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テンプレート:Infobox Musician桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター。
サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともある。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長169.5cm。A型の右利き。通称は「すけちゃん」「ケイちゃん」「桑っちょ」など。妻は同じサザンのメンバーである原由子で、芸能界きってのおしどり夫婦として知られる。1982年に結婚し、これまでに2男をもうける。
サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして知られている。『いとしのエリー』、『真夏の果実』、『TSUNAMI』などヒット曲を数多く作り、歌う。作詞では愛、セックス、世相を風刺的に表現し、時にエロティックであり、時にユーモラス・ナンセンスであり、時に切なく泣かせ、時にシリアス。楽曲それぞれで様々なタイプの歌詞を書く。ソロでの音楽活動も精力的で、メジャーデビュー以来一貫して邦楽 (J-POP)の第一線を走り続ける。音楽雑誌『ロッキング・オン』からは、ポップスの神なる称号を授与されている。また、日本の数々のミュージシャンに影響を与えており、本人が「桑田さん(サザン)のファンです」「影響を受けています」等公言したミュージシャンも多数に渡る。
青山学院大学在学中よりバンド活動を盛んに行い、「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など多くのバンドを結成しては潰しを繰り返し、最後に結成したサザンオールスターズが現在まで続く。「サザンオールスターズ」というバンド名は友人がつけたもの。
プロレスファンでアントニオ猪木を敬愛している。猪木とは幾度か共演も果たしている。ライブの煽りではスタン・ハンセンの決め台詞「ウィー!」や、猪木の決め台詞「1、2、3、ダー!」を叫ぶのが定番。2007年、「WONDA」(アサヒ飲料)のCMで(合成映像の)ジャイアント馬場と“共演”した際に馬場から“十六文キック”を浴びせられた。
サザンが実力派バンドとして認知されてからも、本人は一貫して下ネタ好きの三枚目なキャラクターを通しており、ある意味ミュージシャンらしくない気取らない性格がファンから愛されている。ライブでは客席に向けての「ヤらせろ!!」や、「乳首見せろ!」「パンツ脱げ!」などのセクハラ発言は恒例で、テレビ番組出演の際に放送禁止用語を言ってしまうこともある。『THE 夢人島 Fes.2006』ではWOWOWの生放送にも関わらず放送禁止用語を言ってしまった。
特に自身のラジオ番組『TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM製作)では毎週のごとく下ネタを連発している。お題がセクシー路線の場合、リスナーからの投稿は殆ど、桑田が思わず放送禁止用語を言ってしまいそうなネタが多い。番組内の企画である『1.2のサザンクイズ』では、選択肢に放送禁止用語やセクハラまがいの内容が入っているのが恒例。尚同じ事務所のアミューズの福山雅治と同じく大のアダルトビデオ好きで、夏目ナナや及川奈央の大ファンとラジオで公言している。2003年の桑田の誕生日で福山から及川奈央の2枚組DVDをプレゼントで貰った事もラジオで言っている。
『夜遊び』ではリスナーにおねだりして食品や写真集などをTOKYO FM宛にお願いしたために妻の原から「ラジオでおねだりするのはもうやめて」と言われた事があった。
ライブや音楽番組では、高い頻度で歌詞を間違える。ライブで歌詞や段取りをよく間違えることは本人も自覚しているらしく、「間違えた時はスタッフを睨みつけてスタッフのせいにする」と自らコメントしていたが、視聴者向けのネタなのか本音なのかは不明。
レコーディングなどではギターを担当することが殆どだが、時にベース、ドラムス、キーボードなども演奏するマルチプレイヤーでもあり、特にソロ名義の『素敵な未来を見て欲しい』や『MUSIC TIGER』などは桑田1人ですべての楽器が演奏されている。
ギタリストとしてクローズアップされる事は比較的少ないが、ボトルネックによるスライドギターのプレイヤーとしても知られ、サザンのライブでも曲の間奏で度々その姿を確認する事が出来る。KUWATA BANDのライブでもギター演奏を披露した。しかし本人によると「コードとかはよくわからない。」らしい。
1980年代~1990年代前期まで、ライブや音楽番組などでは時にステージに寝転がったり飛び跳ねたりの不可解で激しい、過剰とも言えるパフォーマンスが特徴であった。MCや曲中の煽りなども所謂「縦ノリ」の男臭いロックミュージシャンらしい姿が見られていたが、1993年~1995年辺りを境に、「おどけた中年オヤジ」としてのキャラクターを前面に出すようになり、ライブやラジオ番組でも下ネタやオヤジギャグを連発する事も多くなった。近年は激しい動きは少なくなった反面、ギターのソロプレイを魅せる割合が多くなり、加齢と共に味わい深いギターを聴かせている。かつてはライブ終盤での客席への紙コップの水撒きも定番であったが、やはり最近は行っていない。
曲作りは殆どが曲先であり、デタラメ英語等での仮歌段階のまま編曲までほぼ全てを終わらせたのち、仮歌の語感を崩さない言葉を選び、そこから歌詞全体のテーマ・世界感を決める。その為、日本語・英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」等と批判される事もあるが、文章の正確さよりも語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果である。古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまう。
また、英語と日本語とのダブル・ミーニングも取り入れており、楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しいとの思いも込められている。
作詞の際には作品中やタイトルに人名を登場させることも多い。特定の人物を讃えた曲もあるが、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多い。前者は『吉田拓郎の唄』『星空のビリー・ホリデイ』『Dear John』『唐人物語』など。後者は『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『そんなヒロシに騙されて』『MARIKO』『シュラバ★ラ★バンバ』『可愛いミーナ』他多数曲で使われている。
サザンとソロそれぞれの活動を数年毎のローテーションで行い、どちらともセールス・ビジネス的にも成功を維持し続ける事が出来る稀有なミュージシャンだが、それゆえ、サザンとソロとの活動の違いが分かり難い場合も多い。この質問疑問に対し桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は家族・家庭であり、ソロ時のサポートメンバー及びソロとしての活動は愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だという、男女の愛と性をリアルに唄う桑田ならではの表現をしている。また、プロレスラーの武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをしてグレート・ムタとして戦うとも表現している。
また、ソロ名義で出演するライブやフェスティバル、単独名義で行っている自身のラジオ番組のライブなどではサザン名義の楽曲も演奏されることがある。この点に関しファンからは「ソロのライブでサザンの曲を唄わないで欲しい」との意見もあったが、その意見に対し桑田は「ファンの気持ちも分かるんですけど、『唄ったっていいじゃん、どっちでもいいじゃん』て思う時も実はあるんですよね」とインタビューで応えている。ソロ名義で行うワンマンライブやツアーでは、基本的にサザン名義の楽曲が歌われることは少ない。1986年のKUWATA BANDのときは、ライブでサザンの曲を封印していたが、1988年のサザン復活ライブでは途中に桑田ソロコーナーを設け、「スキップ・ビート」も歌っていた。
バンド活動と並行したり休業しつつソロ活動を行っているが、活動期によりテーマやコンセプトを大きく異なることでサザンオールスターズとの活動とは特に一線を画している。
1986年のKUWATA BAND結成時には、桑田が「ロックを唄うのは英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の洋楽テイストに拘っていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切未収録とし、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし、発売後暫くは自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。
1987年~88年の第1期ソロ活動では、ミュージックシーケンサープログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開。1993年~94年の第2期ソロ活動は、内省的な歌詞を用いたアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線など、サザンとの差別化を図る。
2001年からも第3期のソロ活動が始まるが、特に前半の2001年は逆に差別化には拘らなくなった。この時はサザンでのメンバー脱退による移行があったため、もともとサザン名義で発表する予定だった楽曲をソロ名義で発売したものもある。また、逆にソロワークとして製作していた楽曲を、サザンとしてカラーやアレンジを加えて発表した曲も生まれている(恋するレスポール等)。後半の2002年は、バンド形態の本格派ロックをコンセプトにしており、特にサザンでの活動との差が色濃く出ている。CMタイアップとの関係で思い切りポップ寄りな曲に挑戦した2001年に対し、2002年に発売された作品はシングル・アルバム共に歴然とテーマの違いが出ている。2001年に発表された楽曲はアルバムに収録されることなく、ソロ活動の集大成として発表されたベストアルバムに収録された。
2007年は桑田にとって第4期のソロ活動となり、ソロシングルリリースに続き11月から12月にかけてのソロツアーも行われた。楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていないが、この4期目のソロ活動について桑田は、ラジオ番組や音楽雑誌インタビューなどの各メディアにおいて、『来年のサザン30周年に向けての足懸かりとしての期間』という旨のコメントをしている。
2008年3月23日に、沖縄県・石垣島で行われた桑田の特別ライブ「Meet the Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島」の模様が日本全国の民放FM53局(JFN系列38局、JFL系列5局、MegaNet系列4局及び独立局6局)で同時生中継された。これは、全国の民放FMラジオ全局で構成する「全国FM連合」がKDDIの特別協賛によるキャンペーンの一環として、TOKYO FMが幹事局となって製作。系列の異なるFMラジオ局がネットワークの垣根を越えて1人のアーティストのライブ中継を放送するのは史上初の試みである。
テンプレート:現在進行ここでは桑田佳祐のソロ活動に重点を置いて説明する。サザンオールスターズなどバンドとしての活動は各ページを参照のこと。
→サザンオールスターズのディスコグラフィ、KUWATA BAND、SUPER CHIMPANZEE、桑田佳祐&Mr.Childrenも参照のこと。
リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
1st | 1987年10月6日 | 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | EP 8cmCD | VIHX-1725 VDRS-1001 |
2nd | 1988年3月16日 | いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | EP 8cmCD CT | VIHX-1731 VDRS-1010 VST-10347 |
3rd | 1993年10月6日 | 真夜中のダンディー | 8cmCD CT | VIDL-170 VISL-280 |
4th | 1994年8月24日 | 月 | 8cmCD CT | VIDL-201 VISL-311 |
5th | 1994年10月31日 | 祭りのあと | 8cmCD CT | VIDL-202 VISL-312 |
6th | 2001年7月4日 | 波乗りジョニー | EP 12cmCD | VIZL-60 VICL-35300 |
7th | 2001年10月24日 | 白い恋人達 | EP 12cmCD | VIJL-60090 VICL-35330 |
8th | 2002年6月26日 | 東京 | EP 12cmCD | VIJL-60095 VICL-35380 |
9th | 2007年5月16日 | 明日晴れるかな | EP 12cmCD | VIJL-60600 VICL-36600(CD初回版) VICL-36601(CD通常版) |
10th | 2007年8月22日 | 風の詩を聴かせて | EP 12cmCD | VIJL-60800 VICL-36800 |
11th | 2007年12月5日 | ダーリン | EP 12cmCD | VIJL-60900 VIZL-371(CD初回版) VICL-37100(CD通常版) |
2001年6月25日 | 1st~5thシングルCD リマスタリング12cm化再発(VICL-35305~35310) |
リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
1st | 1988年7月9日 | Keisuke Kuwata | LP CD CT | VIH-28333 VDR-1520 VCF-10360 |
2nd | 1994年9月23日 | 孤独の太陽 | CD CT | VICL-555 VITL-132 |
3rd | 2002年9月26日 | ROCK AND ROLL HERO | LP(2枚組) CD | VIJL-60101~60102 VICL-60920 |
リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
1st | 1992年6月27日 | フロム イエスタデイ | CD CT | VICL-300 VITL-107 |
2nd | 2002年11月27日 | TOP OF THE POPS | CD(2枚組) | VICL-61006~61007 |
リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
ライブ盤 | 1982年3月2日 | 嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE! | LP | VIX-1001 |
1992年6月27日 | 1st再発(VICL-8061) |
2001年6月25日 | 1st、2nd+「フロム イエスタデイ」リマスタリング再発(VICL-60804~60806) |
リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
ライブビデオ | 1991年10月2日 | Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26 | VHS LD DVD | VIVL-49 VILL-43 VIBL-44 |
ライブビデオ | 1994年12月21日 | すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐 LIVE TOUR '94- | VHS LD DVD | VIVL-140(VHS初回) VIVL-141(VHS通常) VILL-99 (LD初回) VILL-100(LD通常) VIBL-45 |
ライブビデオ | 1997年3月5日 | 夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー ~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~ | VHS DVD | VIVL-200 VIBL-6 VIBL-46(DVD再発) |
PV集 | 2002年12月11日 | 桑田佳祐ビデオクリップス2001~2002 D.V.D. WONDER WEAR | VHS DVD | VIVL-270 VIBL-67 |
ライブビデオ | 2003年3月26日 | 桑田佳祐ライブビデオ「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」 | VHS DVD | VIVL-286 VIBL-109 |
ライブビデオ+CD | 2008年3月12日 | 桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜 | DVD+CD | VIZL-500(初回) VIZL-501(通常) |
公演日程 | 形態 | ツアータイトル | 公演規模 | 会場 |
---|---|---|---|---|
1981年 | 単発コンサート | 嘉門雄三 & Victor Wheels | 渋谷eggman | |
1991年3月24日-3月26日 | 単発コンサート | アコースティック・レボリューション | 全3公演 | 日清パワーステーション |
1994年9月29日-12月31日 | コンサートツアー | 桑田佳祐 LIVE TOUR '94 -さのさのさ- | 全国29都市35公演 | 静岡市民文化会館、熊本市民会館、鹿児島市民文化ホール、福岡サンパレス、九州厚生年金会館、大宮ソニックシティ、新潟県民会館、群馬県民会館、仙台サンプラザホール、岩手県民会館、日本武道館、アクトシティ浜松、神戸国際会館、京都会館第一ホール、石川厚生年金会館、福井フェニックスプラザ、長野県民文化会館、宇都宮市文化会館、郡山市民文化センター、アスティとくしま、香川県民ホール、広島厚生年金会館、岡山市民会館、徳島市文化会館、愛媛県県民文化会館、旭川市民文化会館、北海道厚生年金会館、名古屋市総合体育館 レインボーホール、大阪城ホール、 横浜アリーナ |
1994年10月28日 | 単発コンサート | 帰ってきた青山のダンディー | 全1公演 | 青山学院大学 |
1995年4月18日-5月14日 | コンサートツアー (Mr.Childrenとの共同) | LIVE UFO '95 桑田佳祐 & Mr.Children ROCK OPERA“Acoustic Revolution with Orchestra” 奇跡の地球 | 全国3都市12公演 | 名古屋市総合体育館 レインボーホール、国立代々木競技場第一体育館、大阪城ホール |
1996年12月1日-12月3日 | ライブイベント | Act Against AIDS '96 夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー ~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~ | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
1997年11月28日-12月1日 | ライブイベント | Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場 | 全国2都市3公演 | ワールド記念ホール、パシフィコ横浜国立大ホール |
1998年11月30日-12月2日 | ライブイベント | Act Against AIDS '98 桑田佳祐 オールリクエストショー | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
1999年11月30日-12月2日 | ライブイベント | Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演 | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
2000年1月29日-2月5日 | FC会員限定ライブ | 伊豆だらけのローラ | 全国5都市5公演 | Zepp Sapporo、仙台ビーブベースメントシアター、名古屋ダイヤモンドホール、神戸チキンジョージ、福岡ドラムロゴス |
2000年11月30日-12月2日 | ライブイベント | Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
2001年7月5日-8月9日 | FC会員限定ライブ | 古賀紅太No Reason! ライブハウスツアー | 全国7都市7公演 | 岐阜モダンカフェクラブ、横浜BAY HALL、札幌ペニーレーン24、青森クオーター、佐賀GEILS、奈良NEVER LAND、新宿リキッドルーム |
2001年11月30日-12月2日 | ライブイベント | Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
2001年12月22日-12月24日 | 単発コンサート | No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌 | 全3公演 | 月寒グリーンドーム |
2002年11月16日-12月22日 | コンサートツアー | No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐全国ドームツアー2002 「けいすけさん、色々と大変ねぇ。」 | 全国6都市12公演 | Zepp Sendai、ナゴヤドーム、大阪ドーム、福岡ドーム、東京ドーム、札幌ドーム |
2002年12月27日-12月31日 | カウントダウンライブ | No Reason Coca-Cola Presents 桑田佳祐年越しライブ2002 「けいすけさん、年末も色々と大変ねぇ。」 | 全4公演 | 横浜アリーナ |
2003年12月2日-12月4日 | ライブイベント | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
2004年12月2日-12月4日 | ライブイベント | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2004 「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK ~愛と青春の英国ロック~」 | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
2006年11月30日-12月2日 | ライブイベント | 桑田佳祐 Act Against AIDS 2006 「星条旗よ永遠なれ!? ~私のアメリカン・ヒーローズ」 | 全3公演 | パシフィコ横浜国立大ホール |
2007年11月21日-12月31日 | コンサートツアー | WONDA presents 桑田佳祐LIVE TOUR 2007 呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW supported by ショコライフ | 全国6都市14公演 | マリンメッセ福岡、北海道立総合体育センターきたえーる、ホットハウススーパーアリーナ、大阪城ホール、日本ガイシ スポーツプラザ 日本ガイシホール、横浜アリーナ |
2008年3月23日 | ライブイベント | 全国民放FM53局 & KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島 | 全1公演 | 石垣市民会館 |
※すべて個人での出演によるもの。グループでの出演などはサザンオールスターズ#CMの節を参照。
テンプレート:サザンオールスターズテンプレート:桑田佳祐テンプレート:KUWATA BANDid:Keisuke Kuwata
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