佐伯市年表

ページ名:佐伯市年表

歴史

椎茸

1805年に原田理三郎が日本で初めて椎茸をクヌギに変えたとして資料に残っている。

市制施行

海軍航空隊の誘致に成功した佐伯町は、軍都として相応しい規模を要求されることになった。昭和11年(1936年)には大分県が佐伯・鶴岡・上堅田・八幡の1町3村の合併を勧奨し、これを受けて翌昭和12年(1937年)4月1日に佐伯・鶴岡・上堅田の1町2村が合併し、新制の佐伯町(さいきちょう)が発足する。

昭和15年(1940年)に海軍の佐伯防備隊(さえきぼうびたい)が設置されると、村民の反対により先の合併に不参加であった八幡村に加え、佐伯湾に面する町村のさらなる合併が求められるようになり、昭和16年(1941年)1月21日には佐伯・八幡・西上浦・大入島の1町3村の首長・助役が協議し、国策に従って合併に協力する旨を確認した。こうして同月23日の佐伯防備隊司令井原美岐雄からの合併要請、4月12日の内務大臣平沼騏一郎からの合併諮問(内務省分地第八号)を受け、天長節の4月29日に、大分県内5番目の市となる佐伯市(さいきし)が誕生。初代市長には元豊予要塞司令官の郷田兼安(陸軍中将)を招聘した。

近現代の沿革

(現在の佐伯市域全体の変遷については南海部郡の項を参照のこと)

  • 明治8年(1875年)3月13日 - 大分県による村落統合にともない、塩屋村と大船繋村が合併して佐伯村(さえきむら)が成立。
  • 明治11年(1878年)11月1日 - 郡区町村編制法の施行にともなう海部郡の分割により、南海部郡佐伯村となる。佐伯村に南海部郡役所が置かれる。
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、佐伯町(さえきちょう)が発足。
  • 大正5年(1916年)7月 - 佐伯町がさえきからさいきに表記を改変。
  • 昭和9年(1934年)2月15日 - 佐伯海軍航空隊(さえきかいぐんこうくうたい)の開隊式が行われる。
  • 昭和12年(1937年)4月1日 - 佐伯町・鶴岡村・上堅田村が合併し、新制の佐伯町(さいきちょう)が発足。
  • 昭和16年(1941年)4月29日 - 佐伯町・八幡村・大入島村・西上浦村が合併し、佐伯市(さいきし)が発足。
  • 昭和30年(1955年)3月31日 - 青山村・木立村・下堅田村を編入。
  • 平成17年(2005年)3月3日 - 宇目町・蒲江町・上浦町・鶴見町・弥生町・直川村・本匠村・米水津村と合併し、新制の佐伯市が発足。

シェアボタン: このページをSNSに投稿するのに便利です。

コメント

返信元返信をやめる

※ 悪質なユーザーの書き込みは制限します。

最新を表示する

NG表示方式

NGID一覧