「フランツ・シュテファン」を含むwiki一覧 - 1ページ

ハプスブルク=ロートリンゲン朝 - 日本通信百科事典

曖昧さ回避この項目では、マリー・テレーゼとフランツ・シュテファン1世夫妻を祖とする神聖ローマ帝国について記述しています。カール6世(マリー・テレーゼの父)の代までの男系貴族については「ハプスブルク朝」をご覧ください。ハプスブルク=ロートリンゲン朝の家紋ハプスブルク=ロートリンゲン

ハプスブルク朝 - 日本通信百科事典

曖昧さ回避この項目では、神聖ローマ帝国の男系貴族について記述しています。マリー・テレーゼとフランツ・シュテファン1世夫妻を祖とする神聖ローマ帝国の女系貴族については「ハプスブルク=ロートリンゲン朝」をご覧ください。ハプスブルク朝の家紋ハプスブルク朝[1](独語:Habsburg-

ロートリンゲン家 - 日本通信百科事典

ゲン家):神聖ローマ帝国のハプスブルク朝(ハプスブルク家)の女系(マリー・テレーゼ=マリア・テレジア)、ロートリンゲン(ロレーヌ)家の男系(フランツ・シュテファン1世=フランソワ・エティエンヌ1世 ※ロートリンゲン(ロレーヌ)公としては、「フランツ・シュテファン3世=フランソワ・

七年戦争 - アニヲタWiki(仮) 非公式避難所wiki

リー王兼サルデーニャ王兼(以下略)ハプスブルク家当主カール6世には男児がいなかった。なんでロレーヌ(ドイツ語読みだとロートリンゲン)家出身のフランツ・シュテファンと結婚した*1長女、マリア・テレジアに国を継がせることにする。プリンツ・オイゲン「王女に国継がせたいなら国事詔書なんて

ドイツ - 日本通信百科事典

による宗教戦争やヴァレンシュタインが活躍した『三十年戦争』を経て、ハプスブルク朝の男系が断絶して、ハプスブルク朝のマリー・テレーゼの夫であるフランツ・シュテファン1世を祖とするハプスブルク=ロートリンゲン朝(ロートリンゲン家)が誕生すると、ホーエンツォレアン家のブランデンブルク=

マリー・テレーゼ - 日本通信百科事典

呼ばれる。マリー・テレーゼ・ヴァルブルガ・アマリア・クリスツィーネ : ハプスブルク朝のカール6世の長女で、ロートリンゲン家(ロレーヌ家)のフランツ・シュテファン1世と結婚して、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の祖となり、神聖ローマ帝国の女帝となった。マリー・テレーゼ・シャーロッテ

ヨーハン・パリツィーダ - 日本通信百科事典

まで「ヨーハン」と名付けられる人物はほどんどが皆無であった[7]が、18世紀後半に、カール6世の娘であるマリー・テレーゼとロートリンゲン家のフランツ・シュテファン1世夫妻を始祖とするハプスブルク=ロートリンゲン家の成立以来は「ヨーハン」と名付けられる人物が登場した[15]。なお、

ホーエンツォレアン家 - 日本通信百科事典

かつての許嫁者だったハプスブルク家の女帝のマリー・テレーゼことマリア・テレジア(ハプスブルク=ロートリンゲン家(ロートリンゲン家)の祖であるフランツ・シュテファン1世と結婚)と対峙して、『オーストリア継承戦争』やポーランド南西部のシュレージエン(シロンスク)地方を巡る『七年戦争』

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