沖縄国際海洋博覧会

ページ名:沖縄国際海洋博覧会

沖縄国際海洋博覧会(おきなわこくさいかいようはくらんかい)は、沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期(1975年7月20日 - 1976年1月18日)をもって行われた国際博覧会。略称は「沖縄海洋博」など。

目次

概要[]

「海-その望ましい未来」をテーマとし、日本を含む36ヶ国と三つの国際機関が参加した。総入場者数は、約349万人(目標は450万人)。

大会開会式に出席するため、沖縄を訪問された当時の皇太子明仁親王・同妃美智子がひめゆりの塔を訪問した際、左翼活動家から火炎瓶を投擲されるという事件が起こった(詳細はひめゆりの塔事件を参照)。

未来型海洋都市のモデルとして人工島「アクアポリス」が建設展示されたが、その後使用される事もなく、2000年10月鉄屑としてアメリカ合衆国の企業へ売却処分された(現地を離れたのは10月23日で、解体場所の上海へ海上を曳航)。

また、この会場内アクセスとして新交通システムが日本で初めて試行された。沖縄の鉄道も参照。海洋博跡地には、国営沖縄記念公園が開園した。

海洋博開催で、沖縄県の列島改造というべき開発が劇的に進んだ。ホテル日航那覇グランドキャッスルや、沖縄ハーバービューホテルなどの大型ホテル、ゼファー那覇タワーなどの観光施設はすべてこれにあわせて建設された。特にゼファー那覇タワーは、2007年8月にD'グラフォート沖縄タワーに抜かれるまで、沖縄一高いビルであった。

記念発行物[]

ファイル:KaiyoHaku100.jpg

記念貨幣(100円白銅貨)

  • 記念切手
    • 20+5円付加金付きが1974年3月2日に発行された。
    • 20円・30円・50円の三種類が1975年7月19日に発行された。
  • 記念貨幣
    • 100円白銅貨が、1975年7月3日(10月22日追加発行)発行された。

オフィシャル・エアライン[]

日本航空が「オフィシャル・エアライン」となり、ほぼ全ての機材に博覧会のロゴマークを入れて運行した他、多くのパッケージツアーを主催した。

映画[]

1976年9月18日に東宝洋画系で沖縄海洋博の記録映画である『公式長編記録映画 沖縄海洋博』が公開された。中村メイコと愛川欽也のトーク形式のナレーションが特徴的で、2時間半という長尺映画を軽い雰囲気でリラックスして楽しめる趣向であるが、過去の記録映画のような重厚な雰囲気を期待した映画ファンには賛否両論がある。再上映やテレビ放映がされず長く幻の記録映画であったが2006年にDVDが発売された。

スタッフ[]

  • 総監督:松山善三
  • 総プロデューサー:田口助太郎
  • 音楽:木下忠司
  • ナレーション:中村メイコ、愛川欽也
  • 主題歌:森山良子
  • 企画:沖縄国際海洋博覧会協会
  • 製作:ニュース映画製作者連盟

関連項目[]

  • 金城哲夫
  • 沖縄エキスポランド-海洋博会場内にあった遊園地。博覧祭終了後も営業を続けたが、利用者数の減少にともない経営が困難になり、2000年3月をもって閉園。
  • 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)-1975年8月11日放送にて、同博覧会会場に特設ステージを設けて生中継を行う予定であったが、当日になって沖縄全土に台風が接近したことから、そのステージを使用することができなくなり、急遽スタッフ用の狭いブースから中継を行うという放送史上に残るハプニングが起きた。

外部リンク[]

  • 国営沖縄記念公園 海洋博地区 - 沖縄国際海洋博覧会の跡地
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