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録画(ろくが)とは、テレビ番組や風景、人物等の動画をビデオテープレコーダやDVDレコーダー、ビデオカメラ等のビデオ信号記録装置を用いて、ビデオテープやDVDメディア、ハードディスクなどの映像記録媒体に記録、保存する行為やその記録物をいう。この場合、マイクや音声ヘッド等を用いて音声も同時に記録されることが多い。
長年、録音機と同様に、ビデオテープへの磁気を用いたアナログ録画が主流であったが、近年は、DVDなどの光ディスクへのレーザーを用いたデジタル録画に移り変わっている。従来のテレビ(NTSC、PAL、SECAM)だけではなく、高精細テレビ(ハイビジョン他)記録も一般化しつつある。なお、フィルムによる映像の記録は録画とは呼ばず撮影と呼ぶ。放送局では、収録と呼ぶのが一般的である。ビデオ機器によるニュースの取材についてはENGを参照されたい。
音声に比べ、動画は情報量が多く、録画が可能になるためには磁気記録装置の帯域拡大が必要だった。回転ヘッドによるテープとヘッドとの相対速度の向上でこれが可能になり、現在ではMPEGなどのデータ圧縮技術によるデータ量の低減も役立っている。
最近では、デジタルカメラや携帯電話 (FOMA等) においても録画機能がついた機種が発売され、それによって、一般市民が重大な事件や事故に遭遇し現場を録画、その映像が報道機関に持ち込まれ各種メディアをつうじて報道される機会が増えている。
以上のような理由から、映画業界においても録画方式で撮影したあと、編集等の制作作業を行なった後、フィルムに焼きなおす作業をおこなったり、DVDメディアのまま映画館で上映を行なっている場合もある。
最初のVTRはアメリカのアンペックス(Ampex)社により1956年に開発された。テープは2インチ幅で2インチVTRと呼ばれる。
一般家庭用の録画装置は、統一型などのオープンリール形式やU-Matic形式のVTRが最初に使われた。方式はヘリカルスキャン方式が使われるようになった。しかし、非常に高価で操作も難しかったため、ごく一部にしか普及しなかった。
その後、各社から家庭向けに様々な形式のVTRが発売されたが、β方式とVHS方式に集約された。その後両者の共存時期が続いたが、最終的にはVHS方式に集約された。
また、ビデオカメラ用としてカセットがコンパクトな8ミリビデオが開発された。VHSと互換性のあるVHS-Cも発売されたが、あまり普及しなかった。
今日ではデジタル化が進み、テープ媒体で記録する方法としては、まずはビデオカメラのDVが発売され、家庭用据え置き機としてもD-VHSがマニアの間では用いられた。近年はDVDやハードディスクに録画するデジタル方式のものが普及している。主に据え置き機として用いられるが、家庭用一体型ビデオカメラも販売されている。HDTV映像を記録するHDV、ハイビジョン映像をビデオカメラで記録するためのAVCHD、標準画質映像をDVDに記録するためのDVD-Video、DVD-VR、ハイビジョン映像をDVDに記録するためのAVCREC、HD Rec、Blu-ray Discに記録するためのBDMV、BDAVなどの規格がある。
一般家庭における録画のデジタル化では、規格が乱立したDVDの互換性問題や、コピー・ワンスによる混乱、また、著作権管理技術CPRM・ハイビジョン対応規格AVCRECは対応メディア、対応プレイヤー以外では録画や再生ができないなど、複雑化している。
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