通報はしない」
「……え?」
「こんなクソッたれな環境が悔しかったんだろう、自分の境遇も何もかもが憎いんだろう、だからハッキングという形で見返してやっていたんだろう」
博士はそう言って、へたり込む私を抱きしめる。
嫌なのに、知ったような口を訊いて欲しくないのに、抗えない。
「そして君は確かに世界に報復したんだ、君のやったことは世間が認めないが私が称えよう。おめでとう、田沼千恵君」
「……」
「私のラボへのハッキングにも成功したんだ、それは勲章授与ものだ。あぁ、私も前に黒いお星さまを授与されたことがね」
「なにそれ、ありえない。狂人のくせに」
「あははは、人がヒトを棄てて尊厳を放棄して狂人に成り果てるんだよ、君もそして私もしょうもない存在にはならないさ」
「そんな人を価値でしか考えてなさそうなのに」
「そんな事するはずがないだろう? 私は全てを楽しんでいるんだからね! そんな非道はせいぜい私が悪落ちした時くらいだろうさ!」
「意味わかんない、もう」
「だったら分かるようになろう、世界はまだまだ楽しいよ!」
K博士は立ち上がり、私に手を伸ばす。
「どう? 君も見るかい? 世界から外れて見る絶景を天才と一緒に!」
「……ピザなきゃ行かないよ」
…………きっと、この人は何を言っても聞かないんだろう。
お手上げだ。
「OK! 峰岸君に頼もう!」
「もー! 私を頼んないでくださいよ☆」
「うわ、増えた!」
無造作に開けられたドアの向こう。
甘ったるい声と一緒に、ピンク髪ツインテールでスーツを着た人物が居た。
ビジュアルが既に濃い。
「やー峰岸君! ようやく到着か! 休日にすまないね!」
「そうですよ! ぷんぷん!」
「やべぇのが増えた……」
「やべぇとはなんだやべぇとは! 峰岸君は普段きりっとしたキャリアウーマンだが休日はゆるふわガールなだけなんだぞ!」
「オンとオフが切り替えられる、出来るオ・ン・ナだぞ☆」
「は、はぁ」
もうどうでもいいや……。
「よし、お迎えも来たところだし。ようこそ! 私の研究チーム『不具合』へ!」
ありえない名前の組織。
ありえない天才の出現。
ありえない展開の遭遇。
けど……。
「ふん、いつか寝首を掻いてやる。私が一番だ」
私がそこで屈するなんて、ありえない。
「世界から爪はじきにされた人たちの集団にようこそ☆ 千恵ちゃん☆」
「あははは! 間違ってないね! 私が選ぶのそういうのばっかだし!」
「だって採用基準博士の独断と偏見だもんね☆」
「どうして博士はそんな人たちを引き入れるの」
「うん? 決まっているだろう。私の親友が、こうして私を救ったからだ」
そう言ったK博士は、誇らしそうに笑っている。
でも、どこかその笑顔には陰りが見えた。
「博士、その親友って今は」
「植物状態だ、私の天才性、組織の皆の力をもってしても改善さえできない。まったく、動物が人間に近しい形態に変異できるというのに、人間が人間に戻れないなんて皮肉的だね」
「ねーねー☆ もし治ったらチームの皆で遊園地行きましょ! 遊園地!」
「おぉいいね! パークは居過ぎてテーマパークとしては飽きたし!」
「パークに居る人らの言うセリフじゃないんじゃ……」
私は少し嘆息して、この濃すぎる不審者を見渡した。
こんな人達に目を付けてしまった私にも非があるけれど、先が思いやられる。
まったく……パークのクーポン、ダウンロードしとかないと。
おわり
コメント
最新を表示する
凄いの一言に尽きる
NG表示方式
NGID一覧