長石 多可男(ながいし たかお、1945年1月7日 - 広島県広島市出身)は映画・テレビドラマ作品の監督・演出家。広島県立広島国泰寺高等学校卒業。
来歴・人物[]
ピンク映画で前衛的な作品を発表していた若松孝二と知り合った事がきっかけで、映画界入りを志す。当初は若松プロダクションへの参加を考えていたが、当時の若松プロは足立正生、沖島勲、小水一男(=ガイラ)をはじめ多くの助監督を抱えていたため断念。独立プロでピンク映画作品の助監督となり、『特命捜査室』(1969年、東映・フジテレビ)で初のテレビドラマ助監督を務める。『ザ・カゲスター』(1976年、東映・テレビ朝日)第13話「ドクターサタンの世界征服作戦!!」でテレビドラマ初監督。映画監督デビューは『光戦隊マスクマン』(1987年、東映)。
『仮面ライダー』の助監督を務め、石森章太郎が監督を務めた第84話「危うしライダー! イソギンジャガーの地獄罠」では事実上の共同演出を務めた。脚本を書いた話も1本(第11話「吸血怪人ゲバコンドル」)ある。石森とはその後『イナズマン』第11話「バラバンバラはイナズマンの母」でもコンビを組んでいる。
東映の社員監督ではないが、スーパー戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズなど特撮作品のベテラン監督として有名。戦隊シリーズの映像面に新風を吹き込み、革新させた功績は計り知れない。“長石アングル”(例えば、遠距離から場景を撮るなど)と呼ばれる印象的な画像造りには定評があり、“超映像派”の異名も持つ。
80年代後半から90年代前半、そして後半にかけてスーパー戦隊シリーズ演出陣の中心的役割を果たすが(監督本数はシリーズ歴代2位の178本 ※劇場版、オリジナルビデオ含む)、2000年に入ってからは、平成ライダーシリーズの中心的監督として活躍している。2005年にはテレビシリーズを一旦離れて映画『仮面ライダー THE FIRST』を演出。還暦を過ぎても今尚現役であり、坂本太郎と並ぶ東映特撮演出陣の重鎮的存在である。
また昭和のライダーシリーズと平成のライダーシリーズのどちらにも関わっている人物でもある。
親密なスタッフ、キャスト[]
- プロデューサーでは東映・加藤貢、鈴木武幸は盟友ともいうべき間柄。かつては高寺成紀と親密だった時期もある。近年は白倉伸一郎、武部直美の作品にはおおよそ全てに参加している。白倉について長石は「何十年に一人出るか出ないかの逸材」とまで言い、絶対の信頼を置いている。
- 脚本家では過去は曽田博久、近年は井上敏樹や小林靖子の作品を演出する機会が多い。特に井上との付き合いは長く古いが、彼が戦隊に初参加した『超新星フラッシュマン』で初めて書いた脚本をその回の担当監督だった長石は容赦なくボツにしてしまう。井上にとっては生涯初のボツであったといい相当に悔しかったとのことである。
- 俳優では宮内洋や広瀬匠との付き合いが古く、長い。宮内は一緒に組んだ作品を助監督時代から通算しても、『仮面ライダーV3』『Gメン'75』『超力戦隊オーレンジャー』『仮面ライダー THE FIRST』と4作品。広瀬はもっと多く『超新星フラッシュマン』『超獣戦隊ライブマン』『超光戦士シャンゼリオン』『仮面ライダーアギト』『女教師・濡れたピアノの下で』や爆走トラッカーシリーズで組んでいる。爆走トラッカーシリーズでは予算の都合からか広瀬をアクション監督として起用もしていた。
- 長石の推薦や紹介で東映特撮作品に携わった者も多い。『超光戦士シャンゼリオン』の音楽担当に安川午朗を推薦したり、以前付き合いのあったカメラマンの菊池亘を東映テレビプロダクションに紹介したのも長石であった。
エピソード[]
- 本格的に東映特撮に参加した最初の作品は『電撃戦隊チェンジマン』だが、東映プロデューサー・鈴木武幸は『超電子バイオマン』の頃より長石にオファーを出していた。たがその際は長石がスケジュールの都合で参加を断っている(『宇宙船』インタビューより)。
- 助監督として長く師事していた現監督の諸田敏は影響を受けた監督として長石と東條昭平の二人を挙げており、長石を「天才」、東條を「クレバー」と評した。
- 矢沢永吉の大ファンで『超獣戦隊ライブマン』『高速戦隊ターボレンジャー』『地球戦隊ファイブマン』『救急戦隊ゴーゴーファイブ』の担当回では矢沢の楽曲を使用。『ゴーゴーファイブ』第6話では、シナリオを作る段階で、主人公が歌うことだけは決まっていたが、何を歌わせるかで悩んだ際「男っぽくて時代に流されない」曲を念頭に置いて、長石自ら『夢の彼方』を選曲したという逸話が残っている。
- 諸般の都合で『地球戦隊ファイブマン』を最後に東映を離れた後オリジナルビデオ作品を多数手掛けることになる。しかし初期の頃は予算も豊富で制作も楽だったが末期は予算が以前の半分以下となり、ビデオ業界の限界を垣間見たとコメントしている。その頃東映プロデューサー・高寺成紀より戦隊シリーズへの復帰(『超力戦隊オーレンジャー』)を打診される。長石は乗り気だったが既に決定したビデオ制作のスケジュールが覆らなかったため、当初予定した番組序盤からの参加は叶わず、第32話から半年遅れで合流した(『東映ヒーローMAX』インタビューより)。
- 『超光戦士シャンゼリオン』第1話で初登場したトンネル階段は長石が非常に多用するロケーションである(場所は東映練馬の大泉撮影所のすぐ近く)。以降の作品では少なくとも必ず年1回は登場させており、一部の特撮マニアにはロケ地スポットとして有名である。あまりにも長石がそこを重用するため遂には通称『長石階段』と呼ばれることになった。今では長石だけではなく他の監督も普通にその場所を使用している。
- これも同じく『東映ヒーローMAX』インタビューからだが、平成ライダーシリーズより一度離脱を決意していたことを告白している。『仮面ライダー剣』の最終回を撮影中、「これがテレビの仮面ライダーを演出するのは最後」と思いメガホンをとったとのこと。その真意は不明だが『仮面ライダー THE FIRST』の演出が後に控えていたとはいえ、ファンにとっては衝撃の告白といえる。その後翻意し、2006年の『仮面ライダーカブト』より再びテレビシリーズに復帰した。2008年度も『仮面ライダーキバ』に参加する。
- 2007年11月には鈴木美潮の主催による『長石祭』というイベントが催され、長石監督縁の役者たちが集まり想い出話を繰り広げた。
主な監督作品[]
テレビ[]- ザ・カゲスター(1976年、東映・NETテレビ)34本中5本担当※監督公式デビュー作品
- 5年3組魔法組(1976年-1977年、東映・NETテレビ)41本中4本担当
- Gメン'75(1975-82年、東映・近藤照男プロダクション・TBS)355本中3本担当
- Gメン'82(1982年、近藤照男プロダクション・TBS)17本中2本担当
- 電撃戦隊チェンジマン(1985年-1986年、東映・テレビ朝日)55本中16本担当
- 赤い秘密(1985年、東映・TBS)10本中4本担当※メイン監督(最多演出)
- 超新星フラッシュマン(1986年-1987年、東映・テレビ朝日)50本中16本担当
- 光戦隊マスクマン(1987年-1988年、東映・テレビ朝日)51本中24本担当※メイン監督(最多演出)
- 超獣戦隊ライブマン(1988年-1989年、東映・テレビ朝日)49本中24本担当※メイン監督(最多演出)
- 愛人ヨーコの遺書(1988年、東映・フジテレビ)※2時間ドラマ。制作年は1986年
- 高速戦隊ターボレンジャー(1989年-1990年、東映・テレビ朝日)51本中21本担当※メイン監督(最多演出)
- 地球戦隊ファイブマン(1990年-1991年、東映・テレビ朝日)48本中19本担当※メイン監督(最多演出)
- 世にも奇妙な物語「さよなら蔵町キネマ」(1991年、セントラルアーツ・フジテレビ)※脚本の相里修は戦隊シリーズでもコンビを組んだ藤井邦夫のペンネーム。
- 超力戦隊オーレンジャー(1995年-1996年、東映・テレビ朝日)48本中9本担当
- 超光戦士シャンゼリオン(1996年、東映・テレビ東京)39本中14本担当※メイン監督(最多演出)
- 電磁戦隊メガレンジャー(1997年-1998年、東映・テレビ朝日)51本中19本担当※メイン監督(最多演出)
- 星獣戦隊ギンガマン(1998年-1999年、東映・テレビ朝日)50本中15本担当
- 救急戦隊ゴーゴーファイブ(1999年-2000年、東映・テレビ朝日)50本中12本担当
- 仮面ライダークウガ(2000年-2001年、東映・テレビ朝日)49本中11本担当
- 仮面ライダーアギト(2001年-2002年、東映・テレビ朝日)51本中19本担当(最多演出)
- 仮面ライダー龍騎(2002年-2003年、東映・テレビ朝日)50本中16本担当
- 仮面ライダー555(2003年-2004年、東映・テレビ朝日)50本中15本担当(最多演出)
- 仮面ライダー剣(2004年-2005年、東映・テレビ朝日)49本中16本担当(最多演出)
- 仮面ライダーカブト(2006年-2007年、東映・テレビ朝日)49本中14本担当(最多演出)
- 仮面ライダー電王(2007年-2008年、東映・テレビ朝日)49本中9本担当
- 仮面ライダーキバ(2008年-、東映・テレビ朝日)22本中4本担当※2008年6月現在
映画[]- 光戦隊マスクマン(1987年、東映)
- 高速戦隊ターボレンジャー(1989年、東映)
- 爆走トラッカー軍団(1994年、ケイエスエス)
- 仮面ライダー THE FIRST(2005年、東映)
- 劇場版 仮面ライダー電王 俺、誕生!(2007年、東映)
オリジナルビデオ[]- 令嬢流されて(1991年、日本ビデオ映画)
- 女教師・濡れたピアノの下で(1991年、日本ビデオ映画)
- スキャンドール(1992年、日本ビデオ映画)
- 一発逆転!爆走トラッカー軍団 (1992年、ケイエスエス)
- 爆走トラッカー軍団2 暴走族死闘篇 (1992年、ケイエスエス)
- 爆走トラッカー軍団3 紅薔薇軍団参上! (1993年、ケイエスエス)
- THE レイプマン(1993年、ピンクパイナップル)
- 爆走トラッカー軍団4 なにわ(暴)遊侠伝 (1993年、ケイエスエス)
- THE レイプマン2(1994年、ピンクパイナップル)
- THE レイプマン3(1994年、ピンクパイナップル)
- 爆走トラッカー軍団5 激闘!香港マフィアVS女トラッカー(1994年、ケイエスエス)
- THE レイプマン4(1994年、ピンクパイナップル)
- THE レイプマン5(1995年、ピンクパイナップル)
- THE レイプマン6(1995年、ピンクパイナップル)
- THE レイプマン7(1995年、ピンクパイナップル)
- 星獣戦隊ギンガマン VS メガレンジャー(1999年、東映・東映ビデオ)
- 救急戦隊ゴーゴーファイブ VS ギンガマン(2000年、東映・東映ビデオ)
助監督[]
テレビ[]- 特命捜査室(1969年、東映・フジテレビ)
- 柔道一直線(1970年-1973年、東映・毎日放送)
- 仮面ライダー(1971年-1973年、東映・毎日放送)
- 好き!すき!!魔女先生(1971年-1972年、東映・朝日放送)
- 仮面ライダーV3(1973年-1974年、東映・毎日放送)
- イナズマン(1973年-1974年、東映・NETテレビ)
- イナズマンF(1974年、東映・NETテレビ)
- 仮面ライダーアマゾン(1974年-1975年、東映・毎日放送)
- ザ・カゲスター(1976年、東映・NETテレビ)
- 5年3組魔法組(1976年-1977年、東映・NETテレビ)
- 特捜最前線(1977年-1987年、東映・テレビ朝日)
- 腐蝕の構造(1977年、東映・毎日放送)
- 人間の証明(1978年、東映・毎日放送)
映画[]- 仮面ライダー対じごく大使(1972年、東映)
- 仮面ライダーV3対デストロン怪人(1973年、東映)
- フィンガー5の大冒険(1974年、東映)※監督補
- 海燕ジョーの奇跡(1984年、三船プロダクション)
脚本[]
- 仮面ライダー(1971年-1973年、東映・毎日放送)第11話
- 仮面ライダーV3(1973年-1974年、東映・毎日放送)第49話
- イナズマンF(1974年、東映・NETテレビ)第18話
- 仮面ライダーアマゾン(1974年-1975年、東映・毎日放送)第1話~第4話(「大門勲」名義で平山亨らと共同執筆)
- 超新星フラッシュマン(1986年-1987年、東映・テレビ朝日)第40話※監督も担当
- 令嬢流されて(1991年、日本ビデオ映画)※小川睦子との共同脚本
関連人物[]
- 平山亨
- 阿部征司
- 加藤貢
- 鈴木武幸
- 高寺成紀
- 日笠淳
- 白倉伸一郎
- 武部直美
- 井上敏樹
- 小林靖子
- いのくままさお
- 松村文雄
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