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おおすぎ れん 大杉 漣 | |||||||||||||||
本名 | 大杉 孝 | ||||||||||||||
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生年月日 | 1951年9月27日(71歳) | ||||||||||||||
出生地 | 日本の旗 日本徳島県小松島市 | ||||||||||||||
血液型 | B | ||||||||||||||
職業 | 俳優 | ||||||||||||||
ジャンル | 舞台・映画・ドラマ | ||||||||||||||
活動期間 | 1973年 - | ||||||||||||||
公式サイト | ZACCO | ||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||
映画 『HANA-BI』 『犬、走る DOG RACE』 | |||||||||||||||
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表・話・編・歴 |
大杉 漣(おおすぎ れん、1951年9月27日 - )は、日本の俳優。本名は大杉 孝。徳島県小松島市出身。小松島市立千代小学校、小松島市立小松島中学校、徳島県立城北高等学校卒業。明治大学中退。身長178cm、体重72kg、血液型はB型。所属事務所は、ZACCO。趣味は、散策、サッカー、音楽(特にフォーク)鑑賞、器楽(ギターおよびブルースハープ)、テニス、サーフィン。好きな色は黒。座右の銘は「あるがままに」。実父は高校教師。
1970年代に人気を呼んでいた、蜷川幸雄、寺山修司、唐十郎らの演劇に通い、1973年、雑誌『新劇』に掲載されていた太田省吾の記事に感銘を受け、太田の劇団員募集広告に応募し研修生として採用される。22歳で、別役実作品『門』の「娼婦を買いに来る客A」役で舞台デビューを果たした。1974年、太田省吾が転形劇場を創設するにあたって初期メンバーとして参加。台詞なしに静かに舞台を歩んで演じる「沈黙劇」を原点として、舞台俳優としての本格的な活動を始め、転形劇場での活動に打ち込み全公演に出演した。同劇場の演目『小町風伝』は岸田戯曲賞を受賞している。
呑み仲間を通じて知己となった高橋伴明に誘われ、1980年に新東宝のピンク映画『緊縛いけにえ』で映画俳優としてデビューした。舞台経験を通じて培った表現力と本人の映画への関心の高さから好演し、映画製作関係者への人脈拡大に伴って日活ロマンポルノや新東宝などのピンク映画に積極的に出演するようになった。
1983年、滝田洋二郎監督の『連続暴姦』では演技力が評価され、同年の「ZOOM-UP映画祭」・ピンクリボン賞主演男優賞を受賞した。また、翌1984年、周防正行監督の小津映画リスペクト作品『変態家族 兄貴の嫁さん』では、静けさの中にも狂気をたたえた演技や風かおるとの独特の掛合いなどが評価された。その後も多数のピンク映画に出演したが、1985年6月以降は「にっかつ電車シリーズ」と呼ばれるもの以外の映画への出演を控え、転形劇場における活動に専念した。
しかし、転形劇場の運営は太田省吾一人の才能に頼りがちで興行的にも悪化し、1988年には解散した。大杉は37歳で活動基盤を失ったが、宮沢章夫作品や太田省吾作品への出演、岩松了作品における竹中直人とのコラボレーションなど、演劇界で活動を続けた。
1989年以降、再び映画界への進出を望んだが、希望する役を射止めることはできず、Vシネマなどに多数出演して収入を確保する生活が続いた。
40歳代に入り、種々のステップアップを図る一環として北野武監督による『ソナチネ』(1993年)のオーディションを受け、合格。この作品での演技が転機となり、映画界において演技派の一人として知名度を得ていく。1997年には、SABU監督の『ポストマン・ブルース』でおおさか映画祭・報知映画賞を受賞。1998年-1999年にかけては、北野武監督の『HANA-BI』や、大谷健太郎監督の『アベックモンマリ』、崔洋一監督の『犬、走る DOG RACE』などにおいて実力を発揮し、1999年度の国内各映画賞の助演男優賞を多数受賞して、映画以外にもテレビドラマへの主役・主要キャストとしての出演が増加すると、その名は広く一般に認知されるようになった。その中でもフジテレビ系列の世にも奇妙な物語にはかなり出演していて、その数は17本と歴代最多。その中でも2002年春の特別編の一編「夜汽車の男」では唯一主演を果たしている。しかし、2003年秋の特別編の「影が重なる時」(主演:八嶋智人脚本・演出:落合正幸)の出演を機に本番組には出演しなくなった。
その後は、偉人群像から社会の底辺に生きる人物、公安刑事から体制破壊主義者、堅実なサラリーマンからホームレス、学校長からヤクザ、好人物から偏狭な人物、誠実な父親・夫から退廃的な不良中年、精神異常・人格障害などを思わせるサイコ色の強い異常人格から変態・エロ系の人物まで、様々な役柄を演じ、「300の顔を持つ男」「カメレオン」などの異名を得て、その評判を確固たるものとした。以後は、高橋伴明、中村幻児、周防正行、滝田洋二郎、黒沢清、井筒和幸等のピンク映画系出身の諸監督から、北野武、SABU、廣木隆一、鈴木俊之、磯村一路、小松隆志、三池崇史など、日本映画界の多くの監督作品に登場している。
若い映画製作者への協力もしており、当時は新潟の一高校生にすぎなかった田卷源太監督による企画提案を受け、アマチュア自主製作短編映画『黒いカナリア』の主役として少ない報酬で出演したり、早稲田大学と慶應義塾大学の学生が中心となった自主制作映画『Mogera Wogura』へも出演している。
映画から大河ドラマ、2時間ドラマ、Vシネマ、インディーズ、ドキュメンタリーのナレーション、バラエティー番組をはじめ、アジア圏の外国映画や内外合作映画にまで、各ジャンルに出演する活動範囲の広さと多趣味な素顔から、ファン層は幅広い。出演本数も多く、極めて精力的な活動を行っている。
1984年
1998年
1999年
その他
1951年9月27日、徳島県小松島市で誕生する。
「大人の男」のイメージを持つが、座右の銘「あるがままに」に象徴されるように、自然体で飾らない性格であるほか、非常に多趣味である。また演技以外では強い京阪式アクセントで話す。
ユーモアもあり、芸名「漣」の由来について、吉祥寺フォークの重鎮高田渡の長男でスティールギター奏者である高田漣の名から取ったものであるが、かつて「漣(さざなみ)」という商品名(ジェクス)のコンドームを自身が使用していたことも由来のひとつであるなどと付け加えることも忘れない。NHK「あさイチ」に出演した際も(2010年9月17日)、視聴者からの「どんな女性が好きですか?」との問いに「時々淫乱になってくれる人です」と答え有働由美子キャスターをびっくりさせたが、こういう発言がいやらしくなく視聴者に受け入れられやすいキャラクターである。
眼鏡に関してはこだわりがあり、オーダーメイドしたものも含め多数所有している。眼鏡をかけた役を演じる際は、自身が候補として用意した複数本のなかから、スタッフと相談し選択しているという。
長男はフォトグラファーの大杉隼平。
散策を好み、ロードバイクで一人下北沢、新宿、渋谷へ気ままに出かけるほか、上京後に最初になじんだ街であるという吉祥寺にはたびたび訪れるという。音楽とスポーツが主な趣味で、音楽ではフォーク、スポーツではサッカーに造詣が深い。
エレファントカシマシのファンとして知られ、音楽鑑賞に留まらず、40歳代には田口トモロヲに誘われて器楽の練習を始め、自ら組んだ「大杉漣バンド」や田口トモロヲとのユニット「Har'G KAITELS(ハージー・カイテルズ)」(「恥をかいている者たち」の意)においてギターやブルースハープを手にとり70年代のフォークソングを演奏したり、KAZ BANDと共演している。
高校時代にサッカー部に在籍し、自称「釜本・杉山黄金コンビの時代の第一次サッカーブームの申し子」であり、「本当は今でも夢はプロのサッカー選手」とまで言及する。柳沢敦の大ファンで、国内リーグから海外リーグにまで精通している。自己の出身地徳島県をフランチャイズとするJリーグ・徳島ヴォルティスの熱狂的なファンで、チームがプロ組織化する前身の大塚FCであった頃から熱心に応援している。また、プロデューサーや映画監督・大物俳優等100名を越えるメンバーを擁するプライベートサッカーチーム「鰯クラブ」に発起人として参加し、キャプテンナンバー「10」の背番号を付けて月1-2回は必ず試合に出場するなど、注力している。
近年では、サッカーへの知識の深さが周知され、サッカー関連のテレビ番組等に招かれることも多い。2001年に行われたサッカーFIFAコンフェデレーションズカップ日韓大会では、日本戦全6試合の特別ゲストに招かれた。
2010年には、FC東京の城福浩監督(当時)との対談記事が「FC東京ファンブック2010」の巻頭を飾った。ちなみに大杉と城福は共に徳島県出身であり、城北高等学校OBでもある。
また、50歳代に映画『Life on the Longboard』で「定年退職後サーフィンを始めた男」を演ずることになり、役作りとして種子島でサーフィンの猛特訓を行った経験から、サーフィンも趣味のひとつとなった。
★ : 主演、 ☆ : 主要キャスト
無印 : 一般映画、 (V) : Vシネマ、 (P) : ポルノ映画映画 1980年代[]ほか
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