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テンプレート:ActorActress宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、日本の映画俳優、タレント、声優、司会者。
日本映画の黄金期である昭和30年代、東宝を代表する二枚目スターであった。昭和40年代以降、ミュージカルを中心とした舞台に活動の場を広げ、ドラマやバラエティなどテレビ出演も増えるようになった。1964年に文部省芸術祭奨励賞、1972年にゴールデンアロー賞、2012年に文化庁芸術祭大衆芸能部門大賞を受賞。これまで出演した映画は200本を越える。身長183cm[1]。
父は朝鮮総督府鉄道の技師であった。6人兄弟(兄3人、姉、弟)。2歳の頃に、父の南満州鉄道(満鉄)への転勤のため、満州へ移る。ロシア兵に右腹を撃たれる。終戦後、12歳でハルピンから引き揚げ。博多から、父の故郷新潟村上に移る。中国語と英語を話し、今でも無意識にとっさの一言が中国語になっている時があるとテレビで述べている。1994年に料理番組で料理の味見をした際、ふと”好吃”(美味しい)と言い、何を言ったのかと尋ねる司会者に対して「あ、これ中国語で『美味しい』って意味なんです」と説明をしていた。また初恋相手を探す番組(『逸見・森口の平成初恋談義』)でも初恋だった中国人女性に対して通訳抜きで話していた。
1953年(昭和28年)、東京都立豊島高等学校卒業後に東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタート。同期には佐原健二、河内桃子、藤木悠、日活に移籍した岡田眞澄がいる。翌年、特撮映画の金字塔である『ゴジラ』で初主演を果たす。長身・美形の二枚目俳優として東宝映画の若手トップスターとなり、数多くの映画に主演。全盛期には連日連夜銀座に繰り出し夜遊びに精を出していた。1959年の日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子と1964年に結婚し、2人の女子をもうけたが後に離婚。長女は1991年に『ジプシー』がヒットした歌手・女優の児島未散である。
1960年代は、東宝と香港のキャセイ・フィルムとの合作映画(『香港の夜』他)で、香港の女優・尤敏(ユーミン)とコンビを組んで、香港、台湾など、アジア地域で絶大な人気を博した。1961年には小津安二郎監督が東宝で撮った映画『小早川家の秋』にも出演している。
特撮(怪獣)映画には『ゴジラ』の翌年の『獣人雪男』以来疎遠だったが、1964年の『モスラ対ゴジラ』の主演で復帰。以後も昭和から平成まで多く出演し、日本の特撮映画に欠かせないスターと称される。2004年には『ゴジラ FINAL WARS』に出演し、東宝でのシリーズ第1作および最終作に出演した唯一の人物となった[2]。2014年に公開されたハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』へのカメオ出演も決定し[3]、撮影が行われたものの、最終的に出演シーンはカットとなっている。
明るく華やかな雰囲気は日本の男優としては珍重すべきものであり、映画では『100発100中』の、最初からフランス語のセリフで登場し、ヒーローなのか悪人なのか分からないまま終わるキャラクターなど持ち味を存分に発揮している。また、映画斜陽期以降はミュージカルの世界にも活動の場を広げ、日本におけるミュージカル俳優の草分け的存在としても活動した。俳優活動以外にも、ミス・ユニバース日本代表選出大会では1991年まで司会を担当している。
1980年、東京都中野区江古田に日本初のミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」を開校するも、1983年5月末で閉鎖となった。
1990年代以降は、気障な二枚目というキャラクターを逆手に取り、新しい境地を開拓している。
初主演作となった『ゴジラ』の撮影初日、撮影現場で「主役の宝田です」と挨拶したところ、照明スタッフに「主役はゴジラだ!」とガツンとゲンコツをもらったと語っている[4]。また、「ゴジラは最強のクラスメート」と語っており、次に『ゴジラ』作品に出演する際は「ゴジラとアイコンタクトで意思疎通が出来る人間」を演じたいと語っている[4]。
1997年12月24日に長時間に及ぶ狭心症バイパス手術を受けたが、半日近く昏睡しており、麻酔から覚醒してからの第一声が「『三船敏郎が亡くなったから、東宝のみんなに連絡しろ』」であったという。宝田自身はこの経緯について「三船さんとボクは満州から引き揚げて来た者同士で仲良しだったから、三途の川まで一緒だったけどボクだけ途中で戻って来ちゃったんでしょう」と語っている[5][6]。
太字は主役・メインキャラクター
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