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テンプレート:文学テンプレート:ドラマ愛と死をみつめて(あいとしをみつめて)は、大学生河野 実(マコ、1941年8月8日 - )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ、1942年2月3日 - 1963年8月7日)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したものである。
1963年に出版され、160万部を売り上げる大ヒットを記録。関連本として、大島著の『若きいのちの日記』や河野著の『佐智子の播州平野』も出版された。『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』等の純愛小説の先駆けだったといえる。映画化やテレビドラマ・ラジオドラマ化された。
兵庫県立西脇高等学校に通うミコ(大島みち子)は、顔に軟骨肉腫ができる難病に冒されていた。阪大病院に入院した際、長野県出身の浪人生マコ(河野実)と出会い、文通を始める。その後ミコが同志社大学、マコが東京の中央大学へ進学してからも文通は途切れず、ミコの病気が再発し再入院した後は、マコとの文通が人生の大きな支えになっていく。長距離電話での会話や、マコが旅費を工面して大阪の病院を訪れるなどし、二人の愛は深まる一方、ミコは手術で顔の半分をなくすことになり、病気は悪化していく。
酒井政利による初のレコード・プロデュース作品。彼はベストセラー本を歌にしようとひらめき、書店で出版直後の原作本と出会うが、若い素人の往復書簡という体裁に新鮮な魅力を感じ、著名のベテラン作詞作曲家でなく、あえて若手作家が作ることで素直に表現できると考え、大矢弘子(当時レコード会社に詩を投稿していた明治大学四年生)に作詩、土田啓四郎(大阪在住の新進作曲家)に作曲を依頼する。歌手は、12歳でコロムビア全国コンクール第一位となった青山和子(当時18歳)。
この曲は、テレビドラマ『愛と死をみつめて』(1964年版)の主題歌であると誤解されやすいが、ドラマで使用されたのはシンプルなインストルメンタルBGM曲のみで、青山和子が歌うこのレコード企画とは全く別のプロジェクトである。
1964年4月12日と4月19日、前・後編に分けてTBS系東芝日曜劇場枠で放送された。1話完結を基本としていた東芝日曜劇場始まって以来の2回に分けての放送であった。橋田壽賀子の脚本がとても1時間枠では収まらない長さになった時、慣例を破って視聴者を混乱させることを心配したのか、TBS側は何とか1時間に収まるよう縮めてほしいと依頼したという。橋田はこれ以上はどうしても削れないと主張し、例外的に認められた前・後編放送となった。結果として、TBSの心配は杞憂に終わり、ドラマは大きな反響を呼んで、3度も再放送されることとなった。
この作品が制作された当時は、VTRが2インチ規格だったことなどから、番組の資料保存が容易には行えず、同時期に制作されたドラマは大半が消去されて現存していないため、現在も視聴できるこのドラマは資料的な意味でも価値が大きい。2006年現在、横浜の放送ライブラリーにて視聴可能。また、TBSチャンネルなどでも放送されている。
1964年1月14日、ニッポン放送「ラジオ劇場」で放送。
2006年3月18日と3月19日、2時間半ずつの枠で、前・後編に分けて放送。テレビ朝日制作。当初は2005年放送の予定だったが、諸事情により延期された。ミコ死後の秘話も再取材し、盛り込む。連日に渡って番宣を組み、高視聴率を狙っていたが、前編16%台、後編15%台と、前編の裏だった『女王の教室エピソード2』(日本テレビ)に及ばなかった。主題歌はドリームズ・カム・トゥルーの『めまい』(アルバム THE LOVE ROCKSに収録)と、『愛と死をみつめて〜DREAMS COME TRUE VERSION〜』。
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