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テンプレート:予定黒部の太陽(くろべのたいよう)は、木本正次による小説作品、ならびにこれを原作とする日本の映画作品。1968年公開。当時、世紀の難工事と言われた黒部ダム建設の苦闘を描いている。
劇団民藝の全面協力による、三船プロダクションと石原プロモーションの共同制作。いわゆる動員映画・前売券映画の先駆けとなった作品としても知られる。
1962年に日活から独立した石原裕次郎は、五社協定の枠に苦しめられ、「自分で映画を作る」という当初の目標が揺らいでいた。1963年には独立第一弾として、堀江謙一をモデルとした「太平洋ひとりぼっち」が公開されたが、興行面では失敗に終わった。
1964年、三船敏郎と石原裕次郎の二人が会見し、三船プロ・石原プロの共作で映画化すると発表した。しかし実現までには間隔が空いた。
日活との問題に加え、当時、石原プロの元には、スタッフ・キャスティングに必要な人件費が500万円しか無かった。石原裕次郎はこの500万円を手に、劇団民藝の主宰者であり、俳優界の大御所である宇野重吉を訪ね、協力を依頼。宇野は民藝として全面協力することを約束し、宇野を含めた民藝の所属俳優、スタッフ、必要な装置などを提供。以降、裕次郎は宇野を恩人として慕うようになった(後に宇野の息子である寺尾聰が石原プロ入りすることになる)。
1966年、再び三船と裕次郎が会見を開き、毎日新聞で連載されていた「黒部の太陽」を映画化すると発表。莫大な資金が必要で、実際に事故も起こるなど大掛かりな撮影となったが、1年以上の撮影期間を経て、1968年2月に公開された。
後に文部省の推薦映画に選ばれ、現在の40~50代の人の中にはこの映画を小学校の校外学習で見たという人も多く見られる。
現在版権は石原プロが所有している。ビデオ化については、石原裕次郎自身が「こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい」と断ったため見送られ、その後何度もビデオ化の打診はあったのだが、現在もソフト化されていない(「栄光への5000キロ」もソフト化されていない)。近年の、大迫力の画面・音声が家庭で楽しめる大画面テレビ、ホームシアター、次世代DVDの普及にも全く配慮されてないため、本作がパブリックドメインとなる2039年まではソフト化は絶望的である。
テレビでは、過去に衛星映画劇場(NHK)で一度放送されたきり、放送されていない。予告編が2007年に「NHKスペシャル・石原裕次郎、没後20年~裕さんへのラブレター~」にて初めてテレビ公開された。
一方で、当初石原裕次郎が主張していた映画館などでのスクリーン上映も滅多に行われていない。これは「石原プロがフィルムを貸したがらないため」と言われているが、その理由は不明である。現在では、数年に1回程度、石原プロが関係するイベントで上映されているほどに留まっており、事実上お蔵入り(封印作品)となっている。監督した熊井によれば、現在上映されているフィルムは、オリジナルのものよりも1時間程度短縮されたものになっているという。
後に民藝制作で、日本テレビ系にてテレビドラマ化され(黒部の太陽 (テレビドラマ)を参照)、また「週刊少年ジャンプ」で漫画化も行われた。
1968年2月17日公開
2008年には、黒部の太陽の舞台となった関電トンネル開通50周年と映画上映40周年を記念して、実際に関電トンネルの工事を担当した関西電力と熊谷組の支援、映画を製作した石原プロモーション・三船プロダクションの全面協力を受け、中村獅童・神田正輝主演、大地康雄・勝野洋・宮川一朗太・一色紗英などの出演、妹尾和夫の特別出演[1]で舞台化され、2008年10月6日〜10月26日に梅田芸術劇場メインホールで公演される予定で、石原裕次郎の没後23回忌に当たる2009年には東京での再演の計画もある。
この舞台化には、梅田芸術劇場の岡田正行プロデューサーが石原プロ側を口説き落とし、ようやく実現させたという[2]
また、この舞台化を機に石原プロモーションでは、約40年ぶりとなる同映画のオリジナル版上映を検討しているという。
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