「兼綱」を含むwiki一覧 - 1ページ

山木氏_(平氏) - 日本通信百科事典

滅ぶと、当主の兼俊はおなじく遠縁筋でもある徳川家康の招聘を断って惣領家である常陸国の大掾氏を頼った。文禄年間に兼俊の子の兼国(兼邦)・兼家・兼綱・兼幹兄弟の代で、嗣子がなく断絶した。ただ、江戸時代に兼国の婿養子の勝道(紀姓)が「八巻氏(八牧氏)」と称して、その後を継いで、その子の

続群書類従(神祇部) - いにしえwiki

記神祇部 32 貞応二年宗清法印立願文神祇部 32 嘉禄元年宗清法印立願文神祇部 33 嘉元年中賀茂祭記神祇部 33 延文元年賀茂臨時祭記(兼綱公記、園太曆抄出)神祇部 33 長禄三年賀茂祭雑用引付色目神祇部 33 稲荷鎮座由来記神祇部 34 春日御詫宣記神祇部 34 春日祭旧例

土岐光国 - 日本通信百科事典

者)・光長・光慶・国時・信保(信泰/信康)兄弟(光信の子)と光宗(木田冠者)・光盛・源全(僧侶)兄弟(光保の子)の祖父、宗保(宗泰/宗康)・兼綱(光宗の子)兄弟の曾祖父。明智光綱 : 別称は光隆/光国。明智氏の当主の明智頼尚の孫、光継(頼典/光典)[1]の子、光信・光安[2]・光

土岐光盛 - 日本通信百科事典

智入道)の兄、国盛(浅野又三郎)の父、国衡(浅野太郎)(中津川肥田家の祖)・頼隆(浅野彦三郎)[2]の祖父。脚注[]↑ 宗保(宗泰/宗康)・兼綱の父。↑頼長(浅野彦三郎)の父、詮長・浅野長光(弥兵衛/又右衛門)室の祖父、持長の曾祖父。関連項目[]源光盛この記事は 『土岐光盛』 の

土岐光保 - 日本通信百科事典

国の玄孫、土岐国房の孫、光国(師時)[1]の子、光信[2]の弟、源全禅師の兄、光宗(木田冠者)・光盛・源全(僧侶)の父、宗保(宗泰/宗康)・兼綱(光宗の子)兄弟の祖父。肥田光保 : 通称は浅野孫次郎/三郎。上記の土岐光信の6世の孫、光長の玄孫、光衡[3]の曾孫、肥田光時(浅野次郎

宇都宮兼綱 - 日本通信百科事典

宇都宮 兼綱(うつのみや かねつな)とは、物部姓十市氏流中原氏の流れを汲む宇都宮氏一門の武将。約2名ほど存在する。宇都宮兼綱 (栗田宗円) : 法号は栗田宗円。宇都宮氏の祖で、父祖は不詳[1]、宗綱(八田権守)[2]・宗房[3]の父。正室は藤原北家一門の藤原兼房の娘、側室は益子正

九州宇都宮氏 - 日本通信百科事典

宇都宮氏(きゅうしゅううつのみやし)とは、九州を拠点とした下野国の物部姓十市氏流中原氏一門の宇都宮氏の系統の総称。幾多かの系統がある。宇都宮兼綱(栗田宗円)の次子の宗房を祖とする。城井氏 : 豊前宇都宮氏の惣領家。庶家に豊前麻生氏[1]・豊前白河氏などがあった。蒲池氏 : 筑後宇

土岐光長 - 日本通信百科事典

の子、光興(浅野彦五郎)[5]の兄。脚注[]↑光俊・光忠の兄。↑光保(光泰/光康とも。光宗・光盛・源全(僧侶)兄弟の父、宗保(宗泰/宗康)・兼綱(光宗の子)兄弟の祖父)・源全禅師の兄。↑ 重清・重高・頼重(堀冠者)・仲重・保綱の父。↑光行(美濃太郎)の弟。↑ 光洲(みつくに)の父

宇都宮成綱 - 日本通信百科事典

兄、頼綱・業綱・永綱・塩谷朝業[1]の父。宇都宮成綱 (左馬頭) : 通称は弥四郎、法号は継岩入道/沙弥長胤。武茂正綱の子、宇都宮興綱・武茂兼綱・塩谷孝綱の兄、忠綱の父。生母は石塚義親の娘。武茂氏から惣領家の宇都宮氏の当主となった。脚注[]↑下野塩谷氏の祖。この記事は 『宇都宮成

藤原兼房 - 日本通信百科事典

条流) : 九条流の藤原兼隆の子、定房・円意(僧侶)・行禅(僧侶)・観円(僧侶)・慶増(僧侶)の兄、兼仲・静範(僧侶)・円範(僧侶)・宇都宮兼綱(栗田宗円)室の父、兼信(兼仲の子)の祖父。九条兼房 : 藤原忠通の子、恵信(僧侶)・覚忠(僧侶)・近衛基実・松殿基房・兼実・尊忠(僧侶

源頼行 - 日本通信百科事典

れる。通称は小国冠者。多田氏一門の馬場仲政の子、頼政の弟、泰政・文智(僧侶)・良智(僧侶)・乗智(僧侶)の兄、宗頼[1]・政光・仲時・政綱・兼綱[2]・光賢の父。土岐頼行 : 土岐氏(美濃源氏)一門の武将。約3名ほど存在する。吉見頼行 : 吉見氏(武蔵源氏)の当主の吉見頼忠の子、

藤原兼仲 - 日本通信百科事典

でのこうじ かねなか)、法名は兼寂入道。真夏流日野家一門の広橋家の当主の広橋経光の子、兼頼の弟、光資・光業・宗昭・時兼の父。脚注[]↑宇都宮兼綱(栗田宗円)の子、宗房(九州宇都宮氏の祖)の兄、朝綱・八田朝家(知家)の父。この記事は 『藤原兼仲』 のための曖昧さ回避ページです。下記

源頼政 - 日本通信百科事典

鹿島政幹・林頼幹の父。吉田成幹/鹿島成幹とも呼ばれる。同時に佐竹義業(常陸源氏)の義兄にあたる。↑ 山県氏(美濃源氏)の祖。↑ 頼政の養子の兼綱の父。↑ 頼茂・光円(みつかど)・長頼・慈賢(僧侶)の父、頼氏(頼成の子)の祖父、国頼の曾祖父。↑ 隆綱の父、国綱の祖父、太田資国の曾祖

源有朝 - 日本通信百科事典

の滞在先は全成(有朝)の邸であったという。↑藤原北家秀郷流の比企氏の当主。↑ 物部姓十市氏流中原氏一門の宇都宮氏の庶家の八田氏の当主。宇都宮兼綱(栗田宗円)の孫、宗綱(八田権守)の子、朝綱の弟。↑碓井貞光の後裔。関連項目[]源氏源姓鎌倉氏(源家/相模源氏) : 源頼義を祖とする河

続群書類従(公事部) - いにしえwiki

288 経光卿改元定記(中光記)公事部 288 弘安改元定記(吉続記)公事部 288 実任卿改元定記(継塵記)公事部 289 延文改元定記(兼綱公記)公事部 289 貞治改元定事(官記、兼治宿祢記)公事部 289 応安改元定記(官記、量実宿祢記)公事部 290 資定卿改元定記公事

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