武稽百人一首 - いにしえwiki
じかき 世にしあれば 心のまゝに 我はすぎまし (赤堀水之助)043.突けば槍 うてば鳶口 ひけば鎌 何につけても のがさざらまじ (宝蔵院覚禅房法印胤栄)044.似つかずと 人はいふとも 国の恩 報ゆるわざを しらでやはある (権律師禅栄坊胤舜)045.世の望み 今は足りたり
じかき 世にしあれば 心のまゝに 我はすぎまし (赤堀水之助)043.突けば槍 うてば鳶口 ひけば鎌 何につけても のがさざらまじ (宝蔵院覚禅房法印胤栄)044.似つかずと 人はいふとも 国の恩 報ゆるわざを しらでやはある (権律師禅栄坊胤舜)045.世の望み 今は足りたり
申てだにも かなはぬを 居眠しては いかゞあるべき (一遍上人)013.をどりはね 庭に餌ひろふ 小雀の 鷲のすみかを いかでしるべき (大覚禅師)014.まかすれば 思ひもたえぬ 心かな しゐてぞ世をば 捨べかりける (桂局)015.何事も 誠はさらに なかりけり よろづはゆめ
き みどりの空を 仰ぎても 君が八千代を まづ祈るかな (藤原定家)037.末の世の 末の末まで 我が国は よろづの国に すぐれたる国 (宏覚禅師)038.西の海 よせくる波も 心せよ 神の守れる やまと島根ぞ (中臣祐春)039.勅として 祈るしるしの 神風に 寄せくる浪は か
西の海 よせくる波も 心せよ 神の守れる やまと島根ぞ (中臣祐春)027.末の世の 末の末まで 我が国は よろづの国に すぐれたる国 (宏覚禅師)028.いにしへも かかる例を きく川の おなじ流れに 身をや沈めむ (藤原俊基)029.帰るべき 道しなければ これやこの 行くを
木稿文筆部 353 金鉄集文筆部 354 清溪稿文筆部 355 万瑛初禅師文集文筆部 356 宿蘆稿文筆部 357 南陽藁文筆部 358 大覚禅師鏡像紀実文筆部 358 雨珠記文筆部 358 法燈国師〓〔足+孛〕跳賛文筆部 358 頂相霊験記文筆部 358 洛陽智恩寺松蔭硯銘并序
。似た物に観世音菩薩が六道に応じて姿を変える「六観音」があるが、地蔵の場合は名称こそ分けられているが姿は変わらない。名称も一定していないが「覚禅鈔」に依れば大定智悲(地獄)、大徳清浄(餓鬼)、大光明(畜生)、清浄無垢(修羅)、大清浄(人)、大堅固(天)の名称が挙げられている。……
閻魔天、地獄の支配者としては閻魔として、姿と役割が自然に分けられている。とは云え、完全に別の神とされている訳ではなく、真言宗の儀軌書である『覚禅抄』では、前述のインド~中国に於ける死に関わる神が閻魔天の眷属として記されている。また、日本では死者を裁く恐ろしくも峻厳な地獄の支配者で