龍田直樹
たつた なおき龍田 直樹ファイル:Replace this image JA.pngプロフィール配偶者高木早苗出生地日本の旗 日本・和歌山県岩出市血液型A型生年月日1950年9月8日現年齢72歳所属青...
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Mao Asada 2010 Worlds | |||||
2010年世界選手権の表彰式にて | |||||
基本情報 | |||||
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代表国: | 日本 | ||||
生年月日: | 1990年9月25日(32歳) | ||||
出生地: | 愛知県名古屋市 | ||||
身長: | 163 cm[1] | ||||
体重: | 43 kg[1] | ||||
コーチ: | 佐藤信夫 (2010- ) | ||||
元コーチ: | タチアナ・タラソワ (2008-2010) ラファエル・アルトゥニアン (2006-2008) 山田満知子 (2000-2006) 樋口美穂子 伊藤朋子[2] 門奈裕子[3] | ||||
振付師: | ローリー・ニコル タチアナ・タラソワ シャネッタ・フォレ | ||||
元振付師: | リー=アン・ミラー 樋口美穂子 | ||||
所属クラブ: | 中京大学 | ||||
ISU パーソナルベストスコア | |||||
トータルスコア: | 205.50 | 2010 バンクーバー五輪 | |||
ショートプログラム: | 75.84 | 2009 国別対抗戦 | |||
フリースケーティング: | 133.13 | 2007 世界選手権 |
浅田 真央(あさだ まお、ラテン文字:Mao Asada、1990年9月25日[4] - )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル)。2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト[5]。2008年、2010年世界選手権優勝。四大陸選手権優勝2回、GPファイナル優勝2回。全日本選手権4連覇。姉は同じくフィギュアスケート選手の浅田舞。2010年バンクーバーオリンピックでは、女子シングル史上初めて、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させた。
愛知県名古屋市生まれ。中京大学附属中京高等学校卒業。現在は中京大学体育学部に在籍[6]。名前の真央は、父親が女優の大地真央のファンであったことに由来する[7]。日本においてアイドル的な人気を誇る。浅田の2005年のGPファイナル優勝と荒川静香のトリノオリンピック優勝の相乗効果で、日本はフィギュアスケートブームになった。
尊敬しているフィギュアスケート選手は伊藤みどり。伊藤の衣装を着用して競技に臨んだこともあり、「みどりさんの衣装を着るといつも調子がいい」と語っていた[8]。長野オリンピック金メダリストのタラ・リピンスキーにも憧れの言葉を寄せており[9]、彼女の演技を見て自分もオリンピックに出たいと思うようになったという[10]。趣味はジグソーパズルとレゴ制作[1]。
愛犬はトイ・プードルの「エアロ」「ティアラ」「小町」。エアロは2005年世界ジュニア選手権で優勝した際に買ってもらった。名前はネスレの菓子ブランド名AERO(エアロ)に由来し、同製品のイメージキャラにも選ばれた[11]ほか、2007年のジャパンスーパーチャレンジでは氷上で浅田と共演している[12]。ティアラと小町はエアロの子で、2007年生まれ[13]。前者は浅田が、後者は姉の舞が名づけた[14]。浅田は大の犬好きでありながら犬アレルギーでもある[15]。
テンプレート:要出典範囲
浅田のスパイラル
アクセルを含む6種類の3回転ジャンプを競技会で用いている。小学生のうちから3回転アクセルの練習を始め[16]、2003年の中部ブロック大会(ノービスA)で3回転アクセル-2回転トウループのコンビネーションに成功[17]。以来、3回転アクセルを大きな武器として競技会に臨み、数々の記録を打ち立ててきた。
2006年世界ジュニア選手権でショートプログラム (SP) に3回転アクセルを取り入れ[18]、2008年GPファイナルのフリースケーティング(フリー)で女子シングル史上初の2度の3回転アクセルに成功[19]。2010年バンクーバーオリンピックでは、オリンピックの女子シングル史上初めてSPで3回転アクセルを成功させ、SP、フリーと合わせて3度の3回転アクセルを成功させた。オリンピックの女子シングルで3回転アクセルを成功させたのは、伊藤みどりと浅田の2人だけである。他の国際大会を含めてもトーニャ・ハーディング、リュドミラ・ネリディナ、中野友加里の3人を加えた5人しかいない。また、1つの競技会中に3度の3回転アクセルを成功させたのも女子シングル史上初であり、ギネス世界記録に認定されている。
3回転アクセルの際は腕を前後に振りながら踏み切る独特の動きをする。これは、助走の勢いを効率よくジャンプの高さや回転の速さに変えるための動作であるとされる[20]。
その他[]ルッツはアウトサイドエッジで踏み切らなければならないとされているところ、インサイドエッジから踏み切る癖があり、2007年のルール改定でエッジ判定が厳格になってからは減点対象となっていた。同シーズン終了後にはルッツの矯正に取り組み[21][22]、2008年NHK杯では正確なエッジからの踏み切りと判定された。しかし、苦手意識はぬぐえておらず、その後も3回転ルッツが2回転になるなどの失敗が重なったため[23]、2009-2010シーズンにはプログラムから外した。6種類全てのジャンプの矯正に取り組み始めた2010-2011シーズンは再びプログラムに取り入れているが、再びエッジエラー判定を受けるようになった。
サルコウは苦手で、2008-2009シーズンまで長い間プログラムに取り入れていなかった[24]。2008年NHK杯では、久々に3回転サルコウに成功したが、その後の試合でも不安定なことが多く、3回転サルコウに挑まないケースが多かった。2010-2011シーズンでは全ての試合で3回転サルコウを取り入れたものの、完璧な成功は1回だけにとどまった。
3回転-3回転のコンビネーションジャンプも跳ぶことができる。2007年GPファイナルのフリーでは3回転フリップ-3回転ループ、3回転フリップ-3回転トウループの2種類で成功させた。しかし、2008-2009シーズン以降は成功率が下がっており、2009-2010シーズンからはプログラムから外している。
上記のように3回転アクセルや3回転-3回転といった大技で回転不足の判定を受けるケースが多くなっているが、このことについて、天野真は「軸の作り方がうまい選手ほど、器用に降りてくる習慣がついているために回転不足に陥りやすい」と解説し、浅田もそれに当てはまると説明している[25]。
これから挑戦してみたい技として4回転ジャンプを掲げている[1]。2006年世界ジュニア選手権では直前まで4回転ループに挑戦することを検討していたが見送った[26]。一時は4回転サルコウも跳んでいたとされる[17][27]。
柔軟性が高く、スピンやスパイラルは多彩なポジションを誇る。スピンの軸には安定性がある。片手ビールマンスピンを得意としている[4]。レベル認定を受けにくいことなどを理由に2007年世界選手権以来しばらくプログラムに取り入れていなかったが、2009年エリック・ボンパール杯からフリーで用いている。スパイラルは非常に高い評価を受けており、2010年バンクーバーオリンピックのフリーではISUジャッジングシステムの技のできばえ評価でGOE +2.6を受けた。2010-2011シーズンからスパイラルシークエンスが廃止され、コリオスパイラルに名称が変わり、ルールや採点方式が変わったため、スパイラルシークエンスとしては史上最高加点となっている。サーキュラーステップシークエンスのレベル4を獲得した数少ない女子選手の1人でもある[28]。
「運動選手としては並はずれた身体能力はない」が、「フィギュアで使う400近い筋肉を自然に組み合わせて、最大限の力を発揮出来る能力が高い」とされる[29]。2008年7月からは専属のトレーナーと管理栄養士をつけてトレーニングを始めた[30]。
5歳の時、姉の舞と共にスケートリンクに遊びに行き、スケートに出会う。舞と共に門奈裕子コーチが教える名東フィギュアスケートクラブに入会。当時、同クラブには安藤美姫も所属していた。3歳から12歳までは越智久美子によるバレエのレッスンを受けていた[31][32]。
2000-2001シーズンからグランプリ東海クラブに所属し、山田満知子・樋口美穂子両コーチに師事[3][33][34]。小学6年生の時に特例で出場した全日本選手権で不完全ながら3回転-3回転-3回転のコンビネーションジャンプ(3回転フリップ-3回転ループ-3回転トウループ)を跳び[35][3][36]、「天才少女」と呼ばれた。全日本ノービス選手権では、2000-2001シーズンから2001-2002シーズンまでBクラスで、2002-2003シーズンから2003-2004シーズンまでAクラスで、それぞれ2連覇を達成した。
2004-2005シーズン、ジュニアグランプリ (JGP)で出場した3戦すべてで優勝し、ジュニアデビューを飾る。JGPファイナルでは女子ジュニア史上初の3回転アクセルに成功。国内では全日本ジュニア選手権で初優勝し、シニアクラスの全日本選手権でも3回転アクセルを跳んで2位となった[37]。世界ジュニア選手権でも初出場初優勝を果たしてシーズンを締めくくった。
ファイル:Mao Asada 2008 World Championships.jpg2008年世界選手権で優勝
2005-2006シーズン、初のシニア国際大会となるGPシリーズ中国杯で2位、エリック・ボンパール杯では初優勝を果たし、自身のデビューを飾った。GPファイナルでは世界女王のイリーナ・スルツカヤを破り、日本代表選手として村主章枝以来2人目の優勝を果たした。全日本選手権では女子シングル史上初となる2度の3回転アクセルに成功(ISU非公認)したが、他のジャンプにミスがあり2位となった。GPシリーズの実績からトリノオリンピック出場を期待する声もあったが[38]、ISUの定めた「五輪前年の6月30日までに15歳」という年齢制限に87日足りず、代表資格を得られなかった[39]。連覇が期待された世界ジュニア選手権でもジャンプのミスが響き2位に終わった。
2006年夏、コーチをラファエル・アルトゥニアンに変更し、米国カリフォルニア州レイクアローヘッドに拠点を移す[40][41]。2006-2007シーズンが開幕すると、NHK杯で総合得点199.52点のISU歴代最高得点を叩き出して優勝。GPファイナルは、フリーのジャンプで2度転倒して2位に終わった。地元名古屋開催の全日本選手権では右手小指を骨折しながらも初優勝。東京開催の2007年世界選手権はSPで出遅れたが、フリーで当時のISU歴代最高得点を出して銀メダルを獲得した。同大会のフリーでは、演技構成点の5つの要素のうち「スケート技術」「演技力」「曲の解釈」の3つの項目で8点台を得るなど、表現面でも高い評価を受けた。
2007年夏はロシアに渡り、タチアナ・タラソワのもとでバレエなどに取り組んで表現力や芸術性の強化をはかった。2007-2008シーズンのGPシリーズは2戦とも優勝し、3季連続出場のGPファイナルではSP6位から巻き返して2位となった。全日本選手権のSPで、同シーズンにミスが続いていた3回転フリップ-3回転ループを成功させる。フリーでは冒頭の3回転アクセルが1回転半になったが、2連覇を達成した。同年12月、慣れない海外生活での心労[42]や、5月に中京大学のフィギュア専用リンクが完成し、国内で練習に専念できる環境が整ったことを理由に、練習拠点を米国から愛知に戻す。アルトゥニアンは定期的に来日することになっていたが、四大陸選手権の直前に電話で「責任を持てない」と伝えられたため、師弟関係を解消した[42]。
2008年四大陸選手権で初出場初優勝。だが、この大会後に左足首を傷めてしまう[43]。コーチ不在のうえ足首の怪我が完治していない状況下で臨んだ[44]2008年世界選手権では、フリー冒頭の3回転アクセルに入ろうとした所で大きく転倒したものの、その後は落ち着いて演技をまとめ[45]て逆転優勝。日本人選手5人目の世界女王となった。
ファイル:Mao Asada Podium 2008 GPF.jpg2008年グランプリファイナルで優勝
2008-2009シーズンからはタチアナ・タラソワに師事。苦手なルッツやサルコウをプログラムに入れること、フリーで2度の3回転アクセルを跳ぶこと、フリーの『仮面舞踏会』でこれまでとは違う傾向のプログラムを滑ること、と多くの課題に挑戦した[46]。シーズン2戦目、NHK杯のフリーで2度の3回転アクセルに挑戦し、2度目が回転不足判定となったものの、他の出場選手に大差をつけて優勝した。そして、金妍兒の地元韓国という「完全アウェー」[47]で開催されたGPファイナルで、国際大会では女子史上初となる2度の3回転アクセルに成功し、3季ぶり2度目の優勝を果たした。全日本選手権では3連覇を達成。世界選手権では、SPで3回転フリップ-3回転ループが認定される一方、3回転ルッツが2回転になり出遅れた。フリーは再び2度の3回転アクセルに挑んだが、転倒や小さなミスが重なって総合4位となり、シニア国際大会では初めて表彰台を逃した。2009年国別対抗戦はSPで3回転アクセルのコンビネーションに成功、フリーでは2度の3回転アクセルに挑戦(2度目が回転不足判定)し、自身初めて200点を越える総合得点を出して女子シングル1位となった。このシーズンはジャンプの回転不足が厳しく判定される傾向にあったため、3回転-3回転が成功と見なされないことが多く苦心した[47]。GPファイナルの優勝後に、視聴者に「浅田選手よりもキム選手のほうが実力が上」と感じさせる報道をした日本のマスコミ(フジテレビ系番組「情報プレゼンター とくダネ!」、後に誤りであったと謝罪)の評価[48]がある事を聞いて落ち込み、一時期は練習の意欲を失った。世界選手権連覇の重圧に苦しむなど、メンタルコントロールの難しさも課題となった[47]。
ファイル:Mao Asada 2010 Olympic medal ceremony.jpgバンクーバー五輪で銀メダルを獲得
2009-2010シーズンはルッツ、サルコウ、3回転-3回転のコンビネーションジャンプをプログラムに入れず、SP・フリーで計3度の3回転アクセルを決めることに集中する構成を組んだ[49]。だが、GPシリーズでは、3回転アクセルが6回中1回しか成功せず、エリック・ボンパール杯は2位、ロステレコム杯は5位に終わった。シニア移行後初めてGPファイナル進出を逃すほどの不調に、国内外のスケート関係者からは「フリープログラムの『鐘』が合っていない。もっと浅田に合った滑りやすいプログラムに変えるべきではないか」との意見も聞かれた[50]。原因は肉体の変化だった。身長は163cmと公表されているが、加藤トレーナーは「166cmの私とほぼ同じ」と明かす。不振のロシア杯は自己最重量の49.5gで出場していた。その後の1ヶ月間で1日5時間以上の猛練習を課し、ジャンプを跳び続けた。10%ほどだった体脂肪を約7%に、体重も48キロに絞り込んだ。全日本選手権では復調を見せ、4連覇を達成してオリンピック代表に決定。韓国で開催された四大陸選手権ではフリーで2度の3回転アクセルを成功させ優勝[51]。この優勝により、日本人選手として初めて国際大会10回優勝を果たした(ジュニアの大会を除く)。なお、この大会で浅田は競技前に妨害予告を受けたり[52][53]盗撮被害にあったと報じられている[54]。
バンクーバーオリンピックでは、SPで1度、フリーで 2度の3回転アクセルに成功。演技構成点でも高い評価を受け、銀メダルを獲得した[55]。オリンピックフィギュアスケートの女子シングルで日本人選手がメダルを獲得するのは2大会連続。オリンピック後、タチアナ・タラソワコーチを総コーチとして、日本人を軸とした新たなコーチを選任する旨の報道がなされる。世界選手権では、オリンピック金メダリストの金妍兒を破って2年ぶりに金メダルを獲得。世界選手権2度の優勝は日本人初。この年は男子でも日本の髙橋大輔が優勝し、ジュニアでも男女ともに日本人が優勝している。
2010-2011シーズン、6月から9月頃まで長久保裕をジャンプ専門のコーチにつけ6種類全てのジャンプの矯正に取り組む。9月から佐藤信夫コーチに師事し、ジャンプの矯正も続けた。GPシリーズNHK杯、エリック・ボンバール杯では新しく変えたジャンプに苦しみ、2大会とも表彰台に登れずGPファイナル進出を逃した。だが、1カ月後の全日本選手権では復調し、総合2位(SP1位、フリー2位)で世界選手権と四大陸選手権の代表に選出された。
四大陸選手権ではSPで冒頭の3回転アクセルが着氷に乱れたもののフリーでは成功させ、その他のジャンプもほぼ完璧に決めシーズンベストを大幅に更新し、安藤に次いで2位となった。2連覇のかかった世界選手権は東日本大震災の影響により1か月先に延期、その間に被災地の惨状を目の当たりにし、「こんな時に大会に行ってもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなった。みかねた佐藤コーチが1週間の休養を与えたが、重要な時期に食が細くなり、いつもより体重が5kgも減ってしまった。大会本番では佐藤コーチから3回転アクセル回避を提言されたが、浅田は自分の信念を貫き通した。結果はショート7位、フリー6位の総合6位に終わった。
大会/年 | 2002-03 | 2003-04 | 2004-05 | 2005-06 | 2006-07 | 2007-08 | 2008-09 | 2009-10 | 2010-11 |
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オリンピック | 2 | ||||||||
世界選手権 | 2 | 1 | 4 | 1 | 6 | ||||
四大陸選手権 | 1 | 3 | 1 | 2 | |||||
世界国別対抗戦 | 1 | ||||||||
全日本選手権 | 7 | 8 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 |
GPファイナル | 1 | 2 | 2 | 1 | |||||
GPNHK杯 | 1 | 1 | 8 | ||||||
GPロシア杯 | 5 | ||||||||
GPエリック杯 | 1 | 1 | 2 | 2 | 5 | ||||
GPスケートカナダ | 1 | ||||||||
GPスケートアメリカ | 3 | ||||||||
GP中国杯 | 2 | ||||||||
世界Jr.選手権 | 1 | 2 | |||||||
全日本Jr.選手権 | 4 | 4 | 1 | ||||||
JGPファイナル | 1 | ||||||||
JGPウクライナ記念 | 1 | ||||||||
JGPスケートロングビーチ | 1 |
2010-2011 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2011年4月25日-5月1日 | 2011年世界フィギュアスケート選手権 (モスクワ) | 7 58.66 | 6 114.13 | 6 172.79 |
2011年2月15日-20日 | 2011年四大陸フィギュアスケート選手権(台北市) | 2 63.41 | 2 132.89 | 2 196.30 |
2010年12月24日-27日 | 第79回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 1 66.22 | 2 127.47 | 2 193.69 |
2010年11月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 7 50.10 | 5 97.92 | 5 148.02 |
2010年10月22日-24日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(名古屋) | 8 47.95 | 8 85.45 | 8 133.40 |
2009-2010 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2010年3月22日-28日 | 2010年世界フィギュアスケート選手権 (トリノ) | 2 68.08 | 2 129.50 | 1 197.58 |
2010年2月14日-27日 | バンクーバー五輪(バンクーバー) | 2 73.78 | 2 131.72 | 2 205.50 |
2010年1月27日-30日 | 2010年四大陸フィギュアスケート選手権(全州) | 3 57.22 | 1 126.74 | 1 183.96 |
2009年12月25日-27日 | 第78回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 69.12 | 1 135.50 | 1 204.62 |
2009年10月22日-25日 | ISUグランプリシリーズ ロステレコム杯(モスクワ) | 6 51.94 | 5 98.34 | 5 150.28 |
2009年10月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 3 58.96 | 2 115.03 | 2 173.99 |
2008-2009 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2009年4月16日-18日 | 2009年世界フィギュアスケート国別対抗戦(東京) | 1 75.84 | 1 126.03 | 1 201.87 |
2009年3月23日-29日 | 2009年世界フィギュアスケート選手権(ロサンゼルス) | 3 66.06 | 4 122.03 | 4 188.09 |
2009年2月2日-8日 | 2009年四大陸フィギュアスケート選手権(バンクーバー) | 6 57.86 | 1 118.66 | 3 176.52 |
2008年12月25日-27日 | 第77回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 2 65.30 | 2 117.15 | 1 182.45 |
2008年12月10日-14日 | 2008/2009 ISUグランプリファイナル(高陽) | 2 65.38 | 1 123.17 | 1 188.55 |
2008年11月27日-30日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(東京) | 1 64.64 | 1 126.49 | 1 191.13 |
2008年11月13日-16日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 2 58.12 | 2 109.47 | 2 167.59 |
2007-2008 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2008年3月17日-23日 | 2008年世界フィギュアスケート選手権(ヨーテボリ) | 2 64.10 | 2 121.46 | 1 185.56 |
2008年2月11日-17日 | 2008年四大陸フィギュアスケート選手権(高陽) | 1 60.94 | 1 132.31 | 1 193.25 |
2007年12月26日-28日 | 第76回全日本フィギュアスケート選手権(大阪) | 1 72.92 | 2 132.41 | 1 205.33 |
2007年12月13日-16日 | 2007/2008 ISUグランプリファイナル(トリノ) | 6 59.04 | 1 132.55 | 2 191.59 |
2007年11月15日-18日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | 1 56.90 | 1 122.90 | 1 179.80 |
2007年10月25日-28日 | ISUグランプリシリーズ スケートカナダ(ケベックシティ) | 3 58.08 | 1 119.58 | 1 177.66 |
2006-2007 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|
2007年3月19日-25日 | 2007年世界フィギュアスケート選手権(東京) | 5 61.32 | 1 133.13 | 2 194.45 |
2006年12月27日-29日 | 第75回全日本フィギュアスケート選手権(名古屋) | 1 71.14 | 1 140.62 | 1 211.76 |
2006年12月14日-17日 | 2006/2007 ISUグランプリファイナル(サンクトペテルブルク) | 1 69.34 | 4 103.18 | 2 172.52 |
2006年11月30日-12月3日 | ISUグランプリシリーズ NHK杯(長野) | 1 69.50 | 1 130.02 | 1 199.52 |
2006年10月26日-29日 | ISUグランプリシリーズ スケートアメリカ(ハートフォード) | 1 68.84 | 4 102.39 | 3 171.23 |
2005-2006 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
---|---|---|---|---|---|
2006年3月6日-12日 | 2006年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(リュブリャナ) | 1 113.58 | 2 56.10 | 2 97.25 | 2 153.35 |
2005年12月23日-25日 | 第74回全日本フィギュアスケート選手権(東京) | - | 3 66.64 | 3 121.46 | 2 188.10 |
2005年12月16日-18日 | 2005/2006 ISUグランプリファイナル(東京) | - | 1 64.38 | 1 125.24 | 1 189.62 |
2005年11月17日-20日 | ISUグランプリシリーズ エリック・ボンパール杯(パリ) | - | 1 63.96 | 1 118.46 | 1 182.42 |
2005年11月3日-6日 | ISUグランプリシリーズ 中国杯(北京) | - | 2 62.92 | 3 113.68 | 2 176.60 |
2004-2005 シーズン | |||||
開催日 | 大会名 | 予選 | SP | FS | 結果 |
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2005年2月26日-3月3日 | 2005年世界ジュニアフィギュアスケート選手権(キッチナー) | 1 112.32 | 1 60.11 | 1 119.13 | 1 179.24 |
2004年12月24日-26日 | 第73回全日本フィギュアスケート選手権(新横浜) | - | 4 60.46 | 2 106.36 | 2 166.82 |
2004年12月2日-5日 | 2004/2005 ISUジュニアグランプリファイナル(ヘルシンキ) | - | 1 57.91 | 1 114.92 | 1 172.83 |
2004年11月20日-21日 | 第73回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(大阪) | - | 1 54.56 | 1 117.57 | 1 172.13 |
2004年9月30日-10月3日 | ISUジュニアグランプリ ウクライナ記念(キエフ) | - | 1 56.24 | 1 86.75 | 1 142.99 |
2004年9月9日-12日 | ISUジュニアグランプリ スケートロングビーチ(ロングビーチ) | - | 1 50.14 | 1 87.88 | 1 138.02 |
2000-2004 シーズン | ||||
開催日 | 大会名 | SP | FS | 結果 |
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2003年12月25日-26日 | 第72回全日本フィギュアスケート選手権(長野) | 6 | 8 | 8 |
2003年11月22日-23日 | 第72回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(京都) | 4 | 4 | 4 |
2002年12月20日-22日 | 第71回全日本フィギュアスケート選手権(京都) | 9 | 7 | 7 |
2002年11月23日-24日 | 第71回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(名古屋) | 3 | 4 | 4 |
2001年11月23日-24日 | 第70回全日本フィギュアスケートジュニア選手権(東京) | 8 | 6 | 6 |
シーズン | SP | FS | EX |
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2010-2011 [56] | タンゴ 作曲:アルフレット・シュニトケ 振付:タチアナ・タラソワ | 愛の夢 作曲:フランツ・リスト 振付:ローリー・ニコル | バラード第1番ト短調 作曲:フレデリック・ショパン 振付:タチアナ・タラソワ |
2009-2010 [57] | 仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ | 前奏曲「鐘」[58] 作曲:セルゲイ・ラフマニノフ 振付:タチアナ・タラソワ | カプリース[59] 作曲:ニコロ・パガニーニ 振付:タチアナ・タラソワ |
2008-2009 [60][61][62] | 月の光 作曲:クロード・ドビュッシー 振付:ローリー・ニコル | 仮面舞踏会 作曲:アラム・ハチャトゥリアン 振付:タチアナ・タラソワ | ポル・ウナ・カベサ 作曲:カルロス・ガルデル パジャドーラ 作曲:フリアン・プラサ 振付:タチアナ・タラソワシング・シング・シング 作曲:ルイ・プリマ 振付:ローリー・ニコル |
2007-2008 [63] | ヴァイオリンと管弦楽のためのファンタジア 映画『ラヴェンダーの咲く庭で』より 作曲:ナイジェル・ヘス、演奏:ジョシュア・ベル 振付:タチアナ・タラソワ | 幻想即興曲 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル | ソー・ディープ・イズ・ザ・ナイト ボーカル:レスリー・ギャレット |
2006-2007 [63] | ノクターン 第2番変ホ長調 作品9の2 作曲:フレデリック・ショパン 振付:ローリー・ニコル | チャルダッシュ 作曲:ヴィットーリオ・モンティ 振付:ローリー・ニコル | ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー ボーカル:フィリッパ・ジョルダーノ 虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より ボーカル:エヴァ・キャシディ |
2005-2006 [7][4][63][64] | 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子スノーダンス[65] 振付:リー=アン・ミラー | くるみ割り人形 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:ローリー・ニコル | 虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より ボーカル:エヴァ・キャシディ 振付:ローリー・ニコル |
2004-2005 [7][63] | 虹の彼方に 映画『オズの魔法使い』より 作曲:ジョン・ウィリアムス 振付:リー=アン・ミラー | 風変わりな店 作曲:ジョアキーノ・ロッシーニ オットリーノ・レスピーギ 振付:リー=アン・ミラー | ピック・ユアセルフ・アップ 映画『スイング・タイム』より 作曲:ジェローム・カーン、ボーカル:ナタリー・コール 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
2003-2004 [66] | オーケストラ組曲「マイ・ガール2」 作曲:クリフ・エイデルマン 振付:山田満知子、樋口美穂子 | ワルツ・スケルツォ ハ長調Op. 34 作曲:ピョートル・チャイコフスキー 振付:山田満知子、樋口美穂子 | ハバネラ 歌劇『カルメン』より 作曲:ジョルジュ・ビゼー 振付:山田満知子、樋口美穂子 |
2002-2003 [66] | セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 | インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 | - |
2001-2002 [66] | セイ・ヘイ・キッズ 振付:山田満知子、樋口美穂子 | インカダンス&アンデス by クスコ 振付:山田満知子、樋口美穂子 | - |
2010年のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得後のCMの出演料は1本7000万円と推定されており、女子アスリート選手の中では一番高い。[67]
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