新撰武家百人一首 - いにしえwiki
士の根を 今ぞみやこの 雪の曙 (従三位多々良義興卿)005.都出づる 名残は誰と 知らねども ひかるるとのみ 思ふ袖かな (兵部大輔藤原成宗朝臣)006.面影に たえずば何と 慕はまし 花散るあとの 峯の白雲 (右馬頭大江元就朝臣)007.世の中や 鳰の浮巣の みだれあしの 玉
士の根を 今ぞみやこの 雪の曙 (従三位多々良義興卿)005.都出づる 名残は誰と 知らねども ひかるるとのみ 思ふ袖かな (兵部大輔藤原成宗朝臣)006.面影に たえずば何と 慕はまし 花散るあとの 峯の白雲 (右馬頭大江元就朝臣)007.世の中や 鳰の浮巣の みだれあしの 玉
は 昼はをじまの いその波 夜は枕に 松風のこゑ (瑞巌寺 雲居)013.都にて ながめし月の 影つれて 独は越えぬ しら河の関 (右少将忠宗朝臣)014.わけのぼる 道は桜に うづもれて 高嶺の月を 誰にとはまし (伊達宗重 安芸)015.国たみも あまねくみちの おくなれば
ねざめして よぶかくしかの 聲をきくかな (中宮大夫師忠)076.いかだしよ まてことゝはむ 水上は いかばかりふく 山のあらしぞ (藤原資宗朝臣)077.あやしくぞ かへさは月の くもりにし むかしがたりに 夜やふけぬらん (法橋行遍)078.淺茅原 色變ゆく秋風に かれなで鹿
A. 戦国時代の武将で、小梁川宗朝とは、室町時代に活動した武将で、戦国時代初期の人物です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A2%81%E5%B7%9D%E5%AE%97%E6%9C%9D
に かすめ共 山もとしるく たつけふり哉 (丹波守藤原頼景)044.つれなくて なにかうき世に 残るらん 思ひも出ぬ 有明の月 (出羽守藤原宗朝)045.富士の根を 山よりうへに かへりみて 今こえかかる あしからの関 (信濃守藤原行朝)046.おきつ風 吹こす磯の 松かえに あ
かすめども 山もとしるく 立つ煙かな (丹波守藤原頼景)044.つれなくて なにかうき世に のこるらむ 思ひもいでぬ 有明の月 (出羽守藤原宗朝)045.富士の根を 山より上に かへりみて 今越えかかる 足柄の山 (信濃守藤原行朝)046.奥津風 吹きこす岩の 松が枝に あまりて
歌合禖子内親王家夏歌合気多宮歌合摂津守有綱家歌合白河院殿上歌合承暦二年内裏歌合承暦二年内裏後番歌合永保内裏歌合四条院歌合山家三番歌合若狭守通宗朝臣女子達歌合範永朝臣家十番歌合太皇太后宮歌合堀河院皇后宮扇合郁芳門院根合藤原宗通朝臣家歌合高陽院歌合郁芳門院前栽合東塔東谷歌合国信卿歌合
A. 神保氏は、上野国多胡郡辛科郷神保邑が名字発祥の地である、惟宗朝臣の流れを汲む一族です。参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E6%B0%8F
剛城寺十一面観音真言宗神崎郡福崎町田口236新西国3013雪彦山 満願寺十一面観音天台宗姫路市夢前町新庄98314龍上山 延応寺千手観音真言宗朝来市生野口銀谷83-115金楽山 法楽寺千手観音真言宗神崎郡神河町中村104816泉生山 酒見寺十一面観音真言宗加西市北条町北条1319
摂津守有綱家歌合 せっつのかみありつなけうたあわせ 承保2 182 内裏歌合 だいりうたあわせ 承暦2 182 若狭守通宗朝臣女子達歌合 わかさのかみみちむねあそんのむすめたちうたあわせ 応徳3 藤原通俊 182 高陽院七番歌合 かやのいんしちばん