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『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に』は、1997年7月19日に全国東映・東急系で公開された庵野秀明総監督によるアニメ映画である。略称「夏エヴァ」「EOE」。
1995年秋~1996年春まで放送された同テレビアニメシリーズ、新世紀エヴァンゲリオンの第弐拾伍話と最終話をリメイクし、完全新作として上映されたものである(TVシリーズとは区別するために話数はアラビア数字表記にされ、アイキャッチ画面ではそれぞれepisode 25'、ONE MORE FINALと表示された)。本作をもってエヴァンゲリオンは完結を迎えることとなる。
当初は1997年春の『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』で完結する予定だったが、『REBIRTH』編の制作が間に合わなかったために途中までの公開となり、同年夏に本作が公開されることとなった(詳しい経緯は『新世紀エヴァンゲリオン 劇場版 DEATH & REBIRTH シト新生』を参照のこと)。『REBIRTH』で公開されていた部分についてはアフレコ、SE、BGMの録り直しや、画面上での若干の修正、追加が行われている[1]。
第25話『Air』は、劇中BGMに使われているヨハン・ゼバスティアン・バッハ作の『管弦楽組曲第3番第2曲』の「アリア」(Air) から。また第26話『まごころを、君に』は、 ダニエル・キイスの著作『アルジャーノンに花束を』が映画化された時の邦題「まごころを君に」から。テンプレート:ネタバレ
最後の使徒を倒した。だが現実に対処できないシンジは固く心を閉ざしてしまう。そして約束の時が訪れる。ゼーレは自らの手による人類の補完を目指し、戦略自衛隊による攻撃をNERV(ネルフ)本部に仕掛けてきた。戦闘のプロに抗う術もなく血の海に倒れていく職員達。その絶望的状況下でミサトは、シンジは、アスカは、レイは、生き残ることができるのか?そして人類補完計画とは?人類の存亡をかけた最後の戦いが、今始まろうとしている。
劇場版では、TVアニメの最終話では語られることのなかった、もう1つのエンディングを映像化している。使徒ではなくヒトの手によるサードインパクトの発現(=無への回帰による贖罪と審判)を目指すゼーレと、それを阻止しようとするミサト達NERVの戦い、アダムとリリスの融合によりゼーレとは異なる人類の補完を目指すゲンドウの姿などが描かれ、ゼーレに操られた日本政府の指揮による戦略自衛隊のNERV本部強襲、ゼーレからのエヴァンゲリオン量産型のNERV本部戦への投入などが、過激な死の描写とともに描かれていく。その一方でTV版弐拾伍話と最終話同様にシンジやアスカのトラウマとの対決と克服が描かれていき、最終的にシンジが「全てが1つとなる事で人類が補完された世界」を拒否して他者を受け入れるところでエンディングに向かう。
過剰とも言える陰惨な雰囲気の中で「殺人の描写」「死の描写」が繰り返されるが、その裏のテーマは明らかに「生」であり、「救済へのテーゼ」であろう。そして最終的に、庵野監督は「自らの足で自立し生きろ」と観る者に檄を飛ばしている。
結末についても、シンジとアスカのみが特例として生き残って人類はそのまま滅ぶ、若しくは二人が新世紀のアダムとイブになって新たな人類の歴史が始まるという解釈だけがなされている訳ではない。碇ユイがシンジの復活前に、人はまた還ってくることが可能であるという発言を示したこと等から、人々はL.C.L.の海から復活して、他者の中で生きる強さを手にしたシンジを迎え入れるという(TV最終話に対応する)解釈などもあり、人によって見方は異なっている。この点、プロデューサーの大月は12年振りの新作の製作にあたって、「あまり言うとネタバレになっちゃうんですが(笑)12年前の『エヴァ』では、あの頃の社会状況や庵野さんの内面の問題があったりして、 特に劇場版は世界が破滅して、シンジとアスカだけ生き残るという破滅的な形で終わりましたから、あの続きはありえないんですよ。」とシンジとアスカのみが生存との製作側の認識を示している[2]。同様に劇場版主題歌「魂のルフラン」の歌詞についての及川眠子へのインタビューでも、「みんな死んじゃうから、というので輪廻をテーマにしたんです。」、 「魂のルフランはこれで終わりという歌ですから、新しい詞は書きようがないんですね。輪廻を出してしまったら次はないですよ。今度の映画ではみんな死んじゃったんでしょ?」、 「打ち合わせの時にみんな死んじゃうんですかって(庵野監督に)聞いたら、次が出来ないように殺しちゃうんです。もう疲れましたからって(笑)。」とそれが証言されている。
「THE END OF EVANGELION ONE MORE FINAL: I need you.」というアイキャッチテロップの後、第26話Bパートであるラストシーンが始まる。浜辺に横たわっているシンジとアスカが映し出され、シンジは黙って彼女の首を絞める。それに対してアスカはシンジの頬に手をやりそっと撫で、シンジは首を絞める手を緩め嗚咽を漏らし、すすり泣く。そのシンジの嗚咽に被せて最後にアスカはただ一言、「気持ち悪い」と言葉を発してこの映画は終わる。これが映画公開直後から激しい論争を呼び、難解だと言われる本作のラストシーンである。
アスカの声優 宮村優子によると、もともと台本には「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ」と書かれていたが、いざ本番となりアフレコが行われ、収録が終了したものの、監督から録り直しを要求され、緒方と一緒に居残ることとなった。宮村が何度もその台詞を録り直しても監督はOKを出さず、緒方も「どうやったら監督、納得するんだろね~?」と言いながら困り果てていた。そこへ庵野監督が来て、「宮村、自分がベッドで眠っていて、そして知らない人が君の部屋に忍び込んで来た状況を想像してみて欲しい。君は眠っていて、彼はいつでも君を強姦することができる、だけど彼はそうしない。その代わりに彼は君を見てマスターベーションする(なお、これは映画の冒頭でシンジがアスカを見ながら行った行為であり、L.C.Lの海の中で二人はその記憶を共有している)。そのとき君は起きて、彼が何をしたかについて知る。君はその時自分が何て言うと思う?」と言ったという。宮村は監督は変なことを言うなと思いながらも、「『気持ち悪い』ですかね。」と答え(その返答に庵野は「やっぱり気持ち悪いか」と答えたという)、それがそのまま最後のシーンにおけるアスカの台詞として採用された。[3]
本来、25話ではEVAのもとへ送り出されたシンジが、「やっぱり来るんじゃなかった……」とぼやくシーンが入る(テレビ版第一話冒頭との対になっている)予定であったが、シンジ役の緒方恵美が「ミサトもアスカも皆も一生懸命に戦ってたのに、それはないでしょう」と庵野総監督に話し、結果、最後のシーンには「エヴァに乗れないんだ。どうしようもないんだ」とシンジはベークライト注入によってEVAに乗れなくなったという言い訳をするシーンになっている[4]。
第26話の映画館内実写映像の直後の一瞬に多数の静止画像が挿入される演出がある。コマ送りでないと内容を判別できないほどではあるが、それらには、ファンレターやネットの投稿(「庵野殺す」と書かれた過激なもの)、GAINAX SHOPへの落書きなどが含まれている。これらは、実際にGAINAXに送られた手紙やメール、ネットの書き込みを元にスタッフが作成したものである[5]。
第弐拾五話では、ゲンドウが「今日、この日のためにお前はいたのだ」と言って綾波レイを連れ出す場面、ミサトとリツコの死体が血を流して倒れている場面が挿入されているが、これらは劇場版第25話の伏線であったことが判明する。
テンプレート:新世紀エヴァンゲリオン
de:Neon Genesis Evangelion: The End of Evangeliones:End of Evangelionit:Neon Genesis Evangelion: The End of Evangelionko:신세기 에반게리온 극장판 THE END OF EVANGELION 에어/진심을, 너에게pl:Shin seiki evangerion gekijō-ban: Air/Magokoro wo, kimi nipt:Shin seiki Evangelion Gekijô-ban: Air/Magokoro wo, kimi niru:Конец Евангелионаsv:The End of Evangelionth:อีวานเกเลียน: ปัจฉิมภาค
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